2008年7月22日火曜日

7月17日 任地訪問3日目☆

 この日は朝早く7:00にタクシーに乗り、マタツステージでカベテ行きのマタツに乗り、8:15分に更生院に到着。そのときには子どもたちはもう掃除を終え、寮の前に並んでいた。そこで、一人ひとりにあいさつをして握手をしていった。これは先輩隊員の根本さんが毎日していることで、毎朝子どもたちに会ったら握手をしているということを聞いていたので、自分も実践してみた。根本さんは本当に子どもたちのそばにいつもいて、常に温かく明るく接している先輩である。その接し方は非常に参考になる。私もしっかり実践していこうと心に決めた。まずはあいさつと握手。2年間通じて、していきたい。

 次に朝食のujiを飲んで、パレード。その後各クラスごとに授業に行った。私はスワヒリ語のクラスを見学に行った。日常的なスワヒリ語を子どもたちは学習していた。私にとってもわかりやすい内容で、普段スワヒリ語を使っている子どもたちはまったく問題ないだろうと思った。しかし次の瞬間、すごく驚いた。先生の質問に生徒が反応しなかったのだ。

 「じゃあ今練習したこの会話を読んでみて。」
 「・・・」

 クラスの半分近くが読めなかった。日常的に使われる言語・スワヒリ語が読めないのである。これが識字教育というものなんであろう。スワヒリ語を話すことはできるが、読むことができない。識字教育の大切さを改めて感じた。

 次に根本さんの体育の授業を見学した。流暢なスワヒリ語で、子どもたちに説明する。子どもたちの集中が途切れると、

 “Niseme? Nisiseme?” 「言おうかな、言わないかな?」
 “Sema!” 「言って!」

 と言い、子どもたちの興味を引いていた。また言葉だけでなく体全体で、ジェスチャーや動きでわかりやすく説明していた。本日の体育は、昔小さい時にした、いわゆる「泥棒と警察」である。それを体育風にアレンジして行っていた。

 そして負けず嫌いの子どもたちと一緒にバレーボールをして、そして昼食。本日はウガリとスクマウィキを食べた。子どもにはnanasi(パイナップル)があり、本当においしそうに食べていた。その後大きな木の下でラウンドに集まり、話し合いが始まった。本日は何かの問題について議論していた。(スワヒリ語が速くてわからなかった) そしてその後運動場に行き、テニスボールで何人かとキャッチボールをした。非常にうれしそうだった。

 そういえば俺も小さい時、親父に時間が空いたら、キャッチボールをしていたなあ。すごく貧乏な時で、ボールといえば新聞を丸めてセロテープでつなげた「新聞ボール」だったなあ。けど文句ひとつ言わず、ただその時間がうれしかった。今の俺の原点だ。その一日10分~15分ぐらいの親父とのキャッチボールがあったから、今の俺がいると思う。そんな大人でいよう。忙しくても、そっと笑ってキャッチボールができるような大人でいよう。いつかこの子どもたちが大人になったとき、思い出して温かい気持ちになってくれたら、どんなにうれしいだろう。そんな素朴なことを継続していきたい。

 キャッチボールの後、疲れた私は地面に座りボーっとしていた。そうすると何人も子どもたちが来て、近くに座ってきた。たくさんのことを話した。日本はどれくらい遠いか、どれくらいの値段がするのか、中国映画は日本でもしているのか、今度私がいつ来るのか、などなど多くを話した。そのとき、小さい子どもたちが話したスワヒリ語に私がわからない顔をすると、大きい子どもがゆっくり易しいスワヒリ語で直してくれた。すごく温かかった。そんな何気ない優しさがうれしかった。

 その後ごはんを食べ、子どもたちは寮へ。私たち先生何人かは近くの売店に行って、買い物をした。そして先生たちがごはんを食べ。そんなこんなで今日も一日が終了。はあ、今日も疲れた一日でした。

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