2009年6月30日火曜日

6月29日 同期

 大事な親友が作ってくれた同期へのたくさんの想いが詰まった歌。これは6年前、親友が岡山県倉敷市で新採用となった小学校と中学校の教員50人のために作ってくれた歌である。地元の岡山県や倉敷市でがんばっている教員の同期、今も日本から応援してくれている小学校・中学校・高校の同期、新潟をはじめいろんな県でがんばっている大学時代の同期、そして世界中で今もひたむきにがんばっている協力隊の同期。同期への感謝の気持ちを込めて。


 同期

 「これからも連絡とって、みんな仲良く・・・。」なんて言えないよ
 それぞれの道進んでいく。遠ざかっていくよ。

 たったの1年で僕は、君のことどれだけ分かっただろう。
 どれほどの思いを君に伝えられたのだろう。

 一人一人ちがうのに、まとめて伝えるなんて無理だろう。
 それでも僕は、全員にあえて歌うよ。

 忘れないよ。「君は同期。」それだけは絶対に忘れないから。
 どんなに離れていても。どんなに時が流れても。
 同じ立場で、同じ時間を過ごした君は特別な存在。
 君ががんばってると思えば、僕もがんばれるよ。
 会えなくたって一人じゃないよ。一緒にがんばっていこう!

 大切な人の言葉も届かないほど傷ついたり
 存在が消えそうなほど自信なくしたり

 「そんなときには僕が力を貸すから。」なんて言えない。
 きっと僕も同じようにやられているから。

 信じることに疲れ果てたり、向き合うことがこわくなったりしたら、
 泣いても、弱音はいても、そこで立ち止まってもいいから、思いだして。
 「君だけじゃない。」他の同期も現場(ここ)で戦っている。
 僕もボロボロだけど、絶対あきらめないから。
 どうか君もあきらめないで。一緒にがんばっていこう。

 僕は何かを残したいから今を生きてる。
 誰に何を残すのか、残せるのか、全然わからないけど。
 今、僕が歌ってるのは、君の心に何かを残したいから。
 同期の君に何かを。「これだけは嘘じゃないんだ。」

 みんながくれた「いいとこ探し」のメッセージを何回読んだかな。
 弱音をはけない僕は、何度助けられたことか・・・。
 「この歌が49人みんな助ける。」とは思ってないけど、
 49人みんなを思って作ったよ。
 これが僕にできる精一杯。君に心届いたかな?
 僕も君も一人じゃないよ。一緒にがんばっていこう。

                            作詞・作曲 てつたろう

2009年6月29日月曜日

6月28日 神様は絶対いるわ

今までの人生で、神様は絶対いるって思ったことはたったの2回。

 まずはじめに思ったのは、一昨年の2月にあった西大寺裸祭り。日本三大奇祭と呼ばれる祭りの一つで、ふんどし一丁の男が2本の御神木と100本の枝神木を力で奪い合うという祭りである。約9000人の参加者がいる中、初出場ながらなんと枝神木を手に入れた。ちょうど今の妻と付き合って間もない頃だ。それから約半年後、妻の家に結婚のあいさつに行ったとき、そこで出された昼食に驚いた。大好きな卵と玉ねぎの味噌汁。死んだばあちゃんが、俺がばあちゃん家に行くたびに作ってくれた大好物だ。ばあちゃんが死んでからもう飲めないと思った卵と玉ねぎの味噌汁を妻の実家で飲むことができた。
 このとき初めて神様の存在を信じた。神様が、この人が運命の人なんだよって教えてくれてると思った。そんな大きな出来事だった「枝神木」と「卵と玉ねぎの味噌汁」。

 そして今回。一週間前、机からパソコンを落とした。すごい音がして、その後電源ボタンを押しても全く反応なし。電源がつかない・・・。充電のためコンセントを差しても、どんなボタンを押しても、何をやってもちっとも反応なし。完璧に壊れていた。たくさんの人に相談して、新しいのを買うか、ナイロビで修理に出すか考えていたところだ。そして一週間後、ある夢を見た。
 俺が家でパソコンをしている夢だ。そして次の日、ふと電源ボタンを押すと・・・つ、つきました電源が・・・!!奇跡というか、神様はやっぱりいるんだと思いました。それからはパソコンを大事に使って、用のない時はスワヒリ語の勉強をしたり、読書をしたりして、より生活を充実させようとしています。
 そんな神様に感謝しながら、今日もケニアで真っすぐ生きています。

2009年6月22日月曜日

6月19日 マダムの金庫

 “ Hapa ni account yangu.” 「ここが私の金庫なの。」

 と言って、得意そうにお金を出した場所、それは胸の中。居眠りが大好きなキッチンの先生はおちゃめなマダム。この日、退職した先生のために200シル(280円ほど)出して送別会をしようということだったので、みんながお金を出した。そのときマダム・ワイリムは大きな胸の中に突然手を入れて、何を取り出したかと思うと、それは小さな財布。

 “ Hapa ni safe sana.” 「ここがすごく安全なの。」

 そう言っておちゃめに笑った。たしかにそこに手を突っ込む泥棒はいないと思うが。それを見て大爆笑。そして同僚たちも大爆笑。体にある絶対安全な金庫、ケニアに来た際はぜひ、この金庫を使ってください。

2009年6月20日土曜日

6月17日 ケニアで一番流行の髪型☆

 協力隊員にとって、自分の髪をだれに切ってもらうかっていうのは大事な問題の一つだと思う。ここナイロビでは、日本人が経営している美容院やドミトリーにはバリカンを含め、散髪セットがあるので特に困ることはない。が、今回同僚のすすめで我が任地カベテで一番おしゃれとされている美容院に行くことになった。

 更生院から歩いて5分。大きなマンションの1階にきれいな美容院「FRIEND’S POINT」がある。そこにはおしゃれな店員さんが4人ほどいて、日本の美容院と変わらないような椅子と鏡がある。また全面白色で電気もたくさんあり、今までの床屋とはまったくちがいオシャレな雰囲気だった。(この周辺は治安が悪いため、写真はありません。)

 “ Unyoe smart kama mkenya wa sasa.”
「今時のケニア人のようにかっこよく切ってください。」


そう言って、店員さんにお任せする。そうすると早速取り出したのが、ケニア美容院3種の神器の一つバリカン。そして一気に前髪からばっさりと刈っていく。ま、まじで・・・と思ってももう遅く、されるがままにされる。しかし単なる坊主と思いきや、すべて刈ってからが長かった。何度も前髪の部分にバリカンを当てて、直線にしていく。この直線がきれいであればきれいなほど、おしゃれということらしい。何度もバリカンを当てられるうち、額から出血が。そんなことおかまいなしに、どんどんすすめていく店員さん。


 次にモミアゲをそろえていく。このモミアゲも、長く、少しずつ細くしていくことがポイントらしい。

 そして坊主にするのに、なんと30分もかかって終了。もちろんお湯で髪を洗ってくれたし(ってか、こんなに髪がなかったら、シャンプーしなくてよかったのでは・・・)、ヘアクリーム塗ってくれたし(これも意味があるんだろうか)。これでたったの70シル(約100円)。店をでて、急に寒くなった頭をなでながら歩いて更生院に帰ると、子どもたちは大喜び。

 “ Mwalimu, uko poa kabisa.” 「先生、最高にいいよ。」
 “ Umekuwa smart sana.” 「むちゃくちゃかっこよくなったよ。」

 
 と大歓迎してくれた。同僚たちも大喜び。そんな寒くなった頭をなでながら、心は妙に温かくなった一日だった。

2009年6月19日金曜日

6月16日 何気ないことで大爆笑☆

 最近は少し余裕がある。笑顔が増えているのが自分でもわかる。ケニアに来てもうすぐ1年。ようやく慣れてきたかなって感じる。そう思える出来事が今朝の出来事。

 “ Uweke shati ndani, halafu utengeneza collar vizuri!”
「シャツを入れて、襟をきちんとしろよ。」
 “ Ukuwe smart kama mimi.” 「俺のように、かっこよくな。」


 そう言って、子どもたちの身なりをきちんとさせるのが毎朝の日課だ。そうやって一人ひとりの服装を見ていると、

 “ Mwalimu, hujatengeneza collar vizuri!” 「先生、襟がちゃんとしてないよ。」

 そう言って、子どもが教えてくれる。俺のようにかっこよくなれって言ってて、自分の襟がちゃんとしてなかった。

 “Hahahahahaha, asante.” 「はははははは、ありがとう。」

 ここで俺が大爆笑。それを見ていた子どもたちも大爆笑。朝礼のきちんとした雰囲気が一気に笑いの楽しい雰囲気になった。いやあおもしろかったわ。どんなきっかけであれ、子どもたちを笑顔にするのは気分がいい。この子たちの笑顔は本当にいい。こっちが幸せな気分になる。そんな子どもたちが少しずつ好きになってきたこの頃。毎日が楽しいわ。

2009年6月16日火曜日

6月15日 大好きなコンピュータ学習


 最近子どもたちが楽しみにしている学習がある。それはコンピュータ学習である。ここゲタスル更生院には2台のコンピュータがある。1台は事務用、もう1台は生徒の学習用である。この生徒用のコンピュータは図書館にある。図書館司書をする傍ら、現在はコンピュータを教える教員としても活動している。
 “ Mwalimu, nataka kusoma konpyuta.” 「先生、コンピュータを勉強したい。」

 そういって毎日のように図書館には行列ができる。一台しかないので、3人ずつ20分で教える。そして次の3人へ。いろいろ細かいことを教えるより触らせるほうが大事。「習うより慣れろ」って言うしね。ということでキーボードやマウスを触らせて、自分の名前を書かせたり、操作させたりしています。

 まだまだ指1本でしか打てない「ショボインドタッチ」だけど、生き生きしている表情を見てると、「タノシインドタッチ」になってるような気がする。今は楽しくコンピュータを学習してくれるだけでいいかな。そして今日もウキウキしながら図書館の前で行列になっています。

6月14日 今ではすっかり仲良し☆


 今ではこんなに仲良しになりました、近所の子どもたち。この日も洗濯を手伝ってくれました。
 もちろん給料としてキャンディーをあげましたが・・・。まだまだ俺白いな。

2009年6月15日月曜日

6月11日、12日 隊員総会


 この日から2日間の隊員総会。各委員会(ドミトリー・幹事団・交通安全など)や各分科会(環境教育・自動車など)の報告や計画、また個人発議や個人活動発表など盛りだくさんの内容だった。

 今回は同期の何人もが個人発議を出したり、個人発表をしたりして普段見えない同期の姿や活動などが見ることができて大満足な隊員総会になった。半年に1回行われる隊員総会の後、恒例になっている同期での懇親会。今回も韓国料理屋で焼き肉を食べました。もちろん焼き肉に合う飲み物と言ったら・・・ビール。普段飲めないビールと焼き肉を心ゆくまで楽しみました。この日から毎日の食事が本当に豪華だった。

 6月11日 昼 ケニア料理バイキング     夜 焼き肉(韓国料理)
 6月12日 昼 イギリス大使館で豪華ランチ 夜 味噌カツ定食(日本料理)
 6月13日 昼 イタリアン料理・ジェラート   夜 先輩送別会のため、ごちそう

 ということで「青少年活動」改め「肉」隊員が3日間の食事を満喫しました。3日間の合計食事金額は2970シル(約4000円)ということで、およそ1か月分の食糧費を使ってしまいました・・・。いやあナイロビ危険です、治安も食事の豊富さも。

 ということで、明らかに大きくなったお腹を見ながら明日から走ろうと心に決めた俺でした。ケニアに到着してから体重+3kg。目指せ、体重-4kg。立派なオヤジのプチメタボのお腹を筋肉質のムキムキに変えてみせます。

2009年6月12日金曜日

6月10日 俺の変化に気づく子ども

 “Unaonekana Umekasirika.” 「怒ってるように見えるよ。」

 この日の朝、ある子どもに言われた。昨日の大激怒から一夜明け、子どもの前ではいつもどおりにいようとする。子どものそばを離れると、また心のモヤモヤが顔に出る。それをその子どもは見ていた。心配そうに見て、何度も何度も声をかけてくれた。

 “ Hakuna. Niko poa.” 「何もないよ。大丈夫で。」
 “ Ah, mwalimu. Unadanganya.” 「ああ、先生。嘘ついてるな。」
 “ Niko tufauti ya kawaida?” 「いつもとちがうかい?」
 “ Eh, kwa nini?” 「うん、どうして?」
 “ ・・・Leo, niko mgonjwa.” 「俺、今日病気なんだ。」
 “ Ah, pole.” 「ああ、お大事に」

 精一杯の嘘だった。そんな嘘をついている自分がはがゆくて・・・。心配してくれてる子どもに嘘をついた。子どもを心配させないための嘘だが、妙に胸が痛かった。子どもは小さな変化に気づくことができる。そしてどんなときでも周りの大人を見てる。今日の俺はどんなふうに映ったんだろう・・・。かっこわるかったんだろうなあ。情けない先生だったんだろうなあ。そんな自分の情けなさの涙を我慢して、その日とてつもなく長い一日を過ごした。

2009年6月11日木曜日

6月9日 大激怒★

 家の庭になる調理用バナナのマトケ。これがかなり大きくなってきたから、それをとって子どもたちにあげることにした。約50本はあるかな。一人一本はいかないけど、切って料理するとみんな食べることができるだろう。そう思って、マトケの束を子どもたちに渡す。

 家で片づけしてると、先生たちがうちに来る。

 “ Ken, nipatie ndizi.” 「ケン、俺にもバナナくれよ。」
 “ Hizo ni za watoto. Umechelewa kidogo.”
「それは子どもたちのだからね。ちょっと遅かったね。」


 子どもたちに渡すためにあげたものだから、先生にはあげることはできない。そう思って笑顔で答え、更生院に向かう。そうすると子どもたちの一人が言った。

 “ Walimu wamechukua ndizi.” 「先生たちがバナナをとったよ」

 なんと子どもたちにあげたバナナを先生たちで分けてたのである。これには大激怒。子どもたちにあげるって言って渡したのに。なぜ先生たちがとるのかと問いただすと、料理するのが難しいのやら、子どもたち全員に配るだけの十分なバナナがないだとか、ありとあらゆる言い訳ばかり。何をいっても自分たちの考えを変えない。頭にあるのはタダで手に入れることができるバナナのことばかり。子どもたちも、俺と他の先生のただならぬ雰囲気に不安そうな顔をしている。しょうがないから折れる・・・。

 バナナは子どもたちに渡らず、先生たちが持って帰るはめに。全く腑に落ちない私は昼から家に帰ってくる。こうやって子どもたちに渡そうとするものは、必ず先生たちのもとに行く。子どもたちより、自分たちのほうが大事。そんな考えがあからさまにわかる、このケニアの先生たち。文化と価値観のちがいって誰しもがぶつかる壁。けど、どうしても納得できなかったり、理解できなかったりする壁もある。やりきれない想いがたくさん出てくる。悔しい。

2009年6月10日水曜日

6月8日 油断してると・・・

 油断をしてると、しっかり事件を起こす子どもたち。それは授業時間のこと。鉛筆が少なくなったため、新しい鉛筆を出して子どもたちに授業前に配る。ここゲタスル更生院では授業時間になると子どもが使うノートや鉛筆、消しゴムや定規などを配る。そして授業が終わると一斉に回収する。子どもたちは個人の筆記用具は持ってなく、授業になるとそれを使うようになっている。

 この日週末勤務の疲れもあったせいか、油断をしていた。授業初めの2時間、英語と数学を終えた私は、ボランティアティーチャーのカフラとバトンタッチ。ここで言うべきだった。

 「新しい鉛筆を出したから、ちゃんとカフラ、あなた自身が鉛筆を集めてな。」

 って。しかし案の定、カフラは生徒たちを信じて、授業後生徒たちに筆記用具を集めさせ、鉛筆の数を点検せぬまま職員室に戻ってくる。それに気づいた私は、鉛筆を数える。2本新しい鉛筆がなくなっている。子どもたちに盗まれた・・・。新しい鉛筆を出したときは要注意だ。間違いなく盗む。はじめこれで何本盗まれたことか。

 生きるために身についた、この盗むという習慣。悪気があるわけではない。ほしいものがあったら、買うのでなく盗む。これが子どもたちが歩んできた人生の一部分だ。もちろん、そのあとの嘘は見事なものだ。決してばれないよう巧妙かつ必死に隠す。これも生きるために身についた能力。アフリカでも治安の悪い国と知られているケニアの更生院の子どもたちだ。盗みや嘘は日常茶飯事。たとえ周りの人に迷惑をかけようとも自分たちを守る。

 後味の悪いことだが、結局鉛筆は出てこず、正直に言う子も出てこず。こういう事件はほとんど毎日のように起きているここゲタスル更生院。何十年も積み重ねた習慣を3ヵ月で変えることはできないんだろうなあと思うけど、その盗む行為が悪いことだということはこれからも言い続けたい。

2009年6月9日火曜日

6月7日 「これはケンに」


 「これはケンに」

 そう言って、食堂のおばちゃん先生(マダム・ワイリム)が私にソックスを2足手渡してくれた。俺が怒ったとき、いつもそばに来てゆっくりとした口調で落ち着かせてくれる先生だ。

 この日週末の勤務で私を含む4人の先生が更生院にいた。朝子どもたちがダイニングで教会の教えを牧師さんから教わっているときに、4人でのんびり食パンとチャイを楽しみながら話をする。そこで突然マダム・ワイリムが黒いナイロン袋を取り出して、その中からソックスを取り出す。

 “ Hizi ni za Phillip. Hizi ni za Ken.” 「これはフィリップに。これはケンに。」

 そう言ってフィリップと私にソックスを2足ずつ渡してくれた。日ごろかわいがってもらってる上、プレゼントまでくれるなんて。おばあちゃんの温かさのようなものを感じながら感動してると、

 “ Lete one twenty.” 「120シル、ちょうだいね。」
 “ Ati!? Unauza?” 「えっ!?売り物なの?」
 
 そう言って、笑顔で手を差し出していた。ケニア産のソックスだからというが、よく見ると「MADE IN CHINA」の文字が。中国産じゃないですか・・・。そして、そんなマダム・ワイリムのおちゃめな笑顔に負けて1足だけ買いました。60シル(80円ほど)。副業として仕事をしてる公務員はここケニアではたくさんいるのはわかってたけど。そんな日曜日の平和な出来事でした。

2009年6月8日月曜日

6月6日 ファジアーノ岡山

 今ごろ日本ではW杯出場のニュースで大盛り上がりなんだろうなあ。サッカーではW杯出場、野球ではWBC優勝、日本のスポーツは明るいニュースが多いわ。

 そんな中、俺が最も注目しているスポーツニュースがサッカーJリーグ。今季からJ2に昇格した地元岡山県のチーム、ファジアーノ岡山。このファジアーノの試合結果を見るのが楽しみの一つだ。新潟大学時代、その当時J2だったアルビレックス新潟の試合を見に行って興奮したのを今でも覚えている。岡山でもプロのサッカーチームがあったらなあと羨ましく思っていた。隣の広島県はサンフレッチェ広島や広島東洋カープがあるのに。そう思ってたところに、このファジアーノが発足したのだ。

 またファジアーノの選手には地元の選手で知り合いがいる。小学校・中学校と同級生だった友達が主将をしているし、妹の旦那はファジアーノの選手だ。ということもあって、日本にいたとき何度かこの二人と一緒にごはんも食べた。そんなファジアーノは現在下位に位置しているが、まだまだこれから。地元岡山県の誇りファジーアーノ岡山にケニアにいても目が離せないです。

 ちなみに野球は小さいころから巨人ファン。原辰則監督、大好きです。小さい頃よく怒ってた時に「腹たつ のりー」って言ってたぐらいだしね・・・。どうでもいいね。ファジアーノが今日も勝ちますように。

2009年6月6日土曜日

6月5日 子どもの涙で気づいたこと

 10歳ぐらいの小さな男の子がやってきた。無愛想な子で、あいさつしてもツンとしてる。この子は時間をかけて仲良くしていかなきゃと思いながら、笑顔で話しかける。すると怒ってた顔が一変、泣き始めた。心にあったものが爆発したのかのように大粒の涙が流れていた。

 “Hakuna wasiwasi. Usiniogope.” 「心配ねえで。怖がるなって。」
 “・・・(泣)”
 “Unawamiss wazazi wako?” 「両親が恋しいんか?」
 “・・・(うなずく)

 そのときに気づいた。と同時に今まで約1年間活動してきたが、なんでこんなことに気付かなかったのだろうと自分が情けなくも思えた。

 このゲタスル更生院には、10歳から18歳の子が在籍する。小学校4年生ぐらいから高校3年生ぐらいまでだ。そんな年頃の子が親と離れて暮らして、またこれから3年間一緒に暮らせないとわかってるとどうなんだろう・・・。そんな彼らの気持ちを初めてこの日、自分に置き換えることができた。

 俺は高校卒業後、1年間浪人した。19歳まで両親と妹、近くに住む祖父や祖母がいてくれた。大学に入っても初めは家族のいないことがすごく寂しく感じた。そんな自分がもし10歳で家族と離ればなれで暮らしたら・・・3年間一緒に住めないとわかったら・・・。

 泣きじゃくるその男の子の目線に合わせ、

 “ Ona, Yule ni mama yako. Mimi ni brother yako. Sisi tuko family kuanzia leo.”
「見てみ、あっちにいる人はお前のお母さんで、俺はお前の兄貴。

  今日から俺らは家族じゃから。」

 と言った。いつもうちの先生たちが言っている言葉だ。俺もまねして言った。その気持ちを、正直忘れていた。自分が家族の一員であることを。この子が気付かせてくれた、大事なことを。先生であると同時に兄貴でいること、家族としての温かさを彼らに与えること、初心に戻って明日から活動しよう。

2009年6月4日木曜日

6月3日 更生院の保健室

 さすがに一週間近く体調が悪いと心配になってくる。今回の風邪は非常に手ごわい。治ったと思ったらぶり返し・・・。その繰り返しで、今回の風邪はなかなか私から出ていかない・・・。職員会議中も浮かない顔をして話を聞いていた。

 病院に行こうか、行かまいか悩んでいたとき、ふと更生院の保健室のドアが開いているのに気づいた。ここゲタスル更生院の保健室は週3回、約1時間だけ開いている。というのも保健室の先生(看護師)は常駐でなく、隣のカベテ更生院と掛け持ちで仕事をされているため定期的に来ている先生だ。

 子どもたちは保健室が大好き。仕事をさぼることができるし、薬はタダでもらえるし。保健室の先生は優しいし。毎回50人ほど(100人中)の生徒が保健室に行く。大した傷や病気でもない生徒はたくさんいるが・・・。今回私も初めて保健室に行った。スワヒリ語の授業で、よく練習した病院での会話表現。今回やっとそのスワヒリ語表現を生かす場面がやってきた。

 “ Ninaumwa kichwa na niko na kizunguzungu. Halafu niko na runny nose na ninaumwa koo.”
 「頭痛とめまいがするんです。あと、鼻水が出るし、のどが痛いです。」


 なぜか、 “runny nose” 「鼻水」だけ英語。スワヒリ語表現で分からないときはいつも英語で表現してしまう逃げ技。しかしここケニアではこのスワヒリ語と英語の合体言語が通用します。

 “ Una hara?” 「下痢してる?」
 “ “hara” ni nini?” 「 “hara”ってなんですか?」

 もちろんまだまだわからないスワヒリ語はある。今回はこの “hara”「下痢」を覚えました。
 
 “Hapana. Niko na appetite nyingi sana.” 「いいえ、食欲はたくさんあります」

 そう言って、食欲があることはアピール。そして保健室の先生は2種類の薬を小さな袋に入れて渡してくれた。聴診器で体の音を聞いたり、口を開いて喉の様子を見ることもまったくなし。患者の話を聞くだけで薬を出してしまう。ある意味信頼関係で成り立ってるのだが、さすがケニア更生院の保健室。日本の保健室とは違う。

 今日からケニアの風邪を倒すべく、ケニアの薬を手に入れ飲み始めた。日本の風邪薬では全く効果がなかったが、ケニアの薬なら効果があるかも。そう信じながら薬を飲んでます。けど、薬を飲み始めてからお腹の調子が悪いぞ。今度先生に言わなきゃな。

 “Nina hara.” 「下痢してます」 

2009年6月3日水曜日

6月2日 風邪をひく

 日本では新型インフルエンザが猛威をふるっている今、ついに私も体調を崩してしまいました。めまい、頭痛、鼻水、咳などすべての風邪の症状を一身に受けています。最近は忙しさとストレスと気温の急激な変化が重なって、体調の管理が難しくなってきたと思ったら・・・この有様です。

 長期出張が重なり、その振替休日もなく働きっぱなし。修学旅行のあとに休みなく働いている感じです。そして朝・夜は冬、そして昼は真夏、そんな温度の変化に体がついていきませんでした。もうかれこれ1週間になります。いつ治ることやら・・・。

 しかしなぜか食欲はすごくあるんですよね。全く痩せる気配なし。夕食後のおやつはオレンジとレモン。ビタミンCをとることも忘れてません。風邪で舌の感覚があまりないので、日ごろ食べることのできないレモンも食べてます。そして大好きなマンダージ(揚げドーナツ)とチャイ(砂糖3杯入り)は欠かしてません。

 そして夜はのんびりと過ごす。パソコンで映画を見たり、読書をしたり。心の休息も忘れてません。仕事を忘れて自分の時間を満喫しています。これも一人暮らしだからできることかな。人生最後の一人暮らしを楽しんでます。

 けど病気のときって、すごく心細いんですよね。体はまったく細くなる気配はないですが、心はどんどん細くなってる、そんな病気が早く治りますように。病院行こうかな・・・。

2009年6月1日月曜日

5月30日 カベテカリブパーティ


 Karibu Kabete!! 「カベテへようこそ!」

 ということで、私たちの任地ナイロビ郊外にある町の一つカベテに新しい隊員(コンピュータ技術)がやってきた。この日はカベテで一番の大きな家に住んでる同期のシンヤの家でカリブパーティ(歓迎パーティ)を開いた。この日は私を含めるカベテ隊員3人が新隊員のために得意の料理をふるまった。メニューは以下の通り。

 タンドリーチキン・から揚げ       →シンヤ
 野菜たっぷり味噌汁・フルーツポンチ →キョウコさん
 麻婆豆腐・茄子              →ケニャイチロー

 である。野菜や肉不足の新隊員にたくさん食べてもらおうと、前日から仕込みをするほどの気合い。また他の任地からの隊員や専門家の人も招待して合計7人で夕方16時ごろから夜中3時頃まで。飲んで、食って、熱く語って。専門家の方が持ってきてくれたサケの刺身や韓国海苔に大興奮して、久々の刺身に舌つづり。刺身は日本人の心です。そしてカベテの治安情報や自炊の様子、カベテ食堂情報はもちろん、日本にいたときの仕事や結婚のことまでたくさん話した。

 夜7時ぐらいから、指圧マッサージのポールさんを呼んで指圧をしてもらった。このポールさんは、ケニアOB隊員(指圧)の生徒さんで盲目のケニア人である。指圧を職業として、電話で家まで来てくれる指圧師である。

 一人ずつ30分500シル(650円)で指圧をしてもらい、ひとときの幸せな時間を過ごす。肩をはじめ体全体が軽くなった私はパワー全開。お酒弱いのに、ビールをガンガン飲んだ。みんなで飲むお酒や料理って、なんでこんなにうまいんだろうね。

 次の日、だらだら昼13時頃まで語って解散しました。カベテ隊員4人となったので、定期的にこういう会を開いていきたいなあ。協力隊の同期、日本からのみなさん、ケニアのおこしの際はカベテへぜひお越しください。お待ちしてます。