「教室はいつもきれいにな。」
これは6年前、私が教師1年目の時に当時の教頭先生に言われた言葉だ。
当時の私は勢いだけで、生徒の一人ひとりを見ようとしなかった。自分の教育論が先行して、生徒はこうあるべきだと勝手に生徒を枠にはめようとした。そんなことをしていたので、うまくいくはずがない。1、2年目の学級経営は本当につらかった。
そんな折、教頭先生が飲みに誘ってくれた。俺の様子を気にかけてくれて、二人で倉敷の居酒屋へ飲みに行った。
「くろちゃん、焦ったらおえんで。教育は時間がかかるんじゃから。」
「くろちゃん、教室はいつもきれいにな。
どんなことがあっても、教室がきれいじゃねえとおえん。」
そう言って、優しく伝えてくれた。温かい言葉にビールを何杯も飲んだ。
その当時の教室の様子は散々だった。ぐちゃぐちゃになった机、散乱しているゴミなど。それを教頭先生は見ていた。そのとき何もできない俺が唯一できること、それが教室整備だった。
2件目に連れて行ってくれたお好み焼き屋。大通りを外れ商店街近くにある小さなお好み焼き屋。
「ここは倉敷で2番目においしいお好み焼き屋なんじゃ。」
そう言って連れて行ってくれた。一番はどこだろうと思いながら、突っ込むことはもちろんできない。それでもここのお好み焼きの味は今でも忘れない。むちゃくちゃ温かくて優しい味。
「な、うまいじゃろ?」
そう言って笑顔でお好み焼きをほおばる教頭先生がお父さんのように思えた。その日から、毎日生徒が帰った後の放課後、教室に行った。教室を行くことさえも怖くてつらかった時代。放課後一人で教室に行っては、毎日泣きながらゴミを拾い、机を直した。いつか子どもたちはわかってくれる、そう思いながら自分にできる唯一の教室整備を毎日欠かさずにした。
あれから6年。俺はどう変わったんだろう。今も毎日、更生院の教室の整備は欠かさない。今の俺があるのは、当時の教頭先生のあの言葉があるからといっても過言ではない。更生院の子どもが安心して学習できる場所、安心して生活できる場所として、これからも「教室はいつもきれいに」を実践したい。教育は時間がかかる、だから日々の活動を大切にしていこうと思う。子ども一人ひとりを大切にしていきたいと思う。来年3月、胸をはって当時の教頭先生に会えるよう、これからまた成長していきたい。
2件目に連れて行ってくれたお好み焼き屋。大通りを外れ商店街近くにある小さなお好み焼き屋。
「ここは倉敷で2番目においしいお好み焼き屋なんじゃ。」
そう言って連れて行ってくれた。一番はどこだろうと思いながら、突っ込むことはもちろんできない。それでもここのお好み焼きの味は今でも忘れない。むちゃくちゃ温かくて優しい味。
「な、うまいじゃろ?」
そう言って笑顔でお好み焼きをほおばる教頭先生がお父さんのように思えた。その日から、毎日生徒が帰った後の放課後、教室に行った。教室を行くことさえも怖くてつらかった時代。放課後一人で教室に行っては、毎日泣きながらゴミを拾い、机を直した。いつか子どもたちはわかってくれる、そう思いながら自分にできる唯一の教室整備を毎日欠かさずにした。
あれから6年。俺はどう変わったんだろう。今も毎日、更生院の教室の整備は欠かさない。今の俺があるのは、当時の教頭先生のあの言葉があるからといっても過言ではない。更生院の子どもが安心して学習できる場所、安心して生活できる場所として、これからも「教室はいつもきれいに」を実践したい。教育は時間がかかる、だから日々の活動を大切にしていこうと思う。子ども一人ひとりを大切にしていきたいと思う。来年3月、胸をはって当時の教頭先生に会えるよう、これからまた成長していきたい。
4 件のコメント:
「教室はきれいに!」
俺も副担任になってくれていた、ベテランの先生に言われてた言葉。
1年目、2年目、そして3年目。学校が荒れ、生徒が下校した後の散々な教室の様子。くろちゃんの文を読んで、辛かった時のことを思い出したよ(笑)。当時は掃除をしながら不甲斐ない自分と向き合ってたな~。大切なことはどこでも同じ。国は違えど自分の信念を貫いていきたいよね。
たく さん
やっぱりどこでも同じだよね。
今はケニアの更生院で実践しています。
自分ができることを地道にしていくよ。
わかるな~俺も何度もあるよ、
ツライ思い・・・何もできなくてね。
片付けしかできなくて。
でも片付けてると壊れたもの見つけて余計つらくてね。
俺なんかそのまま来ちゃった。
膳膳だよ、不惑なのに・・・
直んないし、変わんないけど、自覚があれば大丈夫~!!
じゃね。
ひょうひょうかめさん
本当に何もできない時って、
こういう片づけしかできないよね。
けどできることをしていくことが
今は大事だと信じてがんばっています。
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