夕方、毎日の日課である子どもたちとサッカー。ちょっと疲れて横で休んでいたら、何人かの子どもたちが寄ってきた。そして、夕ごはん前でおなかがすいたなあと言いあった。
そのときある生徒が言った。
“ Chakula cha Getathuru ni tamu, lakini kadogo.”
「ゲタスルのごはんはおいしいけど、量が少ないよ。」
確かに10歳から18歳までの男の子である。食べざかりの彼らに十分な量のごはんが与えられてるかというとそうでもない。120センチほどの体の小さい子も、180センチを超える体の大きい子も、同じお皿に同じ量だけ盛り付けてある。そりゃ、不満も出てくる。
また、うちの更生院では2日に一回がギゼリ(昼、夜)、そしてもう一日がウガリとマハラグエ(豆)と玉ねぎ(昼、夜)である。一日の摂取食品目はだいたい4~5品目だろう。栄養バランスだって、考えてない。食べることって、人間の楽しみだもんね。
にんじんだって、じゃがいもだって、この更生院では出ない。予算の関係上しょうがないことなのだが・・・。
その後、ある質問を子どもたちにしてみた。
“ Unataka kula chakula gani?” 「どんな食べ物が食べたい?」
するとほとんどの子どもが同じ答えを言った。
“ Kanyonga!!” 「パン!」
子どもたちが食べたい物、あこがれている食べ物、それはパン。けど、なんでパンが食べたいって思うんだろう・・・。そんなに高価なものでもないのに・・・。
って考えると、あることに気がついた。この更生院では、たまに家族が子どもたちに面会に来る。そしてその子どもに、すべての親がパンを渡す。子どもに何か食べさせてやりたい、けど高価なのは買えない、その親の気持ちが一つのパンになって表れる。パンといっても、ここでパンといったら食パンのこと。そしてその子どもは、他の生徒が食べることのできないパンを食べるのだ。
きっとパンって、ただ食べたいだけでなく、家族の愛がそこにあるからなんじゃないかな。そんな子どもたちの家族への想いを感じ取れた出来事だった。
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