“Unaonekana Umekasirika.” 「怒ってるように見えるよ。」
この日の朝、ある子どもに言われた。昨日の大激怒から一夜明け、子どもの前ではいつもどおりにいようとする。子どものそばを離れると、また心のモヤモヤが顔に出る。それをその子どもは見ていた。心配そうに見て、何度も何度も声をかけてくれた。
“ Hakuna. Niko poa.” 「何もないよ。大丈夫で。」
“ Ah, mwalimu. Unadanganya.” 「ああ、先生。嘘ついてるな。」
“ Niko tufauti ya kawaida?” 「いつもとちがうかい?」
“ Eh, kwa nini?” 「うん、どうして?」
“ ・・・Leo, niko mgonjwa.” 「俺、今日病気なんだ。」
“ Ah, pole.” 「ああ、お大事に」
精一杯の嘘だった。そんな嘘をついている自分がはがゆくて・・・。心配してくれてる子どもに嘘をついた。子どもを心配させないための嘘だが、妙に胸が痛かった。子どもは小さな変化に気づくことができる。そしてどんなときでも周りの大人を見てる。今日の俺はどんなふうに映ったんだろう・・・。かっこわるかったんだろうなあ。情けない先生だったんだろうなあ。そんな自分の情けなさの涙を我慢して、その日とてつもなく長い一日を過ごした。
2 件のコメント:
子どもって敏感ですもんね。。
落ち込んでる時なんか顔に出さないようにしてても
『何が悲しいの??』
って聞いてきますもん。。知らぬ間に表面にでてしまってるのでしょうね。
子どもを想っての嘘。心痛いですが私は時には必要だと思います。
やりきれない想い…お察しします。。
ノリさん
子供って、本当にどこでも周りの人のことを見てますよね。そんな自分のことを心配してくれるたび、しっかりしようと思います。たまには弱みを見せても良いとは思うのですが・・・。また月曜日からがんばります。
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