初めての長期出張、2泊3日のモンバサへの出張である。子どもたちをモンバサにあるリコニ更生院に連れていくため、大型バスで早朝から出発する。バスに揺られること、約10時間、目的地となるモンバサに到着。私は同期の家に泊めてもらうようにしていたため、この日はモンバサのタウンに降りて、同期を待った。そして久々に同期と会って、マタツを探そうと歩いていた、そのときある男の子が走ってやってきて、
“ ・・・Pesa.” 「・・・お金」
と言って、手を差し出してきた。いつものことだから、驚きもしなかったが、男の子の顔を見た瞬間、衝撃が走った。
“ Aa, ulikuwa Getathuru!!?” 「あっ、お前ゲタスルにいたろ!!?」
なんと、ゲタスル更生院で私が英語や数学を教えていた男の子がそこに立っていた。そして私にお金を求めていたのだ。その子は俺のことに気づくと、その瞬間走って逃げて行った。何が何だか分からず気持ちの整理もつかないまま、また歩き出す。そうすると逃げた男の子がやってきた。申し訳なさそうに、しかしなんだか嬉しそうに。
“ Umenikumbuka? Mini nimekukumbuka.” 「俺のこと覚えてるか。俺は覚えてるぞ。」
“ ・・・Ken.” 「・・・ケン。」
なんとか絞り出した声は少し震えていた。
“ Unaitwa nani? Nimesahau jina lako.” 「名前なんだったっけ。忘れちゃったよ。」
“ ・・・Vincent.” 「・・・ヴィンセント。」
そうヴィンセントだ。人をからかうのが好きで、毎日のように友達とケンカしていたやつ。いつも怒ってたやつだ。赴任当初に1か月ほど教えていただけだが。そんな彼が今モンバサの町で、ストリートボーイになっていた。ゲタスル更生院からリコニ更生院へ移動し、そして脱走。どこにも行くお金がなく、ストリートボーイに。
なんで・・・?ゲタスル更生院の職員である私にとっては、悲しすぎる現実だった。
“ Urudi Getathuru. Ninakufundisha tena.”
「ゲタスルに帰ってこいよ、また教えてやるから。」
“・・・Eh.” 「・・・うん。」
そう言って、少しほほ笑んだ。うれしかったのか、ホッと安心したのか、確かに彼はほんの少し笑顔を見せてくれた。その笑顔をみたとき、ゲタスルにいたときの無邪気な彼を思い出した。そして彼はまた夜のモンバサへと戻って行った。
やり切れない思いとショックな思いと、自分は何もできない無力さと、いろいろなものが混ざり合って、その夜何杯もビールを飲んだ。
2 件のコメント:
出張ご苦労さまでした。
…読んでて私も辛くなりました。
うちもそうですがアフターフォローができてない。それが今の現実です…
子ども達が出た後、笑って過ごしててほしいと願う毎日ですが悲しい現実が繰り返されています。
心痛いですね…。
今自分には何ができるのか今一度考えなおそうと思いました。
ノリさん
実際に教えていた子にお金を求められるのは、すごく胸が痛かったです。更生院のあとのフォローは国レベルで考えていかないといけない問題なので、難しいです。
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