ようやく準備を始め、歯磨きをして、コンタクトを入れ。そしてお風呂に入った。お風呂といっても、タンクに水をためてるだけ。水を少しずつかけながら、体を洗う。さすが途上国。シャワーもなければ、お湯もない。蛇口から水も出ないのである。日本はなんて幸せな国なんだろう。
その後徒歩1分で更生院へ。そこで朝ごはんを子どもと一緒に食べる・・・いや飲むといったほうが正しい。ケニア料理のひとつUjiである。まあお粥とお汁粉が合体したような、少し甘くて柔らかい飲み物である。これが意外といける。それでも協力隊員の男性の多くは苦手な人が多いらしい。
次に子どもたちはダイニングでキリスト教の教えの授業を受けた。その間先生たちはオフィスで職員会議である。あいかわらずスワヒリ語が速くて聞き取れないが、前回よりもわかるようになってきた。かなりの進歩である。まあ全体の10%もわかってないだろうが・・・。早く慣れていきたい。
そして午後の昼食を食べ、午後からカウンセリングの外部講師の授業だった。ここで思わぬことが・・・。いつも3人来る講師の先生が1人遅れてくるとのこと。そして近くにいた私に白羽の矢がたった。
“Ken, tafathari angaria watoto kidogo.” 「けん、少し子どもの面倒を見てて」
「へっ!??」と思いながら、30人ほどの低学年クラスの子どもたちの前に立たされた。そしてその講師の先生はそそくさと他の子どもたちの元へ。さて、困った。いきなり子どものことも分からないのに、カウンセリングなんて・・・???
そこで考えた。スワヒリ語もろくにできないのにカウンセリングなんてとんでもない。だからここは楽しくみんなで何かをしよう。そう考えた私は、日本の歌を紹介した。それは「大きな栗の木の下で」と「幸せなら手をたたこう」である。
これが見事に成功。子どもたちは本当に楽しそうに活動してくれた。スワヒリ語も理解してくれ、思ったよりはるかに、うまくいった。やっぱり振付がある歌って盛り上がるなあ。そして遅れて講師が来てくれバトンタッチ。約30分ほどだったが、貴重な経験ができた。
その夜マサコさんに毛布を借りに行った。そのときマサコさんが不思議そうにフィリップに質問した。
“Iko Blanketi?” 「毛布ある?」
“Ndiyo, iko blanketi.” 「うん、毛布あるよ。」
えっ・・・。確かに敷布団しかなかったぞ。・・・。
帰ってよく見たら敷布団の中に隠れていた毛布3枚があった。はあ、とんでもない勘違い。情けない。その日は温かい毛布で寝ることができました。
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