2008年12月19日金曜日

12月18日 キリギティ!!


 そろそろトランスファー(次の更生院に移る)の時期だ。この時期になると、子どもたちは次の更生院の話題でもちきりだ。ここゲタスル更生院では子どもたちは3ヵ月間過ごして、更生院の生活に慣れ、これからの自分たちの生活や人生を前向きに考えるように促される。そして次の更生院へと行き、3年間そこで生活する。

 この次の更生院はケニア全土で6か所ある。西からカカメガ、ケリチョ、オザヤ、ワムム、カベテそしてリコニ更生院の計6か所である。これらはすべて男子更生院で、それぞれの特徴を生かした教育がなされている。パンを作る職業教育をする更生院、ビーズ細工の職業訓練をする更生院などさまざまだ。

 また男子更生院のほかに女子更生院も2か所ある。キリギティとダゴレッティである。この女子更生院と合同で活動する日は、男の子たちもテンションが上がる。やっぱり10歳から18歳。テンションが上がって当然だ・・・。

 そして今日夕方の時間、子どもたちと数人で次の更生院の話をしていた。そのとき、大爆笑することを何人かの子どもが言った。

 “ Unataka kwenda boma gani?” 「どこの更生院に行きたい?」
 “ Likoni!” 「リコニ!」
 “ Likoni!” 「リコニ!」
 “ Kabete, Kabete!” 「カベテ!」
 “ Kiligiti!” 「キリギティ!」

 ・・・(大爆笑)。それもすごい嬉しそうな顔で応えて答えてたよ。女子更生院に行きたいって想像してなかったもんな。そりゃ行きたいわな。マネージャーにも、おもしろおかしく報告すると、

 “ Hee!? Hatari!!” 「へっ!?危険だな(笑)」

 と大爆笑してました。いやあユーモアあるよ、うちの男の子たち。いや冗談じゃなく本気でいってるな、こいつら。というように女の子大好きな男の子たちです。

12月17日 日本のアニメ

 今日の朝は職員会議がなかったため、のんびり子どもたちと過ごした。そしてその後昼食前にマサコサンのアイデアで日本の代表アニメを見ることにした。実は日本からアニメのDVDを持ってきているのだ。それも英語の音声があるものを持っているので、今日はその一つを見せることにした。

 初めて見る日本のアニメに興味津々そうに見る子どもたち。途中体が飛び上るほど驚いたり、笑ったりしていたがすごく楽しんでるようだった。日本の風景や日本の雰囲気がわかるそのDVDは本当に子どもの心に自然に入っていくいい教材のようだった。

 よっぽど気にいったのか、映画が終わるとその主題歌をうれしそうに歌っている光景がなんともうれしかった。この英語の音声があるDVDを本当に持ってきてよかったと思った。

12月16日 親父ギャグ

 世界どこでも万国共通、俺の親父ギャグはウケない。というショックな事件が起きた。俺は日本にいたときから、親父ギャグを授業で言っていた。そのたび生徒から冷たい反応をされた。そしてここケニアでも。

 この日、チャイ(ミルクティ)(tea)を持ってきてくれた子がいた。いつも午前10時過ぎにチャイを持ってきてくれるのだが、この日の俺は調子がよかった。そしてチャイをコップに入れてくれたあと、こう言った。

 “ Asantea!” 「ありがとう」 →本当に” Asante”
“ ・・・。” 「・・・(無反応)」 (何を言ってるんだ、この先生は・・・?)

 ガーン!?ケニアの子どもにも冷たい反応された。慣れているとはいえ、かなりショックな出来事だった。まさかケニアの子たちにも・・・。

 そんなしょうもない親父ギャグを言えるぐらい活動に慣れてきたんだろうが、まだまだだな。もうすぐ30歳。もう開き直って、どんどん親父になるで。

12月15日 maisha yangu ya baadae


 「maisha yangu ya baadae」(将来の自分の人生)というタイトルでいつもテスト後の授業は絵を描かせる。この授業で、なぜか一人も自分の夢がないなんて言う子はいない。この更生院の子どもでも、多くの夢を持っている。

 今回は少ない色鉛筆とクレヨンを用意して、自分たちの夢の絵に色をつけることもした。今回はたくさんの夢があった。マタツ(乗合バス)やバスの運転手、飛行機のパイロットをはじめ、先生や医者、軍隊や警察官、すごいことには大統領になりたいという子までいた。バラエティに富んだ夢が出てうれしかった。

 そして授業の最後は、前に出て発表。どうしてその職業に就きたいのか、またその職業に就くためには何が必要かなどを自分たちなりに話していた。その中で共通して大事なものがあった。それは「勉強」。ほとんどの子は仕事に就くためには勉強が必要であると感じていた。だからがんばりたいという気持ちを前に出していた子もたくさんいた。

 現在、更生院では授業を担当するアカデミックの先生が、一般の公立小学校に転勤している。ケニアの更生院ではEducation(教育)よりRehabilitation(生活指導)のほうが大事だと考えられてるようだ。そのため授業担当の先生が更生院からいなくなってるのだ。

 このゲタスル更生院も例外ではない。現在たった一人しかいない授業担当教員も1月から一般の小学校へ転勤となる。また一緒に活動している協力隊のマサコさんも1月に任期終了だ。つまり1月から私一人で授業を受け持つことになる。そのため現在教えている英語と体育のほかに数学やスワヒリ語の授業までしていかないといけないわけだ。

 多くの課題と問題が1月からのしかかってくる。正直先が見えない不安がある。しかしこの子たちの夢を少しでもかなえてやるために、授業はしっかりしていかないといけない。1月からの準備をこれから少しずつしていこう。

2008年12月17日水曜日

12月12日 ゲタスルファッションショー☆


 いやあ、やってまいりました。ゲタスル更生院が送るファッションショーの時間です。今回エントリーしたのは、約10人のゲタスル更生院所属の少年モデルたち。
今回のファッションのポイントは実に「ケニア」。布団カバーで使っている布でどれだけケニアをイメージするか、これが勝負のポイントです。さてどんな着こなしがあるでしょう。
と挑発し、カメラを構えると次から次へと出てくるおもしろいファッションセンス。いろんな格好で来ては、

 “ Mwalimu, nipige picha!” 「先生、写真撮って」

 と迫ってくる。本当に写真好きな彼ら。センス抜群な彼ら、誰が一番なんて決められないね。というわけで、俺の中ではみんなナンバー1でオンリー1なファッションショーでした。

12月11日 祝日前日☆


 今日は祝日前日。夕方から台所担当の子どもが祝日のための特別の朝食を作っていた。それはケニアのおやつとも言われるマンダージ(揚げドーナツ)である。日本ではそれに砂糖をまぶしたりするだろうが、そのマンダージをそのまま食べる。ほんの少し甘味がして、一度食べたらやみつきになる味だ。

 この日は、次から次へとたくさんのマンダージを子どもが挙げていた。その次の日に約130人に二つずつ配られるため、先生のと合わせて約300個作らないといけない。けどこのマンダージは子どもは大好きだし、普段は絶対食べることができないものなので、前日作っている最中から気になって仕方ない様子。

 毎日が祝日だったらなあ・・・。きっと子どもの中にはそう思ってる子がいるだろう。それだけ祝日の食事は普段と全然違うからね。俺も違う意味で思う。毎日が祝日だったらなあ。(それだけ休めるから)

12月10日 人の話を聞け!


 こんな風景を日本では生まれてもうすぐ29年たつが見たことはない。しかしここケニアでは当たり前のことなんだよね。

 先生が大事な話をしているときに、横になる子どもが多い。それどころか、ついには寝てしまうのだ。日本の生徒のほうがまだまだかわいいわ。伏せたり、うとうとするぐらいで思い切り横になって寝る子どもはいない。慣れていないせいか、すごく腹が立つ・・・。

 注意しない先生にも問題はあるが、それがケニアの文化と言われたらそれまでだ。それどころか、先生まで横になって寝る時があるから困ったもんだ。お客さんが来てもこの通り。ほんと、まいるわ。

 最近は優しく起こすようにしている。そして3回目になると愛のげんこつが子どもたちの頭に降り注ぐ。どうして怒られるんだろうという不思議そうな顔をしている子どももいるが、常に「先生が話をしている時には寝るな!」と言ってあるから寝るほうが悪い。そんな子どもたちも最近ちゃんと人の話を聞くようになってきた。少し進歩したかな。

12月9日 隊員総会


隊員総会。ケニア全土に散らばるケニアボランティアが一斉にナイロビに集まって、委員会の報告や要望を行う会である。朝8時半に事務所に着き、総会の準備をする。この日私は議長団の書記として大事な役目があったため、他の人より少し早めに来ていたのである。

 そして9時半、いよいよ総会開始。初めて経験する総会、またその総会でいきなりの仕事だし、少し戸惑ったがいい勉強になった。各委員会の報告、個人発議など話し合う内容は多岐にわたった。そして昼3時半無事終了。

 その後、私は議長団の反省で6時半くらいまで時事務所に残って作業をした。まあおかげでJICAシールを職員の人に大量にもらったが。そしてその仕事も無事終了。

 夜は久々に集まった同期14人で韓国料理(焼肉)屋で懇親会。久々にみんなで食べる食事、飲むビールはうまかったなあ。帰ったのは夜中の12時半くらいだったかな。ケニアに来て一番遅くまで楽しんでた夜だった。ちょっと怖かったけど・・・。

12月8日 大掃除

 この日は職員室のお掃除をした。まあ職員室といっても私とマサコさんが使う小さな部屋だが。その部屋を隅から隅まで掃除をして、棚にあるものすべてを整理した。そして手伝ってもらったのは精鋭4人の働き者の子どもたち。自ら志願して、職員室掃除をした。

 まずはじめに、ノートの整理をした。この更生院では新しいノートはない。3ヵ月したのち、子どもはちがう更生院に行くため、新しいノートを与え続けると足りなくなるからだ。そのため、昔いた子どもたちが使った中古のノートを使う。そこで整理というのは、前の持ち主だった子どもが書いたページを破くというのが作業だ。そしてまた、そのノートを使う。

 次に寄付されたキリスト教の教科書の整理である。寄付の中で一番多いのはキリスト教の教科書だ。ここケニアでは、約70%がキリスト教である。そのためその教えのための本が多く存在する。更生院にいる子どもが現在約130人いるが、120以上がキリスト教である。まあ残りはイスラム教であるが。

 次に棚の整理。次から次へといろいろなアイテムが出てくる。ベレー帽、サッカー用ソックス、腕輪などなど。そして次から次へと出てきたアイテムが減っている。見てみると子どもたちがうれしそうに身につけている。またポケットが妙に膨らんでいる。ばれないように俺の顔色をうかがうが、ばればれである・・・。愛のげんこつを一人ひとりに与えて、そして最後に3時間近くがんばった子どもたちにマサコさんがパンの差し入れをしてくれた。うれしそうにパンをほおばる子どもたちの姿がかわいかった。
 ということできれいになった職員室で今日も授業準備をします。

2008年12月7日日曜日

12月6日 "Uncle Ken!"

 今日と明日は久々の休み。ということで、たまってある服を洗濯し、ふとんを干し、そして庭の草取りをして。午前中は家事を本格的にした。そうすると、ある男の子がやってきた。隣人のマウラだ。

 “ Uncle Ken!!” 「ケンおじさん!」


 そう言って4歳の子がうれしそうにやってくる。てか、まだ28歳だけど・・・。けっこうショックなんだよね、「おじさん」って言われると。

 聞くとお父さんとお母さんは仕事に行ってるみたいである。そこで、この子はお留守番。けど、すごいね4歳の子を置いて仕事なんて。普段は友達と遊ぶが、この日はマウラの友達はお出かけ。そのため午前中は俺の家にずっといた。一緒に草を取ったり、一緒にマフィンを食べたり、そして遊んだり。休日ならではの楽しい時間だった。

12月5日 "Kanyonga!"(パン)

 夕方、毎日の日課である子どもたちとサッカー。ちょっと疲れて横で休んでいたら、何人かの子どもたちが寄ってきた。そして、夕ごはん前でおなかがすいたなあと言いあった。
そのときある生徒が言った。

 “ Chakula cha Getathuru ni tamu, lakini kadogo.”
 「ゲタスルのごはんはおいしいけど、量が少ないよ。」

 確かに10歳から18歳までの男の子である。食べざかりの彼らに十分な量のごはんが与えられてるかというとそうでもない。120センチほどの体の小さい子も、180センチを超える体の大きい子も、同じお皿に同じ量だけ盛り付けてある。そりゃ、不満も出てくる。

 また、うちの更生院では2日に一回がギゼリ(昼、夜)、そしてもう一日がウガリとマハラグエ(豆)と玉ねぎ(昼、夜)である。一日の摂取食品目はだいたい4~5品目だろう。栄養バランスだって、考えてない。食べることって、人間の楽しみだもんね。

 にんじんだって、じゃがいもだって、この更生院では出ない。予算の関係上しょうがないことなのだが・・・。

 その後、ある質問を子どもたちにしてみた。

 “ Unataka kula chakula gani?” 「どんな食べ物が食べたい?」

 するとほとんどの子どもが同じ答えを言った。

 “ Kanyonga!!” 「パン!」

 子どもたちが食べたい物、あこがれている食べ物、それはパン。けど、なんでパンが食べたいって思うんだろう・・・。そんなに高価なものでもないのに・・・。

 って考えると、あることに気がついた。この更生院では、たまに家族が子どもたちに面会に来る。そしてその子どもに、すべての親がパンを渡す。子どもに何か食べさせてやりたい、けど高価なのは買えない、その親の気持ちが一つのパンになって表れる。パンといっても、ここでパンといったら食パンのこと。そしてその子どもは、他の生徒が食べることのできないパンを食べるのだ。

 きっとパンって、ただ食べたいだけでなく、家族の愛がそこにあるからなんじゃないかな。そんな子どもたちの家族への想いを感じ取れた出来事だった。

12月4日 かくれんぼ

 “ちゃんと洗いなさい!”
 “ほら、洗濯ばさみ!”


 は、はい。この日の午前中洗濯をしていたら、すっかり私になついた隣人のエリザベスとジェニファーがやってきた。私の家のドアがあいていたりすると、すぐにやってくる。そしていつの間にか「かくれんぼ」が始まっている。あの、おれ洗濯してるんですが・・・。

 そしてそのかくれんぼもいつも二人が隠れる場所は同じ。台所のドアの後ろ・・・。そして見つかると、大喜び。まあ3,4歳ぐらいの子どもだからね。

 何回かかくれんぼした後で、洗濯の仕事に戻る。そうすると二人のお母さんが一言。

 “ Eliza, Jenifar, msaidie Ken!” 「エリーザ、ジェニファー、ケンを手伝ってあげなさい。」

 とありがたいお言葉。なんだが、この二人がけっこううるさい。手伝いというか、必死に洗濯物の仕方を教えてくれる。そして洗濯ものを干しているときも、横から口出しだけ。なんかおばちゃんみたい。まあ二人とも立派な大きいおなかをしているが。そしてまたかくれんぼが始まる。元気なこの女の子たちにいつも遊ばれています。

12月1日 何気ない話で盛り上がる

何気ない話に盛り上がるのも、楽しい。年頃の子供だからいろいろなことに多感だ。私がしている腕時計が気になって、値段やどこで買ったのか何人もの子どもに聞かれる。私が使っている日本の携帯電話が気になって、カメラがついているのかケニアでも使えるのかなど何人もの子どもに聞かれる。私がリュックサックにつけている日本の生徒からもらった人形を興味深そうに見て、人形の名前やどこで手に入れたかなど何人もの生徒に聞かれる。

 こうやって何気ない話をするのもまたいい。そして何より盛り上がる話題は、万国共通女の子の話題である。最近よく子どもたちに聞く質問がある。それはこの二つ。

 “ Unapenda wasichana?” 「女の子好きかい?」
 “ Unapenda wasichana gani?” 「どんな女の子が好き?」


 はじめの質問には、みんな笑顔で “Eh-!”「うん!」と答える。そして次の質問の答えがおもしろかった。

 “ Napenda mnono na mrembo.” 「太めで美人!」
 “ Wajapani halafu mnono!” 「日本人で太めの子!」


 ていうように、太めの子がこちらケニアでは人気である。ほとんどの子が太めの女の子が好きと答えた。ケニアだけでなくアフリカの男はけっこう太めの女性が好きのようだ。日本はダイエットブームなのに。まあ俺も昔から太めの女性が好きだから、ケニア人とも女性の好みは合う。というぐあいに、最近女の子の話題で子どもと盛り上がる28歳です。

2008年12月2日火曜日

11月30日 親父

 突然、子どもたちのドミトリーから泣き声が聞こえてきた。そこには一人の生徒が泣いていた。その子は病気で土日とドミトリーでずっと休んでいた。そんな彼が突然泣き出したのだ。突然のことだったので、急いでドミトリーに向かった。他の先生はあんまり気にしていない様子だったが。
 
 “ Inauma・・・” 「痛いよ・・・」

 そう言って、腕を抑えていた。そこにはたくさんの湿疹(しっしん)があり、体中湿疹があった。その痛みから泣いていたのだ。話を聞いてる最中、ようやく他の先生が登場。「薬は飲ませてあるし、あとは寝るだけ」と言って、子どもを説得していた。確かにそうなのだが・・・。ある先生が更生院専門医に電話したが、その専門医も日曜日で来ないとのこと。まいったなあ。

 病気の時って心細いよなあ。広いドミトリーで一人っきりで寝てなきゃダメだし。そんな彼の泣いたことは、単なる痛みだけでなくそこに誰かがいてほしいってことだったんじゃないかな。

 そこで俺は家から、オレンジを切って袋に入れて持ってきた。普段はこんなことしない。俺自身、誰かにお金を渡したり、物をあげたりすることが嫌いである。絶対にそんなことしない。しかし、毎日の食事がそんなに栄養があるかというと、そうではない。もちろん病人食なんてないし、果物だってない。飲みものだって、水道の茶色の水だ。そんなこと考えてるうちに、無意識にオレンジを切って、その子のもとに持ってきていた。

 “Ukule, harafu upate Bitamin C.” 「食べて、ビタミンCをとりな」

 そういって、彼にオレンジを差し出した。彼は何も言わず無表情でそのオレンジをとった。そしてオレンジを食べ始めた。もったいない食べ方をする彼だが、オレンジの種を平気で廊下に捨てる彼だが、うれしそうな顔を何一つしない彼だが、最後にただ一言

 “Asante.” 「ありがとう」

 って言った。これでよかったのかなあと思ったが、これでいいんだと自分で納得した。他の先生も、自分の昼食のチャパティをちぎって渡したり、自分のパイナップルを渡したりしていた。ケニアの先生も彼のことを気にしてるんだと思ったとき、なんだか嬉しかった。

 目の前で困っている人がいたから、自然とその行動に出た。今回はオレンジをあげるという行動に。そしてそばにいるという行動に。わざわざ何かするのに、考え込むことはしなかった。自分がそうしたいからそうした・・・。それでいいんじゃないかな。

 おれは更生院の先生だが、更生院には親のいない子もたくさんいる。そんな子たちにとって単なる先生でなく、厳しい親父であり、ときどき優しく接してやれる親父でいようと思う。叱るときは叱る、心細いときには一緒にいる、いいことしたときには思い切り褒める、一緒にサッカーしたりして遊ぶ、そんな親父になろう。子どもたちを自分の子どもだと思って接しよう。何か大きいことをするのではなく、小さいことでもいいから、子どもたちにしていこう。子どもたちの中に、ほんの小さなことが少しでも残せるのなら。

11月28日 奇跡の夕ごはん☆

 今日の夕ごはんは最高だった。なんと肉とパイナップルが同時に出たのだ。子どもは食べる前から興奮しっぱなしで、ダイニングの前に並ぶときもソワソワしていた。

 普段はそんなごちそうが出ることはない。肉は週1回出るだけだし、果物なんて2,3週間に1回だけだし。メインとデザートがどちらもある日なんて奇跡に近い。そんな最高の夕ごはんだった。

 そんな彼らが、いつも以上にkaribu発言連発。大事な肉やパイナップルをうれしそうに俺に差し出してくる。もちろんそんな大事な彼らのメインとデザートを取るわけにはいかない。

 “Asante, nitakura baadae.” 「ありがとう、俺も後で食べるから。」

 そう言って笑顔で応える。本当にごはんを食べてる時の子どもたちはかわいい。だが、パイナップルのカスをダイニングにポイ捨てしてたので、叱ったが・・・。けど、この更生院の中の楽しみの一つが、このごはんの時間。また何か楽しみの時間を作ってやりたいなあ・・・。

11月27日 健康診断

 この日は定期的に行かないといけない、JICA指定の健康診断の日。前日の夜10時から何も食べず、もちろん朝食もとらず、水だけ。そして検便をとって、いざケニア最大のナイロビ病院へ。

 まずJICA専門医のDr.Saio(イタリア人?)のところへと行く。ここはナイロビ病院とはちがい、その近くのDoctors Plazaという場所にある。簡単にいったら、いろいろなお医者さんのいる複合病院のようなものだ。その建物の中に多くの個人病院がある。そこで患者は、自分のかかる科とお医者さんを自分で決めて、そこに行けるのだ。

 さて、そのおしゃれな病院へと行き、まず検尿。そして血液検査。大嫌いな注射1本目は採血だった。そして次は診察。Dr.Saioの聞きやすい英語はありがたかった。Dr. Ajayの聞きづらい英語とはまったくちがう!

 そして予防接種の時間。A型肝炎、そしてB型肝炎両方の注射を打って、この日だけで計3本の注射を打つ。はあ、痛かった。そしてナイロビ病院へと行きレントゲン写真をとって終了。疲れた。しかしすごくきれいな病院だった。日本とほぼ変わらない設備だし、万が一病気になっても大丈夫だな・・・。

 帰りはたくさんの買い物をして帰りました。大好きな食パンとカップケーキも買えたし。そんなこんなで、仕事を離れて、こういう日もいいなあと感じた一日だった。

11月26日 今日も一緒に朝ごはん

“Mwalimu, karibu!!” 「先生、どうぞ」

 子どもたちはいつも朝ごはんのujiを飲んでいるとき声をかけてくれる。毎朝のごはんはコップいっぱいに入った、uji。これはトウモロコシの粉をお湯で溶かしたもので、ちょっとしたオカユのようなものだ。子どもたちはこれが大好きである。

 しかし、これだけではさすがにおなかいっぱいにならない。私でもおなかいっぱいにならないのに、ましてや食べざかりの10歳から18歳の男の子はなおさらである。少しでも多く入ってるコップをとろうと目を光らせている。

 “Nani anataka uji?” 「だれかujiがほしい人?」

 なんて私が聞くと、一気に10人ぐらいがやってきてコップを差し出す。それだけコップ一杯では足りないのだ。けど毎日同じ朝ごはんでも、子どもたちは嬉しそうに飲む。笑顔でいつも、

 “Tamu sana!” 「とってもおいしいよ」

 と言ってくれる。普段、嫌いになりそうになるぐらいズル賢い子どもたちも、このときの笑顔を見ると、なんとも言えない。そんな彼らと今日もおいしくujiを飲む。

2008年11月25日火曜日

11月25日 日本で待っている大切な人へ


 今何してるかな 君も見ているかな オレンジ色に染まる空を 朝日に変わる夕陽を

 涙こぼしあって泣いた夜も くだらない話で朝まで笑った日々も 
 
 忘れない 今の僕を支える宝物だから 離れていても感じるあなたの優しさ 

 だからどこにいたってもう一人じゃない どんなことあってもくじけない

 空と海が重なったあの島のような 離れても同じ色に優しく混ざり合う

 ほら寄り添うキズナ

                          ~『キズナ』(オレンジレンジ)より~

 誕生日おめでとう。

2008年11月24日月曜日

11月20日 危険なトウモロコシ★

 朝から、大きい子どもたちが奥の教室にマヒンディ(トウモロコシ)を運んでいる。そして教室中に大量のとうもろこしを出していく。そして何か撒いている。そこで、子どもに聞いてみた。

 “ Unafanya nini? ” 「何をしているの?」
 “ Naweka dawa. ” 「薬をまいてるんだよ。」
 “ Dawa ya nini? ” 「何の薬?」
 “ Dawa ya kuua wadudu. ” 「虫を殺す薬だよ。」

 それって、つまり農薬だよね。それを直接食べる前のとうもろこしにまいてるんですか・・・。それ今度食べるよね・・・??

 そんな疑問が頭の中に出てくる間も、子どもは先生に言われたように一生懸命とうもろこしに農薬をまいている。案の上、教室の近くに行くと、嗅いだ記憶のある、あのにおいが!やっぱり農薬だ。

 昔近所のおじさんが、農薬をまくとき危険だから家じゅうの窓を閉めてくれって言ってたっけ。そんな農薬を直接トウモロコシにまいて、少しして食べる。大丈夫ですか??それがケニアスタイルですか?

 けど、おれだけそのトウモロコシを食べないわけにはいかないし、みんな食べるし。複雑の心境の中、今日もそのトウモロコシが入っているギゼリを食べます。

11月18日 手紙書きました☆


 今週の英語の授業は、手紙の書き方について学習した。実は、子どもたちは生まれてこのかた手紙を出したことのない子たちばかりで、誰かに手紙を書くっていうことだけで、すごくウキウキしていた。

 今回の手紙を書く相手は、私が交流している日本の学校2校。一つは高校、そしてもう一つは小学校へと送るものだ。そして考えたのが、スタンダード1~4までの子どもたちは小学校へ、そしてスタンダード5~8までの生徒は高校へ送ることにした。

 この日はスタンダード1、2そして7、8の生徒が手紙を書いた。まず個人のノートに下書きを書かせる。そして私が添削を最小限して、手紙に清書するというものだ。スタンダード7、8の子はさすがにスラスラ英語を書いていく。あまり俺に質問することなく。

 問題はスタンダード1、2だ・・・。まずアルファベットや自分の名前すら書けない生徒がたくさんいる。まあほとんど学校に行っていない生徒だ。英語なんてわかるわけがない。しかしどうやって手紙を書かせようか。とりあえず一人ひとりに名前の書き方を教えて、その名前の練習で約30分使う・・・。そして次に英語の手紙になるわけだが、アルファベットが書けない生徒に手紙は正直無理だ。

 そして考えたのが、絵日記だ。まずトピックを与える。「自分が毎日食べているもの。」「自分が大きくなったら、なりたいもの。」この二つである。そして、水を得た魚のように絵を描き始める。英語でなく、絵になると子どもたちは強い。どんどん描いていく。そしてあっという間に描きあげてしまいました。

 それにしてもすごい集中力だったなあ。ほとんど誰もさぼらないし。真剣なまなざしで、書く内容を考えてるし。教えるだけじゃなく、子どもたちの自主性を大事にする、こんな授業もいいなあ。

この手紙が、自分たちの全く知らない異国の日本に行きます。子どもたちのたくさんの想いを乗せて。

11月17日 元気もりもり☆


今日はケニア料理、日本料理を満喫できた一日だった。昼はチルドレンオフィサーの一人、Madam Karen の提案で先生方一人20シルずつ出して、チャパティを食べることになった。彼女はチャパティの粉を近くのDuka(お店)で買ってきて、家に調理に向かった。 昼過ぎ、大量のチャパティを持って再び登場。

 このチャパティとおかずがまた合う。チャパティはほんのり甘く、おかずの味を引き出す。日本ではチャパティといったら、インド料理でカレーと一緒に食べるのが一般的であろう。だが、ケニアではそのまま食べたりもする。ケニア人大好きな主食の一つである。

 夜は、最近めきめき力をつけ始めてきた、ケニア料理界の新星、ケニャイチロー料理人のクッキングの時間。この日は地元の店で買った新鮮なにんにくと玉ねぎ、そして激安の牛肉がメインである。この日のメニューはケニア風牛丼である。作り方は以下の通り。

① にんにくを薄くスライスし、玉ねぎを切っておく。
② 鍋に油をひき、にんにくが軽くきつね色になるまで炒める。
③ その後約250グラムの肉を入れて、炒める。
④ 肉がきつね色になったら、玉ねぎを入れて炒める。
⑤ 玉ねぎがしんなりしてきたら、しょうゆ・水・砂糖を2・1・1でといたものを入れる。
⑥ そしてふたをして、約10分中火で煮ると出来上がり。

 簡単なだけに俺向き。これでごはん1.5合はいけます。というわけで、この日もたくさん食べて元気もりもりです。

11月16日 笑顔の泡合戦☆

 毎週土曜日の朝は、General Cleaning(一般掃除)の日である。子どもたちは朝起きると、いつものようにドミトリーや学校のそうじをする。これは毎日の日課である。しかし土曜日は、このあとに自分の持ち物の掃除をする。

 たとえば自分の私服。毎日ドミトリーに入ると子どもたちは私服に着替える。その汚れた服をごしごし洗う。

 次にブランケット(毛布)。これは二人一組になって、共同で洗って、一緒にしぼって干す。これがまた平和な光景だ。

 最後に自分たちが使ったサッカーユニフォーム、そしてドミトリーのカーテンを洗っておしまいである。けど、この洗濯は嫌がらない。あせらず自分のペースで洗濯ができる。多少さぼっても怒られない。子どもたちはそんな時間が好きなのである。

 そんなのんびりとした時間はもっと和やかになる。遊びたい盛りの年頃。洗剤をいれたカライ(たらい)が泡だらけになると、子どもたち同士で泡をぶつけ合う。他のケニア人の先生は怒るのだが、おれは怒らず笑ってる。土曜日ぐらいリラックスした時間をあげたい。そんな笑顔の泡合戦がこっちもうれしくなる。泡だらけの子どもたちの顔を見て大笑い。その俺を見て、子どもも大笑い。

 “ Mwalimu, ona!!” 「先生、見て!!(笑)」
 “ Vizuri! Uko smart!” 「傑作だね!かっこいいよ!(笑)」

 更生院だけど、こんな時間も大切。子どもが心から笑えるそんな時間。俺もこの時間が大好きだ。

2008年11月15日土曜日

11月15日 クロミと二匹の子ネコ

 うちの更生院で飼っているクロミ(ネコ)には二匹の子どもがいる。最近走り始めることができて、甘え盛りの二匹。わんぱくざかりで、いろいろ散歩しては、走りまわる。そして二匹でじゃれあって、その姿がなんともいとおしい。けど、その姿を見ることはもうできなくなった。

 この日、ある子どもがなまったスワヒリ語で悲しそうに俺に話しかけてくる。わけがわからず、子どもが「ついてきて」というので、そこに行ったとき、言葉を失った。

 子ネコ一匹はそこに無残な姿で死んでいた。そしてその奥でもう一匹も死んでいた。

 えっ、昨日まであんなに元気だったのに。・・・。なんで・・・? なんでも昨日の夜、いつも更生院の台所に入って寝ている二匹がその日は入らなかったらしい。そして夜、野犬に襲われて、死んだということだ。

 その日、あまりなかないクロミが俺を見ながらずっとないていた。やっぱり何が起こったのか、わかっているんだろう。その姿がまたつらかった。

 昼ごはんはクロミと子ネコたちが大好きなキャベツの炒め物が出た。それをいつもよりたくさんクロミにあげた。けど、そこにはいつもいる子ネコ二匹の姿はなかった。

 生まれて約1か月半ぐらいだったかな。子ネコがこの更生院の生活に慣れたところでの出来事。慣れってやっぱり怖い。どこに危険があるかわからない。それは動物でも人間でも同じだ。この子ネコたちの死を無駄にしない。

11月14日 マフタ

 朝、子どもたちが楽しみにしているものがある。男はやはり身だしなみ・・・そんなことを言いそうな子どもたちにピッタリなもの、それが「マフタ」だ。

 「マフタ」とは、言ってみれば肌荒れ防止用クリームみたいなものだが、これを「マフタ(あぶら)」と現地の人は言っている。このマフタを毎日少量ずつ子どもに渡される。sの少量のマフタを子どもは大事に大事に使う。少しのマフタも無駄にしないように。

 まず子どもたちは足の先から太ももまでを塗る。(まあ個人差もあるが)そして次に手のひらや腕にそれを塗る。最後に顔や首、そして頭までそれを塗る。これで完了。塗り終わった子どもたちからは満面の笑顔と自信たっぷりの誇らしげな顔があふれてくる。

 そんな子どもたちも私を見ると、

 “Mwarimu! Karibu!” 「先生! どうぞ!」

 と言ってマフタを差し出してくる。けど、そんな少量の大事なマフタをさすがにもらうことができず、いつも笑顔で

 “Asante. Nitapaka baadae.” 「ありがとう。後で塗るから。」

 と言って、子どもたちの気持ちを受け取る。そんな少量のマフタが子どもにとっての楽しみ。けど、それは少量でも、子どもにとっては大量の楽しみなんだろうなあ。

11月11日 木こりさん

 本当にケニアの子どもはすごいよ。だって一本の太い木を子どもたちだけで、それも斧だけで切り倒すからね・・・。

 今日は、車が通るのに邪魔な一本の木を切り倒すことになった。背の高い力の強そうな子どもたちが農業の先生「ビス・コマンダ」に呼ばれる。そしてそれほど、大きくない斧を持たされる。いったい何がはじまるのかと思いきや、いきなり入口の象徴ともいうべき木を斧で切り始めた。
 おいおい、それをその小さな斧で切るのかい・・・?と思っていたが、子どもたちはどんどん木を切っていく。木の幹を切ろうとする子、木に登って枝を切る子さまざまだ。けど、あっという間に気を切り倒した。

 切り倒した木はさらに細かく切り、子どもたち約20人が運び出した。文句も言いながら、ケンカもしながら(木の持つ場所の争いでケンカ・・・しょうもない)少しずつ運んでいく。けど、運び方も子どもたちは工夫するんだね。木をそのまま持つと持ちにくいので、少し太めの枝を使って持ちやすくする。ここらへんは、さすがケニア人だね。見習わなきゃね。

 そして太くて立派な木があっというまに料理用の薪になってしまいました。恐るべしケニア人。

 ところで、今日11月11日は俺の車の免許を取った日であり、去年の今日は奥さんと結納した日だなあ。時がたつのは早いなあ。

11月9日 手作りカレー☆

 今日は一日のんびりした。久々の休みで予定も何もない一日。ぼーっとゴロゴロ過ごす日って必要だね。体調も治ったばっかりだし、この日はブラブラ散歩したり、自炊したりした。

 近くのカベテショッピングセンターへ行き(と言っても、単なる小さな店と市場が並んでるだけだが・・・)、じゃがいも・にんじん・玉ねぎそして牛肉を購入。全部で90シル(約120円)とかなり安い。肉が250グラムで60シル(約80円)はお得だよね。

 そして家に帰り、いよいよ調理開始。この日は送ってもらったばっかりの「こくまろカレー」を作ることにした。野菜を切って、肉と一緒にそれらを炒めて、そして水を入れて・・・。 けっこう料理に慣れたせいか、けっこう手際がいい。ごはんも炊き終わり、そしてカレーも出来上がり。久々のカレーに感激して、ごはん2合ちかく食べました。肉も骨つきのものがあり、かなりワイルドに食べました。

 いやあ日本食、やっぱり最高です。

2008年11月9日日曜日

11月8日 「かっこいい!」「スキ!」

 この日は、友人きゃくちゃん(理数科教師)の任地マチャコスへと出かけて行った。ケニア隊では赴任して3ヵ月間は「3ヵ月ルール」といって、自分の任地以外を行ってはいけないことになっている。もちろん旅行もダメである。そしてついにその3ヵ月がたったので、友人の任地訪問へ出かけた。

 自宅からマタツ(乗合バス)を乗り継いで約2時間半。マチャコスに到着した。マチャコスは田舎すぎず、都会すぎず、実に住みやすそうな町だった。そしてきゃくちゃんと一緒に活動先のMumbuni Girls Schoolへと向かった。

 そこは全寮制の学校で、この日の朝はみんな洗濯やそうじなどをしていた。そして俺をみるやいなや、

「こんにちはーー」

 と大きな声で日本語のあいさつをしてくれた。日ごろ男子更生院で男子にしか相手をしない俺にとっては、すごく新鮮だった。そして次から次へと興味しんしんで、ギャラリーがどんどん増えてくる。
 そして近づいていくとあちこちから、うれしい声が飛んできた。

 「カッコイイ!」
 「スキ!」


 おいおい。ちょっと照れるで・・・。ってか、きゃくちゃん、あなたはどんな日本語を子どもたちに教えているの??

 ということで、今までの人生でそんなに言われたことのない言葉を今日はたくさんもらった。まさに人生最良の日。意味はそんなにわかっていないだろうけど、言われるほうは気分いいね、やっぱり。

 その後、昼ごはんを食べに行った。そこでもう一人のマチャコス隊員遠藤さん(小学校教師)と合流して、一緒に昼ごはん。マチャコスはカンバ族が多いので、その伝統料理も食べ、大変満足のごはんでした。

 その後は遠藤さんの活動先、以前いらっしゃった五味さん(指圧)の活動先の学校や指圧クリニックへと行った。そこで、指圧マッサージ。気持ちよかったなあ。そしてそのままマタツで自宅へと帰りました。

 けど、気分のいい一日だったなあ。(モテたから) またきゃくちゃんの活動先・・・いや任地訪問に行こうっと強く思った一日だった。

11月6日 最高の組み合わせ☆

 本格的に自炊が始まった。男性隊員はいかに自炊して栄養をとるか、これにかかっている。俺も正直、日本にいたとき、ほとんどといっていいほど自炊をしなかった。それがここケニアですることになるなんて。
 といっても簡単な料理しか作れない。炒めるか焼くか、それとも茹でるか。そんなもんんだ。しかし今日作った料理は最高の組み合わせを持っていた。

 まず近くのDuka(店)で卵を2個買った(16シル)。それだけだ。帰っていよいよ調理開始。まずケニア独特の薄い鍋に油をひき、溶き卵を焼き始める。しっかり焼けたところで冷や飯を入れる。しっかり炒めたら、仕上げに「永谷園 五目チャーハンの素」を入れて混ぜて出来上がり。えっ、ただのチャーハンじゃんって。・・・。

 次にお湯をわかす。そして沸騰したら、あらかじめ「わかめスープの素」を入れてあるお椀に湯を注ぐ。そうするとわかめスープの出来上がり。えっ、それもインスタントじゃんって。・・・。

 ということで今日の食事はチャーハンとわかめスープ。これがまた最高の組み合わせで、かなりうまかった。幸せ。その後、食後のおやつとして、抹茶ミルクと「ふんわり名人 きなこ餅」をいただきました。これも最高の組み合わせ。ってか、すべてインスタントだな・・・。

 というわけで、こういう食事だけじゃなく、ちゃんと野菜炒めを作ったり、野菜スープ(手作り)を作ったりしているので、まあまあ自炊できています。けど、改めて奥さんや母の苦労がわかった瞬間でした。

11月5日 「ちゃんと座らんかい」

うちの更生院の生徒はどうして真剣に人の話が聞けないのだろう・・・。というイライラがたまった出来事があった。

 ケニアにきて4か月。いろいろな場面で子どもたちと接してきた。そのつど、こいつら全然話をきいてないな、と思う時がたくさんあった。ケニア人がスピーチ大好きで、かなり長いという理由もあるだろうが、それにしても子どもの集中力は短い。ごそごそしたり、よそ見したり、隣の友達と話したり。

 百歩譲ってそこまでは我慢しよう。しかしうちの更生院のやつはその上をいく。とくに地面に座らせて、話を聞かせる時なんて最悪だ。話が始まって約5分。一人が寝転がる。そして次々と増えていく寝転がり族・・・。そして100人中30人ほどが寝転がる。

それだけではない。その後本当に熟睡が始まる。先生の話なんて全く聞くつもりはない。こいつら・・・。そしてこの日、ついに堪忍袋の緒が切れた。

 この日は午後から隣のリマンドスクール(裁判をまつ子どもが生活する施設)から、3人の先生が来てくれた。日ごろ口をすっぱくするほど言い聞かせている、「人の話を聞くときは寝るな!」。さすがに今日は守ってくれるだろうと考えていた。甘かった・・・。

 お客さんが来ても関係ない。寝るときは寝る。おもしろくなければ話を聞かない。そして寝転がって、寝ようとするものが増えた。

「カチーン」

 ついに限界を超えた。一人ずつ力づくで起こし、怖い顔で子どもたちを見た。

 “Unafanya nini? Kaa vizuri.” 「何をしているの・・・? ちゃんと座らんかい」

 さすがに子どももただ事ではないと思ったらしく、すぐに起き上がる。それを見ていた他の子どもにも緊張感が走る。てか、できるなら最初からしとけよ!と思うような変わりぶりだ。

 まあ実際は難しいのもわかるが・・・。子どもたちは3ヵ月したら次の更生院へ。また新しい子どもが入ってきて一から教える。わからないでもないが・・・。けど俺もそんな寛容ではない。まったく・・・。更生院の子どもの難しさは、まだまだわかってないかもしれないが、本当に難しい。うーん、これからだな。

2008年11月4日火曜日

11月3日 ダンボールいっぱいの家族の愛情☆

 最近よくないことが続いていた。怪我したり、病気になったり、英語がしゃべれなくなったり・・・。そんなマイナスをいっぺんに吹き飛ばしてくれる、そんな一日だった。

 この日、元気になった報告のためオフィスに行った。調整員の方や健康管理員の方にすごく心配されていた。そして、病気やけがの報告書を合計8枚も書いた。そのときだった。調整員の一人が一枚の紙を渡してくれた。

 「黒明さん、荷物届いてますよ。」

 それは妻が9月9日に日本から送ってくれた小包である。やることを済ませ、はやる気持ちを抑えて、早歩きでウフルパーク(隊員は行ってはいけない危険区域)の横を通って、郵便局へと急いだ。そのとき、携帯にショートメールが入る。

「ウフルパークで2名が銃殺されました。周辺状況に気をつけてください」
「・・・(恐怖)」

 なぬーーー!?今横を通ってますけど。よりによってこんなときに・・・。郵便局まで約500メートル・・・。走るべきか、このまま早歩きか、それとも前にいるケニア人の横で一緒に行くか、それほどまでこわかったよ。最近ケニアでは、銃声が聞こえる日もあるし・・・。

 そしてびくびくしながら、やっと郵便局に到着。EMS(国際スピード郵便)のオフィスに行き、関税で3500シル(約4500円)ほど払った。そして係の人にIDカードを見せ、サインをして。やっと受け取ることができた。俺のところまで来るのに約2か月かかった荷物。すごくうれしかった。

 さてここからが、大変だった。凶悪事件が起きた周辺。重い荷物だったためもちろんタクシーで帰ることにした。しかし、いつも使っているタクシーがこの日はつかまらない・・・。周辺には怪しそうなおじさんが、タクシーに乗らないかと誘ってくる。これは乗れない。

 どうしようかと考えた結果・・・、乗合バス乗り場まで歩くことにした。もちろん人通りの多い場所で、人の良さそうで強そうな人の横をがっちりキープして。いやあドキドキしたよ。そして歩くこと10分、ようやく乗り場まで着いた。そして自宅へと。

 自宅へと帰って、まず一番にダンボールをあけた。うわー。はじめに目に入ったのが大好きなおかし「ふんわり名人 きなこ餅」だった。そして次から次へと出てくる日本食の数々。カレーのルー、お茶漬けの素、カップラーメン、チャーハンの素、ふりかけ、おにぎりせんべいなどなど。

 そして妻「ゆあみ」からの手紙もあった。その中には6つのひょうたんが付いているストラップがあった。妻のお父さんからのもので、「無病息災」の意味があるものだった。すぐにケニアの携帯にそのストラップをつけた。

 ダンボールいっぱいに入った家族の愛情。妻だけでなく、父や母もたくさんの食べ物を入れてくれていた。その一つひとつに「がんばれ」って応援してくれている想いを感じた。ここケニアにいても一人じゃないって思えた。離れてみて感じる家族の大切さ。

 大学時代、新潟にいて家族から荷物が届いたとき、号泣した時があった。あのときの感じに似ている。あのときにおばあちゃんが入れてくれていた「ナタデココゼリー」が、めちゃくちゃうまかったなあ。

 家族の温かな贈り物。食べ物以上に、大事なことをもらった。明日もきっとがんばれる。ありがとう。

2008年11月3日月曜日

10月31日 隣人① その2

 先々週紹介した隣人の女の子たち。名前も教えてもらえず、ただ通り過ぎの笑顔をくれていた子たちと仲良くなった。

この日の夕方、その子たちは私の家の前でお母さんと一緒に楽しそうに話をしていた。そして俺を見るなり、手を振ってくる。以前より警戒心のない最高の笑顔で迎えてくれる。

けどさすがケニアの女の子。おしゃれが4,5歳ぐらいから備わっている。自然とその子たちの耳に目がいく。そこにはきれいな草が付いている。この子たちは耳に穴をあけていて、そこに自然のピアスをつけているのだ。感心しておもわず言った。

 “ Warembo!!” 「美人たち!!」
 “ Eh-!” 「もちろんよ」


 と思いもよらない自信たっぷりの返事にまた感心した。さすがケニア人女性。こんな年からそんな自信を持ってるなんて。そして近くにたお母さんが俺の名前を聞く。しめた、チャンスだ!と思い、俺の名前を教えた後、子どもたちの名前を聞いた。

「こっちがエリザベス、こっちがジェニファーよ」

 お姉ちゃんのエリザベス、そして妹のジェニファー、二人とも本当に笑顔の素敵な姉妹である。最近は妹のジェニファーはかなり私になついて、手をよくつなげてくる。家に帰ると遊びに来るし。ということで隣人にも恵まれています。

10月28日 寝込む★

 ついに来た。ケニアを甘く見てた。この日から3日間寝込んだ。27日(月)の夜、今まで経験したことない寒気を感じる。ジャンバーを着ても、毛布をかけても、寒すぎる。おかしいと思ったが、寝るしかない。そして夜中、おなかが痛くなったり、吐いたりしてトイレにこもる。ほとんど一睡もできず、朝を迎える。付け加えて頭痛とめまいがする。そして熱が37.9℃まで上昇。これは正直やばい。ということで電話して活動を休ませてもらい、そのままJICA医療担当の方と一緒に再びDr. Ajayの病院へ。

 血液をとり、便をとり、マラリア検査を2回もして。結局マラリアではないようだが、病名を教えてもらえず、それが一週間たっても教えてもらえず・・・。結局なんだったんだろうね。

 そして家に帰らずJICAドミトリーに帰って、そこから3日間寝込みました。体重は3キロ減。友達からもらったポカリスエットと果物しか食べれらないからね。おかげでプチメタボは解消しました。
 健康は大事だね。金曜日帰ったが、その日は大量の水、大量の蚊取り線香を買ってしっかり対策しようと心に決めました。あと必ず10時には寝ます。

10月25日 英語しゃべれない★

 私、中学校の英語の先生なんだよな・・・。と自信をなくした日だった。先日の夜、運動場を歩いていたら、アカシアの木(とげがたくさんある木)を思い切り踏んで、そのとげが靴を通りこして足に1センチ以上突き刺さった。その時はあまりの激痛に立つこともできなかったぐらいだ。

 この日、3日たっても足の痛みが消えないので、JICA専門医のDr. Ajay(インド人)の病院に行った。病院に着いて待つこと10分、診察室に入って行った。
 
 “What happened?” 「何があったんだい?」
“3 days ago, I (tembea)・・・walked through (uwanja) ・・・the ground・・”
 「3日前に、・・・運動場を・・歩いていると・・」


 あれ、英語しゃべれない・・・。英語より先にスワヒリ語が出てくる。とすごくあわてた。このドクターの英語も聞き取りにくいのだが、それにしても俺の英語がかなりぎこちない・・・。しまいにはスワヒリ語と英語両方で説明する始末。

 医療用語の英語も遠慮なく使うドクターに、必死で説明する私。そしてついにとどめを刺された・・・。ドクターは持っている携帯で、JICAの医療担当の人に電話し、

 “ He has a problem to communicate.” 「彼との意思疎通に問題があるんだ。」

 ガーーーン。英語を専門的に勉強して約10年。まさか、ここでそんなセリフを言われるなんて・・・呆然とする私を気にすることなく、話は世間話までいっている。

 1年半後日本に帰るが、英語教師としてやっていけるのだろうか・・・。中学校でスワヒリ語教師募集してませんか?と本気で考えてしまう出来事だった。

10月24日 昼ドラ☆

 いつもは私が来ると嬉しそうに握手を求めたり、話しかけたりしてくれる子どもたち。しかしある時間帯だけ、まったく私が相手にされない時間がある。

 それは昼ごはんを終わったあとの昼ドラ(お昼のドラマ)を見る時間。テレビのあるダイニングに入っても、ほとんどの子どもたちが気付かない。授業している時やサッカーをしているときよりも、一段と集中力が増す。それも大好きな恋愛ドラマ

 10歳から18歳だもんね。ドラマの登場人物の一言一言を見逃さない。大事な場面になると、なおいっそう気合いが入る。いやいやそこまで体を前のめりにしなくても・・・と思う場面はしばしばある。

 そういえば、俺もドラマの中のセリフを実際使ったこともあったなあ。特に高校時代・・・。今考えても怖いもの知らずでドラマティックだったなあと感じる。そんなドラマを熱心にみる子どもたちに、早く良い相手が見つかりますように。

10月23日 セメント職人

 更生院の子どもたちにはたくさんの仕事がある。食事当番や牛当番など。本当に働き者が多い。その中で今日はいつもと違った仕事の光景を見た。

 生徒二人がシャベルでなんだか灰色の土をこねている。水を少しずつ足しながら、適当な固さになるまで。そして出来上がったものを更生院の道や壁に塗りつける。なんと、子どもたちはそのような補修までする。

 一人がシャベルで、それぞれのくぼみや穴にセメントを入れていく。そしてもう一人が、ヘラでそのセメントを上手にまっすぐ整えていく。初めてやったとは思えないぐらい息はぴったりだ。そういえば俺セメントなんて作ったことなければ、塗ったこともないなあ。

 絶対生きる力は、俺なんかよりケニアの子どものほうがあると感じた・・・。

2008年10月23日木曜日

10月22日 温かさ☆

 ついにこの日がやってきた。子どものトランスファー(他の更生院に移る)の日。午前中から、書類の整理や子どもの世話で大忙し。この日は60人ほど送るということで、更生院の先生ほぼ全員集合し、仕事をしていった。

 子どもたちはこの日を楽しみにしており、やっと次の更生院でスポーツや勉強が本格的にできるということを楽しみにしているのである。そのウキウキ感はこちらまで伝わってくる。子どもたちがうれしそうに俺の胸に飛び込んでくる。

 “ Ken, ninaenda! Tutaonana!” 「ケン、じゃあ行くよ。またね。」
 “ Sawa. Nenda salama na afia nzuri.”
 「了解、気をつけていくんだよ。それから健康に気をつけてな。」

 まだまだ小さい子は抱きしめられることがうれしいのか、みんな抱きしめてもらうために走り込んでくる。その姿がなんともかわいい。そして出発直前、こんな会話を交わした。

 “ Usinisahau!” 「俺のこと、忘れるなよ。」
 “ Sitakusahau mpaka nitakufa.” 「ぼくが死ぬまで、ケンのこと忘れないよ。」

 その言葉が温かった。子どもたちに接してきてよかったと思えた瞬間だった。そして子どもたちはこのゲタスル更生院をあとにした。

 長くて3ヵ月しかいない、このゲタスル更生院。もっと長く子どもたちと一緒にいたいが、それができない。出会いと別れが常にやってくるこの職場。それがけっこうつらい。そんなことを思う瞬間、一通のメールがやってきた。

 「生徒が少なくなって寂しいね。でもあなたが一番ケニアの子どもたちと出会えるね。」

 その言葉がまた温かった。その言葉に元気をもらった。また明日からがんばろうと思えた。今日は温かい言葉が多い一日で、幸せな一日だった。トランスファーはまだまだ続く。最後まで笑顔で子どもたちを送り出そう。

10月21日 手洗い洗濯

 この日は一週間たまった洗濯物をまとめて洗濯した。もちろん洗濯機なんてない。生まれて初めて、本格的に手洗いする。まず大きなタライとバケツを用意する。タライには水と日本から持ってきた一回用の袋に入ったアタックを入れ混ぜておく。そこからスタート。

 まず汚れの目立つ帽子とソックスを洗う。これがまず失敗・・・。そのせいで、もともと薄茶色の水がまっ茶色になり、次のTシャツを洗うモチベーションがぐっと下がった。気を取り直して、改めて水を用意し新しいアタックを入れTシャツやトレーナー、ジャージなどを洗う。一つひとつバケツの水でゆすいで洗剤をとり、自らの手でしぼる。これがまた重労働。Tシャツやソックス、パンツはいいけど、トレーナーやジャージは大変だね。

 そして一枚一枚、丁寧に干して終了。いやあ正直洗濯が嫌いになったよ。てか、なんて楽してたんだろうと改めて思うね。その日の夕方、大好きな昼寝をしてたら、夢の中で雨が降ってきた。いやな予感がして、無理やり起きると、案の定、現実世界も大雨・・・。自然の雨のゆすぎで、なおいっそう洗剤が落ちた気がするわ。 なかばあきらめてそのままで就寝。夜中も大雨。そんな自然の洗濯もケニアならではで、少し新鮮に感じた出来事でした。

10月18日 疲れているとよく叱る★

 疲れていると、イライラしやすくて、すぐに怒ってしまうんだよね。日本で仕事としてたときからわかっていたのに、まだまだ未熟だなあ。

 18日(土)から20日(月)までweekend dutyで3日間仕事がはいった。一週間以上休むことなく活動する。そりゃ疲れもたまる。そして子どもにイライラしてしまう。しょうもないことで叱ったり、冷たい態度をとったり。初心を完璧に忘れて、子どもの嘘やごまかしにわざわざ腹をたてる。といっても接することに逃げたくないし。

 人間、やっぱり休憩が必要だよ。そこに余裕が生まれるし、笑顔も増えるし。常に心身ともに万全の状態じゃないと、活動や仕事は一笑懸命できないなあ。

 よかったこともあった。この週末から自習教室を開催した。教室を開放して、教科書や鉛筆を貸して自分で自主学習をする。そして問題を解いた子は私が「赤ペン先生」となって丸つけをする。これが大好評。合計40人ほどの子どもが朝・昼合わせて3時間ほど勉強を頑張った。

日ごろからそんなに勉強できない環境にいるから、勉強がきっと楽しいんだろう。またそこに勉強を教えてくれる先生がいるということが新鮮なんだろう。この週末から毎日自習教室を開いている。今では英語と数学のほか、なぜかスワヒリ語も教えている。私より生徒のほうが話せるのに・・・。けど、この勉強したいという真っすぐな気持ちをこれからも大切にしていきたい。

2008年10月21日火曜日

10月17日 あなたの夢は?

 本日はテスト明け初めの授業。この授業って日本にいるときもそうだったけど、何をしようか迷うんだよね。生徒あんまりモチベーション高くないし。そこでこの日はマサコさんの案でテストの答えをチェックした後、みんなの夢を絵にかくという活動をした。

『Maisha yangu ya baadae』(後の自分の生活)

 というタイトルで子どもたちに自分の夢を描かせた。どんな夢があるんだろうとすごく楽しみだった。たくさん、それぞれに夢があるんだろうなあと思って、見てみると、あれっ・・・。

 同じような絵がたくさんあるぞ。その絵はトラックと運転手だった。そしてその次に多かったのがアスカリ(警備員)や軍隊だった。あとの職業はなかった。

 子どもたちの一番のあこがれは車を運転することのようである。そういえば更生院に車が来たとき先生の話を聞かないでそっちを見るし、車が停まっていようもんならさわったり、中をのぞいたり、興味津津だもんな。

 その次は警備員や軍隊のように制服に身を包み鉄砲を持てる職業を選んだ。日ごろから針金でよく鉄砲を作る子どもたち。そんな憧れがあるんだなあと改めて思った。この更生院の子どもが夢をかなえることができる、そんなケニアになってほしいなあと思う。それと同時に自分がいま何ができるかをもっと本気で考えようと思った。

10月16日 運動会☆

 更生院対抗スポーツフェスティバル。更生院の名誉とプライドをかけた、いわゆる運動会がこの日行われた。近くの男子更生院2校、女子更生院2校、リマンドホーム(裁判を待つ子どもの施設)、そしてチルドレンズホーム(0歳から約7歳までの孤児を中心とした施設)で運動会である。

 この日のために、各校の先生方が会議をしていろいろな種目を考え用意した。考えていたものは風船割り競争、水運びリレー、二人三脚、障害物リレー、そして綱引きである。また午後からサッカーの試合をするというものだった。

 さて子どもたちを全員ひきつれて、隣のカベテ更生院へ移動。そこには大きなテントがあり、たくさんの来賓が並んでいた。どこかが協賛しており、先生たちはそこのTシャツを着て、開会式に参加した。
 ところが子どもの様子がおかしい。さっきからそわそわして落ち着きがない。(まあ、もとから落ち着きはないが・・・。)とある瞬間その落ち着きのなさがピークに達した。子どもの視線の先を見ると、そこには女子更生院の女の子の姿が❤。・・・。やっぱ男の子だな。

 “Unapenda wasichana?” 「女の子好きかい?」
 “Eh-!” (うん!)

 そう聞くと、最高の笑顔で答えた。10歳から18歳の男の子だもんな。興味あって当然だわな。俺も昔はそうだったもんな。(今はもうオッサンになってきたが・・・)それからずっと意識はみんな女の子にいっていたなあ。
 さてケニア人は本当にスピーチが大好きで一人10分以上は必ず話す。それも英語で話すので、英語がわからない子どもはチンプンカンプン。そして予定していた時間をあっさりオーバー。予定よりやく1時間半以上遅れて、種目スタート。障害物リレーと綱引きは時間の関係上できなかったが、他の種目はがんばってたなあ。

 いやがんばってたって言うのかなあ。ケニア人は本当に負けるのが嫌いみたい。フェアプレイなんてあったもんじゃない。ルールよりもまず勝つこと。これが優先される。それが新鮮でありながらも、少し腹が立つ。水運びリレーのときが一番唖然とした。手で運びように説明したのに、途中から口に水をたくさん入れて、また手にも水を入れて運んでた。ある意味尊敬するよ。まあみんな楽しんでてよかった。

 そして豪勢な昼ごはんを子どもたちは食べ、食後にジュースを飲み、すごく満足気。結局予定していたことはあまりできなかったけど、こういう機会もたまにはいいなあと思った。女の子と話す子どもたちの嬉しそうな顔がなんとも言えずよかったな。この子たちがいつか素敵な女性と出会えますように。

10月15日 隣の子ども①

 今日はまたまた家の職人さんが登場。電気を直してくれる。てか、できるなら最初からしとけよ。そうしてると、隣からかわいい姉妹が笑顔で近づいてきた。すごく興味深そうに家の様子を見ている。

 “Hi, habari yako?” 「やあ、こんにちは」
“・・・(笑顔)” 「・・・」


 少し照れて、自分の家に入っていく。わずか3秒もしない間にまた出てきて近寄ってくる。ふと名前を聞くが、なかなか教えてくれない。まだ警戒されてるのかな。そんなときいつも、

 “Usiniogope. Hakuna wasiwasi.” 「怖がらないで。心配ないよ。」

 と言う。そうするとまた笑顔で応えてくれる。まだまだ打ち解けてないが、まあpolepole(ゆっくり)仲良くなっていこう。

10月14日 またまたテスト

 そろそろ子どもが国内6か所ある更生院に移る時期になってきた。現在約160名ほどで、このゲタスル更生院の定員は80名ということで、2倍の子どもがいるのだ。もちろん食料もベッドの数も圧倒的に足りない。そのため先週からテストを始めていた。このテストは、現在の子どもの学力を見ると同時に、どこの更生院に移るかをみる大事なものだ。

 いつもいいかげんにしてる子どももテストのときは本当に本気で取り組む。いつもそうやって授業も受けろよ!と突っ込みたくなるほどだ。それも5教科あるから大変だ。5教科は日本とほぼ同じ。英語、数学、理科、社会、そして日本の国語に当たるスワヒリ語がある。

 が、問題もある。鉛筆の数は子どもの数に応じて用意されている。しかし消しゴムが圧倒的に足りない。ひどいクラスで40人以上いる中で消しゴムがたったの8こというとこもあった。もちろん5人で一つの消しゴムを使うのだが、そのときよく後ろや横を向いたりする。それ、カンニングだよ!と突っ込みたくなるほど、ずっと後ろを見てるときがある。こんなんだから、テストの時間一つにしてもかなり疲れる・・・。

 まあこの日も無事終了。ようやく全クラステストも終わりそろそろ移動の用意だ。またさびしく感じるのかなあ。

10月13日 引っ越しの日

 いよいよ引越しの日。朝からドミトリー近くの大型スーパーのナクマットで買い物をうぃ、タクシーで住む家に向かった。荷物はかなりたくさんあったが、タクシーになんとか入った。

 さて家は活動先の敷地内にあり、更生院から徒歩約1分のところにある。また隣人も多く、セキュリティに関してはまったく問題ないぐらいである。フェンスもつけてもらったし、鍵も二重のロックになっており安全対策でかなりお金をかけた甲斐があった。

 さて家に入ると、案の定部屋は汚かった。工事の後、職人さんは掃除をせずに終わっている。まあケニアでは当たり前のことであるが・・・。けど、さすがにこれでは住めないので、子どもたち5人と一緒に掃除をすることにした。

 掃き掃除からはじまり、ぞうきんがけ、そして庭の掃除と約2時間汗を流した。もちろん子どもたちに自分の家を掃除させといてタダというわけにはいかないので、家の裏の農園にあるサトウキビを一つずつ渡した。久し振りのミワ(さとうきび)に子どもたちは大喜びで食べていた。働くことの大切さをこうやって教えていこうかな。更生院のそうじはもちろん普通だが、家の掃除をしてもらう時には何かあげようと思う。働こうというモチベーションを上げるためのきっかけになればいいなあと思う。

 さてこの日の夕方、電気のスイッチを入れてみる。と、あれっ・・・。電気がつかない・・・?
ま、まじで・・・!!?まあ停電には慣れてるけど、やっぱりあの職人、きちんとしてなかったなと呆れてしまった。仕方ないので、この日はろうそくと懐中電灯で過ごしました。まあこれも風情があっていいけど。そんなこんなでこの日はなんとか寝ました。けど、なにか安心感があって、嬉しく思えた一日だった。

2008年10月16日木曜日

10月8日 フォックスとオバマ


 更生院の動物ファミリー第2弾は、牛の親子の「フォックス」と「オバマ」。一日中食べて飲んで、寝て。うらやましい生活を毎日しています。お母さんの「フォックス」は毎朝、牛乳を絞られます。そして搾りたての牛乳を使って、おいしいチャイが作られます。

 毎日の栄養をこの「フォックス」が先生たちにくれます。ただ子どもがチャイを飲めるのは、祝日か特別な日だけなので、少し悲しい気がします。それでも、更生院の敷地内をのらりくらり歩いて、のんびり暮らしている姿に心癒されます。

 その子どもの「オバマ」。少しわんぱくで、興奮していきなり走り出して、危険なときがあります。また親離れしてるのか、そんなに甘えも見せず、堂々と生きています。最近サトウキビの葉っぱをやったけど、大喜びで食べてたなあ。

 この牛の親子には毎日世話係の子どもが二人付いています。その子たちは他の仕事は免除されてて、一日中牛の世話をしないといけません。以前こういう質問をしたなあ・・・。

 「牛の世話と勉強、どっちがしたい?」
 「勉強!」


 子どもはやっぱり勉強がしたいんだ・・・。そう思ったのを思い出した。
 そんなことを知らない親子のフォックスとオバマは今日も食べて飲んでばっかりの一日でした。

10月7日 クロミっちゃん


 更生院に心の癒し系ができました。俺のケニアの彼女だな・・・。それが「クロミっちゃん」こと黒ネコの「クロミ」です。「クロちゃん」にしようかと思ったけど、仲間に俺がそう呼ばれてるし、奥さんの実家の黒ネコの名前が「クロちゃん」だからやめました。
 
よく甘えてくる甘え上手なクロミ。けど、最近子どもが生まれたので、すっかり母親になってしまいました。自分の栄養をとるためには、けっこう強引です。ごはんの時間になると、先生の近くに寄ってきて、ごはんをもらおうと必死にアピール。他の先生はなかなか振り向かないけど、おれは振り向いてしまうんだよね。
 
キャベツととうもろこしをけっこう食べるし、肉の日になるとクロミもテンションが上がります。母の力ってすごいね。この日も元気にクロミは生活しています。たまにのんびりしすぎて、ダラーンとする日もあるけど・・・。この1年半、仲良くしていきます。

10月6日 図書館完成記念式典☆

 この日は図書館完成記念式典の日。2週間も前から、今日のためにたくさんの出し物の練習をした。マサイの伝統的おどり、日本の歌、ポエム、たてぶえ発表などだ。ケニア最大の携帯電話会社サファリコムの協力で図書館ができたので、その人たちを呼んでの式典だ。

 朝から大忙し。朝7時から巨大なテントを建てたり、いすを並べたり。この式典のためだけにそんなテントもいすも他の施設から借りたりして。なかなか大変だった。しかし子どもは大喜び。日ごろ絶対食べることのできないビスケットやオレンジジュースが飲めたからね。

 といっても、毎日子どもが図書館を使えるというわけではない。また図書館といっても、プレハブ小屋に同じ種類の本が何種類かあるだけで、まだまだ本が少ない。これが本当に図書館と言われる日が来るのはいつのことになるやら。

2008年10月6日月曜日

10月5日 雨の日のおやつ

 Weekend Duty2日目。もう週末のような感じはしません。普段の活動と同じです。しかしこの日は、やけに子どもたちが口を動かしている。てか、何かを食べている。何を食べているんだろうと思って、近寄ってみると、

 “ Mwalimu, Karibu. Ukule!” 「先生、どうぞ。食べてみてよ。」

 といって、小さい黒い物を差し出してきた。げっ、虫だ。この虫は「クンビクンビ」といって、雨の日に出てくる羽アリのような虫だ。これをそのまま生で食べる。ケニアっぽく野性的な食べものである。

 子どもたちはナイロン袋やお皿にいっぱいにしている。羽を上手にむしって体だけを食べるのである。さすがに俺は食べることはできないが・・・。火であぶったり、料理してたりすると食べることはできるだろうが。雨の日の子どもたちのおやつは、日本人には食べるのに勇気のいる食べ物だった。

10月4日 餃子とカレーライス☆

 10月から始まったWeekend Duty(週末勤務)。土日も平日と同じよう、朝7:00から18:00まで働く。更生院では全寮制なので、土日も子どもたちがいるからね。交代勤務で、週末も勤務です。ということで今日から「シフトB」という担当で働きます。

 といっても、土曜日は授業なし。午前中は大掃除と身の回りのことをきちんとする時間です。自分の服やふとんのシーツなど丁寧に洗ったり、施設のすみずみまでそうじしたり。そしてそのあとは、のんびりテレビを見たり、おしゃべりしたり。平凡な土曜日です。

 ただこの日は大雨だった。雨が降ると子どもたちのテンションが下がる。運動場で遊べないし、停電になりやすいからだ。停電になったらテレビは見ることができない。つまり何もすることができなくなるのだ。この日も停電があって、退屈そうだったなあ。

 さてこの日の夕方、大使館の方に招待され、おうちに夕ごはんを食べに行った。温かな家庭で、改めて夫婦の素晴らしさを知った。家に入るなり、大喜びでやってきたのが黒犬のオレオ。濃厚なキスからはじまり、俺のひざの上でくつろいだりと、リラックスしてた。

 今晩ごちそうになったのは手作りの餃子とカレーライスだった。先輩隊員は少し早めに来て、餃子を一緒に作ったらしい。(俺は作ってないが・・・)そしてホットプレートで目の前で、餃子を作る。これがなんともにくい演出。そして出来上がり。テンション上がるね。

 その餃子が本当にうまい。ショウガがきいていて、あっさりとしてるけど味もすごく力強い、そんな餃子だった。いやあケニアに来て一番おいしい料理だったよ。またニラ卵入り餃子や水餃子など、たくさんの種類も食べた。

 またカレーライスも最高だった。あまり配属先では食べることのできない肉が山ほど入っていて幸せだった。ワインもごちそうになったり、小豆入りアイスもデザートで出てきたりと至れり尽くせりだった。最後、ワイングラスを割ってしまったが・・・。

 すっかりごちそうになったが、すごくステキな時間を送った。おみやげにカレーももらって、これ以上なく幸せでした。ありがとうございました。

2008年10月5日日曜日

10月3日 脱走★

 脱走。このゲタスル更生院の一番の問題である。ケニア全土から、裁判を受けて子どもたちがやってくる。そしてここゲタスルで3ヵ月間過ごしたのち、次の更生院に行って2年から3年過ごして、やっと社会に復帰したり、親もとに返される。

 しかし、いきなりの更生院の生活に逃げてしまう子もいる。教員の目を盗んで、脱走。お金もなければ、食べ物もないし、水もない。けど逃げてしまう。家族に会いたいためか、地元に帰りたいのか、または楽な生活にもどりたいのか、理由もさまざまである。けど、わかっていることは脱走したという事実だけである。

 この日も脱走した子たちがいた。マネージャーと生活担当の先生と私、そしてしっかりした子どもたち5人が車で捜しに行った。捕まえて更生院に戻すことが、その子たちにとって大事なことだからだ。
何時間もかけて心当たりのある場所を何度もまわる。いろんな人に聞いては、また車を走らせて。この日何人かは捕まえたが、何人かは捕まえることはできなかった。きっと夜、寒く悲しい思いをしてるんだろうなあと思うが、こっちも夜は動くことができない。脱走が一番つらく悲しい出来事である。

 俺にできることは初めて来る子に笑顔で接してやること、そして少しでも不安を取り除いてやることだ。この子たちの将来をしっかり考えて、この更生院でできることをしっかりしていこう。

10月2日 リフォーム

 ついに始まった、新し家のリフォーム。ドアと窓のかぎが壊れているし、トイレが外からのドアでしか入ることはできないし。また外壁と天井の間があいているし・・・。セキュリティ上、かなり問題があったのでトータル100000シル(約150000円)で思い切って、家のリフォームをした。

 この日はまずトイレとお風呂場(といっても、シャワーもなければ、水道もない場所だが・・・)の工事だった。外から入るドアを外し、そこにコンクリートで壁を作る。そして中から入れるよう、中からトイレ側に壁を壊した。トイレは夜も行きたくなるからね。安全対策上、大事な部分です。

 そして次に大きなトラックが、たくさんの材料を持ってきた。木材約50本、新しい便器、フェンスの部分に取り付ける金網、天井を補強する、大きいな木の板などである。やっぱり命と健康が一番だから、安産対策はしとかなきゃね。うんうん。

 この工事は来週の月曜日まで続き、火曜日から住み始めることができる。人生最後の一人暮らしをここケニアで迎えるなんて。自分自身生きる力をここで養います。そしてもっと大きくなろうと思います。さて本格的な生活、本格的に仕事がはじまるなあ。やったるか。

10月1日 豪華な朝ごはん☆

 今日の朝ごはんは、すごく豪華だった。いつもはuji(おかゆのようなもの)だけだが、今日はチャイとmikate(パン)だった。

 この日は、ケニアの祝日(ラマダン明けの祝日)だった。もちろん授業はないし、一日のんびりできる日だった。そんな祝日だから、朝ごはんがいつもとちがった。みんな食べる前からテンションがかなり上がっていた。だって、日ごろチャイやパンなんて、食べることができないからね。

 生活担当の先生から食パン4枚ずつもらって、チャイをとって大事そうに食べる。ゆっくり食パンを食べる子、食パンをチャイにつけて食べる子いろいろだった。

 “ Ni tamu sana!” 「すごくおいしいよ。」

 子どもたちは笑顔で応えてくれた。俺はチャイだけだったけど、嬉しそうに食べる子どもたちを見るだけで、胸とおなかがいっぱいになった。

9月20日 Pombe Kanfuu (酔拳)

 夕方の運動場でのスポーツの時間。サッカーの審判をして疲れた私のことろに3人の男の子がやってきた。一人はたて笛の練習をしていて、その練習に付き合ってほしいとのことだったので、喜んで一緒に練習した。練習曲はケニア国歌。簡単なメロディだが、たて笛の経験があまりないケニアの子どもたちにとっては、かなり難しい。

 となりに座り、何度も何度も練習を繰り返す男の子。それをそっと見ている他の男の子二人。何気ない光景だが、なんだかほっとする。

 “Mwalimu, unawaza kucheza?” 「先生、できる?」
“Siwezi kucheza.” 「俺はできないなあ。」
 “Nikufundishe!” 「じゃあ教えたげるよ!」


 笛を差し出して、嬉しそうにその子どもが言った。言われるがまま、おれは笛をふいた。が意外と難しい。その子は嬉しそうにおれの指を持って、一生けん命に教えてくれた。どっちが先生だろうね。けど楽しかった。

 さてそのあと、ふらふらしながらカンフーをし始めた。

 “Pombe Kanfuu.”  「酔拳!」

 た、たしかに。それもかなり上手い。どこで練習してきたんだ・・・。しょうがないから、これも一緒にやることに。すると、おれがしたとたん、大喜び。すごく盛り上がってたね、その3人。たまにはおちゃらけるのもいいよね。そんなこんなで、少しおどけた時間だった。

9月29日 絶品 みぞれ豆腐☆

 和食の鉄人。昔のテレビ番組で「料理の鉄人」というものがあった。その和食の鉄人は、あの無敵を誇った「道場六三郎」だった。それを思い出した夕食時間だった。

 今回は初めて和食のお椀を作った。まず送ってもらっただしの素、塩、そして小豆島で伝統的に作られるマルキン醤油でだしを作る。そして日本人が作る手作り豆腐と日本人学校の生徒が作った大根をおろして、大根おろしを作る。これで準備完了。

 出来上がっただしに豆腐を入れ、その上から大根おろしをかける。そして火にかけて待つこと5分。しっかりだしを吸い込んだ豆腐と大根おろしの「みぞれ豆腐」が完成。

 そしていよいよ食す時。みぞれ豆腐を口に入れたとき、だしのやさしい味と豆腐と大根おろしのマッチングが見事で、大変おいしゅうございました。いやあやればできるね。レパートリーの一つにしよう。簡単においしくできる、「みぞれ豆腐」。ぜひおすすめです。

 ちなみに先輩隊員にも食べてもらって、大好評だった。ケニアに来て、自炊をする機会が増えたが、いやあけっこう楽しいね。特にだしの素、これに感謝です。

 さて先々週のクイズの答えです。ケニア隊員で作るサッカーサークルの名前は、④の「ハートにシュート」です。このサークルはスポーツを通じて、ケニアの子どもたちに何かを残してやろうというものです。どうでしたか。クイズはまた来週にだしますね。