2008年5月20日火曜日

さすが、協力隊候補生☆

 本当に協力隊になろうとする人はすごい人が多い。いろいろな面で尊敬でき、いろいろな面で感心する人が多い。訓練も半分を過ぎ、中だるみしてきた頃。ある講座委員が朝の集いで、がんばろうと呼びかけたところ、その日の講座では、みんな講座に集中し真剣な眼差しで講座を受けていた。そんな頼もしい姿に本当に感動した。この中に自分がいることが本当にうれしく思えた瞬間だった。さて、訓練もあと3週間。今まで過ごしてきた仲間との時間も残り少なくなってきた。これからは今という瞬間を大切に感じながら、一日一日を充実させて生活したい。

2008年5月12日月曜日

すごい山登ったぞ!



 5月11日(日)、ケニャイチロー先生は仲間11人とともに日本百名山の一つ、福島県磐梯山に登った。この一日が、内容の濃い素敵な一日になった。ほとんどの人がスニーカーで、油断していたと思う。そのほとんどが登山はじめ30分で、くたくたになった。傾斜が激しい登山道を黙々と歩いた。周りは深い霧で、風景は何も見えない。眼鏡をかけていた仲間のT美は、眼鏡がくもっているにもかかわらず、「すごい霧だね。」と大ボケをかましていた。さて歩きはじめて2時間半、雪が見えてきた。すごくきれいな風景でみんなすごく感動していた。疲れなんか吹き飛んで、その信じられない風景に見とれていた。しばらく雪道を歩くと、とんでもない試練が待ち構えていた。それは心臓破りの傾斜60度はあるだろう、雪の坂道であった。みんな両手両足で、後ろを振り返ることもなく、ただひたすらに前にすすんだ。そして上りきった瞬間、多くの感動に包まれた。と同時に、信じられない光景がみんなの前に姿を現した。それは、きれいな湖や沼、そして眼下に広がるきれいな山々だった。そこだけが霧が晴れ、まるで映画にでてくるような、素敵な風景がそこに広がっていた。おもわず、「やべー!!!」とみんなが声を出すほどであった。さてそれから、1時間ほど登ったのち、山頂へ到着。嬉しかった、ただただ嬉しかった。みんなの頑張りと協力がなかったら、きっとたどりついてなかったろう。ついた瞬間、達成感でいっぱいになった。そしてみんなで青年海外協力隊の歌「若い力」を熱唱。すごく気持ちよかった。そこで食べるおにぎりやサンドイッチが最高においしかった。
 帰りも大変な道であったが、なんとか無事下山。あっという間の一日だった。この日は、協調性・危機管理能力・そして体力を身につけることができた日だった。またケニャイチロー先生は2.5キロ痩せた。脱メタボにまた一歩近づいた。エッッックス。

2008年5月10日土曜日

イケメンこまちゃん☆そして班長まさき兄☆

 さて今日から、ケニャイチロー先生の友達を紹介します。まず記念すべき一回目は同じ班の「こまちゃん」と班長の「まさき兄」です。こまちゃんは理数科教師としてカンボジアに派遣予定です。誰に対しても温かく、いつも笑顔でみんなに接することのできる好青年です。朝ごはんはいつも一緒に食べてて、いろいろな話で盛り上がります。この前ケニャイチロー先生が体調を崩した時、温かく見守ってくれた一人です。多趣味で、絵を描いたり、ハーモニカをふいたり、天体観測をしたり。ケニャイチロー先生の良き理解者です。
 次に紹介するのは我らが班長「まさき兄」です。しっかりしたところと力を抜くところ、どちらも持ってて、班員全員のことを一番考えてくれてる良きお兄さんです。自分の家族のことも一番に考えていて、尊敬するところが多いです。そんなまさき兄も英語には苦労してるそうですが、図書館や教室でひたむきに頑張っています。かっこいいなあって感じるケニャイチロー先生でした。
 さてケニャイチロー先生には、すごく温かく誰よりもケニャイチロー先生のことを理解してくれる奥さん「ゆあみ」さんがいます。いつも笑顔で、どんな話でも真剣に聞いてくれる、そんな素敵な奥さんがいます。協力隊に参加するのも一番に理解し、快く応援してくれました。ケニャイチロー先生は感謝してもしきれないぐらい感謝しているようです。協力隊に参加するには家族の理解が不可欠です。多くの人に支えられて、自分が任国に行くことができるということを忘れず、この訓練に励もうと思うケニャイチロー先生だった。エッッックス。

2008年5月9日金曜日

地球のステージ

 今日は二本松訓練所の中間テストの日。訓練言語であるスワヒリ語のテストである。いつもよりスワヒリ語の先生、A先生がピリピリしていて、テストの緊張感が漂っていた。さてテストはというと、まあまあの出来。中学生に戻った気がしてなんだか新鮮だった。日本の中学生もこんな気持ちで受けとんじゃろうなあと思うと、なんかうれしかった。さて今日19時から体育館で「地球のステージ」というものがあった。半信半疑で行ってみたが、本当に感動した。その映像、その音楽に吸い込まれて、いつのまにか2時間たっていた。途上国の映像を音楽とマッチさせて、そこには多くのメッセージがあった。「誰かのため、人のためじゃない。ボランティアって自分をうつす鏡なんだよ。」その言葉が印象に残った。早く任国に行きたくなった。自分にできることを自然の形でやっていこうと思った。大切な仲間と共に、また明日も励んでいこう、そう思うケニャイチローせんせいだった。エッッックス。

2008年5月6日火曜日

仲間の優しさで復活!!


 5月4日(日)から、体調不良で寝込んでいた。お昼に班のみんなで一緒にソースかつ丼を食べようと思ったのに、すごく残念だった。その班の中で、一番仲の良いKちゃんに「サンドイッチを買ってきてくれん?」と頼んだ。2時間後、Kちゃんは班のみんなと袋一杯のサンドイッチやおにぎり、また梅干しなど買ってきてくれた。それだけじゃない。ビスケットやおかゆ、栄養ドリンクなども買ってきてくれた。そのあと、仲間であるY子、N美、K苗までもお見舞いに来てくれた。あたたかい仲間に本当に感謝してる。すごく幸せもんだなあと心からケニャイチロー先生は思った。そんな温かさと優しさを、またお腹にしまったケニャイチロー先生だった。

2008年5月5日月曜日

きびしい訓練とやわらかいお腹!?

 青年海外協力隊には2ヶ月間の訓練がある。たった2ヶ月間で、中学校で1年半かかる語学(英語)の授業をするのだ。鬼のような話である。ケニャイチロー先生はここでスワヒリ語の勉強をしていた。
訓練が始まって1か月。順調かと思われた語学の訓練でいよいよ壁にぶつかった。またメタボという
壁にぶつかったのだ。毎日大雨のように降り注ぐ単語や文法。体は動かさないけど、朝昼晩といつも
出てくる栄養たっぷりのごはん。28才という若さで、新しい言語の大変さ、メタボの恐怖を知ることになる。エッッックス・・・。

2008年5月4日日曜日

ケニャイチロー先生、夢への第一歩。

 いよいよはじまりました、クロジェクトX。記念すべき第一回目の今回はケニャイチロー先生こと
黒杉 歩一郎先生の物語です。黒杉先生は1980年2月に岡山県倉敷市に生まれ、少年時代を過ごし
2003年地元の倉敷市の中学校で教職につきました。そして5年間の教職ののち、2008年青年海外協力隊として青少年活動という職種でケニアに派遣されます。それでは、ケニャイチロー先生のこれまでを見ていきましょう。