2008年8月31日日曜日

8月29日 ケニャイチロー 算数を教える☆

 この日はなんと、アカデミックセクション(授業を受け持つセクション)の先生がみんな出張。というわけで、この日の午前中は私がスタンダード1、2の子どもたちに授業をしました。まずは算数。この日は掛け算をしました。算数なんて教えたことがない私は、下手くそなオレンジの写真と箱の絵を描いて、「2×3」を説明・・・。

 “ Machungwa mawili, three sets.” 「みかん2つの箱が3つでは・・・」
 と説明。なんとかわかってくれました。しかし、難しいね。小学校の先生に聞いとけばよかった。

 休憩のあと、次は英語の時間。自己紹介表現をした。このクラスの子はほとんど英語がわからない。そのため、英語で自己紹介をすると、すごく感動する。これも下手くそながら、みんな頑張っていた。


 最後に日本文化紹介。折り紙で飛行機を作った。そして、みんなで飛行機飛ばし大会をした。教室を出て一列に並び、そこから飛行機を投げるいたってシンプルなものだ。しかし子どもたちは真剣そのもの。負けず嫌いのケニア人は、こんな勝負でも負けたくない。インチキをしてでも勝とうとする。何回も投げようとする子、投げるラインをはみ出して少しでも前で投げようとする子さまざまだ。それでも楽しい授業だった。

8月28日 ああ、腹が立つ!!

 ああ、腹が立つ!!同僚のマーシー(女子大生、22歳、ボランティア)め!!朝から事件発生。この日は、同じルームシェアをしているケニア人ボランティアティーチャーのエドワードとフィリップが子どもたちをケニア沿岸部のモンバサという町にあるリコニ更生院に子どもたちを送っているため(2泊3日で)、家にはいない。もちろん家の鍵も彼らが持って行っている。そのため、家を空けるためにはスペアキーを持っているシンヤが開けるしかない。この日、突然聞かれた。

 “Ken-san, Una ufunguo?” 「ケンさん、鍵持ってる?」
“Hapana, sina ufunguo.” 「いいや、おれ持っていないよ。」

 そう答えると、突然マーシーが怒る。えっ、なんで・・・。そしてシンヤに電話されるよう言われる。言われるがままシンヤに電話。シンヤも今仕事中で手がはなせないということ。そのため、マーシーに取りに来てほしいとのこと。それをマーシーに言うと、また

 “Anaweza kuja. Haa.” 「彼は来ることができるわよ、はあ・・・。」

 と、またキレる。よくわからない。最後には捨てゼリフ。

 “Kiswahili ni gumu. Ken-san haelewi.”
「スワヒリ語って難しいわ。ケンさんは理解できないもん。」


 ・・・。本当に腹がたつ。さすがに、基本的なスワヒリ語はわかる。何かにつけて、おれがスワヒリ語がわかってないという言葉で終わる。それぐらいはわかる。そんな今時の女子大生に腹が立つ、28歳の私でした。

8月27日 別れの日★

 この日、私にとって初めての経験となる、更生院の子どもたちとの別れの日であった。収容人数80人のゲタスル更生院に現在120人を超える子どもたちがいる。定員オーバーもはなはだしい。そのため、今日から子どもたちはケニア国内他6か所の更生院に送られるのだ。朝から、先生たちが少しばたばたしていた。

 さて、そんな子どもたちの別れに、あるお母さんがやってきた。俺と仲の良い子どもジョロゲのお母さんだ。ジョロゲもこの日、遠くの更生院へと送られることになっている。お母さんはジョロゲが風邪をひかないように暖かいフリースを用意していた。そして、優しくジョロゲに着せていた。また手作りの温かいお弁当をジョロゲに渡していた。その弁当の中身を見たジョロゲも本当にうれしそうだった。

 15人乗りのマタツに先生4人、そして子どもたちが25人ぎゅうぎゅうに乗った。もちろんジョロゲも乗った。マタツが出発するまで、お母さんはジョロゲの乗っている窓際で声をかけていた。涙を流しながら。・・・。それを見て、泣いてしまった。子どもたちの前で泣いたらいけないのに。それでも子どもたちとの別れがつらく、お母さんの姿も悲しくて。

 けど、それでも親が来ない子がほとんどである。子どもたちはまた新しい更生院で最長3年間の生活が始まるのだ。どんな3年間になるんだろう。これから先近くで見れないのが悔しい。たった3ヵ月しか一緒にいてやれないのが悔しい。そんな気持ちになった。

 その後もどんどん子どもは減っていった。すごく寂しくなった更生院だった。

8月26日 ダウン★

 今日はなんと・・・朝10時から体調が悪くなって、ついにダウン。ケニアにきて2か月。気をつけていたつもりが・・・。それから、ずっと寝てました。

 昼ごはんは栄養剤と薬だけ。ダメだね、こんなんじゃ。さて夜は、同じ更生院で働くマサコさんに雑炊を作ってもらって、それを食べた。やっぱり日本人は雑炊かおかゆだね。生き返りました。しかし、こういう日にみんなの夕食がカレーライス。はあ、テンション下がる。というような散々な一日でした。

8月25日 「先生、俺上手にプレイできた?」

 今日はいつものように朝礼があった。そのときマネージャーが子どもの服装に注目。ズボンがやぶれていたり、服のボタンがなかったり。そこで、マネジャーは子どもに服やズボンを縫うように言った。

 子どもたちは自分たちの寮に戻り、先生から針と糸をもらい、一人ひとり熱心にズボンや服を直していた。しかしケニアの子どもたちは生きる力がある。子どもみんなが、上手にズボンや服を縫っていったのである。日本の子どもたち、特に男の子がそんなに上手にできるかなあ。その熱心に塗っている姿が、頼もしかった。

 さて夕方になって、子どもたちは運動場に。運動場には大きなサッカーグラウンドとサッカーゴールがあって、子どもたちはサッカーをするのが大好きである。この日は更生院に4つある寮の中の二つキスム(一番小さいクラス)とナクル(二番目に小さいクラス)とが試合をした。私は最近主審として笛を吹く。
 どちらも必死にボールを追って、楽しそうにプレイしていた。結果は2対2。それでも子どもたちは本当にうれしそうな顔をする。夕食の時間が来て、私と仲の良い子どもジョロゲがやってきた。

 “Mwalimu, Nimecheza vizuri?” 「先生、俺上手にプレイできた?」
“Ndiyo, umecheza vizuri.” 「おう、上手にできていたよ。」

 その一言がジョロゲには嬉しかったんだろう。最高の笑顔で食堂に入って行った。その笑顔が俺もうれしかった。子どもにとっては、先生の何気ない一言が大きいんだなあと改めて感じた一日だった。

2008年8月24日日曜日

8月23日(土)、24日(日) 自炊・ケニア問題①

 今日は午前中、仕事に行った。そしてマネージャーと一緒に近くの町まで買い物に行った。ワンギゲという町で、市場でにぎわうところである。そこで塩を買った。また帰りにマネージャーがバナナを買ってくれ、一緒について行った生徒二人も喜んで食べていた。さて、その後はドミトリーに帰って、のんびりした。

 夜は自炊をして、野菜炒めを作った。ごま油を使い、はじめににんにくを入れて香りづけをした。そして玉ねぎ、にんじん、キャベツを入れ炒めた。最後に溶き卵を入れ、完成。我ながら上手にできた。なかなかのもんだ。自炊楽しいね。さて冷や飯が残ったから、次はチャーハンだね。もしよかったら、途上国でも作れるおいしいチャーハンの作り方を教えて下さい。待ってます。

 日曜日は、久々に肉が食べたいと思い、近くのファストフード店へ。そこでフライドチキンを食べ、有意義な昼食をとった。あとはいつものように、メールを送ったり、本読んだりかな。

 さてここで問題。
1.ケニアではチャイやujiをコップに入れる時、あることをします。それはなんでしょう。
  ①はじめコップに少し入れて、香りと味のテイスティングをする。
  ②半分入れて飲み終わったら、また半分入れる。
  ③コップ一杯にいれる。
  ④少し入れて、地面に捨てることで、神に感謝してから飲む。

 さて何番でしょう。正解はまた来週発表します。答えがわかった人はコメント欄に書いてくださいね。

8月22日 更生院の子どもたち・・・。

 金曜日の朝は毎日朝礼がある。国旗掲揚、そして国歌斉唱。この厳粛な雰囲気がなんともいえない。そんな金曜朝の習慣である。

 さて今日はクラス1、2の体育の授業をした。ただ先週テストで、今週もあんまり外で遊ぶことができなかったので、この日は日ごろ使えない運動場を使ってサッカーの試合をした。普段はゲタスルで選ばれたサッカーチームの選手、まあ部活のようなもんだが、その選手が使う。なので、みんなおはしゃぎでサッカーをした。

 ところが、少し相手の足が当たると、すぐにけんかが始まる。

 “Tabia mbaya.” (ひどい行為だろ!?)

 と相手に迫り、殴り合いが始まる。少し体が当たっただけじゃん・・・。しかしゆずらない。そして私の登場。

 “Wacha. Utakapofanya tena, nitakuchapa.”
 (やめなさい、今度したら、おれがたたくよ。)


 そう言われるといつも終わる。怒られたら、素直だが、それまでは素直じゃない。そして疲れたら、許可もなく座り込んだり、寝たりする。コートから出て世間話をする者さえいる。根性がない。正直、そんな自分勝手な姿に腹が立つ。

 そのような子どもたちに最近ストレスを感じてきた。けんかをする、人の物を盗む、嘘をつく、まちがいを認めない、一つひとつにストレスを感じてきた。よく多くの先生に

「更生院の子どもは、普通の学校の生徒とは違うよ」

 とよく言われる。確かにそうかもしれない。ただそれにまだ慣れない。少し子どものことが嫌いになりかけてる自分がそこにはいた。ここケニアに来て、2か月。壁にぶつかった。

8月21日 どら焼き☆

 今日の私の朝ごはんはどら焼きだった。JICA職員の健康管理調整員からマサコさんがいただいたものをもらった。あんこって、あんなにおいしかったっけ。和菓子って、本当に日本の心だね。

 この日は午前中、午後ともNGOが来て生徒にキリスト教の教えやレクリエーションなどをした。ここゲタスル更生院ではおおくのNGOが来る。今日はそういう日だ。

 今日は同じボランティアティーチャーのスーザンとマーシーと30分ほど話をした。結婚のこと、合コンのこと、そして奥さんとの出会いのことなどである、二人ともまだ独身の女性なので、とくに結婚について興味があるのだ。どこの国も同じだね。25歳のスーザンと22歳のマーシーは、日本人男性との出会いも期待しているらしい。俺に紹介してほしいといったが・・・。まあ気にしないでおこう。

 この日の夜から、少し変な感覚が出てきた。ストレス。ついに出てきた。それが明日もっと出てくることになるとは、この時点ではまったく思わなかった。

8月20日 ハンドパワー☆

 Mahindi(トウモロコシ)の収穫時期である。今日は朝から子どもたち全員、トウモロコシを食べることができた。いつもの朝ごはんはujiだけなのに、とうもろこしも食べることができるから、必死食べていた。

 “ Ni tamu sana.” (すっごくおいしい)

 そう言って、嬉しそうに食べる。さてこちらのトウモロコシは日本のものとは少し違う。どちらかというと実が白い。黄色ではない。また甘くない。料理法もお湯の中に入れてぐつぐつ茹でているだけだから、甘味がなくなっている。ほんとに風味だけを楽しんでいるようなものだ。

 しかし子どもたちにとってはごちそうだ。その光景を見ているだけでうれしい。そして昼ごはんにも思わぬものが出た。Nanasi(パイナップル)である。久々のアボガド以外の果物で、みんなウキウキしていた。そんな姿もものすごくかわいい。

 さて午後にあることを教えた。それは小学生のとき流行った紙を使ったマジックである。小さな紙を二つに折って立てらせる。そして右手で右のほほを2回、左のほほを2回たたいたあと、その紙の前に手をかざすと、その紙が倒れるというものである。みんなは覚えているかな・・・。これが大人気。みんな不思議そうな顔をして食い入るように俺を見る。そして紙を何人かに渡すやいなや、もうパニックである。われさきにしようと、みんな必死にする。このマジックを教えたのは見事最高。ちょっとの時間つぶしになった。

 そしてその後隣のカベテ更生院の子どもたちが来てバレーボールやサッカーのフレンドリーマッチをした。どちらも惨敗だったが、こうやって試合をすることも大事だね。しかし許せないところもある。それは一生懸命している子を、他の子が笑うことである。また先生も同じように笑う。正直、不愉快である。必死にボールを追いかけ、こけながらもボールを取ろうとしてる子を笑うのである。これがすごく悲しくなった。

 そんな楽しさと悲しさが、同時にあった一日だった。

8月19日 テスト結果発表・・・。

 子どもはやっぱりおしゃれである。10歳から18歳。ちょうどかっこつけたくなる歳である。俺もそういえば、アラビックヤマトというのりを、目につけて二重にしてたっけ。おかげで今は二重になったけど・・・。昔中学校のまで片方の目が一重で、片方の目が二重だったからね。けっこうコンプレックスだったなあ。まあそんなことはいいか・・・。

 草を結び合わせて、眼鏡を作ったり、帽子を作ったり。ノートも使っていろんなものを作るんだよなあ。創造性は抜群である。写真がないのが残念であるが・・・。

 さて今日の午前はクラス5、6の子にテストの結果発表をした。この更生院では、生徒の結果をみんなで前で発表して、次に行くクラスまで発表する。得点が悪いとクラスは下がるし、得点がいいとクラスは上がる。けっこうシビアである。日本では考えられない結果発表である。プライバシーもくそもない。
 さて子どもたちは自分のテスト結果に一喜一憂後、先生の話を聞いた。同じボランティアティーチャーであるスーザンとマサコさんが今後の生活について、語っていた。子どもたちの今後に生かしてほしい。

 夜になって問題が発生。子どもたちの寮のstima(電気)がつかない。停電である。子どもたちが寝る準備をしたり、服を洗ったり、体を洗ったりするために必要なのであるが。

 “ Mwalim, hakuna stima.” (先生、電気ないよ)

 そうみんなが言う。そこでこの日はランプを用意した。電気よりは暗いが、さすがケニア人は慣れている。 今日の夜ごはんは、お腹が痛いということで、マサコさんに雑炊を作ってもらった。久々の雑炊の味に感動した。そしてみごとお腹が治りました。さて明日からもがんばろう。

8月18日 激痛★

 この日は生徒の評価シート作りの日。テストの採点も終わり、一人ひとりの評価を出した。もちろんパソコンはないので、全部手書き。テスト各教科の点数を書いて、それをもとに今後のクラスを決めて。午前中が全部それでつぶれてしまった。

 さて午後からは会議。評価シートや年齢、問題など多くを考慮して、次に子どもたちが行く更生院を先生全員で決めた。その間、子どもたちはダイニングで映画を見ていた。一人ひとりのことについて、真剣に話し合う先生たち。すごく心強く思えた。
 さて、晩ごはんは今一番好きなケニアの料理ウガリ・スクマウィキ・マヤイ(卵)の3点セットだった。これはかなりうまい。ばくばく食べることができる。ところが、その後予期せぬことが起きた。お腹が急に痛くなった。激痛だった。それも歩くことができないぐらい。その後ずっと電気もない真っ暗なトイレにこもっていた。初めての腹痛(下痢)。大変だった。疲れもあったのかな・・・。もう一度健康について考えさせられる一日だった。

2008年8月18日月曜日

8月16・17日 アボガドの木☆

 この日は昼過ぎまで仕事をした。この日は学校あるアボガドの木からアボガドをとった。体重の軽い子ども3人がひゅるっと高さ20メートルはあろう木に登る。細い枝にしがみつき、揺れながらどんどんアボガドをとっては下に落とす。ケニア人恐るべし・・・。このアボガドが子どもたちには大人気である。やわらかくなったものがおいしいが、子どもたちはこれをご飯にのせて食べる。最高の食べ方だ。一度そうするとやみつきになる。

 さて午後が来て、ドミトリーに戻る。一週間ぶりにインターネットを使いメールをして。そしてブログを見て。

 日曜日は近くの、Yayaセンターの喫茶店でのんびりコーヒーを飲んで過ごした。やっぱり週末は休むもんだね。日本での生活が嘘かのように、土日はのんびり生活している。こんな生活が大事だなあと思う週末だった。

8月15日 Kwaheri Party☆


 この日は朝から退職した先生のためのKwaheri Party(送別会)の準備。いやあ今日までにテストの評価シートを作らないといけないのに、いろいろ大変だなあ。ちなみ私は子どもの世話係。他の先生が飾り付けや料理を作っている間に子どもたちがおとなしくしているよう見るっていう係だ。

 さてクラス1、2の子は教室に入ってテストをする。普段は二人の先生がテスト監督をするのだが、今日は仕事が多いのでケニア人のボランティアティーチャーのスーザンがテスト監督をする。他の先生は鳥の素揚げやチャパティ、じゃがいもの煮込み、ピラウ(ピラフのようなもの)などをどんどん作っていく。本当においしそうである。鶏肉も、ちょっと前に絞めたもので、鮮度がいい。一度私も鳥を絞めた経験はあるが、これはさすがにケニア人の先生と生徒がした。

 ダイニングでは、私は子供と一緒に折り紙で飾り付けのための飾りを作った。はさみ担当を4人きめて、細く切った折り紙をのりでつなげていく子どもたちを決めて。楽しそうにどんどんしていった。ここで私が日本から買ってきた折り紙が役にたった。

 さて準備も整った14時半過ぎ。いよいよパーティの開始である。今日の主役はマダム・ヘレンという退職された先生である。家族も来ていて、一緒にお祝いする。他にゲタスルの先生たち、そしてお隣のカベテ更生院の先生も来て盛大に行われた。みんなでおいしいものを食べて、ソーダを飲んで、自己紹介や一言を言って。あっという間に2時間は過ぎた。

 そして無事パーティもテストも終わり、力が抜けた。子どもたちはパーティの残ったごはんを分けて、本当にうれしそうに食べていた。それを見てまた自然と笑顔になった。そんなこんなで長かった一週間も終了。明日から週末だ。

8月14日 食べ物って・・・。

 この日は朝からクラス3、4の残りのテスト。順調におわり、昼になる。今日のごはんもギゼリ。実はこの昼食のギゼリ、晩ごはんもそのままギゼリとなる。大きな大きな釜で、ギゼリを煮るため、2回分の食事の量を作る。そしてそれがそのまま昼と夜の食事になるのだ。こう考えると、生徒の平均的な食べ物の品目は約6、7ぐらいではなかろうか。日本の給食の1回分にも満たない。しかしきちんと食事(朝・昼・晩)が出ることがケニアでは大変すばらしいことなのである。

 子どもたちはこの食事を本当においしそうに食べる。それもどんなに多くても残さない。子どもによっては、その日暮らしの生活をしていた子もいて、ごはんが食べられなかった子もいる。絶対に残さない。それも隅々まで食べる。ご飯の一粒も残さないし、汁の一滴も残さないよう、大事に食べる、それを見ていると、すがすがしい気分になるし、うれしくなる。

 日本ではどうなのかなあ。野菜が嫌いと言って残す子、口が合わないと言って残す子、手が汚れるからと言って果物を食べない子・・・。そういう子いないかなあ。いったいどれくらいの量の食事が捨てられてるんだろう・・・。それを思うと悲しくなる。食べることの大切さ、大事さ、そして食事のありがたさ、ここケニアに来て改めて感じる。日本で伝えたいなあ。

 午後からは時間をもらって、学校周辺を散策。どのような店があるか、施設があるかを確認するためだ。しかし店といっても大きい店はまったくない。あるのは小さなキヨスクのような野菜や果物を売っている店だ。まあ生活用品や水を売っているようなところもあるが・・・。けどこれが途上国の姿なんだなと思う。2年間この地域で住んで仕事をする。まずは地域の人と仲良くなろう。

8月13日 カレー最高☆

 この日もテスト。クラス3、4である。しかし問題が発生。今日は近くのRemand Home(リマンドホーム)の生徒とサッカーの練習試合である。昼から生徒は全員、そちらに行かなければならない。今日の朝のミーティングでマネージャーのMr. Onyangoから金曜日までにEvaluation Sheet(評価シート)を作るように言われたばかりであるが・・・。またしても問題発生。サッカーは全員参加が原則だし・・・。

 午前中が無事終了したが、やはり午後は泣く泣く練習試合に。どうすればいいのかわからないまま、サッカーの試合がはじまる。相手の身長の大きさに自信をなくす子ども・・・。

  “ Ken, Watu wakubwa sana.”  「けん、すごく大きいよ」
  “ Ndiyo, hakuna shida.” 「そうだね、問題ないよ。」

 と励ますが、どこか不安そう。日ごろ自分の主張が強いのに、こういうときだけ・・・。
まあがんばれと祈るしかなかった。結果は1-3の惨敗。それも1点は相手の自殺点。まあやれるだけのことはやったから、よしとしよう。

 さてこの日の夜はテンションが上がった。なんとマサコさんの粋なはからいで、晩ごはんはカレーライスだった。じゃがいも、にんじん、牛肉、玉ねぎ、そしてトマトをたっぷり。いやあ、準備段階からテンションが上がる。この日は大好きな「こくまろカレー」。日本人に生まれてよかった。ケニアの水の性質上なかなかとろみが出ず、2箱も使ってしまったが、これが最高においしかった。おそらくライスの重さで言うと1キロぐらい食べたんじゃないかな。それぐらい食べまくった。おかげでまたリバウンドしてしまったが。

 そんなこんなで、問題も発生したが、幸せを感じることができた一日だった。

8月12日 ケニア料理ギゼリ☆

 さてテストが続く。今日はクラス5,6の子たちである。時間割は以下のとおり。

 1時間目 English(英語) 
 2時間目 Math (数学)
 3時間目 Kiswahiri (スワヒリ語)
    (昼ごはん、休憩)
 4時間目 Science (理科)
 5時間目 Social Studies (社会)

 ちなみに細かい時間は決まってない。みんなが問題が解き終わるまで、テストの時間は続く。教科によっては早く終わるものもあれば、おそく終わるものもある。時間を気にしない国民性がこのテストにも表れているということだ。

 この日も無事終了。テスト監督と採点がんばりました。しかしこちらの採点もなかなか大変である。ちなみにここケニアでは正解の答えには○(丸)ではなくピンをつける。つまり日本とは逆である。まちがった答えには砕けた〇をつける。なかなかややこしい。時間がかなりかかったが、ぼちぼちできた。

 さて今日の昼ごはんはギゼリである。ギゼリはトウモロコシと豆を煮込んだもので、たまにキャベツも入る。塩でしか味付けをしないが、けっこういける。ばくばく食べることができる。これにアボガドがつけば最高だ。はっ、どんどんケニア人化してる。ケニアの食事は本当に日本人の口に合うと思う。まずいものが今のところない。お腹もこわしてないし。やっぱり気をつけてれば、なんら問題はない。

 ということで今日も無事終了。まだテストは続きます。

8月11日 消しゴム☆

この日は午前中ドミトリーを出発して、マタツ(乗合バス)で職場へ。約20キロほどある道のりをわずか80シル(約126円)ほどで行ける。しかしガソリンは1リットル100シル(約170円)ほどで、あまり日本と変わらない。これでやっていけるのか、少し心配になる。まあ庶民の乗り物はこのマタツかバスである。

 職場に着き、オフィスに入ると、多くのテスト問題があった。実は今日から全員テストを受けて評価するというのである。以前言ったように、このゲタスル更生院はレセプションスクール(受付の学校)で、ここにケニア国土全地域から多くの男の子たちが3ヵ月生活し、そしてケニア国内他10ヵ所の更生院に振り分けられる。そのため、男の子たちを成績や性格、また生活状況などから判断して次の更生院を決める。そのため、ここでテストが行われるのである。

 それにしてもやっぱりテストはみんな真剣である。今までうるさくて集中できなかった子どももきちんと集中する。今まで見たことのない姿だ。この部分は日本と同じである。しかし、違う点もある。それは鉛筆をテストが始まる直前に配り、終わるとまた回収すること。また消しゴムが生徒分ないので、みんなでまわしながら使うということである。

 日本ではこのようなことがあった。よく落ちている消しゴムを拾った。授業で誰のものか聞くと、きちんと言うときもあれば、そのまま持ち主が現れない日もあった。たかが消しゴム、されど消しゴムだ。ここの子どもたちは、それは大事に消しゴムを使う。勢い任せに消すのでなく、丁寧になるべく無駄遣いしないように使う。何気ない光景だけれども、これを今の日本の子どもたちに伝えたいと思った。

 そして昼ごはんと昼休憩をはさみ、テストは一日中行われた。私はテスト監督と採点。今日はクラス7、8の子がテストをした。明日も続く。ハードな一週間が始まった。

2008年8月11日月曜日

8月9・10日 折り紙と散髪☆

 9日土曜日は午後2時まで更生院にいた。この日はすごく晴天で、生徒は一斉に出し毛布やマットレスを外に出し干していた。またみんな自分の服を一生懸命に洗い、びしょびしょのまま干していた。土曜日は授業がないので自分の身のまわりのことをする。あとはのんびり過ごすのである。
 子どもたち5人ほど私のところに突然やってきた。

 「先生、折り紙教えて。折り紙で教会を作って。」

 といい、再生紙と折り紙の本を持ってきた。再生紙を正方形に切り、本で教会の作り方がのってあるページを開き。そして一緒に折った。スワヒリ語で説明をしながら、一人ひとりに教えていった。協会を作っている子どもたちの真剣な姿が、なんともかわいかった。
 その後「教会」、「ピアノ」、「バッグ」と作っていった。子どもたちは大事そうに自分のポケットに入れ、笑顔で帰って行った。そしてドミトリーへ戻った。

10日は一日ドミトリーでのんびりした。ゆっくり朝ごはんを食べ、メールを送って。また昼から散髪をした。仲間に切ってもらい、丸坊主にした。これがまた気持ちいい。一枚刈りで今までで一番短い。また奥さんに怒られるだろうなあと思いながら、少し満足した一日だった。

8月8日 マイペースなケニア人★

 この日朝から突然マサコさんに呼ばれた。

「ケンさん、今日これからオザヤに行くんで授業頼みます。」

 「へっ、いきなり・・・」と心で思いながら、笑顔で引き受ける私。言いたいことが直接言えない・・・。私の性格である。もっと強い男になりたい・・。
 さて午前中はスワヒリ語。ケニア人の先生キマニが熱心にスワヒリ語のアルファベットをクラス1・2の子に教えている。1時間後の休憩時間。トイレに行っている子たちの様子を見ていた私のもとへキマニ先生が寄ってくる。

 「ケンさん、靴が気に入らないから換えてくる。15分で戻る。」

 「はっ、なんじゃそりゃ・・・」と思いながら、またまた笑顔で送りです。待つこと20分いっこうに帰ってこない。子どもたちは好き勝手している。しょうがない・・・。子どもたちを座らせ、子どもたちよりスワヒリ語ができない私がスワヒリ語を教えた。まずはアルファベットの復習から。まあ英語の先生をしていたので、言語授業の流れは同じようなものである。繰り返して一人ずつ言わせて、一人ずつほめて。それから15分ぐらいたったが、まだキマニは帰ってこない。次にスワヒリ語で体の名前を学習した。そこで英語教育では有名なTPR(Total Physical Response)などをして、楽しく体について学習した。 

 待つことトータル45分キマニが帰ってきた。なんたることか・・・。そしてそれからまたゆっくりとチャイとパンを食べる・・・。ケニア人おそるべし。マイペースすぎる。そして休憩から1時間以上たって、再び教室へ。はあ、同じ教師ながら情けない。が、これがこの国の文化であり、教育の姿なのだろうか。と思いながらびっくりした朝だった。

午後からは子どもたちはテレビを見る。そして私は疲れのピークが来て職員オフィスで居眠り・・・。ケニア人のことを悪く言えないね。そんなこんなで一日が終了。今日もケニアの姿が見えた一日だった。

8月7日 男の子は女の子が好き☆

 仕事が始まって4日目。疲れがたまってくるときだ。連日、朝8時頃に更生院に着き、夜は9時くらいまで更生院にいる。もちろん仕事をずっとし続けることはないが、まだ慣れてないので、正直疲れがたまってきた。上手に息抜きしなきゃ。ちょこっとケニア人の息抜きを見習おう。

 さて今日はマサコさんが仕事が忙しいかわりに、体育の授業を少しした。今日はクラス3・4の子どもたちにドッヂボールを導入した。このスワヒリ語の説明に苦労したが、なんとか形にはなった。まだ改善点はたくさんあるのだが・・・。しかし負けず嫌いのケニア人は、ここでもいろいろな文句や言い訳でなんとか勝とうとする。それがけっこう腹が立つ。正々堂々いさぎよくしろよ・・・という場面がいくつもある。日本人は我慢強くて、正直者が多いんだなあと、ここケニアに来て初めて思った。

 さて昼食。今日はウガリである。ウガリはトウモロコシの粉で練って作られるもので、ケニアの伝統的料理の一つである。これがけっこううまい。それだけで食べるとパサパサしていまいちだが、スクマウィキと呼ばれる野菜の炒め物や豆の煮込みと一緒に食べると不思議とどんどん口に運んでしまう。そんな飽きない食事である。

 午後からサッカーやバレーボールの交流ということで、女の子のサッカーチームや大人のチームなどが来て、一緒に活動をした。


 それにしても万国共通、男の子は女の子が好きである。顔つきが変わる子、全然話を聞かず女の子のほうばかり見てる子、にやにやしている子・・・。俺も昔は、こんな感じだったなあ。そんな男の子の態度がすごくかわいかった。

 晩御飯は同じウガリだった。しかし今日はnyama(肉)の日。子どもたちはすごくうれしそうに肉を食べた。週に2回しか肉を食べないが、肉の食事はいつも子どもたちは笑顔である。本当においしそうに食べるし、すべての食事を残したりしない。それどころか、本当にすみずみまで食べる。この点に関しては、日本の生徒の給食を平気で残す姿が、すごく腹が立つ。それほどまで、きちんと食べることができるというのはケニアの子どもたちにとって幸せなことなのだ。

 といういことで今日もすごく勉強になる一日だった。一日いちにちが私にとってすごく新鮮で、新しい発見の連続である。明日はどんな発見があるんだろう。

8月6日 日本の歌紹介☆

 少し寒く感じながら、目が覚める。部屋がかなり乾燥していて、のどが痛い。風邪をひくのにもってこいの環境である。これはいかん・・・と思いながら毛布がないので、何とかしようと考えていた。

 ようやく準備を始め、歯磨きをして、コンタクトを入れ。そしてお風呂に入った。お風呂といっても、タンクに水をためてるだけ。水を少しずつかけながら、体を洗う。さすが途上国。シャワーもなければ、お湯もない。蛇口から水も出ないのである。日本はなんて幸せな国なんだろう。

 その後徒歩1分で更生院へ。そこで朝ごはんを子どもと一緒に食べる・・・いや飲むといったほうが正しい。ケニア料理のひとつUjiである。まあお粥とお汁粉が合体したような、少し甘くて柔らかい飲み物である。これが意外といける。それでも協力隊員の男性の多くは苦手な人が多いらしい。

 次に子どもたちはダイニングでキリスト教の教えの授業を受けた。その間先生たちはオフィスで職員会議である。あいかわらずスワヒリ語が速くて聞き取れないが、前回よりもわかるようになってきた。かなりの進歩である。まあ全体の10%もわかってないだろうが・・・。早く慣れていきたい。

 そして午後の昼食を食べ、午後からカウンセリングの外部講師の授業だった。ここで思わぬことが・・・。いつも3人来る講師の先生が1人遅れてくるとのこと。そして近くにいた私に白羽の矢がたった。

 “Ken, tafathari angaria watoto kidogo.” 「けん、少し子どもの面倒を見てて」

 「へっ!??」と思いながら、30人ほどの低学年クラスの子どもたちの前に立たされた。そしてその講師の先生はそそくさと他の子どもたちの元へ。さて、困った。いきなり子どものことも分からないのに、カウンセリングなんて・・・???

 そこで考えた。スワヒリ語もろくにできないのにカウンセリングなんてとんでもない。だからここは楽しくみんなで何かをしよう。そう考えた私は、日本の歌を紹介した。それは「大きな栗の木の下で」「幸せなら手をたたこう」である。

 これが見事に成功。子どもたちは本当に楽しそうに活動してくれた。スワヒリ語も理解してくれ、思ったよりはるかに、うまくいった。やっぱり振付がある歌って盛り上がるなあ。そして遅れて講師が来てくれバトンタッチ。約30分ほどだったが、貴重な経験ができた。

 その夜マサコさんに毛布を借りに行った。そのときマサコさんが不思議そうにフィリップに質問した。

 “Iko Blanketi?”  「毛布ある?」
“Ndiyo, iko blanketi.” 「うん、毛布あるよ。」

 えっ・・・。確かに敷布団しかなかったぞ。・・・。
 帰ってよく見たら敷布団の中に隠れていた毛布3枚があった。はあ、とんでもない勘違い。情けない。その日は温かい毛布で寝ることができました。

8月5日 ルームシェア・・・


 この日は少し遅く更生院に到着。9時半ごろだったかな。着くと子どもたちは広場に集まりパレードをしていた。パレードとは全校集会のようなものであり、いろいろなお知らせを伝えたり、子どもの起こした問題を取り上げみんなで考えるといったものである。

 パレードが終わり授業をした。ここゲタスル更生院では年齢ごとにクラスを分け、曜日によって午前中のスケジュールが決まっている。

例:〈月曜日〉
クラス1、2:Farm(農場)で野菜を植えたり、畑を耕したりし、
  クラス3、4:Kitchen(台所) 洗い物や台所の清掃
  クラス5、6:Welfare(生活) 主に掃除をしたり、生活のための準備をしたり
  クラス7、8:Academic(授業) 英語・スワヒリ語・数学・体育などの授業をする

 というように決まっている。というように、更生院の子どもたち全員がすべての活動ができるようになっている。そして昼ごはんと夕ごはんの前は運動場に行きみんなでサッカーをしたり、バレーボールをしたりして遊びの時間が入る。くわしいことはまだ2年間あるので、polepole書いていこう。

 さて今日から、同じ学校で働くボランティアティーチャーの先生の部屋に行き、ルームシェアで泊まらせてもらう。毎日1時間以上の通勤を考えるとずいぶんと楽だ。私はフィリップ先生の部屋、シンヤはエドワード先生の部屋に入った。

 ここで失敗談。小さいベッドに泊ったが、なぜか掛け布団がない。おかしいなと思ってフィリップのベッドを見ると毛布が2枚ある。自分で用意するのかと思って、悲しく思いながら、その日は厚着をして、ジャンバーを布団代りに寝た。続きは、また明日・・・。

8月4日 赴任日☆いよいよスタート☆


 いよいよ赴任日。朝から同期の仲間が次々と配属先へと赴任していった。1ヶ月間一緒に生活していた仲間たちとの別れである。私も9時ごろ配属先に向かった。
 さて配属先に向かう前に家の問題を話し合うため、配属先向かいのカベテ更生院のマネージャーに会いにいった。シンヤとJICA調整員、そしてカベテ、ゲタスル両更生院のマネージャーと5人で話した。そこで約1か月弱になったら家を用意してもらえる約束になった。
 その後いよいよゲタスル更生院へと赴任した。私の姿を見るなり子どもたちは、

“Ken-san, Habari?” (ケンさん、調子はどう?)

 と言って、笑顔で迎えてくれた。私も久々にみんなと会えたことがうれしくて、自然と笑顔がこぼれた。18歳ぐらいの大きい子も10歳ほどの小さい子もみんな歓迎してくれ、すすんで握手を求めてきた。そんな温かい歓迎に感動しながら、多くの子ども・先生方に笑顔で挨拶していった。

 “Hi, Habari za siku nyingi? (やあ、おひさしぶりです)

 先生方も笑顔でむかえてくれた。あとでマサコさんに聞いたが、みんな私のことを待ってくれたそうである。幸せなことだ。
 さていよいよ始まった。この1年8か月、ゲタスル更生院のため、尽力を尽くそう。

2008年8月5日火曜日

8月3日 白いごはんとみそ汁☆

 今日は同期の仲間と過ごす最後の日となった。それぞれ思い思いの一日となった。次の日の赴任にともない、買い物をたくさんする人、荷物整理をする人、のんびり体力を回復する人、レストランでご飯を食べる人、さまざまだった。1ヶ月間一緒に過ごし来た仲間14人が、明日ばらばらの任地に飛び立つ。

 これからは甘えが許されない。自分の力で、自分を信じて活動していかないといけない。怖がらない、間違いを恐れない、そして挑戦する。それが大事なんだな。

 そういえば、夕食で初めて圧力がまを使ってお米を炊いた。そして奥さんから送られた「あさげ」とふりかけが夕食だった。これがまたうまい。おかずがないから、ごはんとみそ汁の味がすごく味わえておいしかった。そんな「あさげ」と鰹のふりかけがすごくおいしく感じた夜だった。

2008年8月3日日曜日

8月2日 新隊員カリブパーティ☆

 今日はとりあえず寝た。9時まで寝て、二度寝して11時まで寝て。なんてのんびりな生活なんだろう。そして読書して、インターネットして。たまにはこんなのもいい。

 次に今日16時から私たち平成20年度1次隊のカリブパーティ(歓迎パーティ)があった。この日のために先輩隊員が何人も午前中から買い物をして、料理を作ってくれた。たくさんの先輩やJICA調整員、スタッフ、また新しくJICA事務所に来た職員も含めてパーティをした。総勢50人ほどかな。たくさんの人と話をして、なんとも言えない満足感があった。そして、女性の方々が作ってくれたおでんやシチュー、そしてケーキやプリンなど。最近ごちそうばかりで本当に幸せです。 

 その後自己紹介をしたり、以前キベラスタディツアーで披露したスワヒリ語版の「大きな栗の木の下で」をして。また先輩隊員の漫才を見て。そんな温かい時間があっという間に流れた。そして20年度1次隊の仲間で記念撮影。これがみんなで映った最初の写真であった。ということで、カリブパーティは無事終了。ここに来て、またたくさんの出会いがあった。これからもこの出会いを大事にしていきたい。自分にとって、この出会いはまた大きな財産になるだろう。それを心に留めて今日も寝よう。おやすみなさい。

8月1日 ドミへ引っ越し☆

 今日は朝からJICAオフィスへ。最終オリエンテーションだ。いろいろな説明を受け、安全対策のカギや健康管理の水の浄水器をもらい。いよいよ赴任の最終段階に入った。最後に担当調整員のKさんとお話をし、自分の活動の目的・目標を再認識した。

 そしてこの日、日本から送ってもらった荷物が届いた。服や日本の食べ物、そして折り紙や伝統楽器など。日本の文化を紹介できるものが届いた。またこれからいろいろ計画して、どう使うかを考えていきたい。その後タクシーでJACIIからドミトリーに引っ越しした。たくさんの荷物をタクシーで送り、ドミトリーでのんびりした。

 次に18:00より更生院に配属となっている先輩隊員やJICA専門家、そして担当JICAスタッフとの食事会をした。それぞれの更生院で抱える問題、今先輩隊員がしている活動、そしてこれからの更生院の姿について。多くを話し、またまたこれからのビジョンが見えた。

 帰って、2次会。夜中3時まで、先輩隊員と一緒に語り合った。ある先輩隊員Nさんが言っていた。

「この2年間が貴重な経験だとは思ってない。2年間という時間を破り捨てて、何かをするためにきたんだ。」

 重みのある言葉だった。正直自分自身の貴重な経験だと思っていた私にとって、あまりに重い言葉だった。何をしに来たのか、もちろんここケニアの子どものため、ケニアという国のために今自分はここにいる。旅行をしに来てるのでない。持前の一笑懸命、そして真っすぐをここケニアでも出していきたい。それが自分らしさであり、自分のスタンスであるということを思い出した。赴任前の夜に貴重な経験だった。

2008年8月2日土曜日

7月31日 スピーチ発表☆


 スワヒリ語最後の授業、そしてJACII最後の夜。ケニアに来て1カ月と少し。ようやく現地語学訓練が終わる。そして来週からいよいよ配属先に赴任となる。長かったようで、短かったこの1か月。いろいろな思い出ができたなあ。

 さて、午後からスピーチ発表会。アドバンスクラスのマコトと私は最後にスピーチをすることになった。一昨日から準備しているスピーチ。けっこうアドリブもあるが、以前よりはできるという自信を持っていた。いよいよ本番。ドキドキする気持ちをおさえ、最後のスピーチに向かった。同じ同期の仲間たち、先生たち、JICA調整員の前で約10分間のスピーチをした。自分の職場先のこと、先生やここJACIIで働いてくれている人への感謝の気持ち、友達への感謝の気持ちなどスワヒリ語で発表した。自分の気持ちをまっすぐに出せて、すがすがしい気分になった。

 その後、このJACIIの生徒のゆかさんの案内でNEW LIFE HOMEといわれる孤児の赤ちゃんの育児施設を訪れた。そこには約50人ほどの孤児の赤ちゃんがいて、スタッフやボランティアなどの多くの人で温かく育てられていた。俺も小さな赤ちゃんを抱っこして、遊んだり、ミルクをあげたりした。罪もないこんな子たちを捨てるなんてと、親というよりむしろ、ここケニアの現状に腹がたった。

 次に私はODA民間モニターの方との食事会へ出かけて行った。中華料理屋さんでたらふく食べた。これからなかなかこんなおいしいものは食べられないのだろう。鶏の煮付け、餃子、チンジャオロース、牛肉の鉄板焼きなど。幸せだったなあ。話すことよりもむしろ食べることのほうを優先してたなあ・・・。まあ、いいか。

 その後帰って、みんなで飲みなおしました。最後の夜なので。ということで長い一日が終了。さてそろそろ赴任のための心の準備をしようかな。

2008年8月1日金曜日

7月30日 テスト2日目★

 この日は会話テスト。朝からハード・・・。それも一人約10分。半端ない。それでも、なんとかテストを終えることができた。こういういやな時って、いつも大学時代の友達の言葉を思い出す。「始まれば終わる」いつも思い出し、その瞬間を大切にしようと決めている。

 さて次の授業からは、明日のスピーチの練習。明日はいよいよ最後の授業のスピーチ発表会がある。ケニア隊の仲間、先生方、JICA職員などが集まり一人ひとりの発表を聞く。最後の最後にして一番きつい活動である。それもアドバンスクラスということで、けっこう先生がプレッシャーをかけてくる。こうしたほうがいい、ああしたほうがいい。正直余計なお世話だ。まあ、ゆっくりのんびり発表しよう。

 あっ、それから明日はODA民間モニターとの方との食事会である。JACIIの最後の夜なのに・・・。けど出会いがあるってことは幸せなことだよね。話をするだけでなく、しっかり話を聞いて、今後に生かしていこう。