2009年7月31日金曜日

7月27日 お客さんの前では叱るな

 「お客さんの前では叱るな」

 この日、ゲタスル更生院には日本からのお客さんが来た。ちょうどそのとき、子どもたちが木に登ってアボガドをとっていた。大事な食料となるアボガドを一生懸命木の上から落とす子どもと拾って袋に入れる子の一方で、ばれないようにアボガドをポケットに入れようとした子がいた。

 いつもならアボガドを子どもたちにとらせるときは、職員が一人その様子を見ているものだが、この日は誰一人として職員はおらず、木の下は無法地帯となっていた。アボガドを盗もうとする子、落ちてるそばからアボガドを食べている子。そこで私の雷が落ちる。

 “ Unafanya aje? Kwa nini wako wengi sana?”
「何しとんじゃ?なんでこんなに人がたくさんおるんな?」


 そう言って大きな声で叱る。その時、日本からのお客さんとケニア人が来た。私はいつもと変わらず叱り続ける。正直、そのときはお客さんとのあいさつよりも子どもへの指導が大事だと思ったからだ。そして副マネージャーのオフィスに呼ばれる。

 「ケン、お客さんの前で叱らないようにしてね。」
 「なんでですか。子どもはアボガドを盗んでたんですよ。」
 「気持ちはわかるけど、お客さんは慣れてないし、びっくりするから」
 「・・・」

 何よりも表向きを大切にするケニア人。この日も朝からいつものスケジュールを変更して、大掃除。そのため授業が1時間も遅れて、子どもたちの学習に支障をきたす。子どもたちよりも何よりも、お客さんを大切にして表向きばかりを良いように見せようとする。いつもの更生院の姿でなく、この日だけ特別な姿を見せる。こういうことに正直腹が立つ。いつもならみんな叱ることなのに、お客さんの前だから叱らない。喧嘩があっても、盗みがあっても見て見ぬふりをする。子どもの指導は、そのときが大事なのに・・・。

 このようなことが時々ある。世間体を気にするのは日本でも少なからずあるだろうが、ケニアでは度を超えている。この日も体の中の腹立たしさをおさえながら、いつものように子どもと接した。

2009年7月30日木曜日

7月26日 地元でお金を落とす

 お金はケニアで落とす。むしろお金は地元で落とす。といっても、本当に「落とす」わけでない。「使う」という意味だ。同じお土産を買うなら、インド人の経営のお店で買うより地元の小さなお店で買いたい。同じ野菜や果物を買うなら、外資系のスーパーマーケットで買うより地元のマダムが働いているキオスクで買いたい。1年間たって、その気持ちがかなり強くなってきた。

 この日もお昼ごはんを食べに地元のバーに初めて行く。コカコーラとニャマチョマ(ケニア風焼き肉)を頼み、肉の塊が焼けるまでコーラを飲みながら待つ。ニャマチョマが出来上がる約1時間の間、何人もの酔っぱらいたちにからまれイライラがつのる。酔っぱらいたちのいうセリフは皆同じ。

「○○をおごってくれ」「○○を買ってくれ」

 はじめは笑顔で流すが、あまりしつこいようなら厳しい言葉をぶちかます。スワヒリ語で相手が話す間もなく次から次へと言うので、相手は逃げていく。最近身につけた技術だ。そしてニャマチョマが出来上がる。出来たての肉をほおばり、コーラを飲む。最高の贅沢だ。そして出来たてのふわふわウガリもこれまたウマい。これで250シル(約400円)。少し高いが、地元でお金を落とす目的なので気にならない。 こうやって地元での買い物や食事が多くなるたび友達が増えてくる。失礼なやつもいるが、あいさつをしてくれたり、「ケン」と呼んでくれたりと嬉しくなることが多い。残りの8か月は主に地元の任地カベテで買い物をしていこうと思う。

 そう言えば最近は地元で「チャイニーズ」、「ジャッキーチェン」、「ジェットリー」って言われなくなったな。今度旅行者が来たら、地元のカベテを旅行計画に入れようかな。何もないけど、その素朴な雰囲気を味わってもらいたいな。あとはお金を落としてもらいたいな・・・。

2009年7月29日水曜日

7月25日 ハリー・ポッター 謎のプチメタボ

 俺って途上国にいるんだよな・・・と思いながらマタツ(乗合バス)で20分のデパートに行く。今回の目的は「ハリー・ポッター」。そう、あの最新作をここケニアで見ることができるんです。それも任地からたった20分移動するだけで。アフリカの中でも大きいといわれるナイロビの町。もちろん映画館はたくさんあります。知っているだけでも7か所の映画館があります。それもその7か所とも、複数のスクリーンを持っており、多いところで6つのスクリーンがあり、それぞれちがう映画をしているんです。

 恐るべしナイロビ・・・。ほんとナイロビに住んでいるだけだったら、何でもできます。映画にボーリング、カラオケまで。あとは治安さえ良ければ最高なんだけどな。(ちなみにアフリカの中でも治安の悪い町として有名です)

 今回はその中で一番大きいと言われている「Nakumat Westgate」の映画館に行ってきました。入場料は550シル(約800円)。ケニアからするとかなり高いです。また入ってくるお客さんはほとんどWazungu(白人)で、ケニア人は数えるほどしかいません。もちろん一人で行ってきました。この点を間違えると、うちの家族が修羅場となります。もう一度言いますが、一人で行きました。

 最近太ってきてるので、定番のポップコーンとコカコーラを我慢し、ガムを噛みながら映画館へ。日本の映画館とまったく変わらない雰囲気で、久し振りの映画館に緊張してしまった。待つこと5分、席も少しずつ埋まってきて、スクリーンに画像が出る。

 ケニアの国旗の画像と、国歌の音楽。ぼけーっと見ていたのだが、周りの雰囲気がおかしい。・・・みんな起立している!!???な、なんで!?座っているのは俺だけ。白人たちもみんな立っている。ここケニアでは国旗掲揚のときは必ず起立して立ち止まる。それを映画館でするのか・・・と疑いながらも、恥ずかしさで汗をかき始める。そんなの知らないぞ。こんな経験初めてだ。

 そして「ハリー・ポッター」が始まる。大きくなったハリーやロン、ハーマイオニーにびっくりした。それ以上に、あまりに英語が聞き取れていない自分にびっくりした。もちろん日本語字幕はあるわけがない。どんなに目を凝らして見ても、字幕は出てこない。己の英語力で映画を見るが、わかったのは全体の1割ぐらいじゃなかったかな。せっかく見に行ったのに細かい内容は全く理解できず。トホホ。それでもたくさんの経験ができたことはよかったのかな。

 本当に帰ってから英語教師として復帰できるんだろうか。復帰したとしてアフリカンイングリッシュを教える教師って重宝されますか。そんな淡い期待を持ちながら、明日から英語勉強します。

2009年7月28日火曜日

7月24日 姿勢矯正マシーン

 授業でいつも子どもたちに伝えることがある。それは以下の4点。

① Be quiet. (静かにするように)
② Look at the teacher. (先生を見るように)
③ Sit down well. (きちんと座るように)
④ Do your best. (一生懸命がんばるように)

 これらは授業を始めた1年前からずっと言い続けてきた言葉だ。このケニアの子たち、特に授業をまともに受けたことのない更生院の子どもたちだ。これから他の更生院へ行くための習慣づけのためにも大事なことではないかと考えている。

 今回は③を徹底するために考えたこと。それが姿勢矯正マシーンである。といっても単にベルを頭の上に乗せるだけあるが、効果は抜群。姿勢の悪い子どもにベルを乗せた瞬間、姿勢よく勉強を始める。やはり根性だけはある。私の挑戦に負けてなるものか・・・と言わんばかりに真剣に挑戦を受ける。これで生徒がベルを落としたり、ベルに触れたりすると負け、そんな雰囲気になる。俺がベルをとるまでの我慢比べ。そしてこの日も一人たちとも私の挑戦に臆することなく、見事良い姿勢を保ち続け勝利をおさめる。

 そんな私も負けながら、子どもの姿勢が良くなっていることに勝利感を味わう。まさに勝負に負けて、内容で勝ったようなものだ。そんな勝負をこれからも続けていきたい。負けず嫌いな俺も、この勝負には笑顔で負けている。

2009年7月27日月曜日

7月22日 中間報告会

 たった一人の中間報告会。ケニア事務所所長室で、所長や次長、ボランティア調整員に囲まれて中間報告をした。この1年間で活動してきたこと、これからの課題や問題点など自分のこれまでを振り返りながら話をした。

 その中で最も強調した点は、ゲタスル更生院の教員不足と後任希望だった。うちの更生院で授業を教えている教員はたった2人。私と大学入学前の学生ボランティア(カフラ)だ。このカフラも7月いっぱいでボランティアを終える。8月からまた一人で授業を教えることになる。国の施設である更生院で授業を教えるのがJOCV(JICAボランティア)だけなんて。異常な状況が続く。

 もう一つは後任希望。私は後任希望を出した。マンパワーとして、特に授業を教える教員が一人もいないからだ。授業は英語や数学でなくても、体育やレクリエーションでいい。とりあえず、授業を楽しみにしている子どもたちが必要としているのは教員。そう思って後任希望を出した。本音をいうと、職種は「青少年活動」でなく「小学校教諭」のほうが理想的なのだが、ぜいたくは言ってられない。

 ボランティアはその名の通り自発的に活動するものだと考えている。更生院のニーズに沿って、その必要性に応じて活動していくものだと考えている。だからマンパワーでもいいって思っている。俺がこの国のために何かを残すなんて大きいことは考えないようにしている。それより目の前にいる子どもたちに本気で接するほうが大事だと思うからだ。

 さてこの日の夜は、所長や調整員、JICA職員の方と一緒に所長お気に入りの中華料理屋「北京飯店」へ。ボランティアは私一人とあって、職員や調整員がたくさん料理を注文する。この日食べたものは以下の通り。

 ・Taskar ビール
 ・ホット・サワースープ
 ・餃子
 ・春巻き
 ・野菜炒め2皿
 ・麻婆豆腐
 ・えびの炒め物
 ・チャーハン
 ・焼きそば
 ・魚の丸ごと甘酢かけ
 ・豚肉と長ネギ炒め

 とまあ、この量をたった5人で食べた。残ったものは容器につめてもらい、次の日の私の朝ごはんになった。朝から中華もかなりつらいが・・・。ということで長い一日が終了。たまにはこんなごちそうもいいな。てかほんとに痩せない。現在72キロ・・・。

2009年7月26日日曜日

7月21日 N.I.E. (Newspaper in Education)

N.I.E.(Newspaper in Education) 「教育に新聞を」

 これは、ケニアに来る前に所属していた倉敷市立玉島北中学校で行っていた(行っている?)教育活動の一環。新聞を読ませることで、活字に慣れさせると同時に、最近の情勢はもちろん「ちまた」などから他の人の文章を読む機会が増えるというものである。さまざまな効果があり、この新聞学習を取り入れる学校も少なくない。

 先週ふと、そのN.I.E.のことを思い出した。ここゲタスル更生院でも大量の新聞紙がある。毎日のように先生が買ってきて新聞を読む。ケニア人は本当に新聞を読むのが大好きだ。それもその新聞はすべて英語で書かれている。もちろんスワヒリ語で書かれている新聞も売っているが、ほとんどが英語で書かれた新聞。それを熱心に読む。

 その余った新聞を図書館に置かしてほしいと会議で言ったのが事のはじまり。何の反対もなく、あっさりその意見が通る。そして先週から段ボールいっぱいに入った新聞紙を図書館の一角に置いた。そうすると、英語の得意な子から、アルファベットを書けない子まで新聞をとり読み始めた。

 予想以上の効果だ。とくに英語が得意じゃない子も読み始めたことは大きな進歩だ。写真からどのようなことが書いているのか想像しながら読んでいく。わからないところがあったら、私に質問したり辞書を借りて、なんとか理解しようとする。その姿がたくましい。

 新聞が好きな子は、ほぼ毎日新聞を読んでいる。ここゲタスル更生院の3か月間ずっと新聞を読むだけで、大きな力になると思う。 新聞を読むことが習慣になったら、新聞を読むことで一つでも多くの英単語を覚えてくれたら、なんて考えただけでも楽しくなる。毎日ずっと一緒に生活しているから、子どもの目に見える成長があるのは嬉しい。ここケニアでN.I.E.をしてるところはほとんどないんだろうなあって、少し鼻が高くなるこの頃です。

2009年7月25日土曜日

一年を振り返って

 あっというまにここケニアに来て1年がたってしまった。過ぎてみれば早いものだけど、早く日本に帰りたいと思ったことも正直ある。そんなケニアが今では大好きで、自分の任地がまるで故郷のように思えてきた。2週間に1回の土日の休み、最近はどこにもいかない。任地の豚肉料理屋さんでランチを食べ、近くの喫茶店でマンダージを片手にチャイを飲みながら、地元の人と話をする。スワヒリ語もだいぶ分かり始めた。 そんな土日を送るようになった。

 さて活動はというと、順調なのかそうでないのか、よくわからないのが本音である。ここまでの自分の活動を振りかえってみる。

☆日々の活動
 ・毎日の英語と数学の授業
 ・図書館の運営と管理
  →半年間の貸し出し数が約500冊だったのに対し、ここまで3ヵ月で約2000冊
 ・コンピュータの指導
 ・一緒にサッカーやバレーボール
 ・土日の週末勤務(子どもと戯れる)
 ・日本の学校や団体との交流

★反省すべき点
 ・よく叱る・・・いや怒るようになった。(・・・体罰が自然に出るようになった)
 ・子どもに優しく促すのでなく、怒ることで子どもに押さえつけるようになった。
 ・昼のカウンセリングの時間、家に帰ることが多くなった。
 ・授業の教材研究をしないようになった

☆★これから心掛けること
 ・毎日の子どもとの生活を大切にし、叱る方法でなく声をかけて促す方法をしていく。
 ・授業の教材研究と準備
 ・イベントを取り入れて、子どもの心に残る思い出を作る。
 ・イライラしない

 こうやって書くと、この1年で成長したのでなく、どんどん悪い方向に行っているような感じをうける。特に、体罰・怒って押さえつけるという行為は許されない行為である。最近は無理して笑うことも多くなってきた。それでも今の自分をしっかり受け止め、少しずつ自分の答えを見つけ出したい。それが残り8か月の目標。あせらず、ゆっくり歩んでいきたい。

2009年7月22日水曜日

7月18日 高橋選手を通じて来た靴たち


 裸足で生活する子どもたち。運動場で遊んだり、スポーツをしたりするといつも小さな生傷をつけて帰ってくる。もう慣れっこだが、サンダルや靴をはいてない子も多く、裸足で更生院に来て生活をする。砂利道を歩くときも、雨の日も、トイレに行くときも。衛生状態も悪く、足の傷口が化膿する子も少なくない。

 そんなうちの更生院にマラソンの高橋尚子選手を通じて、日本から多くの靴が送られてきた。今回は35足ほど届いて、それをこの日何もはいていない子どもたちに配ることができた。それぞれの靴に黒のマジックで書いたサイズと何足かの靴には以前使っていた日本の子どもたちの名前が書いてあった。中古品といっても、ここケニアからしたら新品同様のきれいな靴たち。更生院の子どもたちからいったら、宝物だ。

 一人ひとりに靴をはかせてサイズを見る。そして自分のサイズのものが見つかると、大事そうに抱えて靴を持っていく。モノの支援はあまり好きではないのだけれど、こういう姿をみるとモノの大切さもわかる。

 そしてこの日の夕方からのスポーツの時間では、くつをはいて全力疾走する子どもたちの姿があった。無邪気にうれしそうにボールを追いかける。こうやって日本の皆さんから送られてきたものをケニアの子どもたちに渡せるという橋渡しの役目をしていることを、ものすごく誇りに感じる。と同時にこの子たちの笑顔も日本の皆さんに知ってもらいたいなあと思う。

 次の日、靴をもらったある一人の生徒がポケットから大事そうにビーズの指輪を取り出した。

“ Mwalimu, hii ni zawadi yako. Asante.” 「先生、これをあなたに。ありがとう。」

 そう言って、私にその大事な指輪をくれた。それだけ、子どもの心を豊かにしてくれた靴たちに感謝している。この指輪は俺がもらったのだけど、この「ありがとう」の気持ちが日本に届きますように。

2009年7月13日月曜日

7月8日 サヨナラバス

 2ヵ月に1回ある、子どもたちとの別れ。何度も言うが、私の配属するゲタスル更生院は、子どもたちが更生院の生活に慣れるためと次の更生院への分類をするための更生院。そのため、子どもたちは最長3ヵ月しかこの更生院にいない。そのため短い期間でどんどん子どもが入れ替わる。せっかく仲良くなれたときに別れがくる。正直、毎回さびしさがある。

 別れの日は、3か月間勉強をがんばったご褒美として、一人ひとりに授業で使ったノートを1冊プレゼントする。これからも勉強頑張るようにと一人ずつ声をかけ、握手をしたり抱きしめたりして、別れを惜しむ。次の更生院は最長3年間、長い更生院生活が始まる。送りだすたびにいつも、3年間辛抱して更生院でがんばれるようにと一途に願う。

 “Mwalimu, sitakusahau.” 「先生、おれ先生のこと忘れないよ。」

 そう言って笑顔でゲタスル更生院をあとにする子どもたち。
 サヨナラバスよ、どうか来ないでくれないか・・・。
 この子どもたちが再び非行や犯罪に手を染め、帰ってこないように。地元に戻って、家族の温かさにふれ、自分の大切にして・・・、そしていつの日か立派な大人として生きていってほしい。いろいろな想いが混じりながら、この日もサヨナラバスを見送った。

2009年7月11日土曜日

7月7日 短冊に願いを込めて

 妻からのメールではっとする。今日は七夕だ。最近は曜日の感覚だけでなく、日にちの感覚まで麻痺している。といってもここケニアでは関係ないと思いながら、ある企画が頭に出てくる。

 「そうだ、短冊を書いて木に飾ろう」

 そうとっさにひらめいて、短冊の用意をする。たまたま買ってあった色画用紙を短冊の大きさに切って、子どもたちを教室に押しこめる。そしてボールペンや色マジックを渡して、それぞれの希望や願いを書かせる。何がなんだかわかっていない子どもたちはとりあえず、言われたように自分たちの希望や願いを書く。

 “ Nataka kuwa pilot.” 「飛行機のパイロットになりたい。」
 “ I want to go to school.” 「学校に行きたい。」
 “ Nataka kurudi nyumbani na nikasoma.” 「家に帰って、勉強したい。」


 その一つひとつ考えさせられる希望や願いだった。日本の子どもたちに同じように短冊書かせたなら、「学校に行きたい」や「勉強したい」って書くだろうか・・・。それを見ながら、またこの更生院の子どもたちの真っすぐな思いを感じた。

 一つひとつの短冊に穴をあけ、草を紐(ひも)代わりにして、子どもたちがよく集まる大きな木につける。つけられていく短冊を見ながら、一人でも多くの子どもたちの願いや希望が叶いますようにと願った。今まで苦労してきた子どもたちだから、これからは良いことがありますように。ちなみに俺と妻の共通の願いも叶いますように。

2009年7月10日金曜日

7月6日 岡山市立清輝小学校からの贈り物


 大きな荷物を持って出勤してきた俺に興味津津の様子を隠せないゲタスルの子どもたち。そして昼過ぎにのんびり休憩している子どもたちにその荷物の中身を見せる。荷物の中身はたくさんの版画絵と折り紙また習字など。岡山市立清輝小学校の子どもたちの作品だ。今回は手紙交流でなく、絵や文化交流としてたくさんの絵や折り紙を受け取った。

 初めて見る版画絵や折り紙に子どもたちは大感動。一つひとつを手にとって、真剣な眼差しで覗き込む子どもたち。同じ年代の子どもたちが作った温かな贈り物に、話す言葉も忘れてただただ眺めていた。中には、「ケニアのみなさんへ」という題で簡単な手紙を書いてくれたり、折り紙で上手に動物を作ってくれサファリパークのような作品を作ってくれている子もいた。
 
 “ Hii ni nini?” 「これは何?」

 そう言って、俺の前にはいつものように列ができる。日本からの贈り物の一つひとつを大事そうに見つめている子どもたちの目は、ほんまに更生院の子どもだろうかっていうぐらいきれいな目をしてる。これをみんなで教室の壁に貼っていった。次はこっちの番だな。そう思って、子どもたちにどんな絵を描かせて、どんなものを作らせようか、今から胸がわくわくしてくる。ということで清輝小学校のみなさん、少し待っていてくださいね。こちらからもたくさんの思いがこもったプレゼントを送りますね。