2009年4月29日水曜日

4月14日 「先生、おかえり」


  “Mwalimu, umerudi kutoka Japan” 「先生、日本からおかえり」

 そう言って、私の姿を見るなりすごい笑顔と拍手で迎えてくれた更生院の子どもたち。1週間ぶりの仕事だが、その笑顔で一気に疲れが吹き飛んだ。それと同時に、故郷に戻ってきたという懐かしい感じもした。

 久々の授業では、他の更生院の移動前ということで美術をした。 “Maisha yangu ya baadae”「自分の将来の生活」というタイトルで、将来の夢や生活について書かせた。みんな真剣なまなざしで絵をかく。絵なんて描いたことない子たちばかりだけど、自分の将来なんて考えたことない子どもたちだけど、いつかこの絵にかいたような将来を送れるかなあ。

 私の子どもの時の夢は、「教師になること」と「アフリカの子どものために働くこと」だった。私には支えてくれる家族・友達・周りの人たちのおかげで、いま教師としてここアフリカのケニアで働いている。子どもたちにとってはたった3ヵ月間のゲタスル更生院の生活だが、誰よりも子どもの夢を大切に考える先生、いや親父でいようと思う。


 子どもの夢、いつか叶いますように。

2009年4月28日火曜日

ザンビア旅行記 7日目 ありがとう



 あっという間に過ぎた1週間。まるでこの1週間が夢だったかのような感じがして、素敵な夢から覚めた、そんな切なさも感じた。マサが作ってくれた朝ごはんを食べ、タクシーで空港へ。見送りのためにマサのほかにともちゃん・たまちゃん・かんちゃんまで来てくれて、心強さとうれしさを感じながら空港へ。航空券をとり、みんなでカフェへ。その前にタンザニア隊の同期biチエコにも会えて、懐かしさでいっぱいになった。

 みんなでコーヒーを飲みながら、次回の同期会の計画を話し合ったが、こういうときの時間はいたずらに過ぎていく。そして一週間本当にお世話になったマサとかんちゃんは先に帰ることに。二人が乗るタクシー乗り場まで見送った。

 「今度はケニアで!!」

 マサの最後のこの言葉で、我慢していた感情が一気に爆発した。この旅で本当に大切にしてくれ、この旅行を最高のものにしてくれたマサの最後の言葉を聞いて、涙が出た。ニッシーやユッキーもいて我慢するつもりだったのに、そんな涙をこらえることができなかった。

 そして次にともちゃんとたまちゃんとの別れ。ずっと一緒にいてくれたともちゃんとたまちゃん。いつも笑顔で迎えてくれ、そして最後の最後まで俺たちのそばにいてくれた二人に改めて「ありがとう」って言いたい。そしてチェックインを済ませ、飛行機へと移動する俺たちの姿が見えなくなるまで、ずっとずっと見守ってくれてました。

 「ありがとう」

 この言葉しか見当たらない。ザンビア隊の同期、みんなの温かさ・優しさ・元気さ・・・それをすべて感じることができた1週間だった。

 いつも笑顔で、あたたかく話をしてくれたともちゃん
 元気いっぱいで、最後の最後まで笑顔を絶やさなかったたまちゃん
 同じ岡山県出身で、活動に対してひたむきだったさぶちゃん
 まっすぐで、何気ない優しさがいつも感じることができたかんちゃん
 素直で、何事にも挑戦しようという気持ちがこの旅でも見ることができたフロド
 「くろちゃん、パソコン使う?」いつも優しく気をかけてくれたマッキー
 二本松で見えなかった笑顔をたくさん見ることができたヒガエさん
 そしてザンビア到着から最後まで、ずっと一緒にいてくれて温かく迎えてくれたマサ

 ありがとう。みんなの同期の一員でよかったよ。

2009年4月26日日曜日

ザンビア旅行記 6日目 最後の夜☆


「じゃあな、また絶対会おうな。次は日本でな」

 この日の朝、同期のがじゃっちとの別れ。ザンビア隊と私たちは首都ルサカへ、そしてがじゃっちは任国ナミビアへ。少し痩せたがじゃっちも、ここザンビアのおいしい料理で心のゆとりをお腹に身につけて帰ったかな。4日間ありがとう。

 さて帰りのバスに乗り込む前、大好きなバナナをおやつとして買って、みんなにバナナ配給。それを見てなぜか、他の同期は大喜びで大爆笑。もうすっかりプチメタボ親父キャラになってしまいました。まあ愛されキャラの宿命だな・・・。
 そしてバスが走ること7時間、ルサカ到着。その間、バスの中でのハニカミプラン(ユッキー&フロド)あり、エロカメラマン登場あり、肉隊員2回目ののおやつ買い(バナナ、とうもろこしなど)あり、楽しい車中でした。

 夕方になり、サンデーマーケットでの買い物。ずっと前からほしかった鍋つかみ、そしてザンビアの伝統的衣装を買い、そして夕食会場へ。この日のメニューは韓国レストランで食べる豚しゃぶしゃぶです。しゃぶしゃぶをここザンビアで食べることができるなんて、やっぱりザンビア危険です。それも食べ放題で80000クワチャ(約800円)。またまた食べまくりました・・・。おそらくここザンビアに来て体重3キロは増えてるな・・・。それでもザンビアで職種が「肉」と化した私は手を止めることなく、約1キロの肉をたいらげました。幸せすぎる・・・。ビールもうまかったし、豆腐や春雨まで食べれたし、野菜も食べて栄養バランスもよかったし。またザンビア来ようかな。

 そしてマサの家に帰ってから、これまでの旅行の思い出を振りかろうとみんなのデジカメ写真をパソコンで見ました。約1時間半、パソコンの画面にみんな釘付けで、笑い、恥ずかしがり、ふざけあい、また笑い。決して忘れることのない夜、みんな寝るのを惜しんだ夜、そして改めて同期の大切さを感じた夜、そんな夜が幕を閉じた。

ザンビア旅行記 5日目② マイクロフライト☆



 いよいよやってきたマイクロフライト飛行場。緊張を押し殺し、仲間の離陸を見守る。それにしてもマイクロフライトは左右によく揺れる・・・。本当に大丈夫なんかと思いながら、顔は硬直し始める。ここで自分の中のテーマ曲「明日天気になれ」(ハナレグミ)が流れ始める。そして家族の顔が走馬灯のように頭に思い浮かび始める。そして、いよいよ乗り込む。

 出発だ。シートベルトを何度も確かめ、もつところの位置をきっきり確認し、深呼吸を何十回もして。加速から離陸。精一杯のやせ我慢として、下で見つめる仲間に手をふって・・・。そして上がること約1分。ザンベジ川の全長とビクトリア滝が見えてきました。もうこの時点で高さの感覚はマヒ、現実離れしている風景に恐怖より夢心地で下の風景を見つめてました。人間、ある程度限界を超えたら何も感じなくなるし、強くなるんだね。

 そしてビクトリア滝の上を飛行。滝の荒々しさと夕日に染まる水面のきれいさが対照的でその光景にただただ

 「むちゃくちゃ すげえ」

 という言葉しか出なかった。その光景すごすぎます、ぜひぜひみんなにも見てもらいたい。その後川のほとりで水遊びをするゾウやカバなども見れて大感動の15分間でした。

 飛行場に到着すると仲間の温かい祝福の声が。またたくさんの写真やビデオカメラをとってもらって、本当に幸せでした。その後あまりの緊張のせいか、到着後、急に胃が痛くなるが・・・。

 その後、夕食会場となるリッチなレストランに。胃が少し痛かったが、達成感から大好きな牛肉の串焼きを注文。やっぱり何かした後の肉は最高です。この日はリビングストン最後の夜。バンジーを飛んだ仲間への祝福、リビングストンでの思い出を話しながら、どんどん時間が過ぎていきました。

 夕食後、なぜか外では人が盛り上がっている。それもそのはず、ミスリビングストンのコンテストがしていたのだ。候補の女性を見たが、みんなむちゃくちゃきれいで、俺の中でのミスリビングストンも決めていたぐらいです。そして男性陣もスポットライトの下で記念撮影。モデルのような気分にちょっとカッコ良くなった気分でした。

2009年4月25日土曜日

ザンビア旅行記 5日目① ビクトリア滝


 疲れが少しずつ出てきたこの日、食欲がそんなにわかないままリビングストンの超高級ホテル「ザンベジサン」で朝食。約17ドル(約1700円)もしたのだが、あまり食べることができず・・・。やっぱり人間健康が一番大事です。しかし約30種類ほどあるパン、その場で焼いてくれるオムレツとパンケーキ、数え切れないほどあるおかずとフルーツ。朝から食べまくりたかったです。

 そしてそのまま徒歩でビクトリア滝へ。夜の姿とは全くちがって、激しく流れ落ちる滝に、

 「すげえ」

 っていう言葉しか出ず。荒々しく流れる滝を飽きることなく見続けました。次に向かったのは滝の近くの遊歩道。その遊歩道の前にはカッパや傘のレンタルがあって、

 「おおげさだなあ」

 と思っていたら・・・、なんと滝の近くはまるで大雨洪水警報ばりの水しぶき。傘もカッパも全く意味をなさず、ズボンもパンツもびしょぬれになった。そんな今まで経験したことのない滝の水しぶきが楽しくて楽しくて。最後は濡れながら、笑顔で滝を見てました。

 その後、バンジージャンプのある場所に行って、そのバンジーの臨場感を肌で感じたり、みんなでザンビアとジンバブエの国境を越えたり。一応ジンバブエ入国いたしました!!

仲間の二人(フロド、がじゃっち)がバンジージャンプをするということで、一同大興奮。二人の勇気を見届けようと待っていたが、なかなか順番が来ず。しまいには係員の休憩ということで、結局見れずじまい。というのも、私自身も大きなチャレンジをしようと思ったからです。高所恐怖症の私にとって、大きなチャレンジというのは・・・
 マイクロソフト・・・!? いやマイクロフライト!!

日本語になおすと
 マイクロ:小さい
 フライト:飛行機(飛行)


 というものだ。2人用の小さな飛行機に乗って、滝の上を通るというケニャイチローの最大のチャレンジだ。最近はチャレンジものがおおい。24歳の時に生まれて初めてジェットコースターに乗り一人前の男になり、ユニバーサルスタジオではすべてのイベントを完全制覇し(ジェットコースター以外)、そしていよいよ最大の難関マイクロフライトへと進んだ。果たしてケニャイチローの結果やいかに・・・続きはまた明日。

2009年4月24日金曜日

ザンビア旅行記 4日目 カヌーと夕焼けサンセット


 このビクトリア滝に来て楽しみにしていたのが滝坪近くから始まるラフティング。ほとんどの割合で転覆して危険とも言われているものだ。これに乗ろうと楽しみにしていたのだが、ここ最近は水の量が多く大変危険なためラフティングはしていないらしい。ということで急きょすることになったのはビクトリア滝に流れ落ちるザンベジ川でのカヌーだ。

 この日、同期8人で朝早く起き、トラックでカヌーポイントへ。救命胴衣を装着し説明を受けて、いよいよザンベジ川へと出発する。自然あふれるアウトドアスポーツ(登山やカヌーなど)が好きなので、わくわくする気持ちを抑えながら、いざユッキーとカヌーに乗り込む。

 水面を気持ちよさそうに飛んでいる野鳥や、水浴びをしているカバなどを見ながらカヌーイング。また同期と水をかけあい、ふざけあい、笑いあって。俺達日本人グループがいつも最後方にいたのだが(他にもアメリカ人グループがいたり)、迷惑をかけながらもカヌーをのんびり漕いで行った。途中、流れが荒い場所が2か所ほどあって、激しい流れにカヌーが上下左右と揺られる。このまま転覆じゃないかと思うぐらいの流れで、少々びびりました。

 昼過ぎになり、近くの岸にとめて昼食タイム。ハンバーガーとサラダ、マカロニなど欧米風の昼食で、次のカヌーイングのガソリンを入れるためにたくさん食べました。そしてカヌーの上で大好きな昼寝。この時間が一番幸せです。

 さてカヌーが終わり夕方過ぎ、同期10人でサンセットクルーズに出かける。船の中では飲み放題で、料理も炭で焼いたザムチキンとソーセージがおいしそうに焼かれている。みんなとこの旅行のために作ったTシャツを着て、のんびり飲んで食べて楽しい時間を過ごした。恋愛の話をしたり、結婚とは何かという話をしたり、自分たちの協力隊の活動をしたり、・・・二本松訓練所であまり話せなかった同期とも酒を飲みながらたくさんの話をした。ある同期から

 「くろちゃんはどうして協力隊になろうと思ったの?」

 と聞かれた。今まで何度となく尋ねられた質問だ。昔から、中学生のころから考えていた、「アフリカの子どもたちのために仕事がしたい」。漠然とした思いから、今こうやって協力隊としての自分がいる。自分の夢にまっすぐに来たから、正直理由なんてないのかも・・・。

 その後、夕日がお別れを拒むように少しずつ少しずつ、水平線の下へと帰っていく。協力隊に来てなかったら、見えなかった景色、会えなかった仲間、それをこの瞬間感じながら、優しくみんなを照らす夕日を眺めてました。

 いよいよザンビア旅行も折り返し。怒涛の後半戦に続く。

2009年4月23日木曜日

ザンビア旅行記 3日目 ルナレインボー☆



朝の9時、4人で長距離バス乗り場に向かい、リビングストンに出発。ここで同期のかんちゃん(理数科教師)・ともちゃんと合流。約7時間の長いバス旅行が始まった。ビジネスクラスのバスをとったので、すごく乗り心地が良く、のんびり行くことができた。途中ジュースとミニケーキがでてきたし。

 途中のパーキングエリアでは名物のフライドチキンを買い、青空の下豪快に食べました。これがまたうまいんだ、ザムチキンもおすすめです。そして目的地となるリビングストンに到着。徒歩で宿泊場所となるJOLLY BOYS(バックパッカーホステル)に行く。そこではバーがあり、プールがあり、のんびりくつろげるリラックス空間があり、驚くぐらい大きなところだった。

 そしてそこで、同期のがじゃっち(ナミビア・建築)・フロド・ひがえさん・たまちゃんと合流し、夕食を食べに行く。この日の夕食はイタリアンレストランでおしゃれなディナー。おいしくピザとパスタを食べました。ここでお土産(ランチョンマット・ミニかご)を買って旅行気分を満喫。こういうときって少々値段が高くても買ってしまうのは旅行者心理だからだろうか??ケニアでは絶対手を出さなくても、ここザンビアでの旅行中では買ってしまうんだよね・・・。

 その後、ルナレインボーを見るために、ビクトリア滝に行く。ビクトリア滝は世界三大瀑布の一つ言われ、(他ナイアガラ滝(カナダ・トロント)、イグアス滝(ブラジル・アルゼンチン国境))この時期は雨期が終わったばかりで水量がはんぱなく多い。その水しぶきから普段出てこない虹が夜も出る。その虹は満月の前後3日だけ月の光で姿を現す。それがこの「ルナレインボー」だ。英語で書くと “Luna Rainbow”。つまり

 Luna :月の光
 Rainbow : 虹


 というわけだ。その虹を見た。真っ暗な中、優しく姿を現すルナレインボー。その横には荒々しく流れ落ちる滝が轟音をならしている。対照的な虹と滝がまたおもしろい。その時間だけ、まるで時がとまったかのように、みんなその虹を見つめ言葉が出なかった。その虹の上にあるたくさんの星。星と虹を一緒に見えるのも、ここビクトリア滝だけだというから、またうれしい。そしてあっという間に1時間半が過ぎ、夜10時の閉園の時間に。 帰ったあとはまた飲みました。マラウイ隊のしんしん(職種は??)とも出会い、楽しく飲んで語り合いました。しかしきれいだったなあ、ルナレインボー。このルナレインボーはもう一回見たいなあ。嫁が虹すごく好きだから、定年を迎えたらまた嫁と二人で来ようっと。そう思えた素敵なステキな夜だった。

2009年4月22日水曜日

ザンビア旅行記 2日目 お腹の脂肪は心のゆとり


 2日目、昨夜の興奮が冷めやらないまま、朝6時ぐらいに起きる。マサが作ってくれたごはんを食べ、4人でお出かけ(マサ、ニッシー、ユッキー、おれ)。はじめに向かったのはマサの配属先であるFAMILY HEALTH TRUSTである。

 ここで事件発生!!?嫁に買ってもらったお気に入りの一眼レフカメラを取り出して、準備をしようとしたとき・・・

 「電池・・・ない」

 電池無くなってました。飛行機の中では確認してあったのに・・・。というわけでせっかく持ってきた一眼レフが全く使えず。この日の昼までずっとブルーでした。

 その後マサの活動先であるコミュニティを見学する。そのコミュニティの説明のあと、そこにいた若い人たちにダンスと歌で歓迎してもらう。ケニアとはまたちがうザンビアの歌とダンスに楽しく見させてもらいました。そして次に向かったのは同じコミュニティにある病院(診療所?)。ユッキーの職種が薬剤師だからユッキーは興味津津。俺らにとっては医学的な英語が多かったせいか、少し難しかったです。

 首都の中心地に戻り、ザンビアの伝統的な布キテンゲを買いに行く。ザンビア隊もよく買いに来るというキテンゲ専門店に行き、何百もあるキテンゲから2つをチョイス。一つ8000クワチャ(約160円)ほどで、ケニアにはない柄のものでザンビア産のもの選びました。(中にはタンザニア産などがあるので)

 そしていよいよ昼食の時間。「ルサカクラブ」という超高級ステーキ屋さんに行く。店構えから中に入っているお客さんまで高級のイメージがしてそわそわしながら、ペッパーステーキを注文する。ステーキが来るまではサラダバイキングがあるので、それを調子よく食べまくる。この時点で500キロカロリーは摂取。そしていよいよステーキ登場。で、でっけえ。おそらく500グラムはある超巨大ステーキ。それにたっぷりかかったペッパーソース。一口食べただけで、その柔らかさとおいしさでコメントできないぐらいでした。恐るべしザンビーフ。てかやっぱりザンビア危険。これでおそらく3000キロカロリーは摂取。70000クワチャ(約1400円)ぐらいしたけど、大満足でした。

 その後空港へユッキーのロストバッゲージとなっていた荷物を取りに行って、そしてUTH(University Teaching Hospital)にある国立ガンセンターへと行きました。ここの設備は本当に素晴らしかった。薬はもちろん、がんを見つけることができる最新スキャンなどもあって、まるで先進国の病院でした。 その後同期のともちゃんの家を見学し、夕食場所となる中華料理屋へ。大好きな餃子と春巻き、そして名物の茶わん蒸しも食べて、2000キロカロリー分ほど食べて、少し体は丸まる。そしてそのあともザンビア調整員(きんちゃん)の家でたらふく飲ませてもらって2000キロカロリー。この日は一日平均の約3倍7500キロカロリーを食べました。心のゆとりをしっかりお腹に蓄えています。

2009年4月21日火曜日

ザンビア旅行記 1日目 同期大集合!!




 この日から同期のニッシー(コンピュータ技術)とザンビアへの任国外旅行。空港で一緒に行動するウガンダ隊のユッキー(薬剤師)と合流しザンビアまで3時間のフライト。着くなりユッキーのロストバッゲージ(荷物が届かないこと)で波乱な幕開けだ・・・。

 そこで待っていたのがザンビア隊の同期マサ(エイズ対策)である。マサの同僚の車でマサの家へ。そこ待ってくれていたのが同期の隊員たまちゃん(音楽)とまっきー(体育)だ。久々の再開にここでも感動。いやあ俺たち本当に歓迎されています。

 そして近くの食堂でザンビーフを食べる。これがケニアの肉とちがって、柔らかいこと柔らかいこと。最高です。またザンビアの主食シマ(ケニアで言うウガリのようなもの)もパサパサしてなくて食べやすい。昼からザンビアの有名なビール「MOSI」もすすむ。いやあザンビア危険です。

 その後、首都ルサカ隊員の配属先へまわることに。まず向かったのがヒガエさん(コンピュータ技術)の配属先National HIV/AIDS Councilと活動しているUTH(University Teaching Hospital)という病院である。そこでまた会えました、同期のともちゃん(栄養士)。全くかわっていないから、すぐわかったで。

 そしてTuesday Market(そのまんま・・・)という市場に寄り、次の目的に同期のさぶちゃん(青少年活動)の配属先に。ここではさぶちゃんの生徒さんが待ってくれていて、日本語で歓迎してくれた。

 最後に向かったのはともちゃんの配属先WFP(World Food Project?)を訪問。IDカードに中に入り、オフィスを見学。いやあ机に座ったともちゃんはかっこよかったで。

 その後JICAオフィスへ。そこで調整員(きんちゃん)のザンビア滞在中の説明を受け、マサのうちへ帰る。そこで待ってくれてたのがフロド(理数科教師)。ここではザンビア隊の同期たちが俺らのためにたくさんの料理を作ってくれた。クッキー、かぼちゃの煮物、りんごの甘煮、野菜スティック、アボガドの刺身、おくらの醤油和え、サラダ、から揚げ、杏仁豆腐など。そしてビール。そんなザンビア隊の想いのこもった料理をおいしくおいしくいただきました。そして今回の同期旅行用にマサが何度も考えて打ち合わせをしてくれて作ったTシャツを披露。それぞれの任国の国旗と名前が載ったTシャツ。これに大感動。温けえ。

 と、突然電気が消える。ともちゃんがコンピュータが持ってきてムービーメーカーを見せる。そこには世界中で活動する同期たちのメッセージ集が。突然のサプライズにザンビア隊のみんなも驚きを隠せないまま、その映像に食い入るように集中する。メッセージをくれた世界中の同期のみんな、ありがとう。その映像のあと、あまりの感動に涙を流す同期もいたぐらいだ。ほんまに最高の夜だった。こんなにうれしかった夜は久々だったなあ。 またこの日はまっきーの誕生日パーティを兼ねていたのでまっきーのお祝いも一緒にできてよかった。というわけで、初日でもうザンビアの任国外旅行はお腹も心もいっぱいになったが、まだまだ続く。同期の素晴らしさを改めて知った一日だった。

2009年4月20日月曜日

ケニャイチロー旅行記 アンボセリ国立公園


 久々の嫁との二人旅行。行先はケニア3大国立公園の一つと言われるアンボセリ国立公園である。サファリカーを貸し切ってナイロビから約5時間かけてアンボセリ国立公園へ。途中アンボセリの一番の近くの町ナロックで約200頭のラクダの大群を見て、二人して大はしゃぎ。ナロックはマサイ族のホームタウンで許可なく写真をとると、お金を求められるので隠れてそっと写真をとる。それぐらいまでして撮りたかった写真の一つである。

 さてアンボセリ国立公園に着き、まず宿泊場所となる「オルトカイロッジ」での昼食。ここでは前菜・スープから始まるフルコース。貧乏根性に火がつき、何回もパンをお代わりしてフルコースの雰囲気をぶち壊すが、さすがクロ嫁。笑顔でそんな俺のハングリー精神(??)をわかってくれる。できた嫁だ。
 そして少し休憩して、いよいよ夕方からイブニングサファリに出かける。まず、出会ったのがサバンナモンキー。金色のような色の毛で、子連れのお母さん猿がたくさんいた。子どもがお母さんのおなかにしっかりつかまってる様子がなんとも愛くるしい。

 次に出会ったのがシマウマ。顔をよく見ると、ウマでなくロバに似ている。ここで一つ豆知識。ケニアではシマウマはロバの仲間と思われている。それはケニアの母国語であるスワヒリ語でよく表れている。

 ロバ → punda
 シマウマ → punda milia

数え切れないほどのシマウマを眺めながら、キリマンジャロから来る水からなる湿地に到着。そこは動物の楽園。ゾウをはじめバッファローシマウマインパラ、ヌーなどたくさんの動物がその湿地で水を飲んだり、休憩したりしていた。バッファローすべての背中に泊っている白い鳥。その光景がまたかわいい。これはバッファロー(水牛)に来る虫をその鳥が食べるから、すべてのバッファローにその白い鳥がいるわけだ。その他にもライオンチーターダチョウハイエナなど、なかなか見えないレアな動物も見ることができ、大満足のゲームドライブだった。

 約2時間のイブニングサファリを終えてロッジに戻る。そしておしゃれな夕食。ここでも昼に負けないぐらいのフルコース。本当に協力隊員なのかな・・・って思えるぐらい贅沢な食事に嫁と話すのも忘れて、夢中で食べてました。ステーキ最高です。そして二人付かれて、部屋に戻ったとたん就寝・・・。

 次の日の朝6時半からモーニングサファリに出かける。そこで朝一番に迎えてくれたのがゾウの親子。子ゾウが母親ゾウに離れず歩く姿が印象的で、買ってもらったばっかりの一眼レフカメラから手が離せなかった。そして少しずつ雲から顔を出し始めてくれたキリマンジャロ。この山の名前はみんな知っているだろう。アフリカ大陸でもっとも高い山で、タンザニアとケニアの国境にある山である。そのキリマンジャロの姿はここアンボセリから見るのが一番きれいと言われている。そのキリマンジャロがはっきりと見えて、またまた大興奮。最高です、アンボセリ。俺の中ではケニア3大国立公園の中では一番すごいと思えたのは、ここアンボセリ。自信を持っておすすめします。

2009年4月19日日曜日

3月24日 嫁のケニア訪問


 この日をどれだけ待っただろう。9か月ぶりの再会。付き合い始めの頃の会う前のあのドキドキ。そんな感情があふれていたこの日、嫁がやってきた。空港まで迎えに行って、絶えない笑顔でゲート前で待っていた。嫁の姿を見たときのあの瞬間。うれしかったなあ。

 家に帰って、ケニアでよく作るケニャイチロー特製牛丼を作って一緒に食べる。同期とその同期の彼女にも大好評だった牛丼。そして嫁の一言。

 「帰ってからも、作れるね」


 ・・・、それって俺も料理当番になれってこと!?日本に帰ると頭が上がらないので、俺も料理当番になりそうです。

 そして次の日、配属先のゲタスル更生院を見学して、その後向かいにあるカベテ更生院(同期のシンヤ配属)にも見学に行き更生院の子どもたちと触れ合う。そして昼からは近くのスーパーで買い物をして早目の帰宅。そして二人で作る久々の料理。この日のメニューはお好み焼き。でもなんで料理って二人で食べるとこんなにおいしいんだろう。俺の一人で作るお好み焼きより何倍も何十倍もおいしかった。

 さて3日目、嫁にとって初めてとなる俺の授業見学。今日の授業は英語と数学である。今回の英語では時間を伝える表現を教える。電池の入っていない時計をもっていき、長針と短針を動かしたくさんの時間をドリル練習する。単なる時間を伝える表現から、次は自分の一日の生活を時間を使って表現するコミュニケーション活動もする。英語は下手だけど、コミュニケーションをしようとする動機はケニアの生徒は100点満点です。

 数学でもスタンダード3,4(小学校3、4年生レベル)の子にゆっくりと掛け算を伝える。下手なりに絵を描いたりして、なんとかわかるように。そんな生徒に授業をする俺の姿は嫁の目にどう映ったんだろう?? 

 そして次の日のプチハネムーン、アンボセリ国立公園旅行へと続く。

2009年4月18日土曜日

3月下旬 通分をどうやって教える?

 通分ってどうやって教えたらいいんだろう?

算数の授業をしながら、生徒のわかりやすい説明を考えたが、難しい。
たとえば「1/2+1/3」を計算するとほとんどの生徒が「2/5」と答える。分母の部分をそのまま足すからだ。そこで説明をする。

「分母の部分、下の部分の数字を合わせないといけないんだよ」

 と説明すると、迷わず分母の部分に「5」が出てくる。2と3の最小公倍数の「6」が出てこない・・・。その説明がまた難しい。どうして「6」になるのかが子どもたちにはわからないようだ。そこで丸いケーキの絵を描いて説明してみる。6等分に分けたケーキを二つ描いて、それぞれ「1/2」→「3/6」,「1/3」→「2/6」ということを伝える。

 そうすると笑顔でわかった顔をする。やっとわかってくれたか。我ながら自分の説明に酔っていたが、子どもの途中の計算と答えを見ると

「3/6+2/6=5/12」

 ・・・。そんな答えで満足気な笑顔をしている子どもたちと今日も分数の計算をしています。先は長いで。このブログを見ている小学校教諭の同期、分数の教え方を教えてください。

2009年4月17日金曜日

3月下旬 3つの選択肢

 こんな感じは初めてだった。

 「子どもと接するのが怖い・・・」

 いや正しく言うと、子どもと接する自分が怖い。この時期の私は自分の怒りをコントロールできずにいた。子どもの些細な言動に腹がたって殴る。叱るでなく、キレる。そしてまた殴る。何かあったら、すぐに手を出す。体罰だ・・・。

 教員をしていた頃も、時々手を出すことがあった。正直自分の怒りの感情をコントロールするのは下手くそだ。何度それで悩んだことか。ケニアでも同じだった。もうすぐ30歳だし少しは落ち着くだろうと考えていたが・・・甘かった。

 ある日、同僚のマダムに言われた言葉。

 “Hashira yako ni kubwa.”  「ケンの怒りは大きすぎる。」

 その言葉を聞いたとき、ただただ自分に悔しくて情けなくて涙を流した。絶対ケニア人の前で泣かないと思っていたのに泣いた。

 そこで与えられた3つの選択肢。

① 自分の怒りをすべて抑えて、叱らず笑顔で言い聞かせるか。
② 自分の感情のままに行動するか。(今まで同様、手を出すか。)
③ ケニア人の叱るときの文化、kiboko(木の枝)でお尻をぶつか。

 そこで私が選んだのは③だった。正しくないかもしれない。いや日本の考え方でいうとまちがいだろう。けど、これが私の選んだ答えだ。子どものまちがいをしっかり叱ってやる、これは大切なことだ。その方法をケニア式にして、少しでも子どもの次につながる指導がしたいからだ。悩みに悩んだ末、出した答えだ。

まだまだトンネルの出口は見えない・・・。

2009年4月5日日曜日

ケニャイチロー旅行記 ナクル国立公園


 久しぶりにブログを更新します。さぼってたわけですが、まあ単なるさぼりですね。 

 さてこのさぼってた間にケニア国内をほんの少し旅行したので、それを伝えますね。まず3月14、15日に行ったナクル国立公園。先輩隊員と同期隊員合計6人で行ってきた。今回は少しプチリッチ旅行としてロッジに宿泊。マイルサバキャンプと言って、ナクル国立公園から少し離れているが、ナクルで有名なクレーターが一望できる素敵なロッジだ。

 まず朝ナイロビのドミトリーを出発して、昼過ぎにマイルサバキャンプに到着。そしてさっそく素敵な昼食を食べる。めにゅーはフルコースで前菜からスープ、メインディッシュ、そしてデザートまでついていた。いままでケニアで食べたことのないフルコースに一同大感激。最高の昼食を食べて、短いお昼寝。いやあもう楽園ですわ。

 そして夕方ナクル国立公園へ。サバンナモンキーやバブーンの歓迎を受ける中、どんどん車は奥へとすすむ。そして・・・いました!!ナクル湖で一番有名なフラミンゴの大群が。前日に旅行会社の人から最近はフラミンゴがいないと聞いていたので、メンバー一同興奮しました。ナクル湖は塩水であり、湖の近くの土壌は白くなっており、その塩の塊にまたびっくりした。

 そしてペリカンやもう一つ有名なサイ、そしてバッファローやシマウマなど、たくさんの動物を見ることができた。このナクル湖は、湖だけでなく展望台があったり、森があったり、草原があったりとすごく地形に富んだ場所であり、その変化にも楽しむことができた。

 その後ロッジに帰って、おしゃれな夕食。ここでもまたフルコースだ。いやあ協力隊員じゃないみたい。まあ日頃の疲れをとるため、たまのリッチな旅行はいいですわ。3月末に帰られる大さんとも飲んで語ることができたし。夜飲むってやっぱり楽しいね。

 2日目はナクル湖でモーニングサファリをして、途中ナイバシャに行きボートサファリとウォーキングサファリをした。これも車で回るサファリとはちがって、また面白さがたくさんあった。というわけで2日間、サファリを満喫した。動物良し、料理良し、宿泊ロッジ良し、と100点満点の旅行だった。