2008年12月19日金曜日

12月18日 キリギティ!!


 そろそろトランスファー(次の更生院に移る)の時期だ。この時期になると、子どもたちは次の更生院の話題でもちきりだ。ここゲタスル更生院では子どもたちは3ヵ月間過ごして、更生院の生活に慣れ、これからの自分たちの生活や人生を前向きに考えるように促される。そして次の更生院へと行き、3年間そこで生活する。

 この次の更生院はケニア全土で6か所ある。西からカカメガ、ケリチョ、オザヤ、ワムム、カベテそしてリコニ更生院の計6か所である。これらはすべて男子更生院で、それぞれの特徴を生かした教育がなされている。パンを作る職業教育をする更生院、ビーズ細工の職業訓練をする更生院などさまざまだ。

 また男子更生院のほかに女子更生院も2か所ある。キリギティとダゴレッティである。この女子更生院と合同で活動する日は、男の子たちもテンションが上がる。やっぱり10歳から18歳。テンションが上がって当然だ・・・。

 そして今日夕方の時間、子どもたちと数人で次の更生院の話をしていた。そのとき、大爆笑することを何人かの子どもが言った。

 “ Unataka kwenda boma gani?” 「どこの更生院に行きたい?」
 “ Likoni!” 「リコニ!」
 “ Likoni!” 「リコニ!」
 “ Kabete, Kabete!” 「カベテ!」
 “ Kiligiti!” 「キリギティ!」

 ・・・(大爆笑)。それもすごい嬉しそうな顔で応えて答えてたよ。女子更生院に行きたいって想像してなかったもんな。そりゃ行きたいわな。マネージャーにも、おもしろおかしく報告すると、

 “ Hee!? Hatari!!” 「へっ!?危険だな(笑)」

 と大爆笑してました。いやあユーモアあるよ、うちの男の子たち。いや冗談じゃなく本気でいってるな、こいつら。というように女の子大好きな男の子たちです。

12月17日 日本のアニメ

 今日の朝は職員会議がなかったため、のんびり子どもたちと過ごした。そしてその後昼食前にマサコサンのアイデアで日本の代表アニメを見ることにした。実は日本からアニメのDVDを持ってきているのだ。それも英語の音声があるものを持っているので、今日はその一つを見せることにした。

 初めて見る日本のアニメに興味津々そうに見る子どもたち。途中体が飛び上るほど驚いたり、笑ったりしていたがすごく楽しんでるようだった。日本の風景や日本の雰囲気がわかるそのDVDは本当に子どもの心に自然に入っていくいい教材のようだった。

 よっぽど気にいったのか、映画が終わるとその主題歌をうれしそうに歌っている光景がなんともうれしかった。この英語の音声があるDVDを本当に持ってきてよかったと思った。

12月16日 親父ギャグ

 世界どこでも万国共通、俺の親父ギャグはウケない。というショックな事件が起きた。俺は日本にいたときから、親父ギャグを授業で言っていた。そのたび生徒から冷たい反応をされた。そしてここケニアでも。

 この日、チャイ(ミルクティ)(tea)を持ってきてくれた子がいた。いつも午前10時過ぎにチャイを持ってきてくれるのだが、この日の俺は調子がよかった。そしてチャイをコップに入れてくれたあと、こう言った。

 “ Asantea!” 「ありがとう」 →本当に” Asante”
“ ・・・。” 「・・・(無反応)」 (何を言ってるんだ、この先生は・・・?)

 ガーン!?ケニアの子どもにも冷たい反応された。慣れているとはいえ、かなりショックな出来事だった。まさかケニアの子たちにも・・・。

 そんなしょうもない親父ギャグを言えるぐらい活動に慣れてきたんだろうが、まだまだだな。もうすぐ30歳。もう開き直って、どんどん親父になるで。

12月15日 maisha yangu ya baadae


 「maisha yangu ya baadae」(将来の自分の人生)というタイトルでいつもテスト後の授業は絵を描かせる。この授業で、なぜか一人も自分の夢がないなんて言う子はいない。この更生院の子どもでも、多くの夢を持っている。

 今回は少ない色鉛筆とクレヨンを用意して、自分たちの夢の絵に色をつけることもした。今回はたくさんの夢があった。マタツ(乗合バス)やバスの運転手、飛行機のパイロットをはじめ、先生や医者、軍隊や警察官、すごいことには大統領になりたいという子までいた。バラエティに富んだ夢が出てうれしかった。

 そして授業の最後は、前に出て発表。どうしてその職業に就きたいのか、またその職業に就くためには何が必要かなどを自分たちなりに話していた。その中で共通して大事なものがあった。それは「勉強」。ほとんどの子は仕事に就くためには勉強が必要であると感じていた。だからがんばりたいという気持ちを前に出していた子もたくさんいた。

 現在、更生院では授業を担当するアカデミックの先生が、一般の公立小学校に転勤している。ケニアの更生院ではEducation(教育)よりRehabilitation(生活指導)のほうが大事だと考えられてるようだ。そのため授業担当の先生が更生院からいなくなってるのだ。

 このゲタスル更生院も例外ではない。現在たった一人しかいない授業担当教員も1月から一般の小学校へ転勤となる。また一緒に活動している協力隊のマサコさんも1月に任期終了だ。つまり1月から私一人で授業を受け持つことになる。そのため現在教えている英語と体育のほかに数学やスワヒリ語の授業までしていかないといけないわけだ。

 多くの課題と問題が1月からのしかかってくる。正直先が見えない不安がある。しかしこの子たちの夢を少しでもかなえてやるために、授業はしっかりしていかないといけない。1月からの準備をこれから少しずつしていこう。

2008年12月17日水曜日

12月12日 ゲタスルファッションショー☆


 いやあ、やってまいりました。ゲタスル更生院が送るファッションショーの時間です。今回エントリーしたのは、約10人のゲタスル更生院所属の少年モデルたち。
今回のファッションのポイントは実に「ケニア」。布団カバーで使っている布でどれだけケニアをイメージするか、これが勝負のポイントです。さてどんな着こなしがあるでしょう。
と挑発し、カメラを構えると次から次へと出てくるおもしろいファッションセンス。いろんな格好で来ては、

 “ Mwalimu, nipige picha!” 「先生、写真撮って」

 と迫ってくる。本当に写真好きな彼ら。センス抜群な彼ら、誰が一番なんて決められないね。というわけで、俺の中ではみんなナンバー1でオンリー1なファッションショーでした。

12月11日 祝日前日☆


 今日は祝日前日。夕方から台所担当の子どもが祝日のための特別の朝食を作っていた。それはケニアのおやつとも言われるマンダージ(揚げドーナツ)である。日本ではそれに砂糖をまぶしたりするだろうが、そのマンダージをそのまま食べる。ほんの少し甘味がして、一度食べたらやみつきになる味だ。

 この日は、次から次へとたくさんのマンダージを子どもが挙げていた。その次の日に約130人に二つずつ配られるため、先生のと合わせて約300個作らないといけない。けどこのマンダージは子どもは大好きだし、普段は絶対食べることができないものなので、前日作っている最中から気になって仕方ない様子。

 毎日が祝日だったらなあ・・・。きっと子どもの中にはそう思ってる子がいるだろう。それだけ祝日の食事は普段と全然違うからね。俺も違う意味で思う。毎日が祝日だったらなあ。(それだけ休めるから)

12月10日 人の話を聞け!


 こんな風景を日本では生まれてもうすぐ29年たつが見たことはない。しかしここケニアでは当たり前のことなんだよね。

 先生が大事な話をしているときに、横になる子どもが多い。それどころか、ついには寝てしまうのだ。日本の生徒のほうがまだまだかわいいわ。伏せたり、うとうとするぐらいで思い切り横になって寝る子どもはいない。慣れていないせいか、すごく腹が立つ・・・。

 注意しない先生にも問題はあるが、それがケニアの文化と言われたらそれまでだ。それどころか、先生まで横になって寝る時があるから困ったもんだ。お客さんが来てもこの通り。ほんと、まいるわ。

 最近は優しく起こすようにしている。そして3回目になると愛のげんこつが子どもたちの頭に降り注ぐ。どうして怒られるんだろうという不思議そうな顔をしている子どももいるが、常に「先生が話をしている時には寝るな!」と言ってあるから寝るほうが悪い。そんな子どもたちも最近ちゃんと人の話を聞くようになってきた。少し進歩したかな。

12月9日 隊員総会


隊員総会。ケニア全土に散らばるケニアボランティアが一斉にナイロビに集まって、委員会の報告や要望を行う会である。朝8時半に事務所に着き、総会の準備をする。この日私は議長団の書記として大事な役目があったため、他の人より少し早めに来ていたのである。

 そして9時半、いよいよ総会開始。初めて経験する総会、またその総会でいきなりの仕事だし、少し戸惑ったがいい勉強になった。各委員会の報告、個人発議など話し合う内容は多岐にわたった。そして昼3時半無事終了。

 その後、私は議長団の反省で6時半くらいまで時事務所に残って作業をした。まあおかげでJICAシールを職員の人に大量にもらったが。そしてその仕事も無事終了。

 夜は久々に集まった同期14人で韓国料理(焼肉)屋で懇親会。久々にみんなで食べる食事、飲むビールはうまかったなあ。帰ったのは夜中の12時半くらいだったかな。ケニアに来て一番遅くまで楽しんでた夜だった。ちょっと怖かったけど・・・。

12月8日 大掃除

 この日は職員室のお掃除をした。まあ職員室といっても私とマサコさんが使う小さな部屋だが。その部屋を隅から隅まで掃除をして、棚にあるものすべてを整理した。そして手伝ってもらったのは精鋭4人の働き者の子どもたち。自ら志願して、職員室掃除をした。

 まずはじめに、ノートの整理をした。この更生院では新しいノートはない。3ヵ月したのち、子どもはちがう更生院に行くため、新しいノートを与え続けると足りなくなるからだ。そのため、昔いた子どもたちが使った中古のノートを使う。そこで整理というのは、前の持ち主だった子どもが書いたページを破くというのが作業だ。そしてまた、そのノートを使う。

 次に寄付されたキリスト教の教科書の整理である。寄付の中で一番多いのはキリスト教の教科書だ。ここケニアでは、約70%がキリスト教である。そのためその教えのための本が多く存在する。更生院にいる子どもが現在約130人いるが、120以上がキリスト教である。まあ残りはイスラム教であるが。

 次に棚の整理。次から次へといろいろなアイテムが出てくる。ベレー帽、サッカー用ソックス、腕輪などなど。そして次から次へと出てきたアイテムが減っている。見てみると子どもたちがうれしそうに身につけている。またポケットが妙に膨らんでいる。ばれないように俺の顔色をうかがうが、ばればれである・・・。愛のげんこつを一人ひとりに与えて、そして最後に3時間近くがんばった子どもたちにマサコさんがパンの差し入れをしてくれた。うれしそうにパンをほおばる子どもたちの姿がかわいかった。
 ということできれいになった職員室で今日も授業準備をします。

2008年12月7日日曜日

12月6日 "Uncle Ken!"

 今日と明日は久々の休み。ということで、たまってある服を洗濯し、ふとんを干し、そして庭の草取りをして。午前中は家事を本格的にした。そうすると、ある男の子がやってきた。隣人のマウラだ。

 “ Uncle Ken!!” 「ケンおじさん!」


 そう言って4歳の子がうれしそうにやってくる。てか、まだ28歳だけど・・・。けっこうショックなんだよね、「おじさん」って言われると。

 聞くとお父さんとお母さんは仕事に行ってるみたいである。そこで、この子はお留守番。けど、すごいね4歳の子を置いて仕事なんて。普段は友達と遊ぶが、この日はマウラの友達はお出かけ。そのため午前中は俺の家にずっといた。一緒に草を取ったり、一緒にマフィンを食べたり、そして遊んだり。休日ならではの楽しい時間だった。

12月5日 "Kanyonga!"(パン)

 夕方、毎日の日課である子どもたちとサッカー。ちょっと疲れて横で休んでいたら、何人かの子どもたちが寄ってきた。そして、夕ごはん前でおなかがすいたなあと言いあった。
そのときある生徒が言った。

 “ Chakula cha Getathuru ni tamu, lakini kadogo.”
 「ゲタスルのごはんはおいしいけど、量が少ないよ。」

 確かに10歳から18歳までの男の子である。食べざかりの彼らに十分な量のごはんが与えられてるかというとそうでもない。120センチほどの体の小さい子も、180センチを超える体の大きい子も、同じお皿に同じ量だけ盛り付けてある。そりゃ、不満も出てくる。

 また、うちの更生院では2日に一回がギゼリ(昼、夜)、そしてもう一日がウガリとマハラグエ(豆)と玉ねぎ(昼、夜)である。一日の摂取食品目はだいたい4~5品目だろう。栄養バランスだって、考えてない。食べることって、人間の楽しみだもんね。

 にんじんだって、じゃがいもだって、この更生院では出ない。予算の関係上しょうがないことなのだが・・・。

 その後、ある質問を子どもたちにしてみた。

 “ Unataka kula chakula gani?” 「どんな食べ物が食べたい?」

 するとほとんどの子どもが同じ答えを言った。

 “ Kanyonga!!” 「パン!」

 子どもたちが食べたい物、あこがれている食べ物、それはパン。けど、なんでパンが食べたいって思うんだろう・・・。そんなに高価なものでもないのに・・・。

 って考えると、あることに気がついた。この更生院では、たまに家族が子どもたちに面会に来る。そしてその子どもに、すべての親がパンを渡す。子どもに何か食べさせてやりたい、けど高価なのは買えない、その親の気持ちが一つのパンになって表れる。パンといっても、ここでパンといったら食パンのこと。そしてその子どもは、他の生徒が食べることのできないパンを食べるのだ。

 きっとパンって、ただ食べたいだけでなく、家族の愛がそこにあるからなんじゃないかな。そんな子どもたちの家族への想いを感じ取れた出来事だった。

12月4日 かくれんぼ

 “ちゃんと洗いなさい!”
 “ほら、洗濯ばさみ!”


 は、はい。この日の午前中洗濯をしていたら、すっかり私になついた隣人のエリザベスとジェニファーがやってきた。私の家のドアがあいていたりすると、すぐにやってくる。そしていつの間にか「かくれんぼ」が始まっている。あの、おれ洗濯してるんですが・・・。

 そしてそのかくれんぼもいつも二人が隠れる場所は同じ。台所のドアの後ろ・・・。そして見つかると、大喜び。まあ3,4歳ぐらいの子どもだからね。

 何回かかくれんぼした後で、洗濯の仕事に戻る。そうすると二人のお母さんが一言。

 “ Eliza, Jenifar, msaidie Ken!” 「エリーザ、ジェニファー、ケンを手伝ってあげなさい。」

 とありがたいお言葉。なんだが、この二人がけっこううるさい。手伝いというか、必死に洗濯物の仕方を教えてくれる。そして洗濯ものを干しているときも、横から口出しだけ。なんかおばちゃんみたい。まあ二人とも立派な大きいおなかをしているが。そしてまたかくれんぼが始まる。元気なこの女の子たちにいつも遊ばれています。

12月1日 何気ない話で盛り上がる

何気ない話に盛り上がるのも、楽しい。年頃の子供だからいろいろなことに多感だ。私がしている腕時計が気になって、値段やどこで買ったのか何人もの子どもに聞かれる。私が使っている日本の携帯電話が気になって、カメラがついているのかケニアでも使えるのかなど何人もの子どもに聞かれる。私がリュックサックにつけている日本の生徒からもらった人形を興味深そうに見て、人形の名前やどこで手に入れたかなど何人もの生徒に聞かれる。

 こうやって何気ない話をするのもまたいい。そして何より盛り上がる話題は、万国共通女の子の話題である。最近よく子どもたちに聞く質問がある。それはこの二つ。

 “ Unapenda wasichana?” 「女の子好きかい?」
 “ Unapenda wasichana gani?” 「どんな女の子が好き?」


 はじめの質問には、みんな笑顔で “Eh-!”「うん!」と答える。そして次の質問の答えがおもしろかった。

 “ Napenda mnono na mrembo.” 「太めで美人!」
 “ Wajapani halafu mnono!” 「日本人で太めの子!」


 ていうように、太めの子がこちらケニアでは人気である。ほとんどの子が太めの女の子が好きと答えた。ケニアだけでなくアフリカの男はけっこう太めの女性が好きのようだ。日本はダイエットブームなのに。まあ俺も昔から太めの女性が好きだから、ケニア人とも女性の好みは合う。というぐあいに、最近女の子の話題で子どもと盛り上がる28歳です。

2008年12月2日火曜日

11月30日 親父

 突然、子どもたちのドミトリーから泣き声が聞こえてきた。そこには一人の生徒が泣いていた。その子は病気で土日とドミトリーでずっと休んでいた。そんな彼が突然泣き出したのだ。突然のことだったので、急いでドミトリーに向かった。他の先生はあんまり気にしていない様子だったが。
 
 “ Inauma・・・” 「痛いよ・・・」

 そう言って、腕を抑えていた。そこにはたくさんの湿疹(しっしん)があり、体中湿疹があった。その痛みから泣いていたのだ。話を聞いてる最中、ようやく他の先生が登場。「薬は飲ませてあるし、あとは寝るだけ」と言って、子どもを説得していた。確かにそうなのだが・・・。ある先生が更生院専門医に電話したが、その専門医も日曜日で来ないとのこと。まいったなあ。

 病気の時って心細いよなあ。広いドミトリーで一人っきりで寝てなきゃダメだし。そんな彼の泣いたことは、単なる痛みだけでなくそこに誰かがいてほしいってことだったんじゃないかな。

 そこで俺は家から、オレンジを切って袋に入れて持ってきた。普段はこんなことしない。俺自身、誰かにお金を渡したり、物をあげたりすることが嫌いである。絶対にそんなことしない。しかし、毎日の食事がそんなに栄養があるかというと、そうではない。もちろん病人食なんてないし、果物だってない。飲みものだって、水道の茶色の水だ。そんなこと考えてるうちに、無意識にオレンジを切って、その子のもとに持ってきていた。

 “Ukule, harafu upate Bitamin C.” 「食べて、ビタミンCをとりな」

 そういって、彼にオレンジを差し出した。彼は何も言わず無表情でそのオレンジをとった。そしてオレンジを食べ始めた。もったいない食べ方をする彼だが、オレンジの種を平気で廊下に捨てる彼だが、うれしそうな顔を何一つしない彼だが、最後にただ一言

 “Asante.” 「ありがとう」

 って言った。これでよかったのかなあと思ったが、これでいいんだと自分で納得した。他の先生も、自分の昼食のチャパティをちぎって渡したり、自分のパイナップルを渡したりしていた。ケニアの先生も彼のことを気にしてるんだと思ったとき、なんだか嬉しかった。

 目の前で困っている人がいたから、自然とその行動に出た。今回はオレンジをあげるという行動に。そしてそばにいるという行動に。わざわざ何かするのに、考え込むことはしなかった。自分がそうしたいからそうした・・・。それでいいんじゃないかな。

 おれは更生院の先生だが、更生院には親のいない子もたくさんいる。そんな子たちにとって単なる先生でなく、厳しい親父であり、ときどき優しく接してやれる親父でいようと思う。叱るときは叱る、心細いときには一緒にいる、いいことしたときには思い切り褒める、一緒にサッカーしたりして遊ぶ、そんな親父になろう。子どもたちを自分の子どもだと思って接しよう。何か大きいことをするのではなく、小さいことでもいいから、子どもたちにしていこう。子どもたちの中に、ほんの小さなことが少しでも残せるのなら。

11月28日 奇跡の夕ごはん☆

 今日の夕ごはんは最高だった。なんと肉とパイナップルが同時に出たのだ。子どもは食べる前から興奮しっぱなしで、ダイニングの前に並ぶときもソワソワしていた。

 普段はそんなごちそうが出ることはない。肉は週1回出るだけだし、果物なんて2,3週間に1回だけだし。メインとデザートがどちらもある日なんて奇跡に近い。そんな最高の夕ごはんだった。

 そんな彼らが、いつも以上にkaribu発言連発。大事な肉やパイナップルをうれしそうに俺に差し出してくる。もちろんそんな大事な彼らのメインとデザートを取るわけにはいかない。

 “Asante, nitakura baadae.” 「ありがとう、俺も後で食べるから。」

 そう言って笑顔で応える。本当にごはんを食べてる時の子どもたちはかわいい。だが、パイナップルのカスをダイニングにポイ捨てしてたので、叱ったが・・・。けど、この更生院の中の楽しみの一つが、このごはんの時間。また何か楽しみの時間を作ってやりたいなあ・・・。

11月27日 健康診断

 この日は定期的に行かないといけない、JICA指定の健康診断の日。前日の夜10時から何も食べず、もちろん朝食もとらず、水だけ。そして検便をとって、いざケニア最大のナイロビ病院へ。

 まずJICA専門医のDr.Saio(イタリア人?)のところへと行く。ここはナイロビ病院とはちがい、その近くのDoctors Plazaという場所にある。簡単にいったら、いろいろなお医者さんのいる複合病院のようなものだ。その建物の中に多くの個人病院がある。そこで患者は、自分のかかる科とお医者さんを自分で決めて、そこに行けるのだ。

 さて、そのおしゃれな病院へと行き、まず検尿。そして血液検査。大嫌いな注射1本目は採血だった。そして次は診察。Dr.Saioの聞きやすい英語はありがたかった。Dr. Ajayの聞きづらい英語とはまったくちがう!

 そして予防接種の時間。A型肝炎、そしてB型肝炎両方の注射を打って、この日だけで計3本の注射を打つ。はあ、痛かった。そしてナイロビ病院へと行きレントゲン写真をとって終了。疲れた。しかしすごくきれいな病院だった。日本とほぼ変わらない設備だし、万が一病気になっても大丈夫だな・・・。

 帰りはたくさんの買い物をして帰りました。大好きな食パンとカップケーキも買えたし。そんなこんなで、仕事を離れて、こういう日もいいなあと感じた一日だった。

11月26日 今日も一緒に朝ごはん

“Mwalimu, karibu!!” 「先生、どうぞ」

 子どもたちはいつも朝ごはんのujiを飲んでいるとき声をかけてくれる。毎朝のごはんはコップいっぱいに入った、uji。これはトウモロコシの粉をお湯で溶かしたもので、ちょっとしたオカユのようなものだ。子どもたちはこれが大好きである。

 しかし、これだけではさすがにおなかいっぱいにならない。私でもおなかいっぱいにならないのに、ましてや食べざかりの10歳から18歳の男の子はなおさらである。少しでも多く入ってるコップをとろうと目を光らせている。

 “Nani anataka uji?” 「だれかujiがほしい人?」

 なんて私が聞くと、一気に10人ぐらいがやってきてコップを差し出す。それだけコップ一杯では足りないのだ。けど毎日同じ朝ごはんでも、子どもたちは嬉しそうに飲む。笑顔でいつも、

 “Tamu sana!” 「とってもおいしいよ」

 と言ってくれる。普段、嫌いになりそうになるぐらいズル賢い子どもたちも、このときの笑顔を見ると、なんとも言えない。そんな彼らと今日もおいしくujiを飲む。