油断をしてると、しっかり事件を起こす子どもたち。それは授業時間のこと。鉛筆が少なくなったため、新しい鉛筆を出して子どもたちに授業前に配る。ここゲタスル更生院では授業時間になると子どもが使うノートや鉛筆、消しゴムや定規などを配る。そして授業が終わると一斉に回収する。子どもたちは個人の筆記用具は持ってなく、授業になるとそれを使うようになっている。
この日週末勤務の疲れもあったせいか、油断をしていた。授業初めの2時間、英語と数学を終えた私は、ボランティアティーチャーのカフラとバトンタッチ。ここで言うべきだった。
「新しい鉛筆を出したから、ちゃんとカフラ、あなた自身が鉛筆を集めてな。」
って。しかし案の定、カフラは生徒たちを信じて、授業後生徒たちに筆記用具を集めさせ、鉛筆の数を点検せぬまま職員室に戻ってくる。それに気づいた私は、鉛筆を数える。2本新しい鉛筆がなくなっている。子どもたちに盗まれた・・・。新しい鉛筆を出したときは要注意だ。間違いなく盗む。はじめこれで何本盗まれたことか。
生きるために身についた、この盗むという習慣。悪気があるわけではない。ほしいものがあったら、買うのでなく盗む。これが子どもたちが歩んできた人生の一部分だ。もちろん、そのあとの嘘は見事なものだ。決してばれないよう巧妙かつ必死に隠す。これも生きるために身についた能力。アフリカでも治安の悪い国と知られているケニアの更生院の子どもたちだ。盗みや嘘は日常茶飯事。たとえ周りの人に迷惑をかけようとも自分たちを守る。
後味の悪いことだが、結局鉛筆は出てこず、正直に言う子も出てこず。こういう事件はほとんど毎日のように起きているここゲタスル更生院。何十年も積み重ねた習慣を3ヵ月で変えることはできないんだろうなあと思うけど、その盗む行為が悪いことだということはこれからも言い続けたい。
2 件のコメント:
今まで当たり前にやってきて、それがいけないことだってわかってても受け入れるのって難しいよね。ましてや子供相手。人々の意識の変化って私たちボランティアの悩むところだね。
yuriさん
本当に人の意識の変化って難しい。それでもあきらめたら、そこで試合終了だからなあ。あきらめず、これからも言い続けるよ。
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