テスト・・・。スワヒリ語筆記テストの日・・・。はあ、朝から力が抜ける。何歳になってもテストって嫌なんだよな。おっと、こんな弱音を生徒の前ではくと大変だな。
さて午前中筆記テストが2時間あった。決して難しくはないが、時間のかかる問題ばかりで本当に大変だった。まるまる2時間もかかってしまった。終わった後は疲れがどっと出た。いつものことだ。明日はコミュニケーションテスト。明後日はスピーチ。のんびりする時間なんてないようだ。体だけは壊さないようにしないと。
さて午後からはアウトドアレッスン。住宅街の中にある本屋で値段や本の種類を聞いたり、Toshiba(東芝)の事務所でパソコンが壊れたという設定で話をしたり、銀行の支店にいってアカウントの開設方法を聞いたり。まあぼちぼちそういったスワヒリ語もわかってきたので、少しずつ進歩してるのかな。
そして授業が終わると友達とタウンに行った。まずは両替。ドルをシリングに替え、次の場所へ。次に向かったのは携帯電話の最大手Safaricom。そこでインターネットができる(エッジカード/モデム)を10000シル(17000円程度)で買い、インターネットを使うためのプリペイドカード1000シル分も買った。ケニアに来て一番高い買い物だ。そしてもう一つ嬉しいニュースがあった。なんと昨日削りすぎて、番号が見えなくなったあのカードを交換してくれた。1000シル損しなくて済んだ。
帰って早速インターネットをしてみると、なんとSkypeができた。奥さんと20分程度話ができた。それも画像も見えて。いやあ、インターネットって本当にすごいね。今日ほどインターネットのすごさを感じたことはないね。そんなこんなで今日も終了。さて勉強しようかな。
2008年7月31日木曜日
2008年7月30日水曜日
7月28日 大失敗★
いよいよ今週でスワヒリ語の授業も終わり。ほんっっっと、スワヒリ語学習のモチベーションを上げるのが大変だった。思えば約3か月間ずっとスワヒリ語だったもんな。そりゃ正直あきる。俺だって普通の人間だからね。一日同じ教科を5時間以上勉強して、それを3ヵ月。よくがんばったよ、ほんっと。自分で自分をほめたいと思います。
特に何もなかった一日だったが、夜とんでもない事件が起きた。なんと携帯電話のプリペイドカード1000シル分買ってスクラッチをけずったら、けずるのが強すぎて中に書いてあるプリペイド番号までけずってしまった・・・(―_-;) ここケニアでは携帯電話の料金は後払いでなく、前もってその使える分だけのチャージをカードで買うんだよね。そしてそのプリペイド番号を携帯に入れることで携帯電話にチャージがたまるんだよね。はあ、へこむ。日記のネタのために1000シルは高すぎる。奥さんにまた怒られるな・・・。
お金は大事に使って、また何ごとにも焦らず取り組もうと思うケニャイチローであった。
特に何もなかった一日だったが、夜とんでもない事件が起きた。なんと携帯電話のプリペイドカード1000シル分買ってスクラッチをけずったら、けずるのが強すぎて中に書いてあるプリペイド番号までけずってしまった・・・(―_-;) ここケニアでは携帯電話の料金は後払いでなく、前もってその使える分だけのチャージをカードで買うんだよね。そしてそのプリペイド番号を携帯に入れることで携帯電話にチャージがたまるんだよね。はあ、へこむ。日記のネタのために1000シルは高すぎる。奥さんにまた怒られるな・・・。
お金は大事に使って、また何ごとにも焦らず取り組もうと思うケニャイチローであった。
7月27日 ナイロビ国立博物館☆
今回の休みは、ナイロビ国立博物館へ行ってきました。先輩隊員のK澤さん(博物館で活動中)に案内してもらって。きれいな門を抜けると、博物館ぽいオブジェが並んでいて観光気分になった。巨大な恐竜の像もあり興奮した。
入口で入場料を払ったが、ボランティアIDカードがあるため普段の半額の400シル。得した気分で見てまわった。ケニアならでわの動物のはく製展示コーナー。巨大なキリンや像のはく製もあり迫力抜群だった。次に文化コーナー。ケニア特産のサイザルバッグ、ビーズ製品、そして民族楽器。国旗の真ん中にあるマサイ族の盾と槍に似たものもあり、大興奮だった。遠足にきた小学生のように、はじめて見る物に興味津津だった。
さて次にケニア現代アート展もしていたので、そこものぞいた。アフリカ人らしく独創的な作品が多く、見ていて楽しかった。画家である父にも見せたかったなあ。次にロックアートといって岩に書いてある絵を見た。なんともいえないおもしろさがあった。
入口で入場料を払ったが、ボランティアIDカードがあるため普段の半額の400シル。得した気分で見てまわった。ケニアならでわの動物のはく製展示コーナー。巨大なキリンや像のはく製もあり迫力抜群だった。次に文化コーナー。ケニア特産のサイザルバッグ、ビーズ製品、そして民族楽器。国旗の真ん中にあるマサイ族の盾と槍に似たものもあり、大興奮だった。遠足にきた小学生のように、はじめて見る物に興味津津だった。
さて次にケニア現代アート展もしていたので、そこものぞいた。アフリカ人らしく独創的な作品が多く、見ていて楽しかった。画家である父にも見せたかったなあ。次にロックアートといって岩に書いてある絵を見た。なんともいえないおもしろさがあった。
見学が終わると、みんなでダウンタウンに行って昼食を食べた。レストランでスワヒリ語を使うと、店員さんが驚いてすごく喜んでくれた。やっぱ現地語っていいなあ。というわけで無事博物館見学終了。少しずつ慣れてきたかな。来週はナイロビ国立公園に行きたいなあ。
2008年7月28日月曜日
7月26日 キベラサッカースクール☆
今日は大使館主催のキベラ地区サッカースクールがあった。これはケニアキベラ地区に残る選挙後の暴動の傷跡を少しでもなんとかできないかということで日本大使館が開催したものである。サッカーだけでなく、日本文化の紹介、日本映画の視聴など盛りだくさんの内容である。朝8時半ごろにJACIIを出て、ライラキベラスクールに行った。そこにはもうたくさんの子どもたちがいて、映画用の巨大テント2張、受付テント1張、そして大きな運動場があった。
まずはオープニングセレモニー。多くの来賓などが来ていて、けっこう盛大に行われた。それにしてもケニア人はしゃべりたがり屋が多い。スピーチだけで何分使ったか。ケニア日本大使館大使のスピーチもあり、この大使館主催の行事はかなり大きいものなんだなあと改めて思った。ダンスや歌もあり、楽しく見ることもできた。
さていよいよサッカースクールである。自己紹介からはじまり鬼ごっこ、ウォームアップそしてパス練習など、子どもたちと一緒にした。すごく小さい子も入っていて、見ていてほのぼのとした気持ちになった。(生意気なガキもいたが・・・) そしてグループを作っての円内ボールキープ。日ごろそんなことをしていないのか、子どもたちは必死に円の中でボールを追いかけていた。そんなこんなでサッカースクール午前の部が終了。そして午後も同じようにサッカースクールがありました。子どもと接せることは楽しいが、最近体力の限界を感じてるのか、昼休みともなればしっかり休むようにしている。つくづく歳をとったなあと思うこの頃。はあ。まあ、polepoleがんばります。
楽しくできたサッカースクールであるが、やっぱりケニア人の子どもを教えることは難しい。何より我慢が出来ない。他の友達がサッカーを楽しくしていると、それが気になり、自分たちの活動に集中できない。また待つのが苦手である。自分たちが待って、他の人がしているのを見ることに非常にくやしいのであろう。日本の子どもは本当に我慢強いなあと感じる。さて、このよう我慢できない子どもたちをどう指導するか、この2年間の課題かな・・・。まあ、それができれば日本でもきっと役に立つであろう。 さて帰って、JACII近くのソウルガーデンに懇親会に行った。久々の焼き肉で興奮した。また大使館のおごりということで、またおいしく感じた。そんなこんなで本当に長かった一日であったが、充実した一日だった。
まずはオープニングセレモニー。多くの来賓などが来ていて、けっこう盛大に行われた。それにしてもケニア人はしゃべりたがり屋が多い。スピーチだけで何分使ったか。ケニア日本大使館大使のスピーチもあり、この大使館主催の行事はかなり大きいものなんだなあと改めて思った。ダンスや歌もあり、楽しく見ることもできた。
さていよいよサッカースクールである。自己紹介からはじまり鬼ごっこ、ウォームアップそしてパス練習など、子どもたちと一緒にした。すごく小さい子も入っていて、見ていてほのぼのとした気持ちになった。(生意気なガキもいたが・・・) そしてグループを作っての円内ボールキープ。日ごろそんなことをしていないのか、子どもたちは必死に円の中でボールを追いかけていた。そんなこんなでサッカースクール午前の部が終了。そして午後も同じようにサッカースクールがありました。子どもと接せることは楽しいが、最近体力の限界を感じてるのか、昼休みともなればしっかり休むようにしている。つくづく歳をとったなあと思うこの頃。はあ。まあ、polepoleがんばります。
楽しくできたサッカースクールであるが、やっぱりケニア人の子どもを教えることは難しい。何より我慢が出来ない。他の友達がサッカーを楽しくしていると、それが気になり、自分たちの活動に集中できない。また待つのが苦手である。自分たちが待って、他の人がしているのを見ることに非常にくやしいのであろう。日本の子どもは本当に我慢強いなあと感じる。さて、このよう我慢できない子どもたちをどう指導するか、この2年間の課題かな・・・。まあ、それができれば日本でもきっと役に立つであろう。 さて帰って、JACII近くのソウルガーデンに懇親会に行った。久々の焼き肉で興奮した。また大使館のおごりということで、またおいしく感じた。そんなこんなで本当に長かった一日であったが、充実した一日だった。
7月25日 キベラツアー Vol.3
さて、キベラツアー最終章。午後からマゴソスクールの先生たちとのディスカッションをした。大きく分けて3つのことに関して話をした。まずこの学校にはいろいろな子が来ている。200人以上いて200通りの生き方がある。その中で今問題なのは、体罰の問題であるということだった。ある先生は体罰をすることで親が不平をいうことが問題であるということだった。そうすることで教師への敬意がなくなり、教員はやる気をなくすということを言っていた。
次に他の先生が、政府がもっと国の教育に協力してほしいということだった。この国では教員の立場は低い。手当もほとんどなく、学校には就職できないボランティアティーチャーがたくさんいるということであった。現在大学の教育学部で教職コースは人気がなく、政府に問題があるということであった。
その給料の安さのため、先生は公立学校の教員としてだけではなく、副業もしているということである。そのため教えることのエネルギーがなくなり、生徒にも影響を与えているという。そしてそんな教師の姿を見る子どもたちは教師になりたいという気持ちを減らしていく。悪循環である。
ケニアでは現在、中学生たち(とくに男子)のおかしな行動が目立っている。自分たちの学校、寮に火をつける生徒がいる。ストライキを起こす者もいる。家庭が問題かもしれないが、それでもこの国の教育体制を立て直さすことが大事であるなあと思う。
次に話したのはジェンダー格差のことである。昔は女性に対してケニアは規制が多かった。また女性の居場所は台所というように、ごはんをはじめ家事を全部して男は休んでいるというのが当たり前だった。しかし現在それを解消しようとする活動が多くなってきた。都市をはじめ、少しずつ平等の権利になりつつある。
ところが部族にもよるが、生まれてくる子は男子のほうが重宝される。女の子はお嫁に行き、部族やコミュニティ(住む場所)が変わる。男の子はずっと同じ部族・コミュニティで生きていく。つまり家族を守ることができる存在なのだ。というわけでやはりまだ男の子のほうに価値があるという現実もある。これもジェンダー格差であろう。
最後に話したのはエイズ問題である。ここキベラ地区ではAIDSは目の前にある。たくさんの人がエイズで亡くなる。一説ではキベラ地区では約20%以上の人がAIDSであるといわれている。といってもエイズの知識がないわけではない。おそらく日本人より知っているだろう。しかし意識が低く、その予防実践をしていないのが現状である。ここキベラ地区には十分なお金、十分な食料、そして十分な医療はなく、何もできない。エイズ感染者に薬を無料で与えるNGOもあるが、薬を飲まない人もいたり、食事がとれず薬だけで悪影響の人もいる。そんな現状なのである。
女性は生きていくためには男性のもとへと行く。たとえその男性がAIDS感染者だとわかっていても、自分の生活のため性交渉をもつ。男性にしろ、女性にしろAIDSに感染していても関係を持つのである。その結果、エイズ感染が増える。そして大人が死んで孤児が増える。まさに悪循環なのである。
ここキベラ地区はケニアの本質や問題をまっすぐに表している場所である。アフリカ最大のスラムであり、現在100万人以上が住んでいるといわれている。多くの現実を知り、このケニアの負の部分が詰まっている場所なんだなあという感想を持った。
しかしその一方でマゴススクールの子どもたちのように、これからの未来を担っていく子どもたちの輝いている姿も見ることができた。そんな素晴らしい部分もたくさん見えた。あの子たちの笑顔を絶やさないために。これからの大人たちの努力が必要である。
私も微力ではあるが、そんなケニアの子どもたちのために精いっぱいのことをしていきたい。このキベラツアーは、そんなケニアの姿を知ると同時に、自分の活動の想いを再認識できる活動でもあった。これからの20ヶ月間しっかりがんばっていきたい。
さてもう少し続きがあるので、それはこの日曜日に書くことにしよう。
次に他の先生が、政府がもっと国の教育に協力してほしいということだった。この国では教員の立場は低い。手当もほとんどなく、学校には就職できないボランティアティーチャーがたくさんいるということであった。現在大学の教育学部で教職コースは人気がなく、政府に問題があるということであった。
その給料の安さのため、先生は公立学校の教員としてだけではなく、副業もしているということである。そのため教えることのエネルギーがなくなり、生徒にも影響を与えているという。そしてそんな教師の姿を見る子どもたちは教師になりたいという気持ちを減らしていく。悪循環である。
ケニアでは現在、中学生たち(とくに男子)のおかしな行動が目立っている。自分たちの学校、寮に火をつける生徒がいる。ストライキを起こす者もいる。家庭が問題かもしれないが、それでもこの国の教育体制を立て直さすことが大事であるなあと思う。
次に話したのはジェンダー格差のことである。昔は女性に対してケニアは規制が多かった。また女性の居場所は台所というように、ごはんをはじめ家事を全部して男は休んでいるというのが当たり前だった。しかし現在それを解消しようとする活動が多くなってきた。都市をはじめ、少しずつ平等の権利になりつつある。
ところが部族にもよるが、生まれてくる子は男子のほうが重宝される。女の子はお嫁に行き、部族やコミュニティ(住む場所)が変わる。男の子はずっと同じ部族・コミュニティで生きていく。つまり家族を守ることができる存在なのだ。というわけでやはりまだ男の子のほうに価値があるという現実もある。これもジェンダー格差であろう。
女性校長先生であるリリアンもそれに関して意見を述べた。まだまだジェンダー格差はあるという。仕事・売春・暴力、犠牲になるのはいつも女性であるということ。またエイズの犠牲も女の子が多いということをリリアンは力強い口調で教えてくれた。
最後に話したのはエイズ問題である。ここキベラ地区ではAIDSは目の前にある。たくさんの人がエイズで亡くなる。一説ではキベラ地区では約20%以上の人がAIDSであるといわれている。といってもエイズの知識がないわけではない。おそらく日本人より知っているだろう。しかし意識が低く、その予防実践をしていないのが現状である。ここキベラ地区には十分なお金、十分な食料、そして十分な医療はなく、何もできない。エイズ感染者に薬を無料で与えるNGOもあるが、薬を飲まない人もいたり、食事がとれず薬だけで悪影響の人もいる。そんな現状なのである。
女性は生きていくためには男性のもとへと行く。たとえその男性がAIDS感染者だとわかっていても、自分の生活のため性交渉をもつ。男性にしろ、女性にしろAIDSに感染していても関係を持つのである。その結果、エイズ感染が増える。そして大人が死んで孤児が増える。まさに悪循環なのである。
ここキベラ地区はケニアの本質や問題をまっすぐに表している場所である。アフリカ最大のスラムであり、現在100万人以上が住んでいるといわれている。多くの現実を知り、このケニアの負の部分が詰まっている場所なんだなあという感想を持った。
しかしその一方でマゴススクールの子どもたちのように、これからの未来を担っていく子どもたちの輝いている姿も見ることができた。そんな素晴らしい部分もたくさん見えた。あの子たちの笑顔を絶やさないために。これからの大人たちの努力が必要である。
私も微力ではあるが、そんなケニアの子どもたちのために精いっぱいのことをしていきたい。このキベラツアーは、そんなケニアの姿を知ると同時に、自分の活動の想いを再認識できる活動でもあった。これからの20ヶ月間しっかりがんばっていきたい。
さてもう少し続きがあるので、それはこの日曜日に書くことにしよう。
2008年7月26日土曜日
7月24日 キベラツアー Vol.2
今日も前日に行った、キベラツアーについて話す。一行はいよいよ今回のメインの場所、マゴソスクール(マゴソ幼稚園・小学校)に行った。キベラ地区の中にどんどん入っていき、細く雨で地面が泥状になった路地裏を抜けると、そこに学校があった。2階建ての校舎と向かいにある1階建ての校舎、電気がないので暗いままの教室。約5この小さな教室に200人以上の子どもたちが通ってくる。
さてまず訪れたのは、幼稚園児が通う教室。小さな教室に50ほどの園児が教室を埋めつくしていた。先生は2人。しかしその教室は勉強できるという熱気でいっぱいだった。私たちが教室に入ると、園児たちは習ったばかりの英語のアルファベットと数字を発表してくれた。大きな声で楽しそうに発表する子どもたちの姿に、心の底からうれしくなった。
次に訪れたのは小学校4年生のクラス。そこで開いていたのは、英語の教科書だった。暗い教室だったが、それでも学校に来れる幸せを感じているのだろう。すごく素直で真剣なまなざしを感じた。その奥にあるのが、8年生(日本でいう中学2年生)のクラス。8年生のクラスは中学校に行くためのテストがあるので、それの準備テストとなるプレテストを受けていた。まあ、いわゆる日本でいう高校受験のための実力テストみたいなものだ。ここケニアでも自分の将来のため、必死にがんばるケニアの子どもたちの姿があった。
その後、その学校の副業となる服飾関係の仕事場(校舎2階)を見学した。そこでは、学校の制服を作っているのはもちろん、なんと依頼された服を作って副業としていた。またたくさんの種類のボタンを置いていて、そのボタン売りも副業としていた。ただ仕事をしてお金を稼ぐのでなく、そのお金が学校運営につながっているということが、働いている人たちの誇りにもなるそうだ。制服は300シルするのだが、スラム地区ということで親がいるところは半額の150シル、そして親のいない子に関しては無料で渡すらしい。
その部屋を出ると、下には全校生徒がぎゅうぎゅうに並んでいた。そして私たちが来ると、そこで歓迎会がはじまった。まず全校生徒による合唱があった。園児も小学生も本当に大きな声で楽しそうに歌っていた。こちらがうれしくて自然と笑顔がこぼれてくるようなそんな歌声だった。次に大人の歌グループ5人での発表。はじめはスワヒリ語の曲、そして2番目がルオ語の曲を歌ってくれた。女性のきれいで透き通るような声と男性の低く、そっと包み込むような声が非常に心地よく、すごく感動した。そして次に小学校高学年による歌と踊りの発表があった。民族衣装を着た子たちは自信を持って、自分たちの歌を歌っていた。日本の子どもたちにも聞かせてやりたいなあ。盛りだくさんの内容で、本当に充実した時間だった。
次に私たちの発表である。私たちは「大きな栗の木の下で」の日本語とスワヒリ語バージョンを歌った。もちろん振り付けつきで。
“Tupo chini ya mti mkubwa. Wewe na Mimi. Tucheza Pamoja.
Tupo chini ya mti mkubwa.”
一緒に振付をしてくれる子どももたくさんいて、すごくうれしかった。もう少し時間があったら、上手にできたなあと思うが十分満足だった。
その後私たちは昼食を食べた。たくさんの種類のおかずが長机に置かれてバイキング形式のごはんだった。サマキ(魚)ニャマ(肉)ミボガ(野菜)など合計で10種類ほどのおかずがあった。主食もワリ(ごはん)チャパティ、そしてウガリなどごちそうだった。おそらくキベラの人たちはこんなごちそうをなかなか食べられないんだろうと思った。お客さんが来ると、そうやってもてなすケニアの文化がここキベラ地区でもあるんだなあと感心した。
その後私たちは昼休みになった。子どもたちは待ちに待った給食の時間である。日本でも同じであるが、給食時間はみんなすごく楽しみである。今日の給食はギゼリ(豆とトウモロコシの煮たもの)である。最近は、食料の価格高騰でなかなかお米が買えないらしい。限られた予算で運営していくこの学校では、食料の価格高騰は大変大きな問題である。しかしその中でも月曜日から土曜日までの給食200人分以上を用意している。頭が下がる。それでもおいしそうにギゼリを食べる子どもの姿を見ると本当に幸せな気持ちになってくる。そして昼休みが終わり、午後の活動・先生方とのディスカッションの用意が始まった。このディスカッションについては、また明日話すことにしよう。
さてまず訪れたのは、幼稚園児が通う教室。小さな教室に50ほどの園児が教室を埋めつくしていた。先生は2人。しかしその教室は勉強できるという熱気でいっぱいだった。私たちが教室に入ると、園児たちは習ったばかりの英語のアルファベットと数字を発表してくれた。大きな声で楽しそうに発表する子どもたちの姿に、心の底からうれしくなった。
次に訪れたのは小学校4年生のクラス。そこで開いていたのは、英語の教科書だった。暗い教室だったが、それでも学校に来れる幸せを感じているのだろう。すごく素直で真剣なまなざしを感じた。その奥にあるのが、8年生(日本でいう中学2年生)のクラス。8年生のクラスは中学校に行くためのテストがあるので、それの準備テストとなるプレテストを受けていた。まあ、いわゆる日本でいう高校受験のための実力テストみたいなものだ。ここケニアでも自分の将来のため、必死にがんばるケニアの子どもたちの姿があった。
その後、その学校の副業となる服飾関係の仕事場(校舎2階)を見学した。そこでは、学校の制服を作っているのはもちろん、なんと依頼された服を作って副業としていた。またたくさんの種類のボタンを置いていて、そのボタン売りも副業としていた。ただ仕事をしてお金を稼ぐのでなく、そのお金が学校運営につながっているということが、働いている人たちの誇りにもなるそうだ。制服は300シルするのだが、スラム地区ということで親がいるところは半額の150シル、そして親のいない子に関しては無料で渡すらしい。
その部屋を出ると、下には全校生徒がぎゅうぎゅうに並んでいた。そして私たちが来ると、そこで歓迎会がはじまった。まず全校生徒による合唱があった。園児も小学生も本当に大きな声で楽しそうに歌っていた。こちらがうれしくて自然と笑顔がこぼれてくるようなそんな歌声だった。次に大人の歌グループ5人での発表。はじめはスワヒリ語の曲、そして2番目がルオ語の曲を歌ってくれた。女性のきれいで透き通るような声と男性の低く、そっと包み込むような声が非常に心地よく、すごく感動した。そして次に小学校高学年による歌と踊りの発表があった。民族衣装を着た子たちは自信を持って、自分たちの歌を歌っていた。日本の子どもたちにも聞かせてやりたいなあ。盛りだくさんの内容で、本当に充実した時間だった。
次に私たちの発表である。私たちは「大きな栗の木の下で」の日本語とスワヒリ語バージョンを歌った。もちろん振り付けつきで。
“Tupo chini ya mti mkubwa. Wewe na Mimi. Tucheza Pamoja.
Tupo chini ya mti mkubwa.”
一緒に振付をしてくれる子どももたくさんいて、すごくうれしかった。もう少し時間があったら、上手にできたなあと思うが十分満足だった。
その後私たちは昼食を食べた。たくさんの種類のおかずが長机に置かれてバイキング形式のごはんだった。サマキ(魚)ニャマ(肉)ミボガ(野菜)など合計で10種類ほどのおかずがあった。主食もワリ(ごはん)チャパティ、そしてウガリなどごちそうだった。おそらくキベラの人たちはこんなごちそうをなかなか食べられないんだろうと思った。お客さんが来ると、そうやってもてなすケニアの文化がここキベラ地区でもあるんだなあと感心した。
その後私たちは昼休みになった。子どもたちは待ちに待った給食の時間である。日本でも同じであるが、給食時間はみんなすごく楽しみである。今日の給食はギゼリ(豆とトウモロコシの煮たもの)である。最近は、食料の価格高騰でなかなかお米が買えないらしい。限られた予算で運営していくこの学校では、食料の価格高騰は大変大きな問題である。しかしその中でも月曜日から土曜日までの給食200人分以上を用意している。頭が下がる。それでもおいしそうにギゼリを食べる子どもの姿を見ると本当に幸せな気持ちになってくる。そして昼休みが終わり、午後の活動・先生方とのディスカッションの用意が始まった。このディスカッションについては、また明日話すことにしよう。
2008年7月25日金曜日
7月23日 キベラツアー Vol.1
今日から3日間にかけて、この日に行ったキベラスタディツアーについて話したい。8時ごろ、ケニアにもう20年以上住んでいる早川さんの案内でキベラ地区へ。キベラ地区の玄関である管轄所でこの日訪れる先生方と警備のための警察と合流し、はじめの目的へと向かった。
まず向かったのはキベラハンディクラフトセンター。貧困である女性が働いている手作りの綿製品の製作所である。貧困女性のプログラムとして、何台かのつむぎ機を与えられ、そして自分たちで活動していくというものである。しかし最盛期33人いた従業員も現在は5人というように、経営は苦しくなっている。この手作りの綿製品を売るために、委託で他店に置かしてもらって販売している。出店や出品も資本金がかかり、なかなかうることはできない。ということで委託販売をしている。
さて先進国がしている大量生産大量消費。これは少なからず途上国に影響している。大量生産で安く売られ、その後古着となったものはアフリカに送られる。そしてケニア国内でも先進国から送られた多くの古着でいっぱいになる。それを使って、また商売が始まる。仲介業者が古着を売り、それをマーケットで現地の人が売る。ケニア国内で作られたものはそれより高くなるため、あまり売れなくなるという。売れなくなるという結果、経済が発展せず失業者が増える。ケニアにもともとあった伝統工芸品や伝統物がどんどんなくなるということである。現にここケニアでは伝統工芸品の一つに「カンガ」というもの布製品があるが、このカンガは現在ケニアで作られていない。他国で安く作り、輸入してきているということだ。これはかなりショックだった。
これを解決するためには先進国のような豊かな国のありかたも変える必要があるのではないか。大量生産、大量消費、大量輸出の悪循環を止め、先進国は国内でリサイクルする。そして途上国の発展のため、ケニア経済のため、ケニア人はケニアで作られたものをケニアの値段で買うべきであるのではないか。それが少しずつケニアの発展につながるのならば・・・。
次にセンターを出発し、5分ほど歩いて行った。そこから見晴らしの良い場所を通った。キベラ地区のトタンの屋根が本当にきれいに並んでいる風景である。まあ写真をとることはできないので、写真はないが・・・(危険なので)。最後にキベラ地区の薬屋に行った。ちゃんとした薬屋もあるのだが、なんと自然の葉っぱや木から、すりつぶして粉にしている。伝統医療らしい。それを薬屋の人が体の様子を聞いて調合して薬を渡す。なんとその中には惚れ薬もあるらしい。すこし買ってみたいと思ったが、奥さんに怒られるなあ・・・。
ということで明日に続く。
さて先進国がしている大量生産大量消費。これは少なからず途上国に影響している。大量生産で安く売られ、その後古着となったものはアフリカに送られる。そしてケニア国内でも先進国から送られた多くの古着でいっぱいになる。それを使って、また商売が始まる。仲介業者が古着を売り、それをマーケットで現地の人が売る。ケニア国内で作られたものはそれより高くなるため、あまり売れなくなるという。売れなくなるという結果、経済が発展せず失業者が増える。ケニアにもともとあった伝統工芸品や伝統物がどんどんなくなるということである。現にここケニアでは伝統工芸品の一つに「カンガ」というもの布製品があるが、このカンガは現在ケニアで作られていない。他国で安く作り、輸入してきているということだ。これはかなりショックだった。
これを解決するためには先進国のような豊かな国のありかたも変える必要があるのではないか。大量生産、大量消費、大量輸出の悪循環を止め、先進国は国内でリサイクルする。そして途上国の発展のため、ケニア経済のため、ケニア人はケニアで作られたものをケニアの値段で買うべきであるのではないか。それが少しずつケニアの発展につながるのならば・・・。
次にセンターを出発し、5分ほど歩いて行った。そこから見晴らしの良い場所を通った。キベラ地区のトタンの屋根が本当にきれいに並んでいる風景である。まあ写真をとることはできないので、写真はないが・・・(危険なので)。最後にキベラ地区の薬屋に行った。ちゃんとした薬屋もあるのだが、なんと自然の葉っぱや木から、すりつぶして粉にしている。伝統医療らしい。それを薬屋の人が体の様子を聞いて調合して薬を渡す。なんとその中には惚れ薬もあるらしい。すこし買ってみたいと思ったが、奥さんに怒られるなあ・・・。
ということで明日に続く。
まず向かったのはキベラハンディクラフトセンター。貧困である女性が働いている手作りの綿製品の製作所である。貧困女性のプログラムとして、何台かのつむぎ機を与えられ、そして自分たちで活動していくというものである。しかし最盛期33人いた従業員も現在は5人というように、経営は苦しくなっている。この手作りの綿製品を売るために、委託で他店に置かしてもらって販売している。出店や出品も資本金がかかり、なかなかうることはできない。ということで委託販売をしている。
さて先進国がしている大量生産大量消費。これは少なからず途上国に影響している。大量生産で安く売られ、その後古着となったものはアフリカに送られる。そしてケニア国内でも先進国から送られた多くの古着でいっぱいになる。それを使って、また商売が始まる。仲介業者が古着を売り、それをマーケットで現地の人が売る。ケニア国内で作られたものはそれより高くなるため、あまり売れなくなるという。売れなくなるという結果、経済が発展せず失業者が増える。ケニアにもともとあった伝統工芸品や伝統物がどんどんなくなるということである。現にここケニアでは伝統工芸品の一つに「カンガ」というもの布製品があるが、このカンガは現在ケニアで作られていない。他国で安く作り、輸入してきているということだ。これはかなりショックだった。
これを解決するためには先進国のような豊かな国のありかたも変える必要があるのではないか。大量生産、大量消費、大量輸出の悪循環を止め、先進国は国内でリサイクルする。そして途上国の発展のため、ケニア経済のため、ケニア人はケニアで作られたものをケニアの値段で買うべきであるのではないか。それが少しずつケニアの発展につながるのならば・・・。
次にセンターを出発し、5分ほど歩いて行った。そこから見晴らしの良い場所を通った。キベラ地区のトタンの屋根が本当にきれいに並んでいる風景である。まあ写真をとることはできないので、写真はないが・・・(危険なので)。最後にキベラ地区の薬屋に行った。ちゃんとした薬屋もあるのだが、なんと自然の葉っぱや木から、すりつぶして粉にしている。伝統医療らしい。それを薬屋の人が体の様子を聞いて調合して薬を渡す。なんとその中には惚れ薬もあるらしい。すこし買ってみたいと思ったが、奥さんに怒られるなあ・・・。
ということで明日に続く。
さて先進国がしている大量生産大量消費。これは少なからず途上国に影響している。大量生産で安く売られ、その後古着となったものはアフリカに送られる。そしてケニア国内でも先進国から送られた多くの古着でいっぱいになる。それを使って、また商売が始まる。仲介業者が古着を売り、それをマーケットで現地の人が売る。ケニア国内で作られたものはそれより高くなるため、あまり売れなくなるという。売れなくなるという結果、経済が発展せず失業者が増える。ケニアにもともとあった伝統工芸品や伝統物がどんどんなくなるということである。現にここケニアでは伝統工芸品の一つに「カンガ」というもの布製品があるが、このカンガは現在ケニアで作られていない。他国で安く作り、輸入してきているということだ。これはかなりショックだった。
これを解決するためには先進国のような豊かな国のありかたも変える必要があるのではないか。大量生産、大量消費、大量輸出の悪循環を止め、先進国は国内でリサイクルする。そして途上国の発展のため、ケニア経済のため、ケニア人はケニアで作られたものをケニアの値段で買うべきであるのではないか。それが少しずつケニアの発展につながるのならば・・・。
次にセンターを出発し、5分ほど歩いて行った。そこから見晴らしの良い場所を通った。キベラ地区のトタンの屋根が本当にきれいに並んでいる風景である。まあ写真をとることはできないので、写真はないが・・・(危険なので)。最後にキベラ地区の薬屋に行った。ちゃんとした薬屋もあるのだが、なんと自然の葉っぱや木から、すりつぶして粉にしている。伝統医療らしい。それを薬屋の人が体の様子を聞いて調合して薬を渡す。なんとその中には惚れ薬もあるらしい。すこし買ってみたいと思ったが、奥さんに怒られるなあ・・・。
ということで明日に続く。
2008年7月24日木曜日
7月22日 大好きな朝ごはん☆
朝は基本的には7時に起きる。セットしてある携帯電話のアラームがなると、いつもパっと起きる。そして歯磨きをして、コンタクトレンズをいれて、Yシャツに着替えて。そして7時半、大好きな朝ごはんの時間である。朝ごはんではここJACIIで作った手作りパンを毎日味わうことができる。これがほんのり甘くて、やわらかくておいしい。大好きである。大きく出来上がっている手作りパンを自分の好きな大きさに切り、トースターで焼いて、マーガリンを塗り、上から砂糖をまぶす。そして甘いチャイ(ミルクティ)を飲みながら食べる。最高である。そして、デザートは果物で、バナナやマンゴー、パパイヤやパイナップルなど日替わりで出てくる。寝起き後の幸せな時間である。
さて今日は午前中スワヒリ語の授業。そして午後からアウトドアレッスンだった。いつもどおりの午前中を過ごした後、昼食。今日の昼食はなんど3食ごはん。久々のメニューにがつがつご飯を食べてしまった。そして午後、アウトドアレッスンのためYaya Centerに向かった。今回の指令は、近くにある3つのスーパーの価格比較をすること、また銀行や携帯電話会社のアカウント(預金口座)の説明を聞いてくることであった。もちろんスワヒリ語で会話してくるのだが、どんどん専門的になってくるので、非常に難しい。しかし、30分ほどかかって、ようやくすべての指令を終えた。
そして帰る前にその建物の中にあったPOSTA(郵便局)に立ち寄って、日本に手紙を送った。郵便局員のおじさんにはなしかけると、おじさんもうれしそうに返事を返してくれた。なんでもJICAのことを知っているみたいで人のいいおじさんだった。
帰って授業が終わり、この日はJICAオフィスに行った。バスで10シル(17円)で2キロぐらい先まで行って、その後は徒歩で5分。あっという間につく。オフィスに着いて調整員(協力隊員をサポートしてくれたり、いろいろな世話をしてくれるスタッフ)に提出しなければいけない任地訪問報告書などを提出した。今日は多くの書類を提出できたので気分がいい。
その後徒歩で帰って、買い物に行って。結構ハードであった。ちなみに夕食はアツアツのグラタン。これがむちゃくちゃうまかった。というわけで、毎日ケニアでおいしい物を食べてるので、少しずつ太ってきたような・・・。まあ任地に行けばやせると思うけど・・・。まあ食べれるときにしっかり食べておこう。明日はいよいよキベラスタディツアー☆明日しっかり活動するため、今日は早く寝ます。おやすみなさい。
さて今日は午前中スワヒリ語の授業。そして午後からアウトドアレッスンだった。いつもどおりの午前中を過ごした後、昼食。今日の昼食はなんど3食ごはん。久々のメニューにがつがつご飯を食べてしまった。そして午後、アウトドアレッスンのためYaya Centerに向かった。今回の指令は、近くにある3つのスーパーの価格比較をすること、また銀行や携帯電話会社のアカウント(預金口座)の説明を聞いてくることであった。もちろんスワヒリ語で会話してくるのだが、どんどん専門的になってくるので、非常に難しい。しかし、30分ほどかかって、ようやくすべての指令を終えた。
そして帰る前にその建物の中にあったPOSTA(郵便局)に立ち寄って、日本に手紙を送った。郵便局員のおじさんにはなしかけると、おじさんもうれしそうに返事を返してくれた。なんでもJICAのことを知っているみたいで人のいいおじさんだった。
帰って授業が終わり、この日はJICAオフィスに行った。バスで10シル(17円)で2キロぐらい先まで行って、その後は徒歩で5分。あっという間につく。オフィスに着いて調整員(協力隊員をサポートしてくれたり、いろいろな世話をしてくれるスタッフ)に提出しなければいけない任地訪問報告書などを提出した。今日は多くの書類を提出できたので気分がいい。
その後徒歩で帰って、買い物に行って。結構ハードであった。ちなみに夕食はアツアツのグラタン。これがむちゃくちゃうまかった。というわけで、毎日ケニアでおいしい物を食べてるので、少しずつ太ってきたような・・・。まあ任地に行けばやせると思うけど・・・。まあ食べれるときにしっかり食べておこう。明日はいよいよキベラスタディツアー☆明日しっかり活動するため、今日は早く寝ます。おやすみなさい。
7月21日 普段の一日☆
日からまた始まったスワヒリ語。もう3ヵ月近く授業という授業はスワヒリ語なので正直飽きてきた。集中もあんまりできてない。とくに月曜日が本当につらい。なんとか、モチベーションを上げていかなきゃ・・・。残り2週間。任地訪問のとき、全然スワヒリ語がわからなくて苦労したから、なんとかここで頑張りたい。
さて今日も私たちの先生ジャスタスがケニア事情について話をしてくれた。今日は民族間の結婚についてである。ここケニアでは42の部族がある。ほとんどの部族がお互いを尊重し、結婚も民族間でできる。ただそこに大きな問題を生じる部族が二つある。その二つが、一番人口が多いキクユ族と2番目に人口が多いルオ族である。キクユ族の男性はほとんどルオ族の女性と結婚しない。結婚するのはごく少数であるらしい。キクユ族の女性はルオ族の男性と結婚はできるが、親同士はほとんど協力してくれない。それぐらいキクユ族とルオ族は犬猿の仲なのである。
この民族間の争いは今に始まったわけではない。ケニアがイギリスから独立後、少しずつ出てきた問題である。このキクユ族とルオ族との間の結婚は本当に大きな問題であると先生は言っていた。
またもし、ちがう民族間同士で結婚した場合、その子はどちらの民族に属するかというと・・・父親の民族になる。たとえば父親がカンバ族、母親がキクユ族(ジャスタスの場合)だと、その子どもは女の子であろうが、男の子であろうがカンバ族になる。これにはほとんど例外がないらしい。このように結婚して、子どもができるまで民族間の決まりみたいなものがあるようだ。
またジャスタスは、結婚している私とマコトを本当に心配する。ケニア人の女性の誘惑は気をつけろだの、外国人で結婚している男性はモテるだの・・・。最近そんな話を多くしてくる。まあ、とりあえずAsante sana。
ということで、一日のスワヒリ語の授業は終了。そのあとYaya Center(デパート)に行って、のんびりコーヒーを飲んで。ここでコーヒーを飲む時間がすごく落ち着く。平日にこうやって落ち着いた時間を過ごすなんて、考えられないなあ。やっぱり人間ゆとりが大事なんだなあと改めて思った。明日ものんびり生活しよう。
さて今日も私たちの先生ジャスタスがケニア事情について話をしてくれた。今日は民族間の結婚についてである。ここケニアでは42の部族がある。ほとんどの部族がお互いを尊重し、結婚も民族間でできる。ただそこに大きな問題を生じる部族が二つある。その二つが、一番人口が多いキクユ族と2番目に人口が多いルオ族である。キクユ族の男性はほとんどルオ族の女性と結婚しない。結婚するのはごく少数であるらしい。キクユ族の女性はルオ族の男性と結婚はできるが、親同士はほとんど協力してくれない。それぐらいキクユ族とルオ族は犬猿の仲なのである。
この民族間の争いは今に始まったわけではない。ケニアがイギリスから独立後、少しずつ出てきた問題である。このキクユ族とルオ族との間の結婚は本当に大きな問題であると先生は言っていた。
またもし、ちがう民族間同士で結婚した場合、その子はどちらの民族に属するかというと・・・父親の民族になる。たとえば父親がカンバ族、母親がキクユ族(ジャスタスの場合)だと、その子どもは女の子であろうが、男の子であろうがカンバ族になる。これにはほとんど例外がないらしい。このように結婚して、子どもができるまで民族間の決まりみたいなものがあるようだ。
またジャスタスは、結婚している私とマコトを本当に心配する。ケニア人の女性の誘惑は気をつけろだの、外国人で結婚している男性はモテるだの・・・。最近そんな話を多くしてくる。まあ、とりあえずAsante sana。
ということで、一日のスワヒリ語の授業は終了。そのあとYaya Center(デパート)に行って、のんびりコーヒーを飲んで。ここでコーヒーを飲む時間がすごく落ち着く。平日にこうやって落ち着いた時間を過ごすなんて、考えられないなあ。やっぱり人間ゆとりが大事なんだなあと改めて思った。明日ものんびり生活しよう。
2008年7月22日火曜日
7月19日(土)、20日(日) 改めての決意☆
この土日は疲れていたので、二日間とものんびりした。ドミトリーに行って洗濯したり、読書をしたり。またCyber Caféに行ってインターネットをしたり、買い物をしたり。のんびりした時間だった。しかし改めて考えたことがあった。
配属先であるゲタスル更生院。この更生院は別名Reception School(受付のための学校)と呼ばれ、最長3ヵ月間しか子どもはいることができない。その3ヵ月の間、性格や行動、学力などを判断され、ケニア国内にある10ヵ所ある他の更生院に送られる。つまり、この子どもたちとは3ヵ月間しか一緒にいることはできない。また毎日のように新しい子どもが入ってくる。なかなか継続した指導もできず、慣れてきたところで離れる。非常に難しい職場である。
しかし、だからこそ私はやりがいがあると思う。そうやって更生院に入る子どもたちは必ずこのゲタスル更生院に来る。つまりケニア国内のすべてのいろいろな背景をもった子たちに接することができる。これからの人生をやり直せるかどうか、すばらしい人生を送るための出発点となるこの場所に私がいることができる。なんて幸せなんだろう。だから自分のできること、伝えることができることを精一杯していこうと思う。朝早く子どもにあいさつをして、握手をして。授業中、そして休み時間も常に子どもたちのそばにいたい。また土日も子どもたちはこの寮にいる。そこで温かく接することのできる大人でいようと思う。日本にいたときも不器用な私にできることは常に生徒のそばにいることだった。そして明るく挨拶をして、声をかけることが自分のスタンスだった。それをここケニアでもしていこう。それが自分にできることだと思っている。あと子どもに素直に
“Asante.” 「ありがとう」
と言えるようにしよう。さあいよいよ8月4日(月)から始まる。ケニアの子どもたちのため、まっすぐに温かく一笑懸命に活動していこう。
配属先であるゲタスル更生院。この更生院は別名Reception School(受付のための学校)と呼ばれ、最長3ヵ月間しか子どもはいることができない。その3ヵ月の間、性格や行動、学力などを判断され、ケニア国内にある10ヵ所ある他の更生院に送られる。つまり、この子どもたちとは3ヵ月間しか一緒にいることはできない。また毎日のように新しい子どもが入ってくる。なかなか継続した指導もできず、慣れてきたところで離れる。非常に難しい職場である。
しかし、だからこそ私はやりがいがあると思う。そうやって更生院に入る子どもたちは必ずこのゲタスル更生院に来る。つまりケニア国内のすべてのいろいろな背景をもった子たちに接することができる。これからの人生をやり直せるかどうか、すばらしい人生を送るための出発点となるこの場所に私がいることができる。なんて幸せなんだろう。だから自分のできること、伝えることができることを精一杯していこうと思う。朝早く子どもにあいさつをして、握手をして。授業中、そして休み時間も常に子どもたちのそばにいたい。また土日も子どもたちはこの寮にいる。そこで温かく接することのできる大人でいようと思う。日本にいたときも不器用な私にできることは常に生徒のそばにいることだった。そして明るく挨拶をして、声をかけることが自分のスタンスだった。それをここケニアでもしていこう。それが自分にできることだと思っている。あと子どもに素直に
“Asante.” 「ありがとう」
と言えるようにしよう。さあいよいよ8月4日(月)から始まる。ケニアの子どもたちのため、まっすぐに温かく一笑懸命に活動していこう。
7月18日 任地訪問最終日☆
この日も朝早くから職場に行き、子どもたちとあいさつを交わす。そして掃除を見守り、朝食へ。その後、パレードをした。この日もある悪い行為を話し合い、そしてある生徒がPunishment(罰)を受けた。
次に子どもたちをひきつれて畑に行った。みんな鍬(くわ)を持ち、せっせと畑を耕していた。30人ほどでするので、あっという間に畑は耕された。その畑には近々スイカを植えるらしい。次に年少クラスの英語の時間に行った。アルファベットとそれに関する英単語の学習である。ここケニアでは母語として英語、現地語としてスワヒリ語が話されている。どちらの言語も小さい時から学校や家庭で学んでいく。しかしこの子たちは学校に行っていなかった生徒も少なくなく、語学力に大きな差がある。これから生活する上でもスワヒリ語も英語もこつこつ学習していかないといけない。なので時間があれば英語などを教えていきたい。
さて、次に根本さんの授業見学、参加。馬跳びリレーなど子どもたちは楽しそうにしていた。そして昼食を食べ、15:00前帰る準備をした。そして先生方にあいさつをして、配属先ゲタスル更生院を去った。
最後のボランティアティーチャーのエドワードの言葉がかっこよかった。
“Tuko pamoja.” (私たちは心の中で一緒にいる。)
ケニア人らしい、相手を大事にする言葉である。この言葉は覚えておこう。というわけで4日間の任地訪問は無事終了。いろいろトラブルもあったが、すごく充実した4日間だった。
次に子どもたちをひきつれて畑に行った。みんな鍬(くわ)を持ち、せっせと畑を耕していた。30人ほどでするので、あっという間に畑は耕された。その畑には近々スイカを植えるらしい。次に年少クラスの英語の時間に行った。アルファベットとそれに関する英単語の学習である。ここケニアでは母語として英語、現地語としてスワヒリ語が話されている。どちらの言語も小さい時から学校や家庭で学んでいく。しかしこの子たちは学校に行っていなかった生徒も少なくなく、語学力に大きな差がある。これから生活する上でもスワヒリ語も英語もこつこつ学習していかないといけない。なので時間があれば英語などを教えていきたい。
さて、次に根本さんの授業見学、参加。馬跳びリレーなど子どもたちは楽しそうにしていた。そして昼食を食べ、15:00前帰る準備をした。そして先生方にあいさつをして、配属先ゲタスル更生院を去った。
最後のボランティアティーチャーのエドワードの言葉がかっこよかった。
“Tuko pamoja.” (私たちは心の中で一緒にいる。)
ケニア人らしい、相手を大事にする言葉である。この言葉は覚えておこう。というわけで4日間の任地訪問は無事終了。いろいろトラブルもあったが、すごく充実した4日間だった。
7月17日 任地訪問3日目☆
この日は朝早く7:00にタクシーに乗り、マタツステージでカベテ行きのマタツに乗り、8:15分に更生院に到着。そのときには子どもたちはもう掃除を終え、寮の前に並んでいた。そこで、一人ひとりにあいさつをして握手をしていった。これは先輩隊員の根本さんが毎日していることで、毎朝子どもたちに会ったら握手をしているということを聞いていたので、自分も実践してみた。根本さんは本当に子どもたちのそばにいつもいて、常に温かく明るく接している先輩である。その接し方は非常に参考になる。私もしっかり実践していこうと心に決めた。まずはあいさつと握手。2年間通じて、していきたい。
次に朝食のujiを飲んで、パレード。その後各クラスごとに授業に行った。私はスワヒリ語のクラスを見学に行った。日常的なスワヒリ語を子どもたちは学習していた。私にとってもわかりやすい内容で、普段スワヒリ語を使っている子どもたちはまったく問題ないだろうと思った。しかし次の瞬間、すごく驚いた。先生の質問に生徒が反応しなかったのだ。
「じゃあ今練習したこの会話を読んでみて。」
「・・・」
クラスの半分近くが読めなかった。日常的に使われる言語・スワヒリ語が読めないのである。これが識字教育というものなんであろう。スワヒリ語を話すことはできるが、読むことができない。識字教育の大切さを改めて感じた。
次に根本さんの体育の授業を見学した。流暢なスワヒリ語で、子どもたちに説明する。子どもたちの集中が途切れると、
“Niseme? Nisiseme?” 「言おうかな、言わないかな?」
“Sema!” 「言って!」
と言い、子どもたちの興味を引いていた。また言葉だけでなく体全体で、ジェスチャーや動きでわかりやすく説明していた。本日の体育は、昔小さい時にした、いわゆる「泥棒と警察」である。それを体育風にアレンジして行っていた。
そして負けず嫌いの子どもたちと一緒にバレーボールをして、そして昼食。本日はウガリとスクマウィキを食べた。子どもにはnanasi(パイナップル)があり、本当においしそうに食べていた。その後大きな木の下でラウンドに集まり、話し合いが始まった。本日は何かの問題について議論していた。(スワヒリ語が速くてわからなかった) そしてその後運動場に行き、テニスボールで何人かとキャッチボールをした。非常にうれしそうだった。
そういえば俺も小さい時、親父に時間が空いたら、キャッチボールをしていたなあ。すごく貧乏な時で、ボールといえば新聞を丸めてセロテープでつなげた「新聞ボール」だったなあ。けど文句ひとつ言わず、ただその時間がうれしかった。今の俺の原点だ。その一日10分~15分ぐらいの親父とのキャッチボールがあったから、今の俺がいると思う。そんな大人でいよう。忙しくても、そっと笑ってキャッチボールができるような大人でいよう。いつかこの子どもたちが大人になったとき、思い出して温かい気持ちになってくれたら、どんなにうれしいだろう。そんな素朴なことを継続していきたい。
キャッチボールの後、疲れた私は地面に座りボーっとしていた。そうすると何人も子どもたちが来て、近くに座ってきた。たくさんのことを話した。日本はどれくらい遠いか、どれくらいの値段がするのか、中国映画は日本でもしているのか、今度私がいつ来るのか、などなど多くを話した。そのとき、小さい子どもたちが話したスワヒリ語に私がわからない顔をすると、大きい子どもがゆっくり易しいスワヒリ語で直してくれた。すごく温かかった。そんな何気ない優しさがうれしかった。
その後ごはんを食べ、子どもたちは寮へ。私たち先生何人かは近くの売店に行って、買い物をした。そして先生たちがごはんを食べ。そんなこんなで今日も一日が終了。はあ、今日も疲れた一日でした。
次に朝食のujiを飲んで、パレード。その後各クラスごとに授業に行った。私はスワヒリ語のクラスを見学に行った。日常的なスワヒリ語を子どもたちは学習していた。私にとってもわかりやすい内容で、普段スワヒリ語を使っている子どもたちはまったく問題ないだろうと思った。しかし次の瞬間、すごく驚いた。先生の質問に生徒が反応しなかったのだ。
「じゃあ今練習したこの会話を読んでみて。」
「・・・」
クラスの半分近くが読めなかった。日常的に使われる言語・スワヒリ語が読めないのである。これが識字教育というものなんであろう。スワヒリ語を話すことはできるが、読むことができない。識字教育の大切さを改めて感じた。
次に根本さんの体育の授業を見学した。流暢なスワヒリ語で、子どもたちに説明する。子どもたちの集中が途切れると、
“Niseme? Nisiseme?” 「言おうかな、言わないかな?」
“Sema!” 「言って!」
と言い、子どもたちの興味を引いていた。また言葉だけでなく体全体で、ジェスチャーや動きでわかりやすく説明していた。本日の体育は、昔小さい時にした、いわゆる「泥棒と警察」である。それを体育風にアレンジして行っていた。
そして負けず嫌いの子どもたちと一緒にバレーボールをして、そして昼食。本日はウガリとスクマウィキを食べた。子どもにはnanasi(パイナップル)があり、本当においしそうに食べていた。その後大きな木の下でラウンドに集まり、話し合いが始まった。本日は何かの問題について議論していた。(スワヒリ語が速くてわからなかった) そしてその後運動場に行き、テニスボールで何人かとキャッチボールをした。非常にうれしそうだった。
そういえば俺も小さい時、親父に時間が空いたら、キャッチボールをしていたなあ。すごく貧乏な時で、ボールといえば新聞を丸めてセロテープでつなげた「新聞ボール」だったなあ。けど文句ひとつ言わず、ただその時間がうれしかった。今の俺の原点だ。その一日10分~15分ぐらいの親父とのキャッチボールがあったから、今の俺がいると思う。そんな大人でいよう。忙しくても、そっと笑ってキャッチボールができるような大人でいよう。いつかこの子どもたちが大人になったとき、思い出して温かい気持ちになってくれたら、どんなにうれしいだろう。そんな素朴なことを継続していきたい。
キャッチボールの後、疲れた私は地面に座りボーっとしていた。そうすると何人も子どもたちが来て、近くに座ってきた。たくさんのことを話した。日本はどれくらい遠いか、どれくらいの値段がするのか、中国映画は日本でもしているのか、今度私がいつ来るのか、などなど多くを話した。そのとき、小さい子どもたちが話したスワヒリ語に私がわからない顔をすると、大きい子どもがゆっくり易しいスワヒリ語で直してくれた。すごく温かかった。そんな何気ない優しさがうれしかった。
その後ごはんを食べ、子どもたちは寮へ。私たち先生何人かは近くの売店に行って、買い物をした。そして先生たちがごはんを食べ。そんなこんなで今日も一日が終了。はあ、今日も疲れた一日でした。
7月16日 任地訪問2日目☆
この日は7:00から職場に行き、子どもたちをエドワードと一緒に起こした。子どもたちは眠い目をこすりながら、黙々と布団の片付けや活動の準備をしていた。そして7:30から更生院の掃除が始まった。また何人かは朝食作りとしてuji(甘いおかゆ)を作っていた。8:30くらいまで掃除やご飯の準備は続き、それから朝食をとった。子どもたちはまた嬉しそうに、ujiを飲む。私も飲んでみるがこれがけっこういける。まあたくさん飲めるものではないが、おなかにはけっこうたまった。さてその後パレード(集会)があり、前にでて自己紹介をした。
“Jina lang ni Kenichiro Kuromyo. Ninaitwa Ken. Nitafanya kazi mweji ujao.
Nimefurahi kukuona.”
訳は「私の名前は黒明 堅一郎です。ケンと呼ばれています。来月から仕事をします。よろしく。」というものである。簡単な自己紹介だったけど、子どもはかなり喜んでくれた。
次に子どもたちは一つの教室(この時間はカニッサ(教会)と呼ばれる)に集まり、キリスト教の教えを聞いた。先生たちはオフィスに集まり、会議をした。食事の話や授業の話などさまざまだったが、全くと言っていいほどわからなかった。その後子どもたちと一緒に運動場に行き、サッカーを楽しんだ。
昼が過ぎ、同期で向かいのカベテ更生院に配属されているシンヤがやってきた。この日のカベテの話は終わり、これから帰るみたいであった。一緒に昼食(ごはんと豆の煮込み)食べ、その後帰る準備をした。帰りにJICAオフィスに行って、いろいろ調整員と話がしたかったからだ。というわけで、マタツ、タクシーと乗継、オフィスに行った。家のことを中心に話をし、早めに配属先付近に家を用意してもらうよう頼んだ。
JACII(語学学校)に帰り、レバニラ炒めを食べ、そして寮にいる何人かと「大富豪」(トランプ)をし、リラックスして夜を過ごした。しかし、疲れがかなりたまっている。やっぱり気疲れかなあ。Polepoleしていかなきゃと感じる一日だった。
“Jina lang ni Kenichiro Kuromyo. Ninaitwa Ken. Nitafanya kazi mweji ujao.
Nimefurahi kukuona.”
訳は「私の名前は黒明 堅一郎です。ケンと呼ばれています。来月から仕事をします。よろしく。」というものである。簡単な自己紹介だったけど、子どもはかなり喜んでくれた。
次に子どもたちは一つの教室(この時間はカニッサ(教会)と呼ばれる)に集まり、キリスト教の教えを聞いた。先生たちはオフィスに集まり、会議をした。食事の話や授業の話などさまざまだったが、全くと言っていいほどわからなかった。その後子どもたちと一緒に運動場に行き、サッカーを楽しんだ。
昼が過ぎ、同期で向かいのカベテ更生院に配属されているシンヤがやってきた。この日のカベテの話は終わり、これから帰るみたいであった。一緒に昼食(ごはんと豆の煮込み)食べ、その後帰る準備をした。帰りにJICAオフィスに行って、いろいろ調整員と話がしたかったからだ。というわけで、マタツ、タクシーと乗継、オフィスに行った。家のことを中心に話をし、早めに配属先付近に家を用意してもらうよう頼んだ。
JACII(語学学校)に帰り、レバニラ炒めを食べ、そして寮にいる何人かと「大富豪」(トランプ)をし、リラックスして夜を過ごした。しかし、疲れがかなりたまっている。やっぱり気疲れかなあ。Polepoleしていかなきゃと感じる一日だった。
7月15日 任地訪問☆
今日は任地訪問・ホームステイの日である。朝ごはんを食べて、すこし片づけをして出発した。シンヤ(向かいのカベテ更生院赴任)と二人でタクシーに乗りダウンタウンのマタツ(乗り合いバス)ステージへ行った。そこからカベテ行きのマタツに乗り、40分ほどで任地に着いた。初めて来る町に、嬉しさと不安があったが、都会ではなく、一面畑や野原が広がる静かな場所だった。
さて着いてからまずホームステイ先であるMuteiさんの家に電話をかけた。スワヒリ語で今いる場所を伝え、12:00頃に迎えに来てくれると言ってくれた。少し反応が悪かったが、まあ大丈夫だろうと思い、ゲタスル更生院へそこから歩いて向かった。
ゲタスル更生院の敷地には広大な畑があり、スタッフの住んでいる家が何軒かあった。またしばらくすると水色の建物が見えてきた。きっとこれが更生院なんだろうと思い、ドキドキしながら向かった。牛小屋を過ぎ、生徒が仕事をしていた。そこで
“Manager yuko wapi?” 「マネージャーはどこですか。」
と聞くと、優しく教えてくれた。奥に行き、いよいよオフィスに着いた。そこではマネージャー(代表者)と先輩隊員である根本さんが待っていた。すごく歓迎してくれて、マネージャーもすごくうれしそうだった。そこで20分ほど説明を受けた。どのような子どもたちが来るか、どのようなスタッフや先生、そしてどんな担当のセクションがあるか、また子どもたちが毎日入所してくること、3ヶ月後子どもたちは他の更生院に行くことなど、たくさん教えてもらった。
次に学校を案内してもらった。食堂、キッチン、子どもたちの受け入れ教室、職員室、ボランティアルーム、教室、寮などを見学して、そのつど多くのスタッフと会話をした。しかしあまりのスワヒリ語の早さに大変驚いた。全くと言っていいほどわからない。自分の言語の未熟さに大変頭を打った。しかし多くのスタッフの人が温かく歓迎してくれた。
と突然電話がかかってきた。Muteiさんからだ。
「今どこにいるの?」
「ゲタスル更生院だよ。」
「えっ!?」
「だからゲタスル更生院だよ。」
それを何回か繰り返した。おかしな会話だなあと思った。電話を切って5分後、JICA調整員のの人から電話がかかってきた。
「すいません、黒明さん。Muteiさんはマチャコス(ちがう町)に住んでいました。すいませんがホームステイ出来ないので、今日はドミトリーに帰ってください。」
「・・・。」
なんということだ。荷物を多くしてやってきたのに、またナイロビに帰って泊まるなんて。ホームステイ楽しみにしてたのに・・・。かなりショックだった。あまりにショックすぎて、しばらくボーっとしてしまった。
気を取り直して昼ごはん。子どもたちは本当にうれしそうにごはんを食べる。それを見ているだけですごく幸せになる。そして先生のごはんは子どもと少しちがうごはんである。それを生徒が作ってくれる。それも自分で自立するための訓練であるようだ。本日の昼食はwali(ごはん)と野菜炒めと豆炒めだった。これがけっこうおいしい。絶妙な塩加減ですごくごはんに合っていて、どんどん食べてしまった。
次に午後からは「パレード」と呼ばれる集会があり、生徒のまちがいをみんなで話し合い、そして生徒に考えさせる時間があった。スワヒリ語であまり分からなかったが、このような時間も大切だなあと感じた。次に大きな木のまわりに長椅子をサークル上に並べて、そこに座って先生たちがアイスブレーキングを始めた。根本さんも得意のたて笛で、3曲ほど演奏していた。子どもたちがうれしそうに聞いていて、すごいと感じた。そのあと、エイズ対策のNGOが来て、子どもたちにエイズについて授業をしていた。しかしケニアの子どもたちはエイズに対して、まちがいなく日本の生徒よりも知識がある。10歳ぐら
いの子どもがエイズ感染の経路をしっかり話をしていて大変驚いた。すごく参考になった。(あまりスワヒリ語はわからないが・・・)
さてそろそろ帰ろうかとする16:00頃、ボランティアティーチャーの一人エドワードが、
「今日は俺のところに泊りなよ。」
と言ってくれた。帰りも遅くなると感じた私は、お言葉に甘え泊らせてもらうことにした。そしてその後時間を気にせず、子どもと一緒に遊び続けた。運動場にはサッカーコートとバレーボールコートがあって、この日はバレーボールをした。しかし、ケニア人はみんな負けず嫌いである。一緒に入った先生も本気で大人げなく プレイする。生徒は自分のミスを認めようとせず、ミスがあるたび、人のせいにする。またよく他人を責める。日本とは大違いである。このバレーボール一つにしても、文化がよく出てる。まあそれだけ一生懸命っていうことを日本の選手にも伝えたい。
その後生徒は夕食を食べる。その時先生にはチャイ(ミルクティ)がでる。このチャイがまたまたうまい。砂糖たっぷりで甘いが、疲れた体にはかなりいい。そしてまた生徒が先生の夕食を作る。今晩の食事はウガリとスクマウィキである。これもおいしく、ほんとにケニア料理は私の口に合うなあと思う。そして9時ごろ、エドワードの家に行った。そこでまたケニア人のカリブ精神が出る。エドワードはいつも自分が寝ている大きいベッドに私を寝かせ、そして自分は小さなベッドに寝ようとした。お客さんを大事にするケニア人らしいやり方である。それにも感動した。
というわけでかなり長くなったが、本日はこれで終了。はあ、長い一日だった。
さて着いてからまずホームステイ先であるMuteiさんの家に電話をかけた。スワヒリ語で今いる場所を伝え、12:00頃に迎えに来てくれると言ってくれた。少し反応が悪かったが、まあ大丈夫だろうと思い、ゲタスル更生院へそこから歩いて向かった。
ゲタスル更生院の敷地には広大な畑があり、スタッフの住んでいる家が何軒かあった。またしばらくすると水色の建物が見えてきた。きっとこれが更生院なんだろうと思い、ドキドキしながら向かった。牛小屋を過ぎ、生徒が仕事をしていた。そこで
“Manager yuko wapi?” 「マネージャーはどこですか。」
と聞くと、優しく教えてくれた。奥に行き、いよいよオフィスに着いた。そこではマネージャー(代表者)と先輩隊員である根本さんが待っていた。すごく歓迎してくれて、マネージャーもすごくうれしそうだった。そこで20分ほど説明を受けた。どのような子どもたちが来るか、どのようなスタッフや先生、そしてどんな担当のセクションがあるか、また子どもたちが毎日入所してくること、3ヶ月後子どもたちは他の更生院に行くことなど、たくさん教えてもらった。
次に学校を案内してもらった。食堂、キッチン、子どもたちの受け入れ教室、職員室、ボランティアルーム、教室、寮などを見学して、そのつど多くのスタッフと会話をした。しかしあまりのスワヒリ語の早さに大変驚いた。全くと言っていいほどわからない。自分の言語の未熟さに大変頭を打った。しかし多くのスタッフの人が温かく歓迎してくれた。
と突然電話がかかってきた。Muteiさんからだ。
「今どこにいるの?」
「ゲタスル更生院だよ。」
「えっ!?」
「だからゲタスル更生院だよ。」
それを何回か繰り返した。おかしな会話だなあと思った。電話を切って5分後、JICA調整員のの人から電話がかかってきた。
「すいません、黒明さん。Muteiさんはマチャコス(ちがう町)に住んでいました。すいませんがホームステイ出来ないので、今日はドミトリーに帰ってください。」
「・・・。」
なんということだ。荷物を多くしてやってきたのに、またナイロビに帰って泊まるなんて。ホームステイ楽しみにしてたのに・・・。かなりショックだった。あまりにショックすぎて、しばらくボーっとしてしまった。
気を取り直して昼ごはん。子どもたちは本当にうれしそうにごはんを食べる。それを見ているだけですごく幸せになる。そして先生のごはんは子どもと少しちがうごはんである。それを生徒が作ってくれる。それも自分で自立するための訓練であるようだ。本日の昼食はwali(ごはん)と野菜炒めと豆炒めだった。これがけっこうおいしい。絶妙な塩加減ですごくごはんに合っていて、どんどん食べてしまった。
次に午後からは「パレード」と呼ばれる集会があり、生徒のまちがいをみんなで話し合い、そして生徒に考えさせる時間があった。スワヒリ語であまり分からなかったが、このような時間も大切だなあと感じた。次に大きな木のまわりに長椅子をサークル上に並べて、そこに座って先生たちがアイスブレーキングを始めた。根本さんも得意のたて笛で、3曲ほど演奏していた。子どもたちがうれしそうに聞いていて、すごいと感じた。そのあと、エイズ対策のNGOが来て、子どもたちにエイズについて授業をしていた。しかしケニアの子どもたちはエイズに対して、まちがいなく日本の生徒よりも知識がある。10歳ぐら
いの子どもがエイズ感染の経路をしっかり話をしていて大変驚いた。すごく参考になった。(あまりスワヒリ語はわからないが・・・)
さてそろそろ帰ろうかとする16:00頃、ボランティアティーチャーの一人エドワードが、
「今日は俺のところに泊りなよ。」
と言ってくれた。帰りも遅くなると感じた私は、お言葉に甘え泊らせてもらうことにした。そしてその後時間を気にせず、子どもと一緒に遊び続けた。運動場にはサッカーコートとバレーボールコートがあって、この日はバレーボールをした。しかし、ケニア人はみんな負けず嫌いである。一緒に入った先生も本気で大人げなく プレイする。生徒は自分のミスを認めようとせず、ミスがあるたび、人のせいにする。またよく他人を責める。日本とは大違いである。このバレーボール一つにしても、文化がよく出てる。まあそれだけ一生懸命っていうことを日本の選手にも伝えたい。
その後生徒は夕食を食べる。その時先生にはチャイ(ミルクティ)がでる。このチャイがまたまたうまい。砂糖たっぷりで甘いが、疲れた体にはかなりいい。そしてまた生徒が先生の夕食を作る。今晩の食事はウガリとスクマウィキである。これもおいしく、ほんとにケニア料理は私の口に合うなあと思う。そして9時ごろ、エドワードの家に行った。そこでまたケニア人のカリブ精神が出る。エドワードはいつも自分が寝ている大きいベッドに私を寝かせ、そして自分は小さなベッドに寝ようとした。お客さんを大事にするケニア人らしいやり方である。それにも感動した。
というわけでかなり長くなったが、本日はこれで終了。はあ、長い一日だった。
2008年7月20日日曜日
7月14日 準備の日☆
今日も一日スワヒリ語の授業だった。月曜日の朝はいつも起きるのがつらいし、授業もぼーっとしてしまう。まあ、みんな同じだろう。
さて今日も授業で先生がケニアについて話してくれた。この時間は本当に楽しい。まず、保険と病院についての話だった。先生は子どもため、家族のため、健康保険や学校の保険に入り、お金を払っている。しかし、ケニア人でそのような保険に入るのはごく一部で全体の0.・・%しかいないらしい。お金がないというのが一番の理由であるが、日本ではほとんど入っているが、あまりにも大きなちがいである。また病院についても、日本とは大きくちがう。ケニア人の意識の中に病院はひどい病気の人が行くものであるという意識がある。ケニアではこのように言われる。
“Wakenya hawaendi hospitarini, wanapelekwa.”
“Kenyans don’t go to hospital. They are taken.”
訳は「ケニア人は病院に行かない、連れて行かれる。」というものである。つまり元気なうちは病院に行かず、もう自分で行けないぐらい悪くなってから行くということである。ということなので、なんと病院に行く6%の人が亡くなるということである。これは異常に高い数字である。ある例として、ケニア人は体が痛くなっても調子が悪くなっても5年から10年ほったらかしで生活する。そして悪くなって病院に行くのでもう手遅れだったということがあるらしい。
そういう人たちが病院に行くので、病院とは思い病気の人が行くという意識が生まれる。またその病院で人がなくなれば、周りの人の意識が「あの病院に入ると死ぬ」というまちがった意識が生まれる。そしてまた病人は病院に行くことをさける。悪循環である。医者が悪いのでなく、そのような人の意識が一番問題であるらしい。明らかに日本とはちがう。日本では病院がコンビニエンス状態で患者があふれかえっているのに・・・。
現在、ケニア人の平均寿命は女性で39歳、男性で37歳であるらしい。もうすこし上であると思うが、それでももっと病院の意識が変わると、この平均寿命は変わるのではないかなあ。けどやはりお金の問題があるから、難しいのかなあ。難しい問題である。
次に明日からのホームステイ・任地訪問の気をつけることなど教えてもらった。まずマタツ(ケニアの乗り合いバス)の乗り方である。まずアジア人はお金があると思われるので、普段の値段より高く言われることがある。そのため、まず乗る前に値段交渉をしないといけない。値段をきちんと普段通りにしてもらって、やっとスタートラインに着く。マタツに乗り、次に気をつけないといけないのは荷物の管理である。これがすごく大事である。まず貴重品は決して自分以外の人が手に届くところに置いてはいけない。またもう一つ大事なのは、マタツに乗っている間決して寝ないことである。常に手荷物の意識を持っておくため、起きていることが大事なのである。私の場合、ナイロビから30~40分ぐらいで配属先につくからいいものの、ナイロビから9時間ぐらい移動しないといけない隊員もいるから半端じゃない。以上のことが移動時の注意点である。こんなふうにすれば、ケニア隊員はいやでも危機管理が身についてくるね・・・。
さて次にホームステイに行ってからのことである。ここで私は2つの質問を先生にした。まず、お土産は必要かどうかということである。やはり喜ばれるのはお土産を持っていくということである。それも食べ物がよろこばれるらしい。パンやビスケット、そしてスポンジケーキなどが喜ばれる。またそれに付け加え、フルーツジュースをつけると申し分ない。子どもがいればビスケットがいいが、子どもがいるかどうかわからないので、私はスポンジケーキとジュースを買っていくことにした。
次に水が出された場合、飲まないといけないかどうかということである。私たちは水道の水を直接飲まず、現在ミネラルウォーターを買って、それを飲んでいる。飲まないと失礼かどうかを聞きたかった。そんな時は出されてる水を無理して飲まなくていいということであった。もし何か飲みたいときは、 “Maji ya moto”と言えば熱いお湯が出てくるので、それを飲めばいいということであった。ということで、水の心配もなくなった。
授業が終わり、ドミに行き洗濯物を取りに行き、そしてUchumi(スーパー)で水とスポンジケーキ、ジュースそして携帯のシムカードを買ってきた。そして明日からのホームステイの準備に。着替えが中心であとは奥さん、友達、そして倉敷の写真を入れた。準備万端。明日が今から楽しみである。
ひとつ昨日からインターネットが通じない。途上国だから仕方ない・・・。まあホームステイから帰ってきたら、またしていこう。
さて今日も授業で先生がケニアについて話してくれた。この時間は本当に楽しい。まず、保険と病院についての話だった。先生は子どもため、家族のため、健康保険や学校の保険に入り、お金を払っている。しかし、ケニア人でそのような保険に入るのはごく一部で全体の0.・・%しかいないらしい。お金がないというのが一番の理由であるが、日本ではほとんど入っているが、あまりにも大きなちがいである。また病院についても、日本とは大きくちがう。ケニア人の意識の中に病院はひどい病気の人が行くものであるという意識がある。ケニアではこのように言われる。
“Wakenya hawaendi hospitarini, wanapelekwa.”
“Kenyans don’t go to hospital. They are taken.”
訳は「ケニア人は病院に行かない、連れて行かれる。」というものである。つまり元気なうちは病院に行かず、もう自分で行けないぐらい悪くなってから行くということである。ということなので、なんと病院に行く6%の人が亡くなるということである。これは異常に高い数字である。ある例として、ケニア人は体が痛くなっても調子が悪くなっても5年から10年ほったらかしで生活する。そして悪くなって病院に行くのでもう手遅れだったということがあるらしい。
そういう人たちが病院に行くので、病院とは思い病気の人が行くという意識が生まれる。またその病院で人がなくなれば、周りの人の意識が「あの病院に入ると死ぬ」というまちがった意識が生まれる。そしてまた病人は病院に行くことをさける。悪循環である。医者が悪いのでなく、そのような人の意識が一番問題であるらしい。明らかに日本とはちがう。日本では病院がコンビニエンス状態で患者があふれかえっているのに・・・。
現在、ケニア人の平均寿命は女性で39歳、男性で37歳であるらしい。もうすこし上であると思うが、それでももっと病院の意識が変わると、この平均寿命は変わるのではないかなあ。けどやはりお金の問題があるから、難しいのかなあ。難しい問題である。
次に明日からのホームステイ・任地訪問の気をつけることなど教えてもらった。まずマタツ(ケニアの乗り合いバス)の乗り方である。まずアジア人はお金があると思われるので、普段の値段より高く言われることがある。そのため、まず乗る前に値段交渉をしないといけない。値段をきちんと普段通りにしてもらって、やっとスタートラインに着く。マタツに乗り、次に気をつけないといけないのは荷物の管理である。これがすごく大事である。まず貴重品は決して自分以外の人が手に届くところに置いてはいけない。またもう一つ大事なのは、マタツに乗っている間決して寝ないことである。常に手荷物の意識を持っておくため、起きていることが大事なのである。私の場合、ナイロビから30~40分ぐらいで配属先につくからいいものの、ナイロビから9時間ぐらい移動しないといけない隊員もいるから半端じゃない。以上のことが移動時の注意点である。こんなふうにすれば、ケニア隊員はいやでも危機管理が身についてくるね・・・。
さて次にホームステイに行ってからのことである。ここで私は2つの質問を先生にした。まず、お土産は必要かどうかということである。やはり喜ばれるのはお土産を持っていくということである。それも食べ物がよろこばれるらしい。パンやビスケット、そしてスポンジケーキなどが喜ばれる。またそれに付け加え、フルーツジュースをつけると申し分ない。子どもがいればビスケットがいいが、子どもがいるかどうかわからないので、私はスポンジケーキとジュースを買っていくことにした。
次に水が出された場合、飲まないといけないかどうかということである。私たちは水道の水を直接飲まず、現在ミネラルウォーターを買って、それを飲んでいる。飲まないと失礼かどうかを聞きたかった。そんな時は出されてる水を無理して飲まなくていいということであった。もし何か飲みたいときは、 “Maji ya moto”と言えば熱いお湯が出てくるので、それを飲めばいいということであった。ということで、水の心配もなくなった。
授業が終わり、ドミに行き洗濯物を取りに行き、そしてUchumi(スーパー)で水とスポンジケーキ、ジュースそして携帯のシムカードを買ってきた。そして明日からのホームステイの準備に。着替えが中心であとは奥さん、友達、そして倉敷の写真を入れた。準備万端。明日が今から楽しみである。
ひとつ昨日からインターネットが通じない。途上国だから仕方ない・・・。まあホームステイから帰ってきたら、またしていこう。
7月13日 新隊員カリブパーティ☆
7月12日 "Buy food."
さて今日は朝からナイロビ日本人学校へ行った。ナイロビ市街地から西に車で20分走った郊外にある。そこでナイロビ日本人学校の生徒と一緒にサッカーの練習、そして試合をした。練習から見て、みんなかなり上手でほんとに驚いた。整理運動から走り込み、そして三角コーナーをおいてのドリブルリレー(これがかなり難しい)などいろいろな練習をした。そして試合。生徒、先生、隊員、専門家の方みんなで一緒にサッカーをした。すごく新鮮でやっていると嬉しかった。サッカーが終わって帰るとき、日本人学校に招いていただき、校長先生と話をすることができた。非常に気さくなかたで地元の話で盛り上がった。帰りはナイロビに19年間住んでいる方に送ってもらった。すごく面白い方で、また友達ができた。
次に向かったのがトイマーケット。友達の一人がサッカーウェアを買いたいということでやってきた。ある店でサッカーウェアを見つけた。そこでハーフパンツ一枚の値段を聞くと “Shilingi mia nne na hamisini.” (450シル→765円)と言われた。すこし高めかなあと感じたので、安くしてもらおうとスワヒリ語で頼んだ。すると3分後、見事2枚で500シルにしました。まあそんなもんです。
さて帰りにJACIIに向けて歩いていると、一人の女の子が私たちを見るやいなや寄ってきた。小さい声でなにか言っているが聞き取れない。最後に聞き取れた言葉があった。
“Buy food.”
・・・。「食べ物 買って。」・・・。
また心痛んだ。いろんな国に行って、多くの子どもたちを見てきたが、なかなか慣れない。その後も男の子たちがやってきて “Chakula.”と言ってきたり、他の女の子が紙を持ってスポンサーになってくださいと、お金をもらおうとしたりした。こんな子がこのケニアにはたくさんいるんだ。外を歩くといつも、そういう気持ちになる。
夜は、なんと福島県で2ヶ月間訓練した訓練所のスタッフ・上野さんのケニアカリブパーティがあった。上野さんは仕事を辞め、ここアフリカを旅していた。久々に会えて、大変うれしかった。また私の任地であるゲタスル更生院にも行っていたみたいで、たくさん話をしてくれた。生徒が本当かわいい、ごはんが出る、そしてスタッフもみんな温かい、そういうことを教えてもらい、今から赴任するのが楽しみになった。楽しい時間もあっという間に過ぎ、21:00パーティは終了。そして帰ってまたのんびりした。
この日ものんびり過ごしてよかった。明日も休み。今日は早く寝よう。
さて昼からはのんびり過ごした。YAYAセンターに行き、両替商でドルをシリングに替え、そしてゆっくりコーヒーを飲んだ。YAYAは非常にきれいなデパートで、ケニア人のほかヨーロッパ人、アジア人、そしてインド人など多種多様な人種がそこにはいた。
次に向かったのがトイマーケット。友達の一人がサッカーウェアを買いたいということでやってきた。ある店でサッカーウェアを見つけた。そこでハーフパンツ一枚の値段を聞くと “Shilingi mia nne na hamisini.” (450シル→765円)と言われた。すこし高めかなあと感じたので、安くしてもらおうとスワヒリ語で頼んだ。すると3分後、見事2枚で500シルにしました。まあそんなもんです。
さて帰りにJACIIに向けて歩いていると、一人の女の子が私たちを見るやいなや寄ってきた。小さい声でなにか言っているが聞き取れない。最後に聞き取れた言葉があった。
“Buy food.”
・・・。「食べ物 買って。」・・・。
また心痛んだ。いろんな国に行って、多くの子どもたちを見てきたが、なかなか慣れない。その後も男の子たちがやってきて “Chakula.”と言ってきたり、他の女の子が紙を持ってスポンサーになってくださいと、お金をもらおうとしたりした。こんな子がこのケニアにはたくさんいるんだ。外を歩くといつも、そういう気持ちになる。
夜は、なんと福島県で2ヶ月間訓練した訓練所のスタッフ・上野さんのケニアカリブパーティがあった。上野さんは仕事を辞め、ここアフリカを旅していた。久々に会えて、大変うれしかった。また私の任地であるゲタスル更生院にも行っていたみたいで、たくさん話をしてくれた。生徒が本当かわいい、ごはんが出る、そしてスタッフもみんな温かい、そういうことを教えてもらい、今から赴任するのが楽しみになった。楽しい時間もあっという間に過ぎ、21:00パーティは終了。そして帰ってまたのんびりした。
この日ものんびり過ごしてよかった。明日も休み。今日は早く寝よう。
2008年7月13日日曜日
7月11日 Furahi Day (Friday)
今日もいつもどおりの一日だった。朝ごはんを食べ、いつものように授業前に宿題をして。あんまり日本の生徒には見習ってほしくはないが・・・。
そして今日はFurahi(スワヒリ語で「喜び」)Day(Friday)なのでスワヒリ語の先生の調子がよかった。5時間の授業のうち、2時間はケニアのことについていろいろ教えてくれて、午後の1時間は外に椅子を出しスワヒリ語の絵本の読書をした。
まず今回は泥棒について話した。こっちは泥棒が多い。お金や携帯電話が主に狙われる。先生も携帯電話を毎年とられているらしい。ほんとすごい話である。またもし、鉄砲などで来られた場合、大事なことはパニックにならないこと、そして抵抗しないことである。こちらの泥棒は人の命まで狙わない。ほしいのはお金や携帯電話である。携帯電話は市場に売ることができるので、これも泥棒は狙っている。その多くは、経済的な理由で盗む行為をする。それも命がけで・・・。
実はケニア人はJustis(正義感)がかなり強い。たとえば、誰かが何かを盗まれ、大きな声で “Mwizi!”という。そうすると周りにいるケニア人はその泥棒を捕まえ、そして死ぬまでその泥棒を殴る。またはもっとひどい方法で、泥棒をやっつける。・・・。激しすぎるくらいだ。なので、一つ決めたことがある。たとえ泥棒にあっても大きな声で「泥棒!」と言わないようにしたい。それだけ、ケニア人の正義感は強すぎる。
さて次に話したのは、昨年行われた大統領選挙についてである。これは今まで何度も聞いた話である。しかし今までは日本人から日本人の立場で話をしてもらったことである。しかし今回が初めてケニア人の立場で、この選挙のことを振り返ってもらった。これも詳しく日記で言うことはできないが、結果的にキバキが再選してよかったというのが、先生の意見だった。もしライラ・オディンガ大統領になったら・・・。けどその影響でたくさんの命が奪われ、多くの避難民が出た。本当にそれは大きなまちがいであるとも先生は言った。
午後は天気がよかったので、外にイスを出し、野外授業(Darasa la nje)をした。スワヒリ語の絵本をマコトと一緒に読んだ。知恵のある裁判官の話で、正直難しかった。しかし外でやるのもいいなあって思った。
15:00に授業が終わって、次に15:30からキベラスタディツアーの説明やキベラ地区の歴史などを学習した。この話はまた明日に書くことにしよう。というわけで、今日はもう寝ることにする。疲れた・・・。おやすみなさい。
そして今日はFurahi(スワヒリ語で「喜び」)Day(Friday)なのでスワヒリ語の先生の調子がよかった。5時間の授業のうち、2時間はケニアのことについていろいろ教えてくれて、午後の1時間は外に椅子を出しスワヒリ語の絵本の読書をした。
まず今回は泥棒について話した。こっちは泥棒が多い。お金や携帯電話が主に狙われる。先生も携帯電話を毎年とられているらしい。ほんとすごい話である。またもし、鉄砲などで来られた場合、大事なことはパニックにならないこと、そして抵抗しないことである。こちらの泥棒は人の命まで狙わない。ほしいのはお金や携帯電話である。携帯電話は市場に売ることができるので、これも泥棒は狙っている。その多くは、経済的な理由で盗む行為をする。それも命がけで・・・。
実はケニア人はJustis(正義感)がかなり強い。たとえば、誰かが何かを盗まれ、大きな声で “Mwizi!”という。そうすると周りにいるケニア人はその泥棒を捕まえ、そして死ぬまでその泥棒を殴る。またはもっとひどい方法で、泥棒をやっつける。・・・。激しすぎるくらいだ。なので、一つ決めたことがある。たとえ泥棒にあっても大きな声で「泥棒!」と言わないようにしたい。それだけ、ケニア人の正義感は強すぎる。
さて次に話したのは、昨年行われた大統領選挙についてである。これは今まで何度も聞いた話である。しかし今までは日本人から日本人の立場で話をしてもらったことである。しかし今回が初めてケニア人の立場で、この選挙のことを振り返ってもらった。これも詳しく日記で言うことはできないが、結果的にキバキが再選してよかったというのが、先生の意見だった。もしライラ・オディンガ大統領になったら・・・。けどその影響でたくさんの命が奪われ、多くの避難民が出た。本当にそれは大きなまちがいであるとも先生は言った。
午後は天気がよかったので、外にイスを出し、野外授業(Darasa la nje)をした。スワヒリ語の絵本をマコトと一緒に読んだ。知恵のある裁判官の話で、正直難しかった。しかし外でやるのもいいなあって思った。
15:00に授業が終わって、次に15:30からキベラスタディツアーの説明やキベラ地区の歴史などを学習した。この話はまた明日に書くことにしよう。というわけで、今日はもう寝ることにする。疲れた・・・。おやすみなさい。
2008年7月12日土曜日
7月10日 アウトドアレッスン②
今日はスワヒリ語授業のアウトドアレッスンの日である。午後から今日はレストランに行った。JACIIから徒歩10分ほどの小さなレストランである。なかなかおしゃれで(ケニアにしては・・・)、値段も今まで行ったレストランよりもかなり安かった。まあ全員ご飯を食べた後来たので、コーヒーかチャイ(紅茶)を飲んだ。ここで、注文するときの練習をした。といってもそんなに難しくはない。
“Ninataka kahawa.”(コーヒーをお願いします。)
ただこれだけである。まあ隣に先生が座ってくれたため、スワヒリ語でずっと会話できたけど。向かいの友とシマカナはandaziという揚げドーナッツを食べていた。ほんの少し甘味があって、けっこう大きい。これがたったの15シル(24円)である。ちなみにコーヒーはインスタントで(お湯とコーヒーの粉が入っている小袋を出されて)35シル(60円)である。日本に比べるとかなり安い。というわけで15:00前にアウトドアレッスンは無事終わった。
さて帰って財布をおいて、ランニングをした。およそ30分くらい、マイペースで走っていた。初めて通る道を通ったり、道行く人に話しかけたりと楽しく走ることができた。しかし6人ぐらいの子どもたちを見かけると、子どもたちは私に向って手を差し出してきた。小さな声で何か言っているが、小さすぎて聞き取れない。また紙を差し出して、なぜか名前を書いてくれるよう頼んでいる。何か名前を書いて、そこで何か寄付金をもらおうとしているのだろう。ストリートチルドレンだろうか。このような場面はけっこう苦手である。
帰ってふと考えてみた。これから職場となる男子更生院はこういう子たちばかりなのではないだろうか。本当にやっていけるのかと少し不安になった。あと1か月弱。自分がこういう子たちにどう接していけるか、なかなか見えてこない。心の片隅に不安という二文字が出てきた。
“Ninataka kahawa.”(コーヒーをお願いします。)
ただこれだけである。まあ隣に先生が座ってくれたため、スワヒリ語でずっと会話できたけど。向かいの友とシマカナはandaziという揚げドーナッツを食べていた。ほんの少し甘味があって、けっこう大きい。これがたったの15シル(24円)である。ちなみにコーヒーはインスタントで(お湯とコーヒーの粉が入っている小袋を出されて)35シル(60円)である。日本に比べるとかなり安い。というわけで15:00前にアウトドアレッスンは無事終わった。
さて帰って財布をおいて、ランニングをした。およそ30分くらい、マイペースで走っていた。初めて通る道を通ったり、道行く人に話しかけたりと楽しく走ることができた。しかし6人ぐらいの子どもたちを見かけると、子どもたちは私に向って手を差し出してきた。小さな声で何か言っているが、小さすぎて聞き取れない。また紙を差し出して、なぜか名前を書いてくれるよう頼んでいる。何か名前を書いて、そこで何か寄付金をもらおうとしているのだろう。ストリートチルドレンだろうか。このような場面はけっこう苦手である。
帰ってふと考えてみた。これから職場となる男子更生院はこういう子たちばかりなのではないだろうか。本当にやっていけるのかと少し不安になった。あと1か月弱。自分がこういう子たちにどう接していけるか、なかなか見えてこない。心の片隅に不安という二文字が出てきた。
7月9日 平凡な一日・・・。
今日は平凡な一日だった。こんな日もたまにはいい。朝ごはんを食べて、授業を受けて、昼休みに30分間昼寝して、また授業を受けて。この日は宿題もなかったから、なおさらうれしい。
さて15:00に授業が終了し、そして着替えてまた昼寝をした。まあ時差ボケがあるのかな。なかなか眠気がおさまらない。最近は一日10時間くらい寝ている気がする。少しずつ疲れが出てきているのも確かである。休憩時間はしっかり休むようにしよう。
その後ごはんを食べて、そしてパソコンを使ってDVDを見た。この日見たのは「踊る大捜査線 レインボーブリッジを封鎖さよ。」である。青島俊作扮する織田裕二がまっすぐに仕事に励む姿を見て、すこしがんばろうという気になった。明日から勉強しようかな。
見終わった後、つながらなかったインターネットが無事つながっていることを発見。メールを送り、ブログを更新して。そんなこんなで今日ものんびり過ごした一日だった。
さて15:00に授業が終了し、そして着替えてまた昼寝をした。まあ時差ボケがあるのかな。なかなか眠気がおさまらない。最近は一日10時間くらい寝ている気がする。少しずつ疲れが出てきているのも確かである。休憩時間はしっかり休むようにしよう。
その後ごはんを食べて、そしてパソコンを使ってDVDを見た。この日見たのは「踊る大捜査線 レインボーブリッジを封鎖さよ。」である。青島俊作扮する織田裕二がまっすぐに仕事に励む姿を見て、すこしがんばろうという気になった。明日から勉強しようかな。
見終わった後、つながらなかったインターネットが無事つながっていることを発見。メールを送り、ブログを更新して。そんなこんなで今日ものんびり過ごした一日だった。
2008年7月10日木曜日
7月8日 アウトドアレッスン&送別会☆
ふう、今日も一日中スワヒリ語の授業です。ただ午後からアウトドアレッスンでトイマーケットにいけるので、かなりラッキーでした。今日もいつもどおり、力を抜きながら授業を受け、そして午後から服を着替えてトイマーケットへ。1時間の自由時間をもらったので、いろいろな人と話をした。まず、素敵な服を着た1歳の女の子を連れたお母さんに話しかけた。すごくかわいくて、そうお母さんに言うと、うれしそうな顔をしていた。それからトイ小学校へ行った。門番の人と話をして、大変歓迎してくれた。たくさんの小学生ともあいさつぐらいだが、話ができた。さて次にお店をまわった。多くのものが売っているトイマーケットでいろんな人が話しかけてくれた。今日行ったのは、肉屋や本屋そして服屋などである。まだまだわからないスワヒリ語も多かったが、この一つひとつが勉強なので、このアウトドアレッスンは非常に勉強になった。
7月7日 スワヒリ語一日授業スタート★
今日からいよいよ一日スワヒリ語の授業である。ふう、かなり気持はブルー。一日ずっと同じ言語を勉強するって本当に疲れるんだよね。時間は以下のとおりです。
1時間目 8:30 ~ 9:30
2時間目 9:40 ~10:40
3時間目 10:50~12:00
(昼休み)
4時間目 13:00~14:00
5時間目 14:10~15:00
(自習・宿題など)
というわけで、一日5時間以上も勉強・・・。はあ、polepoleがんばろう。
さて、今日はそのあとUchumi(スーパー)へ行き、水やお菓子、携帯電話のプリペイドカード、そしてチョコレートドーナッツを買った。このチョコレートドーナッツがすごく大きくて、またおいしくて35シル(約60円くらい)。日本の半分くらいの値段かな。そういえば、来る前小麦粉の値段が上がっていたからパンの値段も上がっていたなあ。今日本はどうなってるんだろう。帰ってすごく驚くことになりそうだなあ。特にいろいろな値段に・・・。まあ、あまり考えないようにしよう。
その後ドミトリーへ行き、洗濯物を持って帰りました。今日の晩ごはんはレバニラ炒め。これがまたごはんとよく合う。いつもおいしくごはんを食べてます。ケニアに来てもいっこうに痩せないけど、まあいいや、健康なら。その後のんびりメールを送って、日記を書いて。まあ今日は月曜日だから、早く寝よう。
ところで、今日お医者さんが打った注射のところが痛い。はあ。
1時間目 8:30 ~ 9:30
2時間目 9:40 ~10:40
3時間目 10:50~12:00
(昼休み)
4時間目 13:00~14:00
5時間目 14:10~15:00
(自習・宿題など)
というわけで、一日5時間以上も勉強・・・。はあ、polepoleがんばろう。
さて、今日はそのあとUchumi(スーパー)へ行き、水やお菓子、携帯電話のプリペイドカード、そしてチョコレートドーナッツを買った。このチョコレートドーナッツがすごく大きくて、またおいしくて35シル(約60円くらい)。日本の半分くらいの値段かな。そういえば、来る前小麦粉の値段が上がっていたからパンの値段も上がっていたなあ。今日本はどうなってるんだろう。帰ってすごく驚くことになりそうだなあ。特にいろいろな値段に・・・。まあ、あまり考えないようにしよう。
その後ドミトリーへ行き、洗濯物を持って帰りました。今日の晩ごはんはレバニラ炒め。これがまたごはんとよく合う。いつもおいしくごはんを食べてます。ケニアに来てもいっこうに痩せないけど、まあいいや、健康なら。その後のんびりメールを送って、日記を書いて。まあ今日は月曜日だから、早く寝よう。
ところで、今日お医者さんが打った注射のところが痛い。はあ。
7月6日 サッカー対決☆★
今日は朝からサッカーをしに行った。インパラクラブというスポーツ施設にマタツに乗っていき、そして運動場でサッカーした。運動場はけっこうでこぼこしていて、バウンドがイレギュラーばかりした。相手はオランダ人とケニア人、そして日本人の合同チーム。序盤大幅リードをしていた。私もヘッドを決めたりして、順調だった。しかし後半体力のなくなったチームは無残にも逆転負けを喫した。まあ楽しい時間だったのでよかった。さて、その後JICA専門家の方に送ってもらい、JACIIに帰ってきた。
しばらくして、昼ごはんとしてオレンジを食べ、そしてドミへ今日も洗濯へ。そこで同じ職種・青少年活動の先輩に会った。更生院の話をしてもらい、また多くを知ることができた。さて次にJACIIに帰って、Eメールを送った。この日はたくさん時間があったので、たくさんの人に送れて大変満足した。さて明日からはまた1週間が始まる。明日から1日語学。あまり無理せず頑張っていきたい。
7月5日 タウンに行ってきました!!
今日は久々の土曜日。やっぱり休みと思うと心が軽やかになる。今日は朝ごはんを食べた後、ドミトリーに行って、洗濯をした。下着やソックス、そしてズボンなど。一週間ずっとオフィスまで歩いて行ったので、ズボンを洗うと洗濯機の水が真っ黒になった。かなり汚れていたのであろう。そして外に干し、JACIIに帰ってタウン(ナイロビの中心街)に出る準備をした。今回も3人の先輩隊員に連れて行ってもらった。
今日はマタツでなく、路線バスに乗り込んで、タウンに出かけた。立ち並ぶ高層ビル、素敵な服を着て歩いているたくさんのケニア人、途上国とは思えないぐらい都会である。間違いなく地元倉敷市よりもはるかに大きい。そして銀行や両替商、本屋やバス乗り場をまわった。
最後にマサイマーケットに行き、お土産品などを見た。たくさんの民芸品や服、バッグなどが売られていた。途上国にはありがちだが、よく呼び止められる。「ヘイ!」「トモダチ!」「Kuja!(来て)」とあちこちで言われる。そしてほしくもない物をどんどんすすめられる。日本人は慣れてないので、こういうのが少し苦手であろう。しかし彼らは必至だ。習いたての日本語を言って興味をひかせようとする者もいる。「コンニチハ!」「アリガトウ」・・・。しかしこういう時こそ、習っているスワヒリ語を練習するチャンスである。 “Sijui Kiingereza.” (私英語はわかりません。)というと、みんなスワヒリ語で話しかけてくる。この買い物をしていた30分ほどずっとスワヒリ語の練習ができた。そう思うと、話しかけられるのも悪くない。このときちょうど12時半すぎ。おなかがすいたので、ふと “Nina njaa.”(おなかがすいた)といった。そうすると近くでものを売っているおばちゃんが弁当を差し出した。 “Shika.”(どうぞ) 驚いた。自分が食べているものを差し出してくれたのだ。すごくうれしかった。そんなおばちゃんの優しさに触れて、ケニア人の心の優しさを改めて感じた。
さて昼食はおしゃれなタコス屋さんへ。出るのはすこし遅かったけど、おいしかった。そして路線バスでJACIIに戻った。ドミに戻り、洗濯物を片づけ、今日の仕事は終了。残りはのんびり過ごしました。
あっ、そういえばタウンに行ったとき、視覚障害者の人がいた。その人はおそらく自分の子どもであろう子どもの肩を持って歩いていた。すごく温かい光景だなあと思った瞬間、その子どもが持っているプラスチックコップに気づいた。何をしてたのか。それは周りの人にお金を乞うている姿だった。それは一組ではなかった。障害を持っている人はここナイロビでもそのようにして、お金を稼いでいたのだ。ここにも途上国の姿が見え、改めてつらい現実を知った。まだまだ現実を知りたいと感じた。
今日はマタツでなく、路線バスに乗り込んで、タウンに出かけた。立ち並ぶ高層ビル、素敵な服を着て歩いているたくさんのケニア人、途上国とは思えないぐらい都会である。間違いなく地元倉敷市よりもはるかに大きい。そして銀行や両替商、本屋やバス乗り場をまわった。
最後にマサイマーケットに行き、お土産品などを見た。たくさんの民芸品や服、バッグなどが売られていた。途上国にはありがちだが、よく呼び止められる。「ヘイ!」「トモダチ!」「Kuja!(来て)」とあちこちで言われる。そしてほしくもない物をどんどんすすめられる。日本人は慣れてないので、こういうのが少し苦手であろう。しかし彼らは必至だ。習いたての日本語を言って興味をひかせようとする者もいる。「コンニチハ!」「アリガトウ」・・・。しかしこういう時こそ、習っているスワヒリ語を練習するチャンスである。 “Sijui Kiingereza.” (私英語はわかりません。)というと、みんなスワヒリ語で話しかけてくる。この買い物をしていた30分ほどずっとスワヒリ語の練習ができた。そう思うと、話しかけられるのも悪くない。このときちょうど12時半すぎ。おなかがすいたので、ふと “Nina njaa.”(おなかがすいた)といった。そうすると近くでものを売っているおばちゃんが弁当を差し出した。 “Shika.”(どうぞ) 驚いた。自分が食べているものを差し出してくれたのだ。すごくうれしかった。そんなおばちゃんの優しさに触れて、ケニア人の心の優しさを改めて感じた。
さて昼食はおしゃれなタコス屋さんへ。出るのはすこし遅かったけど、おいしかった。そして路線バスでJACIIに戻った。ドミに戻り、洗濯物を片づけ、今日の仕事は終了。残りはのんびり過ごしました。
あっ、そういえばタウンに行ったとき、視覚障害者の人がいた。その人はおそらく自分の子どもであろう子どもの肩を持って歩いていた。すごく温かい光景だなあと思った瞬間、その子どもが持っているプラスチックコップに気づいた。何をしてたのか。それは周りの人にお金を乞うている姿だった。それは一組ではなかった。障害を持っている人はここナイロビでもそのようにして、お金を稼いでいたのだ。ここにも途上国の姿が見え、改めてつらい現実を知った。まだまだ現実を知りたいと感じた。
7月4日 ケニア事情と歴史を学んだ一日☆
今日の午前中はいつもどおりだった。ただ昼にカブトがカメレオンを捕まえた。手のひらよりも小さいサイズのカメレオンで、本当にかわいかった。こんな首都のナイロビで、カメレオンが見えるなんて…。さすがケニア。
さて午後からはオフィスへ。今日はケニア事情や歴史について日本学術振興会ナイロビ研究連絡センターの波佐間さんから説明を受けた。非常に興味深く、はじめて知る多くのことがたいへんおもしろかった。ということで興味を持ったことを少し書き出してみる。
まず、ケニアの経済についてである。国民総所得は540ドル(およそ6万円ほど)。そして失業率は40%である。5人に2人は仕事がない状況である。またもっと驚いたことは、1日1ドル以下で生活する人口は全体の23%で、4人に1人が1日1ドル(110円ほど)で暮らしている。その貧困の現実に言葉を失った。
次に興味を持ったのは近年の出来事である。昨年12月末にあった大統領選挙。そこで起きた選挙の不正・・・。ケニア国民の気持ちが一気に爆発し、暴動へ。この暴動で、約1500人のケニア人の命が奪われ、35万人が家を追われた。現在でも国内二百数十か所の避難所に20万人が残る。特にエルドレッド教会放火事件はたくさんの幼い命が奪われ、心痛む事件となった。
そして最後に、庶民の生活についてである。ある例として貧しいところの家族の1週間の収入は約540シル(918円)。ところがその支出が約670シル(1139円)というのである。足りない分は借りたり、食べなかったり、家賃を滞納したりなどさまざまなようである。そのような現実がこのケニアにはある。今日も多くを知り、多くを考える日となった。
さて帰りは雨が降っていたので、タクシーで帰ることにしたのであるが、この運転手がまた足元を見て、高い金額を吹っ掛けてくる。今回は雨にぬれるわけにもいかず、しぶしぶ言われたとおりの値段で・・・。少し腑に落ちないが、いやなことは忘れよう。ジャンボタクシー10人乗って1000シル(1700円)・・・。まあ、いいや。
今日の昼食はてんぷら、そして夕食はカレーライス。本当に毎日おいしいものばかりで幸せである。まだまだ痩せそうにないが、健康に気つけて、生活していこうと思う。明日は久々の休み。ゆっくりします。それではおやすみ。
2008年7月9日水曜日
7月3日 省庁訪問☆
今日は起きると少しおかしかった。眠い気持ちがたくさんあって、目覚めが悪かった。疲れがでてきたかなあと感じた。いつもの朝食を食べた後、教室で一人黙々と自習していた。さて授業が始まり、前半は集中してできた。しかし後半はボーっとする時間が多く、急に体が痒くなって(おそらく、じんましん・・・)・・・。先生やマコトも心配してくれて・やぱり疲れてるんだなあ。今日は早く寝よう・・・。
さて午後からはいつものようにJICAオフィスへ。今日は財務省、そしてジェンダー・子ども省に表敬訪問に行った。はじめに行ったのは財務相(Ministry of Finance)。6畳ほどの部屋に15人が入っていった。そして一人ひとり自己紹介。みんなも習いたてのスワヒリ語を使って、少し自己紹介していた。たった4日でこんなに話せるんだと思ってびっくりした。さて自己紹介も終わり、話を聞いた。ケニアの国の良さ、人々の優しさなどを話してくれた。次に向かったのはジェンダー・子ども省。マッキーとマコトとシンヤ、そして私の4人そして調整の岸さんと5人で訪問した。更生院そして養護学校はこのジェンダー・子ども省になるみたいである。今回はその省のトップ、事務次官(Permanent Secretary)との会談である。大きくてじゅうたんがひかれてある部屋に通された。そして待つこと5分。事務次官がやってきた。女性の方である。秘書も同席し7人で会談した。簡単な自己紹介をスワヒリ語でし、そして話を聞いた。多くの孤児、ストリートチルドレンたちに学校に行かせたり、生活費を渡したりしたいそうである。そんな子たちの生活や教育をなんとかしたいという気持ちが事務次官からわかった。しかし、実際はあまりにも多い子たちにあまり提供できてないというのが現実だろう。最後に治安に気をつけるように言っていた。
さてその後オフィスに帰って、担当調整員の方と打ち合わせをした。私の行うJICAプログラムは「特別な配慮を要する人々の生活能力向上プログラム」というものであり、ストリートチルドレン・孤児に教育を提供し、まっすぐに育てるというものである。現在ケニアでは約240万人といわれる孤児、30万人を超えるといわれるストリートチルドレンなど、劣悪な環境に置かれ特別な配慮を要する児童や犯罪少年の増加が大きな社会問題となっている。そのため、そのような子どもたちの教育、世話をする更生院の役割は大きいものだと感じる。
今日は、いろいろ学び考えさせられることが多かったように感じる。ケニア全体の問題をひとりで解決することはできないが、自分と接する子どもたちにしっかりまっすぐにぶつかっていこうと改めて感じた。
さて午後からはいつものようにJICAオフィスへ。今日は財務省、そしてジェンダー・子ども省に表敬訪問に行った。はじめに行ったのは財務相(Ministry of Finance)。6畳ほどの部屋に15人が入っていった。そして一人ひとり自己紹介。みんなも習いたてのスワヒリ語を使って、少し自己紹介していた。たった4日でこんなに話せるんだと思ってびっくりした。さて自己紹介も終わり、話を聞いた。ケニアの国の良さ、人々の優しさなどを話してくれた。次に向かったのはジェンダー・子ども省。マッキーとマコトとシンヤ、そして私の4人そして調整の岸さんと5人で訪問した。更生院そして養護学校はこのジェンダー・子ども省になるみたいである。今回はその省のトップ、事務次官(Permanent Secretary)との会談である。大きくてじゅうたんがひかれてある部屋に通された。そして待つこと5分。事務次官がやってきた。女性の方である。秘書も同席し7人で会談した。簡単な自己紹介をスワヒリ語でし、そして話を聞いた。多くの孤児、ストリートチルドレンたちに学校に行かせたり、生活費を渡したりしたいそうである。そんな子たちの生活や教育をなんとかしたいという気持ちが事務次官からわかった。しかし、実際はあまりにも多い子たちにあまり提供できてないというのが現実だろう。最後に治安に気をつけるように言っていた。
さてその後オフィスに帰って、担当調整員の方と打ち合わせをした。私の行うJICAプログラムは「特別な配慮を要する人々の生活能力向上プログラム」というものであり、ストリートチルドレン・孤児に教育を提供し、まっすぐに育てるというものである。現在ケニアでは約240万人といわれる孤児、30万人を超えるといわれるストリートチルドレンなど、劣悪な環境に置かれ特別な配慮を要する児童や犯罪少年の増加が大きな社会問題となっている。そのため、そのような子どもたちの教育、世話をする更生院の役割は大きいものだと感じる。
今日は、いろいろ学び考えさせられることが多かったように感じる。ケニア全体の問題をひとりで解決することはできないが、自分と接する子どもたちにしっかりまっすぐにぶつかっていこうと改めて感じた。
7月2日 みんなに考えてほしいこと。
今日も朝ごはんは昨日と一緒。果物のメロンがうれしかった。このような手作りパン、ミルクティーは大好きなので、毎朝楽しみである。さて午前中は語学。前半はいつもどおり。後半はまたケニア事情についてふれながらの学習であった。今日はケニアの売春問題と警察の汚職について触れた。私とマコトが配属されるのは男子更生院。孤児や経済的に親と暮らせない子ども、そして問題行動がる子どもたちの施設である。その話をすると、先生は女子についても話をしてくれた。ケニアでは一日1ドル(110円ほど)以下で生活している家族や人がたくさんいる。そして親がいなかったり、経済的に生活が本当に苦しい女子は売春をして、生活費をかせいでいる。早い子で10歳くらいで売春を始める子がいる。そんな子がここケニアでは本当に多いらしい。ケニア人男性は、性的関係をもってもお金は払わないこともあるらしい。そのため、外国人はいいカモで外国人を狙っている子も多いのだ。その年齢にも驚いたが、その売春をする値段にも衝撃を受けた。20シル(34円)~50シル(85円)で、その売春は行われるらしい。自分の体を、自分のため、家族のため、まだ小さい弟や妹のために犠牲にする。あまりに残酷の話に言葉を失った。想像していた以上の現実がここケニアではあるのだ。日本の女子高生や女子大生はこの話を聞くと、何を感じるだろう。自分の服や携帯の使用料、ブランド品の財布やバッグ、遊ぶため、そんなもののために売春をする。けどこの子たちはどうだろう。食べるため、生活のため、そして大好きな家族を守るため・・・。今もこのケニアのどこかでそのような現実があると思うと、やるせない気持ちでいっぱいになる。けど何もできない自分がいて、一人の人間の力のなさを改めて感じる。いつかその子たちが笑える日が来てほしいと心から願う。
次に話したのは警察の汚職。先生の体験談もすごかった。ある日の夜、何もしてないのに警察につかまり逮捕。そして裁判所でも自分の身実を伝えると、それから2週間食事もなし、トイレもなし、汚く狭い部屋で留置。そしてまた裁判所へ。自分の無実を証明すると、その2週間がまた待っている。最後にはやってもいない罪を認めて何千シル渡して終わったという。そこで先生が得た一番良い方法は、警察に捕まりそうになったら、ポケットマネーを出して見逃してもらうということだった。警察もそのお金を得るために、罪もない人を捕まえて、現金収入をしているらしい。もちろん全員が全員そんな警察ではないが、しかしそのような警察が多いらしい。このケニアという国はたくさんの問題があり、その警察の問題も大きな問題の一つであるという。正義よりもお金をとってしまう、そんな状況を国民のみんなもわかっていながら、どうにもできないということを感じている。ほとんどの警察が正義のために仕事をする日はいつになったら来るのであろうか。正義の味方である警察にいつかなってくれることを信じている。
今週の午後はJICAオフィスでの活動である14:00までに行き、そこからオリエンテーションや活動が始まる。今日は銀行アカウントからの金の引き出し方などを調整員の岸さんから学び、そしてKaribuパーティがあった。たくさんの職員やスタッフの人と話をした。現地スタッフの人も温かい人が多く、たくさん話をしてくれた。まあ、任地がナイロビ郊外にあるので、いつでもオフィスに来れるのでまた話をしていこうと思う。
さて徒歩でJACIIに帰った後、今日は友の誕生日パーティをした。上田さん(先生)がわざわざケーキを作ってくれ、ちらし寿司を作ってくれた。すごくおいしかった。年配の方の個性があるものの、優しい方である。またそのケーキのほかにみんなで友のためにケーキを買った。そしてまたまたサプライズ。反応はいまいちだったが、すごく喜んでくれた。このケニア隊は本当に仲良くて、一緒にいて安心感がある。そんなこんなで、ステキな一日でした。
次に話したのは警察の汚職。先生の体験談もすごかった。ある日の夜、何もしてないのに警察につかまり逮捕。そして裁判所でも自分の身実を伝えると、それから2週間食事もなし、トイレもなし、汚く狭い部屋で留置。そしてまた裁判所へ。自分の無実を証明すると、その2週間がまた待っている。最後にはやってもいない罪を認めて何千シル渡して終わったという。そこで先生が得た一番良い方法は、警察に捕まりそうになったら、ポケットマネーを出して見逃してもらうということだった。警察もそのお金を得るために、罪もない人を捕まえて、現金収入をしているらしい。もちろん全員が全員そんな警察ではないが、しかしそのような警察が多いらしい。このケニアという国はたくさんの問題があり、その警察の問題も大きな問題の一つであるという。正義よりもお金をとってしまう、そんな状況を国民のみんなもわかっていながら、どうにもできないということを感じている。ほとんどの警察が正義のために仕事をする日はいつになったら来るのであろうか。正義の味方である警察にいつかなってくれることを信じている。
今週の午後はJICAオフィスでの活動である14:00までに行き、そこからオリエンテーションや活動が始まる。今日は銀行アカウントからの金の引き出し方などを調整員の岸さんから学び、そしてKaribuパーティがあった。たくさんの職員やスタッフの人と話をした。現地スタッフの人も温かい人が多く、たくさん話をしてくれた。まあ、任地がナイロビ郊外にあるので、いつでもオフィスに来れるのでまた話をしていこうと思う。
さて徒歩でJACIIに帰った後、今日は友の誕生日パーティをした。上田さん(先生)がわざわざケーキを作ってくれ、ちらし寿司を作ってくれた。すごくおいしかった。年配の方の個性があるものの、優しい方である。またそのケーキのほかにみんなで友のためにケーキを買った。そしてまたまたサプライズ。反応はいまいちだったが、すごく喜んでくれた。このケニア隊は本当に仲良くて、一緒にいて安心感がある。そんなこんなで、ステキな一日でした。
7月1日 ケニア事情①
今日はJACIIにきて、はじめての朝を迎えた。大きな手作りのパンを自分で好きなだけ切って、パンを焼く。私はステーキぐらい厚く切ったパンを2枚焼いて、マーガリンとその上に少しの砂糖をかけて食べた。そしてミルクティー(chai)がまたパンによく合う。外の景色を見ながらゆっくりと朝ごはんを食べることがこんなに幸せなんだと何年かぶりに感じた。日本での朝はこんなゆっくりじゃなかったなあと思った。
さて午前中は語学。前半は普段の授業だが、後半はケニアの社会や文化について触れながらスワヒリ語を学ぶから、むちゃくちゃおもしろい。今日の話は、まず恋愛についてだった。若い女性は、お金のない若い男性には興味がない。18~30歳までの成人の失業率は約60%。全体では40%。その日暮しの毎日を送っている人が多いとのことだった。そのため、20代の若い女性は年上のお金を持っている男性に興味を持つということである。そして、第一優先がお金のため、ケニアの男性よりも外国人に興味を持つらしい。日本人ももちろんターゲットになる。そして独身男性よりも既婚男性のほうが人気があるらしい。結婚していない男性よりも、既婚男性のほうが責任感が強く、魅力的であるという・・・。条件、当てはまってる・・・。付け加えでお酒を飲む男性は魅力的であるらしい。お酒はケニアでは高価であり、それを飲める男性はお金があり、余裕があると見られる。マコトや信也(同じケニア隊で既婚者で酒が強い二人)はモテモテだろうなあ。
午後からはJICAオフィスへ。今日は徳橋次長の事業説明(まあ、みんなの自己紹介と次長のコメントで終わったけど・・・)とメディカルオリエンテーションとしてマラリアの話、そしてマラリア検査キットのデモンストレーションをした。ケニアでのマラリアの状況そして対策などをこと細かに名嶋さんから教わった。そして最後にベープと予防薬をもらった。(ナイロビ隊員の私はもらってないが・・・) そして次はマラリア検査キットの予行練習である。針で自分の指を刺し、血を2、3滴出し、それを検査キットに。特別な薬を違う場所に入れ、血の状況をみて、マラリアかどうかを見る。これからの2年間はマラリアにかからないよう、細心の注意をしていきたい。ということで今日も活動終了。この日も歩いて帰りました。
さて午前中は語学。前半は普段の授業だが、後半はケニアの社会や文化について触れながらスワヒリ語を学ぶから、むちゃくちゃおもしろい。今日の話は、まず恋愛についてだった。若い女性は、お金のない若い男性には興味がない。18~30歳までの成人の失業率は約60%。全体では40%。その日暮しの毎日を送っている人が多いとのことだった。そのため、20代の若い女性は年上のお金を持っている男性に興味を持つということである。そして、第一優先がお金のため、ケニアの男性よりも外国人に興味を持つらしい。日本人ももちろんターゲットになる。そして独身男性よりも既婚男性のほうが人気があるらしい。結婚していない男性よりも、既婚男性のほうが責任感が強く、魅力的であるという・・・。条件、当てはまってる・・・。付け加えでお酒を飲む男性は魅力的であるらしい。お酒はケニアでは高価であり、それを飲める男性はお金があり、余裕があると見られる。マコトや信也(同じケニア隊で既婚者で酒が強い二人)はモテモテだろうなあ。
午後からはJICAオフィスへ。今日は徳橋次長の事業説明(まあ、みんなの自己紹介と次長のコメントで終わったけど・・・)とメディカルオリエンテーションとしてマラリアの話、そしてマラリア検査キットのデモンストレーションをした。ケニアでのマラリアの状況そして対策などをこと細かに名嶋さんから教わった。そして最後にベープと予防薬をもらった。(ナイロビ隊員の私はもらってないが・・・) そして次はマラリア検査キットの予行練習である。針で自分の指を刺し、血を2、3滴出し、それを検査キットに。特別な薬を違う場所に入れ、血の状況をみて、マラリアかどうかを見る。これからの2年間はマラリアにかからないよう、細心の注意をしていきたい。ということで今日も活動終了。この日も歩いて帰りました。
2008年7月6日日曜日
6月30日 語学授業スタート!
今日は朝から、急がしい一日だった。今日から、ドミトリーの生活からJACII(Japan Africa Cooperation Interchange Institute ) という語学学校の生活になるからだ。バックパック一つとナップサック一つ、そしてワイシャツ2枚を手に持って片道5分の道をトコトコと歩いて行った。JACIIに着くと先生方が待っていて、部屋に案内してくれた。部屋は男子3人一部屋で奥の部屋の窓際のベッドになった。
さて9時からはいろいろな説明があり、それから語学が始まった。私はマコトと同じクラスでスワヒリ語のアドバンスクラスになった。たった二人のため、発言数も多くなり、非常に効率の良い授業だった。そして12時半から昼食(Chakula cha mchana)で、ケニア風焼き飯を食べた。牛肉(nyama ya ng’ombe)が入っていて、食べやすく、おかわりまでして食べた。
さて午後からはJICAオフィスでオリエンテーションの続きである。タクシーでオフィスに向かったが、この運転手が最低だった・・・。「JICA・・・?」とよくわからないまま、タクシーは出発。手帳のJICA事務所の住所を見せると、くわしくわからず運転し、そして近くに来ると私に道を聞く始末・・・。そして最後は料金400シル(680円)→ふつうは250シルくらい・・・。ぼったくられた・・・。途上国のタクシー事情をまざまざと見せられた一件だった。
さてオフィスについて、まずしたことは銀行のアカウント解説の手続きをした。たくさんの書類があり、その書類の英語の説明をあまり見ることなく、言われるようにただサインをしていった。次にこれからの日程の確認、最後にインド人Dr.Ajayによる髄膜炎の予防接種・・・。これがまたすごく痛かった。これから2日間、腕が重くなるほど痛みがあった。そんなこんなで無事この日が終了。帰りはみんなですりや強盗への意識を高めながら、歩いて帰りました。ふう、あと4日、polepoleがんばろう・・・。
さて9時からはいろいろな説明があり、それから語学が始まった。私はマコトと同じクラスでスワヒリ語のアドバンスクラスになった。たった二人のため、発言数も多くなり、非常に効率の良い授業だった。そして12時半から昼食(Chakula cha mchana)で、ケニア風焼き飯を食べた。牛肉(nyama ya ng’ombe)が入っていて、食べやすく、おかわりまでして食べた。
さて午後からはJICAオフィスでオリエンテーションの続きである。タクシーでオフィスに向かったが、この運転手が最低だった・・・。「JICA・・・?」とよくわからないまま、タクシーは出発。手帳のJICA事務所の住所を見せると、くわしくわからず運転し、そして近くに来ると私に道を聞く始末・・・。そして最後は料金400シル(680円)→ふつうは250シルくらい・・・。ぼったくられた・・・。途上国のタクシー事情をまざまざと見せられた一件だった。
さてオフィスについて、まずしたことは銀行のアカウント解説の手続きをした。たくさんの書類があり、その書類の英語の説明をあまり見ることなく、言われるようにただサインをしていった。次にこれからの日程の確認、最後にインド人Dr.Ajayによる髄膜炎の予防接種・・・。これがまたすごく痛かった。これから2日間、腕が重くなるほど痛みがあった。そんなこんなで無事この日が終了。帰りはみんなですりや強盗への意識を高めながら、歩いて帰りました。ふう、あと4日、polepoleがんばろう・・・。
2008年7月4日金曜日
6月29日 2連休2日目☆
今日も休み。なんて幸せなんだろう。日本での生活とは大違いだなあ。
この日ものんびり目が覚める。朝ごはんはリッチにトースト、コンソメスープ、マンゴーそしてホットミルク。なかなかのものだ。そしてまた早めに準備して先輩隊員と一緒に本日は「トイマーケット」に出かけた。
「トイマーケット」とは、ヨーロッパの国などから中古で送られた品々を仲介業者が安く現地の人に売り、それをもとにマーケットを起こしているものである。ここはキベラ地区の玄関にあり、あまり奥まで行くことはできないという、少しホットな場所である。店の人もほとんどがキベラ地区の人である。少しびびりながらもトイマーケットに入っていく。しかし、店の人はかなりフレンドリーで、優しく話をしてくれた。つたないスワヒリ語を使って会話に挑戦してみた。なかなか通じるものである。そんな会話をしている自分がうれしかった。
さて次に “JABA café”というステキなカフェに行った。そこでハンバーガーとチップス(フライドポテト)、そしてコーラを昼食として食べた。その瞬間はまるでリゾート地にいる気分がして、途上国にいる気がしなかった。そのあとまゆ姉とズッキーと一緒に夕飯の買い物のため、Uchumi(スーパーマーケット)へ。本日のメニューはハンバーグ。かなりたくさんの買い物をした。特に肉が高かった。全部で1000シル(1700円)もするなんて・・・。日曜日の夜にリッチな夕飯となる予定である。
帰って、下準備。パンから生パン粉を作り、そしてズッキーは玉ねぎを切り、炒めていた。そして本格的に17:30調理開始。私はハンバーグこねこね担当。ズッキーのハンバーグの味付けのあと、いよいよこねこねである。あまりしたことはないが、なかなか上手にできた。そして焼いていった。結婚してから、あまり料理をしてなかったが、楽しかった。
本日のメニューはハンバーグ・ごはん・トムヤムクン風スープ、そしてフルーツヨーグルトである。これがまたおいしくて、みんなに大好評だった。先輩隊員の三木さんは「ケニアに来て、今回の料理が1番か2番かもしれない!」というほど、上手にできた。その後、皿洗いをして、インターネットからメールを送って、日記を書いて。そんな有意義な時間を過ごした。やっぱり休日はのんびりゆっくりするものだ と改めて思った2日間だった。
この日ものんびり目が覚める。朝ごはんはリッチにトースト、コンソメスープ、マンゴーそしてホットミルク。なかなかのものだ。そしてまた早めに準備して先輩隊員と一緒に本日は「トイマーケット」に出かけた。
「トイマーケット」とは、ヨーロッパの国などから中古で送られた品々を仲介業者が安く現地の人に売り、それをもとにマーケットを起こしているものである。ここはキベラ地区の玄関にあり、あまり奥まで行くことはできないという、少しホットな場所である。店の人もほとんどがキベラ地区の人である。少しびびりながらもトイマーケットに入っていく。しかし、店の人はかなりフレンドリーで、優しく話をしてくれた。つたないスワヒリ語を使って会話に挑戦してみた。なかなか通じるものである。そんな会話をしている自分がうれしかった。
さて次に “JABA café”というステキなカフェに行った。そこでハンバーガーとチップス(フライドポテト)、そしてコーラを昼食として食べた。その瞬間はまるでリゾート地にいる気分がして、途上国にいる気がしなかった。そのあとまゆ姉とズッキーと一緒に夕飯の買い物のため、Uchumi(スーパーマーケット)へ。本日のメニューはハンバーグ。かなりたくさんの買い物をした。特に肉が高かった。全部で1000シル(1700円)もするなんて・・・。日曜日の夜にリッチな夕飯となる予定である。
帰って、下準備。パンから生パン粉を作り、そしてズッキーは玉ねぎを切り、炒めていた。そして本格的に17:30調理開始。私はハンバーグこねこね担当。ズッキーのハンバーグの味付けのあと、いよいよこねこねである。あまりしたことはないが、なかなか上手にできた。そして焼いていった。結婚してから、あまり料理をしてなかったが、楽しかった。
本日のメニューはハンバーグ・ごはん・トムヤムクン風スープ、そしてフルーツヨーグルトである。これがまたおいしくて、みんなに大好評だった。先輩隊員の三木さんは「ケニアに来て、今回の料理が1番か2番かもしれない!」というほど、上手にできた。その後、皿洗いをして、インターネットからメールを送って、日記を書いて。そんな有意義な時間を過ごした。やっぱり休日はのんびりゆっくりするものだ と改めて思った2日間だった。
6月28日 休日らしい休日☆
久々の休日。それも2連休。なんてすがすがしい朝なんだろうと思いながら、ゆっくり起きる。眠い目をこすりながら、買ってきたマンゴーを切る。こっちのマンゴーはかなり安くて、小さいもので一つ15シル(25円)ぐらいである。それもかなりうまい。幸せな朝ごはんを食べた後は、のんびり準備してみんなと散策へ出かけて行った。はじめに行ったのは「Cyber Café」と呼ばれるインターネットカフェ。そこで私とマコトの散策は終わった。それから3時間ゆっくりインターネットをした。決して早いとは言えないインターネットだが、つながるだけましである。たくさんの人にメールを送り、ブログも更新し。本当に有意義な時間だった。そのあとは買い物をしてドミに戻った。
この日もちがうグループが食事当番で夕飯を作った。本日のメニューは炊き込みごはん。かなりうまかった。シーチキンがあんなにうまいなんて・・・。また一緒に作ったコンソメスープもかなりおいしかった。いやあ、毎日なんて幸せなんだろうと思った。 この日はそのあとドラクエをした。約2時間ぐらいかな・・・。まあ日頃できないからなあ。というように本当に久々に休日らしい休日を送った。休日っていいもんだね、と心からそう思った。
この日もちがうグループが食事当番で夕飯を作った。本日のメニューは炊き込みごはん。かなりうまかった。シーチキンがあんなにうまいなんて・・・。また一緒に作ったコンソメスープもかなりおいしかった。いやあ、毎日なんて幸せなんだろうと思った。 この日はそのあとドラクエをした。約2時間ぐらいかな・・・。まあ日頃できないからなあ。というように本当に久々に休日らしい休日を送った。休日っていいもんだね、と心からそう思った。
6月27日 ナイロビスタディーツアー
今日は朝から、安全対策スタッフのシラットと一緒にナイロビスタディツアーへ出かけて行った。朝8:30からバスで回った。まずはじめに訪れたのは東アフリカ最大のスラムと呼ばれるキベラ地区であった。ぼろく、きたない小さな小屋にいろいろな店が立ち並ぶ。ジュースやお菓子を売ってる小売店、そして散髪屋や肉屋など。決して清潔とは言えない、そんな場所で人々は働いていた。しかし、その光景は単なる表向きの話で、実際の姿はよくわからない。約1ヶ月後キベラスタディツアーがあるので、そこで本格的にキベラ地区の本当の姿を見るつもりである。多くのトタンの屋根の小屋が無数にあり、約100万人がその地区で暮らしている。圧倒的である。道端にはたくさんのゴミ、また一か所に集まった大きなゴミの山、キベラ地区の中心はいったいどうなってるのかと考えただけで恐ろしかった。
さてキベラ地区を抜け、次は生活が豊かなカレン地区へと行った。そこで感じたのは、あきらかに地区で道路の良さがちがうということである。キベラ地区周辺では本当に道が悪い。バスも遊園地のアトラクションのように、縦にゆれ、横にゆれ、そんな状態が続いていた。しかしカレン地区ではきれいで舗装された道路であり、道路の違いもはっきりと感じた。
ところで、このカレン地区でとんでもないことが起きた。それは乗ってきたバスが突然故障したのである。途上国にはありがちなことだが、よりによって私たちのバスとは・・・。30分以上待ち、もう一台のバスが到着。そしてそれに乗り換え、またバスで街を回った。予定が大幅にずれ、すこし遅れてJICAオフィスに到着。正直大変だった。そしてこの日はJICAオフィスに売りに来るケニアのお弁当を食べた。2種類あって、ごはんの上にミートソースと肉が乗ってあるものと揚げじゃがいもに鶏肉がのってあるものを2種類を7人で食べた。(お弁当の数は6個) これがまたうまい。どんどん食べていった。それも安い。一つ130シル(220円くらい)で食べることができた。大満足だった。
さてこの日から、食事当番制で食事を作ることになった。自分の番ではなかったが、この日はスープカレーとごはんだった。これがまたおいしくて、何杯もおかわりした。またみんなで食べたので最高だった。そんなこんなで本当にいろいろあった一日だった。
さてキベラ地区を抜け、次は生活が豊かなカレン地区へと行った。そこで感じたのは、あきらかに地区で道路の良さがちがうということである。キベラ地区周辺では本当に道が悪い。バスも遊園地のアトラクションのように、縦にゆれ、横にゆれ、そんな状態が続いていた。しかしカレン地区ではきれいで舗装された道路であり、道路の違いもはっきりと感じた。
ところで、このカレン地区でとんでもないことが起きた。それは乗ってきたバスが突然故障したのである。途上国にはありがちなことだが、よりによって私たちのバスとは・・・。30分以上待ち、もう一台のバスが到着。そしてそれに乗り換え、またバスで街を回った。予定が大幅にずれ、すこし遅れてJICAオフィスに到着。正直大変だった。そしてこの日はJICAオフィスに売りに来るケニアのお弁当を食べた。2種類あって、ごはんの上にミートソースと肉が乗ってあるものと揚げじゃがいもに鶏肉がのってあるものを2種類を7人で食べた。(お弁当の数は6個) これがまたうまい。どんどん食べていった。それも安い。一つ130シル(220円くらい)で食べることができた。大満足だった。
さてこの日から、食事当番制で食事を作ることになった。自分の番ではなかったが、この日はスープカレーとごはんだった。これがまたおいしくて、何杯もおかわりした。またみんなで食べたので最高だった。そんなこんなで本当にいろいろあった一日だった。
6月26日 いよいよ始動☆
今日はJICAケニアオフィスにあいさつやオリエンテーションを行った。制服に身を包み、JICAの用意したバスでドミトリーから約5分かけてJICAオフィスに到着。ひと際目立つ、非常に高い建物で、その10・11階がオフィスである。
さてオフィスは今まで見たことがないぐらい大きなフロアと多くのスタッフで、大変驚いた。今までJICAガーナオフィスしか見たことなかったが、倍以上の大きさと人の多さでびっくりした。
はじめにJICAのスタッフさんや上司とあいさつをかわし、そしてオリエンテーションや所長・次長の講話を聞いて行った。まだ時差ボケがあるせいか、大変眠かったが、なんとか起きて聞くことができた。そのあとは日本大使館へあいさつへ。今回は大使は海外出張でいなかったが、公使との面談はできた。これまで皇太子さまをはじめ、多くの人と面談をしてきたため、全く言っていいほど緊張しなかった。
その後みんなでケニア料理のバイキング店で昼食。思ったよりおいしく、大変満足なご飯だった。しかし、440シル(日本円で約740円)は少し高すぎる・・・。まあ、来たばっかりだし、素敵な昼食でした。
そしてオフィスに帰って、またオリエンテーション。17時までしっかり多くのことを学んだ1日でした。ふう、これがこれから1ヵ月続くと思うと大変すぎると思いながら、なんとか終わった一日だった。
ところで、日本の携帯電話はやっぱり、すごい!!iメールができるのである。電話がなぜか使うことはできないが、まあしょうがない。明日はケニアの現地の携帯電話が支給される。
さてオフィスは今まで見たことがないぐらい大きなフロアと多くのスタッフで、大変驚いた。今までJICAガーナオフィスしか見たことなかったが、倍以上の大きさと人の多さでびっくりした。
はじめにJICAのスタッフさんや上司とあいさつをかわし、そしてオリエンテーションや所長・次長の講話を聞いて行った。まだ時差ボケがあるせいか、大変眠かったが、なんとか起きて聞くことができた。そのあとは日本大使館へあいさつへ。今回は大使は海外出張でいなかったが、公使との面談はできた。これまで皇太子さまをはじめ、多くの人と面談をしてきたため、全く言っていいほど緊張しなかった。
その後みんなでケニア料理のバイキング店で昼食。思ったよりおいしく、大変満足なご飯だった。しかし、440シル(日本円で約740円)は少し高すぎる・・・。まあ、来たばっかりだし、素敵な昼食でした。
そしてオフィスに帰って、またオリエンテーション。17時までしっかり多くのことを学んだ1日でした。ふう、これがこれから1ヵ月続くと思うと大変すぎると思いながら、なんとか終わった一日だった。
ところで、日本の携帯電話はやっぱり、すごい!!iメールができるのである。電話がなぜか使うことはできないが、まあしょうがない。明日はケニアの現地の携帯電話が支給される。
登録:
投稿 (Atom)