2009年1月30日金曜日

1月29日 教室掲示物①




 8月に活動を始めて約半年が過ぎようとしている。約半年は仕事やケニアの文化に慣れることを目標にやってきたので、そろそろ自分のしたいことをしたいと思うようになってきた。スワヒリ語も日常会話ならなんとかできるようになったし。というわけで、自分の活動の柱を考えてみた。

① 英語、算数を中心に授業をする。
② 体育やレクリエーションを通して、体を動かすことの楽しさを教える。
③ 朝子どもがドミトリーを出てから、夜ドミトリーに入るまで、常に子どものそばにいる。


 この3つの柱を胸に活動に励むことにした。無理せず自分にできること、また大きい活動でなくて、小さく子どもたちの心に残ること(記録でなく記憶に残ること)を中心にしていこうと思う。

 その第一歩として今回、教室掲示物の制作に取り掛かった。運が良いのか悪いのか、授業担当の先生は私一人しかいない。小さな職員室にはもちろん一人だし、教室も自分の時自由に模様替えできる。ということで、始めました、教室掲示物。日本にいたときから、けっこう好きだったんだよな、教室掲示物づくり。

 ただもちろんパソコンは使わず、すべて手作りの教室掲示物。時間をかけて、一つひとつ仕上げていきます。今回は二枚の絵を描きあげました。協力隊訓練時の親友こまちゃんが描いてくれた絵が温かかったので、手作りの絵を私も下手ながら作成してみました。それにしても、下手だなあ。俺に本当に画家の血が流れてるのだろうか・・・。(ちなみに親父が画家です)

 一つは、ケニア全土から来る子どもたちを描き表したものである。下の “TUKO PAMOJA”「私たちは心の中でいつもつながっているよ」という意味である。たとえ部族はちがっても、同じケニア人。みんなつながっているんだよということを表した絵である。そしてもう一つが、笑顔いっぱいの絵で “DO YOUR BEST WITH SMILE” 「一笑懸命」というものである。というわけで、この2枚の絵を教室と受付となるオフィスに貼ることにします。お立ち寄りの際はぜひご覧ください。

2009年1月26日月曜日

1月25日 世界一甘くないショートケーキ




 ピリピリ事件から2日がたった。どうしてそのような犯行に小僧たちは及んだんだろう。と考えてみると、最近のゲタスルの食生活に問題があるのではないかと思った。

 最近は子どもたちに食事を用意する予算が減らされて、小僧たち最高の楽しみの肉が、ここ3週間ほど出ていないのだ。たかが肉だろうと思ってもらっては困る。普段ギゼリやウガリ、そして豆などしか食べていないお年頃の男の子。魚や肉を食べたいと思うのは当たり前だ。しかし予算の関係上、安価な野菜と主食しか買えないのだ。そりゃ、他のものも食べたいと思って当然。それの何が悪い!!?

 それも今まで食べていた子どもの肉の量は一人につき100グラム。年頃の男の子は500~1000グラムを食べるからな。わずか100グラムの肉が一週間の楽しみだったのに、それがなくなったもんな。そう考えると、近くにpilipiliがなっていたら、とってしまうよな・・・。

 と同時に、ひらめきました。今回はゲタスル更生院特製ショートケーキ!!いつも用意するウガリと豆の煮込みに、あるものを乗せてみた。それはpilipili。赤いpilipiliと白いウガリがなんともショートケーキのように見えるのである。白いクリームの乗ったケーキ、そしてその上に乗るイチゴ。そのように見えるのは俺だけ・・・?

 けど、その普段とは違うごはんを見て子どもたちは大喜び。大歓声が上がったよ。

 “ Mwalimu, asante!” 「先生、ありがとう!」

 子どもたちは小さな小さなpilipiliを大事に豆の煮込みの中に入れて食べてた。それも全部使わず、半分やら3分の1やらを残して。なんか、せつなくなったけど。

 ゲタスル特製ショートケーキ。世界一甘くないショートケーキだけど、むしろ辛くてびっくりするようなショートケーキだけど、うちの子どもの気持ちには甘い食べ物だったんじゃないかな。そう信じて、子どもたちを見てました。 
 もちろん次の日も、私の気持ちはピリピリになるが・・・。

2009年1月24日土曜日

ケニャイチロー事件簿 ピリピリ事件

ピリピリ。

 くそっ、腹が立つ。わかっていても腹が立つ。慣れたといっても腹がたつ。落ち着こうとしてもやっぱり腹が立つ。

 うちの裏には、畑がある。手入れをしていないが、勝手に野菜が育つ、まさしく自然農園だ。その自然の宝の宝庫に魔の手がやってきた。更生院のいたずら小僧どもだ。今回彼らがターゲットにしたのが、真っ赤に色づいたpilipili(とうがらし)だ。

 更生院の広場とうちの畑はフェンスをはさんで隣側だ。小僧にとって、どんな野菜がなっているか一目でわかる。そして昼前、奇妙な行動をしている小僧3人がいた。近づいてみると、危険を察知してすばやくそこから身を隠す。一人は忍者のように静かにダッシュ。陸上王国ケニアの名にふさわしく、いつの間にかそこから姿を消している。その時点で怒りのギアが1から2に入る。

 残り二人を呼んで、何をしていたか聞く。あたかも自分はそこに立っていただけで、何もしていないと、しらを切ろうとする。(いやいやお前フェンス越しであやしい動きしてたろ)と思いながら、まだ落ち着いて話を聞こうとする。

 そして逃亡した小僧が登場。こいつも嘘を嘘でかためる。怒りのギアが2から3へ。慣れているとはいえ、ケニア人の子どもの嘘には正直うんざりなんよな・・・。そして、3人を近くの木に連れて行って、登らせる。ちょっとした罰であるが、うちの更生院では罰として木に登らせて、木にしがみつく。子どもたちは慣れているとはいえ、長い時間になると、つらくなる。そうやって自分のした過ちを少しずつ痛みとともにわからせるという罰である。

 そうすると、始まって1分もしないうちに自分たちのやったことを認めた。まあこれがケニア人の子供だ。ここで他の先生方に教えてもらったケニアの子どもの特徴を言う。

① 怒られないために、必ず嘘を言う。(場合によっては泣いたり、「神の前で誓っても」という)
② 自分への怒りを和らげるために、やってもいない友達を道連れにする。
③ 怒られ始めると早く終わってほしいので、素直に認め謝り続ける。


 という具合だ。うちの小憎だけかもしれないが、これが身についている自分を守る技術なのだ。まったく。

 その後約10人の小僧が盗んだことがあると密告でわかった。そして先生たちと力を合わせて、小僧たちに指導。こういうことが一番疲れる。はあ、こういう盗みはほとんど毎日。

 そして今日もピリピリ。

2009年1月23日金曜日

1月22日 信じられない英作文

 英語の授業ノートチェックのとき、ある英作文に衝撃を受けた。23歳の時から英語教育に携わってきて約6年。こんな英作文を見たことがなかった。

 今日は日本の生徒に手紙を送るため、下書きを書いた。手紙の書き方を伝え、自分のことを相手にわかってもらえるよう、相手のことを考えながら書くこと、そう言って下書きを書かせた。みんな、それはもう正直に書いていた。

 職員室に戻り、いつものように赤ペンをもって、一人ひとりのノートをチェックしていくと、ある二人の生徒の英作文に、ハッとした。

 “ My father tryed to kill me.” (→My father tried killing me.)
「父が私を殺そうとした。」

 “ My mather is dont like me bicos i am athif.”
(→My mother doesn’t like me because I am a thief.”
「母は私が好きではない。なぜなら私は泥棒だからだ。」


 ・・・!?見た瞬間、衝撃が走った。えっ、なんだこの英作文・・・!?

 10歳や11歳の子が考えて書ける文じゃない。この子たちは、実際にこの経験があるから書いたのだ。その現実を素直に英語の授業で書いたのだ。信じられない。

 これがこのケニアの更生院の現実だ。この子たちの背景や家族環境は私たちの想像をきっと超えるものなのだろう。日本では考えられないような、そんな背景や環境が。何気なくこの更生院の子どもたちに接してきた自分に無性に腹が立った。

1月20日 「あなたは父親であり、母親ですから」

 “ Wewe ni baba yake na mama yake.” 
 「あなたは彼の父親であり、母親ですから」


 訪れたある生徒のお母さんが私に言った言葉だ。

 ある生徒の母親がこの日、友人と自分の子どもZakayoの訪問にきた。手には大きな袋に入ったバナナとマンゴーを持ってきていた。自分の子どもに久々に会うのに、戸惑いを隠せないのか、来てからずっとそわそわしていた。

 そんなお母さんの横を通ると、お母さんがそっと話しかけてくれた。

 “ Mwalimu, Zakayo anakaa je?” 「Zakayoはどのように過ごしてますか?」
 “ Anasoma Vizuri, halafu ako na marafiki zake wengi.”
「ちゃんと勉強してますよ、友達も多いですし。」


 そう答えると、安心したのか自然に笑みがこぼれていた。自分の子どものことを心配していたのだろう。そのあともずっとZakayoのことを気にしていた。そして子どものことを思って、子どものすべてを先生たちに任せるっていった気持ちが、最初の言葉になったのだろう。

 こんな日本人のボランティアにもたくさんの信頼を寄せてくれたお母さん。父親であり母親であるか・・・。

1月17日 ワムム更生院

 ここケニアでは、男子更生院は7か所ある。一つは私が配属されているゲタスル更生院。この日は他6か所の中の一つワムム更生院へと出かけて行った。ゲタスルの子どもたちが3ヵ月の期間を経て行く更生院の中の一つだ。

 タウンからマタツで約2時間。のどかな田舎の真ん中にそのワムム更生院がある。ここではJOCV(青年海外協力隊)の一人、新向井(しんこうい)さんが活動している場所である。新さんは、子どもたちに体育の授業と野球を熱心に教えている隊員である。

 ゲタスル以外の更生院では、最長3年間子どもは生活するので、授業以外にさまざまなプログラムや活動がある。たとえば、代表的なものが職業教育である。就職するための技術を更生院の中で学習して、自分たちの将来に生かしていくプログラムである。ここワムムでは主に3種類の職業教育をしていた。パン作り、看板作り(レタリング技術)、そしてファニチャー(家具製作)である。子どもたちはそれぞれ3つのコースに分かれて、活動をしているらしい。うちのゲタスルにはない活動である。昔は自動車整備などもあったらしい。

 さて、ワムム更生院に着くと入口で、ゲタスルにいた子が待っていた。

 “ Mwalimu, Habari!?” 「先生、久し振り!」

 そう言って笑顔で迎えてくれた。いやあ、この瞬間まじでうれしいわ。卒業した子どもの学校へ来ている感じだからね。そして入っていくと次から次へと、見慣れた顔が飛び込んでくる。みんな、すごくうれしそうに近寄ってくる。

 “ Mwalimu, Habari za Getathuru?” 「先生、ゲタスルはどう?」
“ Ken, Habari yako?” 「ケン、調子はどう?」


 名前を忘れている子もいるけど、みんな俺のことを覚えてくれてたね。この日は土曜日なので、みんなのんびりしていてたくさん話しかけてくれたなあ。

 さてある教室へと入って行った。職業教育の看板作りのための教室である。そこに二人の生徒がいた。土曜日の休みの日に一生懸命レタリングの勉強をしていた。アルファベットを一文字一文字、丁寧に集中してレタリングしていく。その姿がものすごく新鮮だった。こうやってがんばっていくんだなあ。

 ゲタスルを卒業した生徒の初めての訪問。子どもたちがのびのび生活していたことが何より安心して、うれしかった。だから教師という仕事や子どもに関わる仕事って最高なんだよな。心から自分が教師であることと、ゲタスルの先生でよかったって思った。この瞬間のために、また明日からがんばるわ。

2009年1月21日水曜日

1月14日 変顔


 最近、子どもとスキンシップするために握手や女の子の話、日本の話のほかに子どもの顔をつかんで、変顔を作る。ちょっとしたスキンシップだが、すぐに笑顔にすることができる。だいたい決まった子どもをターゲットにしてやるのだが、その子もけっこう嬉しそうである。

 “ Nguruwe!” 「ブタ!」

 そう言って、いつもしてやるのが、目をたらして鼻をあげるブタさん顔。周りも大爆笑だ。
 そんなある日、思わぬ復讐をくらった。いつもターゲットにする子どもが、俺にもしてきたのだ。

 “ Nguruwe kubwa!” 「でっかいブタ!」

 そう言ってまた一段と笑う。こ、こいつ、なかなかやるな。そんなろくでもないことも毎日しています。次はどんな変顔にしてやろうかな。

1月10日 新隊員カリブパーティ


 ついにやってきた20年度3次隊。はじめての後輩だ。そんな彼らのために、今日はカリブパーティ。前日夜から20年度1次隊メンバーで入念に打ち合わせ。今回は歌あり、劇ありという壮大なカリブパーティを計画していたからだ。前日夕方6時にドミトリー近くの語学学校(現地語学研修をしていた場所)に集合。そこで作ってもらった日本食を食べ、夜23時前まで打ち合わせ。

 そして次の日。買い物班、料理班、会場設営班に分かれて、急ピッチで準備をとりかかった。夕方16時半のスタートであるのに、9時からまた打ち合わせ。そしてそこから長い時間の準備。力の入れようがすごい。おそらくみんな自分の任地での活動より、力を入れているのではないですか・・・?それぐらい気合いが入っていた。

 そして準備も完了して16時。みんな20年度1次隊が円陣を組んだ。

 “ Nina njaa!!” 「ニナンジャー!」
(今回の劇のメインとなるヒーロー・・・意味はスワヒリ語で「お腹がすいた」)

 そう言って、いよいよカリブパーティが始まった。先輩隊員やJICA職員、また専門家などが続々と集まり始めた。約2時間に及ぶ劇と歌、またその中で新隊員さんの話などが盛り込まれており、大爆笑の渦だった。料理も料理班のメンバーが腕に腕をふるったもので、ケニア料理のスクマウィキやウガリもあった。その料理がうまいこと、うまいこと。いやあ、久々にビールがすすんだね。すぐ酔っぱらうけど・・・。

 時間はあっという間に過ぎ、時計は午後8時をこえていた。あっという間に時間が流れたなあと感じるほど、中身が濃すぎる会だった。この20年度1次隊の一員でよかったなあ。と同期の大切さを改めて感じた一日だった。

2009年1月19日月曜日

1月9日 老松小学校からの贈り物③


 スタンダード1、2のクラスに、最強の秘密兵器が登場した。本当にこの道具は、子どもたちの算数のやる気を一気に引き起こす最高のものである。

 それが、老松小学校から送ってもらった「さんすうセット」!!これは本当にすごいわ。てか、これを送ってくれた老松小学校の生徒さんに大感謝です。おはじきに、数え棒、また計算カードなど。足し算や引き算ができない16歳の子も集中してこれを使って計算してたよ。いやあ、道具って大事だなあ。

 こんな計算もできないのか、てか「9」が逆向きで「P」になってるぞ!(怒)って腹が立ってたけど、この道具で熱心に勉強している子どもたちを見ると感心する。なんとかわかるようになろうと必死だ。まだまだ3+4をするのに3分以上かかるけど、これでいいんだな。少しずつ一歩進んでいってるんだから。

 早くできた生徒は計算カードでさらなるレベルアップをしようと、さらに励む。いやあこの「さんすうセット」、ほんまにすげえわ。あれっ、岡山弁が出てしまった・・・。ってぐらいすごいんですわ。今すぐケニアの小学校の生徒に、この「さんすうセット」買ってほしいね。ここゲタスル更生院の子どもたちは、指と石を数えての計算から、すこし進歩しておはじきと数え棒を数えての計算をしてます!

1月8日 美術の時間

 この日はスタンダード3、4の生徒が授業を受ける。教室の数、そして教員の数の関係で子どもたちは週に一回しか授業を受けることができない。各クラスの授業日は以下のとおりである。

 月曜日:スタンダード7、8
 火曜日:スタンダード5、6
 水曜日:職員ミーティングのため授業なし
 木曜日:スタンダード3,4
 金曜日:スタンダード1、2

 このように各曜日で、二学年ずつ授業をする。つまり複式学級のようなものだ。これがまた難しい。やはり学年がちがうと学力に差ができる。それも子どもによってはまったく学校に行ったことのない生徒だ。アルファベットすらできないし、1+1もできない。なんでこんなこともできないんだ・・・とイライラすることもしばしば。ノートもきちんととることはできないし、しまいには教室の横を通る車やたまに来る女の子を見る。・・・こいつら。

 そんな腹がたつこともあるなか、この日は英語と算数の時間の後、美術の時間をした。老松小学校のみんなからもらったクレヨンを使おうと思ったからだ。この日の題材は「ケニャイチロー先生」だ。

 “ Leo uchore uso yangu. Uso ya mwalimu!”
「今日は私の顔を描きましょう。先生の顔だぞ。」

 一斉に子どもたちが描き始める。真剣だ・・・。だが、俺の顔を見る生徒は一人もいない。もう自分の世界に入っている。下書きを終え、いよいよクレヨンによる色塗りだ。顔の部分を緑色に塗る子ども。俺、そんなピッコロ大魔王のように見えるのかな。また真っ黒に塗る子ども。俺、お前より色は白いぞ。
 さて完成。みんなすごく誇らしげだ。できるとすぐにみんなが俺を呼ぶ。

 “ Mwalimu, ona! Ona!” 「先生、見て見て。」

 色とりどりの顔に楽しさと嬉しさがあって、思わず笑ってしまった。けど、俺の大事な宝物ができた。Asante sana.

1月5日 新学期スタート☆


 新学期スタートの日。気持ち新たに、更生院の門をくぐる。一人ひとりにあいさつをして、それに笑顔で生徒も応えてくれる。いつもの朝だが、やはり感じが違う。

 というのもこの日から、いよいよアカデミックセクション(授業担当)の先生は私一人になるからだ。英語も算数も体育も、他の実技教科もすべて私一人ですることになる。責任感という重みが一気に増したような日であった。

 この日は新学期のための教室づくりと授業準備を子どもたちと一緒にした。まず、倉敷市立老松小学校4年生のみんなが作ってくれた日本の紹介カルタや文化紹介ポスター、そして書道の作品などを壁に貼ったりした。教室掲示物を手伝ってくれたスタンダード7、8の6人の生徒たちは興味しんしんで、日本から送られてきたものを貼っていた。

 それにしても、この教室に掲示物を貼るのも恐ろしく時間がかかる。日本の教室のように、掲示物用に画びょうが突き刺さるような壁なんて一つもない。もちろん壁はコンクリートのみ。画びょうなんて突きさせるわけがない。という問題が発生する。ではテープを使ってみようとしても、壁はガタガタ。すぐに落ちてしまうような壁である。仕方なく後のことは考えず、のりをつけてそのまま壁に貼る。これもしょうがない。

 そして約2時間かけて教室掲示物の貼り付け完了。ちょっと教室っぽくなってきたぞ。次にみんなが使う鉛筆をけずったり、消しゴムを整理したり。これも大事な授業準備の一つである。先週子どもたちに鉛筆と消しゴムを与えたが、それは大事にこれから使ってほしいから、授業では学校の鉛筆と消しゴムを使います。

 明日からいよいよ授業開始。なんかウキウキするなあ。はやる気持ちを胸に今日も21時に寝ます。

2009年1月15日木曜日

1月3日 老松小学校からの贈り物②


 昨日に引き続き、子どもたちにプレゼントが渡された。少し遅くなったが、倉敷市立老松小学校の4年生のみんなが作ってくれたクリスマスカードである。
 
 「サンタさんが乗ってくるマタツが壊れてしまって、クリスマスに届かなかったプレゼントが今日届きました!」

 K先生が子どもの興味を引くために、そう伝える。そしてまた一枚ずつ生徒たちに手渡してもらった。「なんだろう?」と興味深そうにクリスマスカードを見る。日本語はわかるわけないのだが、それにしてもうれしそうだ。

 ここゲタスルの子どもたちにとって、他の人からの手作りの贈り物は初めてだ。手紙やハガキをもらったことのない子もたくさんいる。だから、このプレゼントは子どもたちにとってすごく温かいものだったんだろう。

 そのあとの掃除時間、肌身離さず片手にそのクリスマスカードを大事そうに持って、ごみを拾う姿が、印象的だった。

 “ Mwalimu, imeandikwa nini?” 「先生、何て書いてあるの?」

 そう言って、掃除が終わると列になって私のところにやってきた。一人ひとりのクリスマスカードの内容をスワヒリ語に直し、伝えた。誰が書いたか顔もわからない、男の子が書いたのか女の子が書いたのか、それさえもわからない。けど、そんなことはどうでもいい。手作りの温かいプレゼントは子どもたちに喜びを与えてくれた。手作りのものって、こんなに大きな感動を与えてくれるんだなあ。老松小学校の4年生のみんな、本当にありがとう。

1月2日 老松小学校からの贈り物①



 年末から、二人の小学校の先生がやってきている。地元岡山県の先生二人で、一人はこれまで交流を行ってきた倉敷市立老松小学校のK先生だ。そしてもう一人は今後交流予定の岡山市の小学校のO先生である。

 老松小学校の4年生の協力で、日本からここケニアにたくさんの文房具が送られてきた。鉛筆や消しゴム、ボールペンやクレヨン、算数セットなど。このゲタスル更生院の子どもたちのために、何日もかけて集めてくれたものだ。

 この日、K先生とO先生にお願いして、午前中に鉛筆1本と消しゴム1個を子どもたちに渡してもらうことにした。

 “ Leo, Tuko na zawadi kutoka Japan. Wageni watawapatia kalamu moja na rubber moja. “
「今日は日本からのプレゼントがあります。お客さんがみんなに鉛筆1本と消しゴムをくれるよ。」


 そう言って、教室の外にきれいに並ばせた。そして一列ずつ教室に入らせ、一人ひとりに手渡しでK先生とO先生が子どもたちに渡していった。自分の鉛筆や消しゴムを持ってない更生院の子どもたち、もらうと嬉しそうに席に着いた。

 今から勉強しよう、そういう気持ちが伝わってくるぐらい大事そうに鉛筆と消しゴムを握りしめていた。そんなはじける笑顔が教室中いっぱいになった。そして二人の先生にお礼を言った。

 “ Asante sana.” 「どうもありがとう。」

 この “ Asante.”「ありがとう」が日本に届くといいのにな。老松小学校の4年生のみなさん、保護者のみなさん、そして老松小学校の先生方、みなさんが協力して集めてくれたプレゼント、ありがとうございました。

2009年1月13日火曜日

1月1日 A Happy New Year!


明けましておめでとうございます。
 旧年中は大変お世話になりました。
 本年もどうぞよろしくお願いします。

 今年は、無理せず、しっかり子どもの話を聞くことに徹しようと思います。そのためにはスワヒリ語をもっとがんばらねば・・・。決意新たに今年もがんばります。

2009年1月9日金曜日

12月25日 メリークリスマス☆


 メリークリスマス。一年間でケニア人が一番盛り上がる日、それがクリスマスだ。クリスマスイブは単なる平日で特にかわったイベントはないが、クリスマスはここゲタスル更生院でも、子どもたちが大いに喜び、笑い、盛り上がった一日だった。

 朝食は祝日ということもあり、マンダージ(揚げドーナツ)とチャイ(ミルクティ)。そしてやってきた牧師さんから、キャンディとクッキーのプレゼントを受け取る。子どもたちはいつものように私のもとへやってきては “Karibu!”と言ってそのお菓子を差し出す。この時点でテンションは上がっている。メリークリスマス。

 午前中ではフェイスペインティングの活動をした。絵具を用意し、子どもたち同士で顔にペインティングをした。色とりどりのペインティングに笑い声がとまらない。そんな私も子どもたちの顔に色を塗る。それを見た子どもたちが次から次へとやってくる。そんな無邪気な姿もなんとも言えない。メリークリスマス。

 そこにJICAフィールド調整員の方が旦那さんと登場。たくさんのクッキーを両手いっぱいに持ってきてくれた。それを見た子どもはまたまたテンションが上がる。それを一人ひとりに「メリークリスマス」と言いながら配った。今日の子どもたちは本当にうれしそうだ。メリークリスマス。

 そして昼食の時間。私も子どもたちのためにじゃがいも約200個を買ってきた。250シル(約300円)と高かったが、子どもたちは日ごろじゃがいもを食べないので、ぜひ買ってやりたかった。そのじゃがいもと更生院の畑で採れた新鮮なにんじん、そして祝日用の牛肉とクリスマス用のコーラやファンタといったソーダが出た。またまた子どもたちは笑いが止まらない。メリークリスマス。

 そのあとはダイニングがディスコとなり、踊りまくりました。一緒に思いきり歌って、踊って。そんな私の両手をつかんでまたまた嬉しそうに歌い、踊る生徒。一年のうち、こんな一日もあっていいなあと感じた。メリークリスマス。

 そしてクリスマスの一日は終わった。あんな嬉しそうで、たくさん笑った子どもたちを見たのは初めてだ。この夜、子どもたちはどんな夢を見ているんだろう。もし本当にサンタさんがいるのなら、いつかこの子どもたちを温かい家庭に戻してほしい。もしくは将来温かい家庭を与えてやってほしい。そんなことを願いつつ、最高の一日を終えました。みなさん、メリークリスマス。

ケニア旅行記1 マサイマラ③


 眠いをこすりながら出かけたモーニングサファリ。日の出を見るために早朝からサファリカーでサファリへ出かける。ちょうど日の出のときで、地平線からゆっくりと顔を出す朝日は今まで見た中で一番きれいな朝日だった。

 そしてそのまま動物たちのもとへ。朝の涼しい時間は動物たちの活動時間。獲物を狙うライオンと、そのライオンをずっと見つめて警戒しているインパラの群れ。見たことのない光景に息をのむ以外何もできなかった。またその近くでは獲物を横取りしようとハイエナが隠れている。自然の姿をありのままに見ることができ、サファリの素晴らしさを肌で感じた。

 そしてキャンプ地に戻り、片道6時間の道をサファリカーでのんびり帰った。車に乗り続けるのはさすがに疲れたけど、それ以上にサファリを満喫できた旅だった。今度は奥さんを連れてくる番だな。ちょっとリッチにロッジに泊ろうかな。

ケニア旅行記1 マサイマラ②


 びっくりした、あまりの朝の寒さに・・・。日本の真冬です。その寒さの中で飲む一杯のコーヒーは、かなり薄くて味があまりしなかったけど、温かい味だった。

 さてご飯を食べて出発。朝は活動をし始めたカバやワニを発見。体長2メートルはあろうかというワニはピクリとも動かず、また瞬きもせず遠くを見ていた。何を見ていたんだろう。またカバの大群は、気持よさそうに水に入ったり、出たりしていた。

 昼からはサファリカーの運転手の案内でマサイ族の村に出かけて行った。いわゆる観光マサイだが、それでも実際に住んでいる場所やその人たちと会話できるということで楽しみにしていた。入口で1000シル(約1200円)を払い、村の中へ。はじめにマサイ族の女性の歓迎ダンスから始まり、火種からの火のおこし方や住んでいる家の紹介など、下手くそながらも一生懸命説明してくれた。

 その後奥にあるお土産売りっぽい青空市場に連れて行かれ、お土産を買うように言われる。まあ少しぐらい買おうかと思ったが、すべて値段は外国人料金。ナイロビで買うよりも高い。まあ少し腕輪を買ったが、なんとも商売下手なマサイ族だった。

 帰り際、そのマサイ族の若いチーフにある質問をした。

 “ Unafanya nini kutomia pesa umepata?”
 「今日得たお金で何をするの?」
 “ Kujenga shule, halafu kupeleka mgonjwa kwa hospitali.”
「学校を建てたり、病人を病院に連れて行ったりするんだよ。」


 ということだった。そう考えると、1000シルは決して高くないと思う。本当にそのようにお金を使ってもらいたいなあと強く感じた。

2009年1月8日木曜日

ケニア旅行記1 マサイマラ①


 初めてのサファリ公園ツアー。今回はケニアでも最大規模の動物数を誇るマサイマラ国立公園へ行った。朝タウンから9人乗りのごついサファリカーに乗って、6時間かけてマサイマラへ。2泊3日のキャンプツアー約20000シル(約24000円)で、全食事つきである、それも一緒に同行した料理人が出来たての料理を作ってくれるから、これがまたうれしかった。

 さてマサイマラに近づいていくと、ケニア伝統的な服装をした民族が登場してきた。マサイ族だ。赤を基調にした伝統的な服と上に羽織る布。やりのような長い棒をもったマサイ族が多く登場してくる。この時点で大興奮だ。

 そしていよいよマサイマラ国立公園に入って行った。と同時にいきなり飛び込んできたのが、数多くのシマウマの群れ。そんなたくさんのシマウマを見たことがないので、興奮した。また次々と出てくる動物の数々、ゾウやキリンの群れ。動物園では見られないような自然の姿を見ることができ、大感動だった。
 また360度広がる大草原。地平線がはっきりと見え緑色と青色が優しく混ざっているような地平線だった。そんな景色を見るのもすごく感動的で、言葉も忘れてただただその風景を見つめていた。

 さてそれから一行はキャンプサイトへと入っていった。私たちは協力隊の仲間6人で来ていて、私と理数科教師の男性隊員(通称「先生」)と同じ小屋で寝た。トイレもシャワーもなかなかサバイバルな感じがして新鮮だったが、協力隊で慣れているのかそれほど抵抗なく使うことができた。そしていよいよ夕食の時間。料理人のケニア人が腕に腕をかけて、最高の料理を用意してくれた。クリームスープに、鶏のから揚げ、マッシュポテトにパン、そんな外国人用の食事が日ごろケニア料理しか食べない私にとって、幸せなメニューだった。

 そのあとはゆっくりマサイマラの夜空を30分ほど見ていた。何千とある星がすごくきれいで、何個も流れ星を見ることができた。夜のマサイマラはさすがに寒かったが、それ以上に心が温かくなるような経験をした一日だった。