衝撃の事件から3週間ほどたっただろうか。私の授業がなくなり、図書館運営もなくなった。私が現在している活動は体育だけ。私的には体の疲労も少なく、自分の時間が多く持てるようになったのだが、思っていたように子どもたちから不満が出てきた。
“ Mwalimu, kwa nini hufundishi?” 「先生、どうして教えてくれないの?」
“ Mwalimu, siku hizi library haifungui” 「先生、最近図書館が開かないよ。」
そういって多くの子どもたちがやってくる。ここの更生院でもう一度、一からやり直そうとするマサイ族のウィリアムはほぼ毎日のように不満をもらす。私が授業をしなくていいと言われた日以来、毎日図書館の本を読んでいたウィリアムはそれができなくなった。図書館運営を頼んだ寮父の職員は、昼前には更生院から姿を消している。そのため子どもたちはテレビを見るか運動場で寝るか、どちらかになる。もちろん図書館が開かないということはウィリアムが楽しみにしていたコンピュータの時間もなくなるということだ。私が図書館に行かなくなってからコンピュータ教室は行われていない。すべてが悪循環にまわっているのがわかる。
ある先生に昔言われた言葉がある。
「更生院の子どもたちだから、そんなにがんばらなくていいさ。
どうせ勉強なんてわからないんだから。」
私はその言葉に真っ向から反対したのを覚えている。更生院の子どもたちだからこそ教育を受けたいということに飢えている。今まで家庭の事情などで学校に行きたくても行けなかった子たちがたくさんいる。だからこそ、ここゲタスル更生院にいる子どもたちに教育を提供することは大切なことだと強く思う。そんな子どもたちに、ここゲタスル更生院で授業を教える、私はそれに誇りをもっていた。その大事な中心となる教育が、ゲタスル更生院では崩壊しかけている・・・。
以前までは英語、スワヒリ語、算数、理科(社会)の4教科は必ず授業をしていたし、図書館も毎日開放していた。その日授業のない子も図書館の本を借りて自習する姿があった。現在は英語、スワヒリ語の2教科と、体育。体育といっても全体100人を見るのでなく、その日授業のある約25人が受ける。そのため、他の75人はやることがない。
ここケニアに来て1年2か月。一番の正念場を迎えた。
2 件のコメント:
正念場ですね。
私はその場にいないし状況もわからないものが勝手な事を言いますが、できるならば復活させてほしいです…。
っていうか復活させるべきですよね。。
子ども達から楽しみを奪ったという所に切なさを感じました。
更生院の子どもだから…とか関係ない!!
子どもはどんな子も同じ。
同じだけ学ぶ権利はあり可能性もある。
きっとケニャイチローさんも同じように思ってはりますよね。。
何か方法はないのか…
遠く離れた日本でもケニアの更生院の子どもたちの事がものすごく気になっています…
ノリさん
どんな子も学ぶ権利をもっている。そのとおりですよね。正直行き詰っていますが、少しずついい方法を考えていこうと思います。
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