こんな感じは初めてだった。
「子どもと接するのが怖い・・・」
いや正しく言うと、子どもと接する自分が怖い。この時期の私は自分の怒りをコントロールできずにいた。子どもの些細な言動に腹がたって殴る。叱るでなく、キレる。そしてまた殴る。何かあったら、すぐに手を出す。体罰だ・・・。
教員をしていた頃も、時々手を出すことがあった。正直自分の怒りの感情をコントロールするのは下手くそだ。何度それで悩んだことか。ケニアでも同じだった。もうすぐ30歳だし少しは落ち着くだろうと考えていたが・・・甘かった。
ある日、同僚のマダムに言われた言葉。
“Hashira yako ni kubwa.” 「ケンの怒りは大きすぎる。」
その言葉を聞いたとき、ただただ自分に悔しくて情けなくて涙を流した。絶対ケニア人の前で泣かないと思っていたのに泣いた。
そこで与えられた3つの選択肢。
① 自分の怒りをすべて抑えて、叱らず笑顔で言い聞かせるか。
② 自分の感情のままに行動するか。(今まで同様、手を出すか。)
③ ケニア人の叱るときの文化、kiboko(木の枝)でお尻をぶつか。
そこで私が選んだのは③だった。正しくないかもしれない。いや日本の考え方でいうとまちがいだろう。けど、これが私の選んだ答えだ。子どものまちがいをしっかり叱ってやる、これは大切なことだ。その方法をケニア式にして、少しでも子どもの次につながる指導がしたいからだ。悩みに悩んだ末、出した答えだ。
まだまだトンネルの出口は見えない・・・。
5 件のコメント:
その選択肢、正解だと思います。
体罰…日本でもかなり問題になってますが私は時には必要だと思います。
それが日常だと虐待になり問題ですが、ここぞって時に叱る場合には必要だと…。
口だけじゃ伝わらない事ってありますもん…
私の場合ラインを引いてます。
人を傷つける行為をした場合にはめちゃくちゃ叱ります。
皆がビックリするくらい。。
そうやって思いっきり叱る職員も必要やと私はそう思います。
あんまり人には言いたくないような、自分の隠したい部分を素直に話せるケニャイチローさんはやっぱりかっこいいです。
ノリさん
毎日のように起こるたくさんの問題に四苦八苦しているこの頃です。少しずつ変わっていくとは思うのですが、目に見える結果を求めすぎてしまうのは、まだまだ未熟ですよね。
うんうん。殆どの教師隊員はこの問題にぶち当たるよね。
日本のやり方で育ってきた自分、そして人国のやり方のギャップに悩むことも...
その国の文化に合わせると短絡的な考えも出来ない。
そんな板ばさみで苦しむよね...
俺も悩んだけど、最初は言い聞かせて、それでも馬鹿にするようなことがあれば、体罰にすることにしています。
(幸いなことに体罰にはまだいたっていません。)
あ、あと生徒の年齢にも寄るよね。うちのところは比較的大人なので、言うことを聞くのかもね。
ほっしー
そうだよな。これはかなり難しい問題だよね。人と人との仕事で必ずぶち当たる壁・・・。まだまだ試行錯誤してるよ。
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