2008年6月28日土曜日

6月25日 ケニア到着☆

 いよいよ、この日が来た。待ちに待ったこの日が。出発の時である。

 昔からの夢だった青年海外協力隊。協力隊に参加しようと心に決めて、受験して約1年と少し。
ようやくこの日が来た。昨年5月に受験をして、8月に合格。新年明けて2月に結婚。そして4月からの福島県二本松市での国内訓練。この1年で本当にたくさんの人と出会い、大きな人生の変化となったのは間違いない。

 24日の夜、関西国際空港から飛び立った。妻や母親が見送ってくれる中、人目もはばからず、涙して荷物検査を過ぎた。もう戻れない、この2年間は。そういう強い気持ちを持って出発した。こういう別れは本当につらい。最後まで手をふり、温かく送ってくれた妻や母親の想いをしっかり受け止め、前へすすんだ。

 さて飛行機はドバイ経由で、一度ドバイで降り、そこからナイロビへ。次の日の15時(日本時間21時)に着いた。約1日かけての移動だった。飛行機を降り、税関を習ったばかりのスワヒリ語で通過し、そして換金、最後に荷物を受け取り、外へ出た。そこにはJICA調整員のかたがいて、一緒にJICAボランティア連絡所(通称ドミトリー)へ行った。ナイロビにあり、守衛さん(現地語でasukari)や電熱線がある建物へ。一度パラグアイでドミトリーを見てたから、驚かなかった。先輩隊員からアドバイスを受け、その後一緒に夕食へ出かけた。日本料理店だったが、おいしかった。

 ケニアに来た。実感はないが、いよいよ始まる、2年間。自分のすべてを出して、この2年活動していきたい。

2008年6月20日金曜日

表敬訪問②☆

 6月20日、今日は倉敷市の表敬訪問。
午前中は歯医者と勤務先の倉敷市立玉島北中学校へ行った。久し振りに受け持っていた生徒に会った。あまり変わってはなかったが、以前と変わらず元気で素直だった。たった少し会っただけだったが、元気をもらった。ただ多くの生徒に「先生、太ったなあ」と言われたのは、本当に悲しかった。
・・・プチメタボなのかな。運動しなきゃ。  と心で誓った。

 さてそのあとは、大好きなパスタ屋さんで、ランチのパスタとピザを食べた。(また太ったけど・・・)
まあいわゆる奥さんとの思い出のレストランであるが、そんことはどうでもいい。
 その後市役所へ。市役所は行き慣れているので、そんな緊張感はなかった。4階の倉敷市国際平和交流推進室へ行き、応接室で室長を待った。待っている時間、担当の方と談笑。温かい人柄で、すごく協力的な方だった。また以前お世話になった方にも偶然お会いでき、緊張感はほとんどなくなった。

 今回20年度1次隊で派遣される倉敷市の隊員はたった二人。私とパラオ派遣の女性の方である。若い女性であるが、自分の信念をしっかり持っていて、誰にでも笑顔で優しく接することの出来る隊員である。職種は小学校教諭で、ぴったりだなあと感じた。そして私。私の説明は次回にしておこう。
 という二人で表敬をした。交流推進室室長が来られて、倉敷市から派遣される隊員の意気込み、またそれぞれの自己紹介をした。そして記念品授与など。テレビカメラやカメラを持っている記者の方も来ており、すごく身の引き締まる想いだった。
 地方テレビ局の玉島ケーブルテレビ(TTC)も来ていた。地元のニュースを身近な目線で伝えている、地域密着型のテレビ局である。残念ながら、私の家からは見えないが・・・。

 そんなこんなで。表敬は無事終了。いよいよ準備をして、気持ちをケニアに向けて準備する時間である。多くの応援してくれる人がいる、支えてくれる人がいる。それを幸せに感じながら、自分らしく活動してこようと思った一日だった。

2008年6月17日火曜日

表敬訪問①☆

 地元岡山県倉敷市に帰ってきた。

 6月16日、この日は岡山県の表敬訪問のため、岡山県庁を訪れた。新しく、すごくきれいになった岡山駅を抜け、路面電車へ。県庁前で降り徒歩で向かっていると県庁玄関前に同じ隊員の「よしかず」さん(西粟倉村出身)を発見した。髭と笑顔が素敵なよき先輩である。そしておそるおそる玄関ロビーへ。
そこではほかの隊員さん、JICA岡山推進員の方、JICA中国の所長さんまでおられた。そして続々と隊員が来て、岡山県の隊員6名がそろった。

 その後担当の方が来て表敬の日程を説明してくれた。一人ひとりの自己紹介をはじめ、記念品授与まで多くのことがあった。

 さていよいよ表敬。岡山県知事との表敬である。テレビカメラやカメラを持った記者のかたもいて、少し緊張した。自分の任国ケニアのこと、自分の任地のこと、そして自分のことを話した。ほかの5名もさすが協力隊。いろいろな想いが、その自己紹介からわかり、参考になった。そして最後にみんなで記念撮影。この写真がまたホームページにのるんだろうなあと嬉しく思いながら、いただいたものを片付けていた。

 と、いきなり記者の方がインタビューに来た。「ええっ」と驚くものの、テレビに映るかも・・・と考え、がんばって質問に答えた。上手に言葉にできなかったが(初めての経験なので)、まあ良い経験となった。
ふう、と一息ついて、次にみんなで昼食へ。
 この日の昼食は中華料理のフルコースランチ。岡山県OV会の方が招待してくれた。いろいろな話を聞くうちに大事なことを言われた。

 「楽しみなさいよ、2年間は短いんだから」

 ・・・。忘れてたことだった。自分が楽しむこと。力が少し抜けた。
まずは楽しもう。その瞬間を楽しもう。 そう思えた。 さてもうすぐ出発。力を抜いて行ってくる。
 

感動、修了式☆

 6月12日、いよいよこの日が来た。待ちに待った日であるが、もっとも来てほしくなかった日。いろいろな想いが交錯する中でこの日を迎えた。

 この日は朝4時半に目が覚める。荷物の片づけをして、服を整理して。そして班の人に手紙を書いて。あっという間に時間は過ぎ7時前になる。そしていつもの朝の集い。そこでまた感動することがあった。いつもの朝の集いでは、それぞれの任国の簡単なあいさつを紹介するが、その日はちがった。「今日の国のあいさつは日本です。日本では旅立ちの日に『また会いましょう』といいます」
 これには、かなり熱くなった。この日が旅立ち。161人のそれぞれの出発の日であるが、すごくステキな朝の集いになった。

 さてそれから荷物を整理し、みんなが修了式会場の講堂へ。リハーサルの後いよいよ本番である。卒業式のような雰囲気があり、この年齢でまたこのような体験が出来ることがうれしかった。開式宣言、国歌斉唱、式辞や祝辞、修了証授与・記念品授与また協力隊歌斉唱やシブヤンの代表謝辞など。
一つひとつが短く感じた。みんなで歌った協力隊歌も、みんなの気持ちを代弁してくれたシブヤンにも、本当に感動した。温かかった。何人もが涙した。

 そして壮行会。語学の先生との別れ、スタッフとの別れ、そして仲間との別れ。いろいろなものを考えてまた泣いた。最後に歌った「旅立ちの日に」。本当にその瞬間、感激でいっぱいだった。
 時間も残りわずかとなった。みんなとの別れを惜しみながら、バスに乗った。この65日間がまるで幻だったかのように思えた、短く中身の濃い、そんな65日だった。うれしさも悲しさもあった。笑った日も泣いた日もあった。けどこの65日間があったからこそ、これからの任国での活動に自信がもてるのであろう。この思い出を胸に、10日後、任国へ行く。仲間のみんな、本当にありがとう。

2008年6月11日水曜日

訓練最後の夜☆



  今日の昼休みは、修了前日ということで、記念植樹をした。(写真右) 手作りで作った看板「修了記念 さくらんぼ 平成20年度1次隊 平成20年4月9日~6月12日」と書いたものも用意した。多くの仲間に囲まれ、無事植樹もされ、大きな拍手が沸き起こった。さくらんぼの木の用意をしてくれたマサオ、看板を作ってくれたサヤカ、そして携わってくれた多くの仲間に感謝したい。

 さて最後の夜、班のみんなでスタッフの穴田さんの家に行った。岳温泉街に唯一あるコンビニ「ファミリーマート」でお酒やおかしを買い、向かった。穴田さんの家はステキな一軒家で、すごくきれいでおしゃれだった。そこでみんなで楽しく飲んだ。2ヶ月間の思い出やたくさんの想いなどを話し合った。そして最後にアルバム委員が作ったDVDを見た。あまりの感動の映像に何人かが涙した。はじめに涙したのは大卒コンビ、カナエとマサトだ。すごくかわいらしい妹と弟のようだった。号泣であった。そして私やサヤカも涙した。2ヶ月間過ごしているので、そこにいる班のメンバーはみんな家族である。この班の一員で入れたこと、本当にうれしかった。2ヶ月間ともに生活した仲間たちとの別れ、本当につらくなった。 ありがとう、班のみんな。その時間が今まで以上に大切に思えた。
 
 

2008年6月10日火曜日

荷物整理・・・

 今日はずっと荷物整理・・・。そんなにたくさんの荷物があるわけではないが、やっぱり片づけは面倒くさい。これを思うと本当に妻には頭が上がらない。
 本日の午前中は語学の授業、午後からいろいろなオリエンテーションと袋いっぱいの薬をもらった。本当に任国ケニアに行くんだという気持ちが出てきて身の引き締まる思いだった。また同じケニア隊で野菜隊員の「ゆう」「しまかな」が任国が変わるかもしれないと言われていたが、本日ケニア行きが決まりました。すごくうれしいです。結果12人の隊員がこのたびケニアに行くことになります。
 さて明日は語学発表会。今までの2か月の努力を見せるときです。スワヒリ語上手に言えるかなあ・・・。まあなんとかなるでしょう、初まれば終わるし。あと2日。もう終わりが見えてきた。

同じ5班の仲間☆



 同じ班の仲間は12人は本当にお世話になった。楽しく笑いあったり、一緒に散歩したり、病気の時声をかけてもらったり。そんな仲間ともあとほんの少ししかいれない。2か月間ずっと一緒だったから、家族のような存在の仲間との別れ。
 お兄さん的存在の「まさき兄」は、いつもみんなのことを考え、声をかけてくれた。
 誰に対してもやさしい「こまちゃん」は、いつも明るく一緒にいた親友だった。
 寝坊が多い「こんちゃん」は、いつもみんなからかわいがられる弟だった。
 カンフー大好き「まっち」は、いつもおもしろくて、みんなの笑いを引き出していた。
 ジャージが似合う「なっちゃん」は、会うと話しかけてくれ、温かい雰囲気を持っていた。
 みんなより早く寝る「さやか」は、散歩大好きで、笑顔がステキだった。
 お姉ちゃん的存在の「まゆ姉」は、ドジなところがあるけど、優しさと温かさにあふれていた。
 元気な「なおみ」は、おしゃれで周りのみんなを元気にしていた。
 新卒の「かなえ」は、みんなの妹で、いつもみんなから可愛がられていた。
 フランス語が似合う「ゆりこ」は、みんなに笑顔をふりまいていた。
 アラビア語の「ヨッシー」は、よく仲間のことを考えてくれ、話しかけてくれた。
 優しく接してくれたケニア派遣の「まっきー」、安心感がたくさんあった。
 班担当の「穴田さん」。どんなときも、そっと班の様子を温かく見てくれた。
 そしてもう一人の班担当「岡田さん」、抜群のスタイルとおもしろさをもっていた。
そんなこんなで、あと少し。あと3日で、それぞれの道を行くことになる。修了式まで残りわずかとなってきた。
 
 

2008年6月9日月曜日

6月9日 忘れられない日☆★

 今日は忘れられない日となった。いつも笑顔で話しかけてきてくれた、素朴で温かな仲間の突然の発表。「ぼくはみんなと一緒に修了することはできません。」  あまりにも突然だったので、よくわからなかった。NTCに入ってきたとき、私の後ろにいて、話しかけると笑顔で応えてくれた。いまだまだ実感がない、本当にもうこのNTCにいないのか。まっすぐで、笑顔がステキで、人を引きつける力がすごくあった人。いまだよくわからなくて、コメントができないし、言葉にできない。
 もう一つ、うれしいこともあった。それはアルバムの完成。このNTCにいる候補生全員のこの2か月の姿を多くの候補生と一緒に講堂で見た。今日は各生活班のそれぞれの50枚の写真と1分間の動画、どれもその班の雰囲気がわかるステキなものだった。この20年度1次隊にいれる自分がすごくうれしいと感じた。アルバム委員の人たちは長い時間、自分の勉強時間をつぶして、みんなのために一生懸命にがんばってくれた。本当にありがとう。泣いても笑っても、あと3日。今この瞬間を幸せに感じながら、残りの時間を過ごそうと思う。

2008年6月8日日曜日

訓練生活 最後の日曜日☆

 訓練生活最後の日曜日。この日はずっとNTC(二本松訓練所)でのんびりしていた。今までの疲れを少しでも癒そうと、めったにない朝寝坊からはじまり、タタミの談話室でぼけーっとしていた。班や仲間のみんなが買ってくれたパンやおにぎり、ヤクルトや栄養ドリンクを飲み体力回復につとめた。大好きな新聞を見に厚生棟に行き、男子バレー全日本代表がオリンピック決定したことにうれしくなり、また楽天が勝ったことにうれしくなりと、何気ないことがうれしかった。
 ただ同じ班のコマちゃんも体調を崩した。この20年度1次隊のためにステッカーやアルバムなどを作ってくれた仲間想いのコマちゃん。そんな彼も昨日からダウンしていた。二人でやっぱり健康って大事だねって言いながら、のんびり時間を過ごした。
 さて私は夕方からスワヒリ語クラスのメンバーで岳温泉にある「空の庭」というレストランで夕食を食べた。エスタ先生やアントニー先生も来てくれた。片言のスワヒリ語でたくさんの話をした。女性陣はワインをエレガントに飲み、私はそば焼酎お湯わり、そしてアントニー先生はオレンジジュースを飲んだ。エスタ先生クラスのメンバー、ノリコ・サヤカ・チエコ(チエコは電車を乗り間違えて、少し遅れたが・・・)とも初めて懇親して楽しかった。こんな時間も残りあとわずかだと思うとすごくさみしい。さあ、明日から気持ちを入れなおしてマイペースでがんばろう。

訓練生活最低の日★

 心も体もつらい一日だった。言葉にできないほどの悲しさがあった一日だった。
 この日は朝からおかしかった。いや、前日の夜からといっても過言ではない。今までの疲れがテストが終わった直後から一気に体に襲ってきた。咳はとまらず、歩いたらめまいがする、そんな状況だった。朝ごはんを食べたら元気が出るだろうと思って、無理をして食べたが体調は良くならない。さらに頭が痛くなる。そこで思い切って病院に行こうと思った。同じ生活班5班のまさき兄、まゆ姉に声をかけてもらい、病院へ。岳温泉にある病院へ行き診察してもらった。普段の疲れが出ての風邪という診断だった。ただ安静にするように言われ、課業を休んだ。課業を休むということは、その日にある他の活動も全て出れないということ。
 毎回の練習をがんばったゴスペル発表、講座委員で何時間も話し合い作り上げたボランティアスピリット意見交換会、夜の生活班での打ち上げ。すべて欠席した。やるせない気持ちでいっぱいになり、どうしようもなかった。自分の体のことを考えず、活動してきた報いだった。「健康」、言うのは簡単だがこれを維持するのにはすごく難しいんだなあと感じた一日でもあった。みんなに申し訳ないことをした。
 Polepole.(ゆっくりゆっくり) ケニアで、また日本に帰ってきてからも気をつけたい。ごめん。

いいんだよ、無理しなくて。

 6月6日(金)、この日最終言語テストがあった。私はスワヒリ語を勉強しているが、それまでほとんどと言っていいほど勉強ができずにいた。何かと多忙で、勉強に手が回らない時間が多かった。すごくイライラしてストレスもたまっていた。テストって、本当に大変だなあと改めて思った。そんな焦っていた自分を落ち着かせてくれてたのは妻の一言だった。
「いいんだよ、無理しなくて。日ごろがんばってるんだから。」その言葉で肩の力が抜けたような気がした。いつもの自分らしくいこうと思えた。家族の大切さを改めて感じた瞬間だった。テストはまあまあの出来。まあ楽しくできたのではないかと思う。しかし、困難は少しずつケニャイチローの体に近付いていた。

2008年6月7日土曜日

6月4日 大感動、皇太子様とのご接見☆

 今日は朝から緊張していた。なんと皇太子さまとのご接見があるからだ。早朝6時30分にバスに乗り込み、総勢161名で皇太子さまの待つ東京の東宮御所に向かった。バスの中ではリラックスしていたが、近づくにつれてどんどん緊張が増していった。昼前、東宮御所近くの青年会館に到着し昼ごはんを食べ、はやる気持ちを落ち着かせていた。13時過ぎ、いよいよ東宮御所へ出発。まだこのときはみんな笑顔だった。どんな人なのか、話ができるだろうか、さまざまな思いが交錯する中、バスはいよいよ東宮御所の敷地内へ。みんなの会話が少しずつ減っていき、緊張感が漂ってきた。14時前バスを降り、東宮御所の中へ。柔らかい肌色の絨毯を過ぎると、そこには大きな広間「月日の間」が待っていた。14時、ついにこのときが来た。もの静けさだけが残るその空間に皇太子様がやってきた。思った以上に、かたい雰囲気はなくやわらかくお話しになられた。皇太子さまから直々にいただくお言葉に本当に感動した。さてそのあとは各派遣国ごとのお話。われらケニア隊は総勢13名の隊員である。皇太子さまを囲み、お話を聞いた。柔らかく温かい話し方で驚いた。ケニア隊何人かが質問に答えたと思ったら、「どちらに行かれるんですか。」と私に質問された。動揺したが、「ナイロビに行きます。」と頭が真っ白になりながらも答えた。それから「どのような活動をするんですか。」「今のケニアは大変なんですね。」と多くの話をしてくれた。本当に大感激だった。それから30分くらい興奮で汗が止まらなかった。帰りのバスの中でも、気持は晴れやかで、うれしい気持ちでいっぱいだった。少しずつ、ケニアに行って精一杯活動しようという気持ちになってきた。

5月31日 語学発表会大活躍☆




 この日は語学発表会。ケニア派遣でスワヒリ語習っているのは、たった二人。マコト(写真一番右)と私だ。この二人のために、ケニヤの方が来た。現在筑波で勉強中のMr.Kubokである。この交流会のためにたくさんの準備をした私とマコトは、ドキドキしながら待っていた。片言のスワヒリ語で、一生懸命に会話していた。マコトは自己紹介のほかに野球の紹介や相撲の紹介、また手作りのトントン相撲でKubokを喜ばせた。私は自己紹介のほか、妻や倉敷の紹介、またレクリエーションで盛り上げた。Kubokは大変喜んでくれた。この日、二人は早くケニアに行きたいと思った。その後の全体の交流会では、私は大勢いの人の前で「島唄」と「ふるさと」を歌った。多くの語学交流の人たちだけでなく、友人も大変喜んでくれた、最高の一日だった。

5月28日 アウトドアレッスン☆


 今日は語学のアウトドアレッスン。スワヒリ語は習っている私は同じクラスのマコト・ヒロコ・チサトと私たちの自慢の先生アントニーと一緒に三春ハーブガーデンと郡山科学館に行ってきた。三春では、素敵な花や木々に囲まれて多くの単語や会話を練習した。花はスワヒリ語で "maua"(マウア)というが、そのゆっくりとした時間は、授業である時間も忘れて、ただただその景色を楽しんでいた。そのあと、近くのバイキングレストランへ。久しぶりのリッチな昼食の後は科学館へ。プラネタリウムを楽しみにしていた5人だったが、いつのまにか5人全員が寝てしまって、夢の空へと飛び立っていた。というわけで、一日のんびりな時間だった。   ・・・訓練も残り2週間。みんなとの別れが近付いていた・・・。

5月25日 大学の同期まさひろ・あい



 この日大学の同期のマサヒロ・アイと一緒にドライブをした。郡山の饅頭屋で手作り饅頭を作り、そのあと大好きなラーメンを食べに行って。久しぶりの大学時代の友人との時間はあっという間に流れた。時間を快く作ってくれた二人には大変感謝してる。マサヒロは新潟の十日町の中学校で英語の教師をしている。アイは仙台で公務員。そんな二人がわざわざそれぞれの場所から、福島県二本松まで来てくれた。友達って本当に大事なんだなあ。そのあと猪苗代湖まで行き、野口英世記念館へ行き。あなたは今いる友人を大切にしてますか。日本をもう少しで去る私にとって、かけがえのない存在なのが家族と友人である。私の周りにはたくさんの友人がいて、それぞれが輝いていて。最高の友人が多い。中学時代、高校時代、大学時代、就職してから、そして協力隊の友人。こんなにたくさんの友人に出会えただけでも財産である。そう思うこのごろだった。