2009年10月28日水曜日

10月20日 「あきらめたら、そこで試合終了だよ」

 ケニアのことだから、はじめからある程度は予想していたが・・・。と思うこの頃。やっぱり、授業を頼んでおいたボランティアの先生はほとんど授業に来なくなった。スワヒリ語と英語の授業を頼んでおいたのだが、最近は遅刻をしたり、朝から出勤していても他の仕事があるということで授業に入らない。

 最近はおだて作戦がきかなくなってきた。そして子どもたちにまた迷惑がかかるようになってきた。誰もしない授業、子どもたちは教室に入っておしゃべりが続く。見るに耐えられない状況になってきた。毎日のようにぐちゃぐちゃになる教室、先生がだれも来ない授業・・・。結局こうなることは誰しもがわかっていたことだよな・・・?

 授業担当の先生を雇ってもらうように、昨年の12月から言っているし、それが無理ならボランティアティーチャーを呼んでもらえるように言っているのだが、マネージャーの返事は「呼んでいるが、来ない」の一点張り。なんの解決策もない。せっかくJICAにまで頼んで、ゲタスル更生院に授業担当の先生を入れてもらうように頼んだのに、まったくの効果なし。そして、待っても来ない先生を待つよりは自分が授業をするべきだと思い始めました、英語と数学の授業。

「継続ある活動、ボランティアがいなくなっても現地の人で続けることができる活動、そんな活動がここゲタスル更生院でできるかあ!?」
「そこに授業をしたい子どもが待っているのに、他の先生が待てるか!?」
「わずか3か月間しかこのゲタスル更生院で生活しないのに、週に1回しかない授業を中途半端にできるか!?」

 って声をあげて言いたい。そんな思いが込み上げて来て、ついにこの日から授業スタート。英語と数学をしっかり子どもに教えました。

 ようやくスラムダンクの安西先生のいう『断固たる決意』というのができました。子どものこれからを言葉ばかりで何も考えてないマネージャーに何を言われても、これからは子どものために授業を続けていきます。それが私の断固たる決意。

 「あきらめたら、そこで試合終了だよ。」

 そんな安西先生の言葉を頭に入れて、最後まで自分のプレイをし続けます。

2009年10月27日火曜日

10月19日 ゴミは拾うもの

 「ごみ拾っていい?」

 この日、妻と一緒に運動場を歩いていて、ふと妻が言った言葉である。

 この瞬間はっとした。運動場に落ちているゴミの存在が自分の中で当たり前になっていた。日本ではゴミが落ちていたら拾うんだ。そんな当たり前の感覚がほとんどなくなっていたから、その言葉は俺にとって新鮮であり、すごく衝撃的だった。

 そして二人で両手いっぱいになるまでゴミを拾い、ゴミ捨て場に持って行った。ゴミがたくさんある環境で子どもたちが良くなることはねえわな・・・。改めて反省した出来事だった。その日から一人で黙々とゴミを拾うことを始めた。同僚や子どもたちに自分から言わず、その姿で何かを感じ取ってくれないかなあ。

“ Ken, hiyo ni Japanese Culture?” 「ケン、それは日本の文化かい?」

 と言って笑った同僚もいた。悔しさを通り越して、あきれてしまった。ゴミをどこでも捨てていい、なんて言うのはケニアの文化でもなんでもないと思う。ただケニア人がゴミや環境問題について興味・関心がなく、何気なくやっていることだ。率先垂範、自らがすすんでするようにしよう。 

 何気ない妻の言葉が、久し振りに日本人の感覚を思い出させてくれた。

2009年10月23日金曜日

10月15日 散歩

 最近、体育の授業で行っていることがある。ワタム・マリンディの旅行ですっかり丸くなってしまった私はウォーキングを兼ねて子どもたちとの散歩を計画した。普段のゲタスル更生院の敷地から一歩も出ることができない子どもたち。普段の子どもたちとの話の中で、「散歩がしたい」という声をよく聞いていた。そこで1時間ほど子どもたちと一緒に散歩をすることにした。散歩コースは我が任地Lower-Kabeteの教育施設見学コースだ。

 ゲタスル更生院 → カベテ更生院 → ナイロビ孤児院 → おやつ時間(バナナ) 
 → ナイロビリマンドホーム → ゲタスル更生院

 そして子どもたちは嬉しそうに散歩を始めた。はじめのカベテ更生院では「ケニアの桜」と呼ばれるジャカランタの木の下で記念撮影。そして牧場で牛を見学。久々の外の空気に何人かは興奮しっぱなし。そしてナイロビ孤児院を通り、小さなキオスクでバナナを買う。子どもたちは思わぬバナナのおやつに大喜びだ。そしてナイロビリマンドホームへと。

 途中、たくさんの地域の人たちに会うのだが、子どもたちは挨拶ができない。もともと、ストリートで育ってきたり、非行を重ねてきた少年がほとんどなだけに、挨拶はほとんどしない。そこで一人ひとりに伝えたことは挨拶の大切さだ。道行く人たちに気さくに挨拶をする。それがまたこの更生院の子どもたちの目標だ。

 “ ・・・Habari?” 「こんにちは」

 恥ずかしそうに、道行く人たちに挨拶をしていく。そんな恥ずかしさも大事な初めの一歩。地域の人たちが挨拶を返してくれるたびに子どもたちに笑顔も増える。子どもたちにはもっと周りの大人に慣れていってもらいたいと思う。将来的には周りの人と助け合える、そんな人になってもらいたい。かなり高い目標だが・・・。そしてこの日の散歩も終了。

 “ Mwalimu, asante.” 「先生、ありがとう」

 子どもたちのその言葉が、この日も心に心地よく響く。

2009年10月22日木曜日

10月14日 動き始めた新たな活動


 泣いても笑っても残り5か月。自分のできることを精一杯しないと悔いが残ると思う。そこで自分ができることを少しずつしようと、この日から新たに動き始めた。まず授業に関して言えば、算数でよく知られる計算カード作り。現在受け持っている授業が算数と体育だけなので、時間がある。その時間を使って少しでも子どもたちの学習の手助けとなるものを作ろうと考えた。足し算、引き算、掛け算、割り算の計4種類で手作り計算カードの数も15セットを超えた。(そのうちいくつかは妻に作ってもらったが)

 そして算数の時間のはじめにウォームアップとして、この計算カードを使って簡単な計算をさせる。この単純作業はケニアの子どももやる気を持って取り組むことができる。最近では計算が速くなった子もいて、次々に計算カードを制覇する子が増えてきた。このような小さな努力とがんばりをしっかりと見ていきたい。

 またもう一つ取り組んでいること、それは図書館委員の設置である。以前管理・運営していた図書館がここ最近ほとんど開かれていなかった。図書館を開けるように頼んでおいた同僚も週に1、2回しか開けてくれない。そこで子どもたちの自立も兼ねて、図書館委員を設置した。これには所属長(マネージャー)の強い反対もあったが、(子どもたちが図書館の本を盗んでしまうため)なんとか動き始めた。

 図書館カウンターに2人の子どもを置いて、本の整理整頓、そして借りていく子の名前や本の名前のチェックなどをさせるようにした。このことで図書館はほぼ毎日のように開くようになった。そしてまた子どもたちは毎日、自分で本を見て学習できるようになった。 これもゲタスルの子からすると、大きな進歩。そういう責任ある仕事をすることで、責任感や自立心を養っていきたい。

 このように自分が表に出ず、裏から支えることがこれからの課題。5か月後自分がいなくなったときに、授業(学習)セクションが混乱しないように、少しずつ基盤を作っていきたい。先生がいなくても、その日授業がなくても自己学習できる環境、それが今のゲタスル更生院に必要なことだと思う。

 まだまだ基盤づくりとしてやりたいことは山ほどある。が、一つひとつがきちんと形になるように、焦らず丁寧に基盤を作っていこう。

2009年10月20日火曜日

ワタム・マリンディ⑤ ラクダに乗った法師

 西遊記という話で出てくる有名なお坊さん、三蔵法師。中国からはるか西の天竺まで旅したといわれるこの人物は、日本人のほとんどがその名前を知っているだろう。

 そんな三蔵さまの気分を少し味わったこの日。頭はすっかり坊主の私は、白馬でなくやる気のない顔をしたラクダに乗ることにした。身長2メートル以上はあるのではないかと思うような大きなラクダ。頭の中にはすでに「ガンダーラ」のテーマソングが流れている。

 そしてまっ白い砂浜と青い海をラクダの背に乗っていざ出陣。乗り心地は正直言って悪い。三蔵さまもラクダでなく白馬にしたのは正解だ。これで中国から天竺まで行くことはできないわ。

 ワタム・マリンディ旅行の締めくくりとしてラクダに乗ったが、本当に三蔵さまはこんな気持ちだったのだろうかなあ。ラクダを引いてくれるお供は孫悟空でも猪八戒でも沙五浄でもなくケニア人のおっちゃんだけど、そのおっちゃんもお供でなく100シル(130円)をきっちりとる商売人だけど、それでも少し三蔵さまの気持ちを感じた気がするわ。 まあ今の俺は三蔵さまでなくて猪八戒だな・・・(泣)。

2009年10月19日月曜日

ワタム・マリンディ④ 小さな出会い

 人との出会いって本当に貴重ですよね。いろんな出会いがあります。いい出会いも悪い出会いも。その出会いによって一喜一憂するときがたくさんありますが、それでも人との出会いが大好きです。そんな素敵な出会い、この日もありました。

 ワタムという村にある、小さくきれいなビーチ、ワタムビーチ。そこで無邪気に遊んでた地元の少年たち。パンツ一丁で透き通る海を泳ぎまくっている少年。そういう光景を見ると声をかけずにはいられない私です。近寄っていき、笑顔で声をかける。

 “ Sasa, kijana? Hebu, kuja kunisalimia.” 「よう、少年。こっちに来てあいさつしてくれよ。」

 そう言うと、驚いた顔をして(東洋人がスワヒリ語を話しているから)近寄ってくる。その子たちの名前や学年、好きな遊びなど聞きながら世間話。自分もケニアの生徒の先生だということを伝えると信じられないような疑いの眼差しで見つめる。そんな反応もなんだか新鮮で楽しい。このような出会いがすごく好きだ。

 次にきれいな海を散歩していると、小さな女の子を二人乗せた帆船がやってきた。おじいちゃんの巧みな操縦で、私たちに近寄ってくる。

 “ Tunaenda huko. Unaenda?” 「私たちはそっちへいくけど、一緒に行くかい?」

 そういって誘ってくれる。だが誘ってくれるわりには、ちゃっかりお金をとられる。わずか200メートルほど離れている小さな島まで往復で300シル(420円)ほどだ。せっかくなので乗せてもらい、その島へ行くことにした。小さな女の子たちの隣に座り、会話をする。少し恥ずかしそうに、いろいろ話してくれる二人。

 島について一緒に探検。カニを見つけては一緒にはしゃいだり、カモメのような鳥を追いかけまわしたり。もうすっかり二人とも私に慣れたのか、手もつないで一緒に散策してました。

 “ Leo, tulikula samaki na shima.” 「今日は、魚とシマ(ウガリ)を食べたんだよ。」

 そう言って笑顔でその日食べた昼食などを教えてくれる。夜は豆の煮込みを食べるらしい。そんな何気ない会話がなんだか嬉しい。そしてあっという間の小さな出会いの時間は終わりました。「一期一会」って言う言葉があります、ここケニアでの出会いは本当に一生で一度の出会い。だからそんな出会いを大切にしていきたいと思います。よく忘れがちになったり、早く日本に帰りたいと思うほどケニア人のこと憎んだりもしますが、こんな出会いがあるからこそ、ここケニアにいてよかったと感じます。更生院の子どもたちとの出会いもそんな気持ちで迎えたいなあ。

2009年10月16日金曜日

ワタム・マリンディ③ シュノーケリング


 最近、横腹のほうに柔らかい浮き輪が出てきたケニャイチローです。そんな浮き輪で、今回挑戦したのはシュノーケリング。アウトドアな活動が大好きで体験的なものは必ずするので、このシュノーケリングははずせませんでした。

 マリンディ海洋国立公園に行き、ビーチボーイがアレンジするシュノーケリングツアーに申し込む。2人4000シル(5200円ほど)で公園入園料、ボート料、シュノーケル・海中メガネ代などが含まれている。そして沖のほうに出かけて行く。

 沖に来ると、そこはきれいなマリンブルーの海が広がっていて、無数のきれいな魚が歓迎してくれた。餌がもらえると思ったのだろうか、ボートのそばにたくさん集まってくる魚たち。ボートのキャプテンがパンを細かくちぎって海に投げると、それはすごい勢いで食べ始める。

 そして魚が集まってきたところでシュノーケリングの準備をして、入水。自分のお腹についた柔らかい浮き輪の出番だ。そして海で泳ぎ始める・・・が怖い!!波が高く、水も冷たい、海中メガネの中にもなぜか海水が入ってくる。そんなこんなで魚がきれいと思えず、怖さが一番に出てくる。いやあプールでは泳げるのに、なかなか海は怖いものです。

 その後自分の浮き輪でなく本物の浮き輪を借り、シュノーケルを始めました。いやあ浮き輪があるだけで安心感が一気に増すんです。それからは楽しく魚と一緒に泳いでいました。きれいな色の魚、途中出てきたハリセンボン。最高です、シュノーケリング。そしてその後、妻の船酔いのため早めに終わり帰ってきました。

 その他にもバスコダガマ・クロス(十字塔)に行ったり、ポルトガル教会跡に行ったり、きれいな砂浜を散歩したりととマリンディの町を満喫しました。普段見ているケニアの風景とは全くちがう風景で、見るものすべてが新鮮でした。こうやっていろんなケニアの町を見ることも大切だなあと改めて感じた一日だった。

2009年10月15日木曜日

ワタム・マリンディ② ゲディ遺跡


 旅行2日目。この日はワタムという村にある「ゲディ遺跡」という、17世紀に滅亡したアラブ・アフリカ風の都市の遺跡へ出かけた。大きなバオバブが生い茂っていて、大きな門の後を巨大な木が飲み込んでいる姿は圧巻である。

 そんな歴史を感じながら、一つひとつの遺跡に目を奪われた。何百年も前に建てられた建物、それをずっと見守っていた大きなバオバブ。なぜか不思議な感覚を感じながら、歩きまわった。

 そんな素敵な遺跡でもケニア人はお金儲けを考える。今回は入場料を払う受付で、その甘い誘いを受けた。

 “ Wewe ni kama mwenyeji. Ulipe bei ya citizen. Haralu, nichukue 200 na uchukue 100.”
「あなたは現地の人のようだね。現地価格を払ってくれ。そして私が200シル受け取って、あなたが100シル受け取れば。」


 私の正規の金額は400シル。それを現地人価格の100シルにするから、そのうち200シルを自分のポケットに入れて、残りの100シルを俺に返してくれるらしい。そんな悪魔のささやきだ・・・。

 もちろん私の答えは “Hapana!”「いいえ!」。何よりもケニア人が得をするのが嫌なので、完全否定。そして言ってやりました。

“ Unapenda Corruption? Acha michezo!” 「横領が好きなの?ふざけるなよ!」

 そして、また一つケニア人の嫌な部分が見えてがっかりでした。こんな観光地でも平気で、自分のお小遣い稼ぎをしているのが現状。早くこのようなことがなくならないかなあと思うばかり。それでも、法外な入場料を要求するんでなく、ちゃんと看板通りにお金を請求するのは評価できるかな・・・。

2009年10月14日水曜日

ケニャイチロー旅行記 ワタム・マリンディ①


 日本ではシルバーウィークという5連休があったようですが、私も遅くなりましたがシルバーウィークとなる5連休をとりました。そしてこの5連休を利用して行ってきましたケニアの海岸沿いの町、ワタムとマリンディ。ケニアの中のリゾート地で、日本でいうところの沖縄のようなところです。

 ナイロビから飛行機で約1時間、小さな空港から行った先はすごくステキなホテル、タートルベイ・ビーチ・クラブ。3食付きで、ジュースや生ビールが飲み放題。まさに楽園のようなところです。昼食(ピザとパスタ)をとり、もちろん昼から生ビール。ほろ酔いで、大きなプールに入りました。久々のプールで大はしゃぎしてしまいました。3時にはおやつとなる、マンダージ(揚げパン)とカステラを食べ、プールサイドでジュース。こんなことをしたことのない私と妻は田舎者丸出しで、そわそわしていました。

 私は倉敷市の児島、妻は高梁市の成羽、まあそれほど都会ではないところで生まれ育ってるので、こんなリゾートには慣れていません。タダでもらえるものはもらっておこうということで、太りやすい体のことを忘れて、飲んで食っての毎日をこの日から送ることになります。

 この日はホテルでのんびりして、夕食もリッチにフルコース。ナイロビでは食べることのできないイカ焼きを食べることができ、ビールもその分すすみました。体重のことは気にせず、食べるだけ食べてしまいました。

 夜は地元住民の歓迎の歌やダンスを見て、楽しくこの一日が過ぎました。この日が二人の体重増加物語の序章だということに気付かず。

2009年10月5日月曜日

9月30日 やっぱり子どもは肉が好き


 久しぶりに、うちの食事に肉が出た。昨年のクリスマス以来で約9か月ぶりの肉である。
もちろん、うちの更生院は3ヵ月しか滞在することができないので、子どもたちはうちに来て初めての肉を食べることになる。今まで毎日のようにトウモロコシと豆を煮たギゼリ、ウガリと豆といったようなものを食べていた。年頃の男の子はやっぱり肉が好きだけど、それを買う予算がまったくなかった。

 私も何度かミーティングで食事について意見を言ったことがある。子どもの何よりの楽しみである食事に肉を出してほしいと。しかしいつもマネージャーからはお金がないということで、それを見合わせていた。そしてこの日とうとう肉が出たのだ。

 この日の夕方、小さなトラックが肉のかたまりを持ってくる。カウンセリングを聞いていた子どもたちの集中は “MEAT”(肉)と書かれたトラックに注がれる。そしてカウンセリングの先生の話は、耳から耳へと流れ、頭の中は肉一色となる。それも仕方のないことだが。

 夕方のスポーツの時間も、夕食の時間が待ちきれないといった子どもたち。家でも肉を食べる機会なんて、あまりなかった子もいるだろう。家族でわずかな肉を分け合ってた子もいるだろう。そんな子どもたちの大好きな夕食時間がやってくる。

 食堂前に並ぶ子どもたちの表情は、はちきれんばかりの笑顔。悪ガキやボス猿のような子でさえ、笑顔になっている。そして肉が乗ったお皿をとっては嬉しそうに席に着く。

 “ Mwalimu, karibu!” 「先生、どうぞ!」

 そう言って、うれしそうにごはんを私にくれようとした子が何人もいた。そんな子どもたちの気持ちに一口だけ食べて、私も笑顔になる。大きな骨に少しだけ付いている肉を一生懸命にかじりついている子、飲み込むことをためらい何度も肉を噛んでいる子、それはそれは丁寧にきれいに肉を食べていく。そんな大事に肉を食べる様子がなんとも愛おしかった。

 次の日から子どもたちが待ちに待ってたトランスファー(他の更生院への移動)が始まる。

2009年10月4日日曜日

9月29日 子どもたちの性事情

 ブログの更新が滞っていますこの頃。妻のケニア訪問がはじまり、旦那との時間をさいてはニンテンドーDSのマリオカートにはまっている妻(29歳)です・・・。まったく、何しに来たんだ・・・!?

 さて、この日の午前中子どもたち一人ひとりと話をしていき、その子の背景などを知ろうとしたとき、ある子の話が大変興味深かった。それは地元にある怪しいお店の話。そのお店はポルノムービー、いわゆる日本でいうAV(アダルトビデオ)を上映するお店の話である。

 ここケニアではポルノムービーは禁止されている。販売行為はもちろん、鑑賞ももちろん法律上禁止のようである。しかし、どの町でも小さな小屋にテレビとビデオ(もしくはDVD)を置いて上映しているような場所がある。そこは子どもも大人も一緒にポルノムービーを見ることができる。値段は以下の通り。

 大人  2時間10シル(約15円)
 子ども 2時間 5シル(約8円)

 そこには男性だけでなく、女性はもちろん女の子まで入ることができて見ているということである。その話にかなり驚いたのだが、次の質問の答えにさらに驚いた。

 “ Nani amewahi kuangalia ile movie?” 「そんなビデオを見たことがある人?」
 “ Mimi!” 「おれ!」

 そう言ってほとんどの子が手を挙げる。10歳から17歳の子が在籍する更生学校で、ほとんどの子がポルノムービーを見たことがある。それもお金を払って、上映会のようなもので見る・・・、この結果に驚いた。

 性がここケニアではかなり近い存在であり、だれもがオープンに話をすることができる。しかし間違った性知識が子どもたちの中にはないだろうかと感じることがある。ここケニアでは性教育は本来だれが教えるものなんだろう?親?それとも学校の先生?はたまた性教育を中心として活動するNGO?

 いろんな疑問が頭の中にわいてくる中、性教育はこれから日本の教育でも大切になってくるのではないかと思っている。日本ではだれが性教育を教えるんだろう?保健体育の先生?そもそも保健と性教育って同じものなのだろうか?いや根本的にきちんと教えてるんだろうか?アフリカにいるからこそ気づいたことがある。私はまだまだ日本のことを知らないのでは・・・。半年後、教員として復帰する以上、もっと日本のことを知りたいと強く思う。