2009年2月11日水曜日

2月9日 何のために木ってあるの?




 木って何のためにあるんだろう? 自然のため?緑豊かにするため?

 ここケニアのゲタスル更生院では、私たちの考え方とははっきり言って、ちがう。
 木は燃やすためにある。
 8月に赴任して以来、敷地内にある何十年と生きてきた立派な木が5本以上切られた。何のためか、それは更生院の食事のための火に使う薪(まき)となるためである。

生きるために食べる。

食べるために火を使う。

火を使うために木を燃やす。

木を燃やすために木を切る。


 つまり、ここの更生院では生きるために木を切るのだ。この現実に正直、出てくる言葉がなかった。
日本にいたときは、急速に進む森林伐採に腹をたてていた。なんで他の国の人は自然を破壊するんだろうって。その国の人の状況は考えず、ただただ地球のこれからのことを思って自然破壊を非難していた。

 ところが、ここケニアのこの現実を目の前にして、木を切るなって言えるのか。
お金がない家の人にガスボンベとコンロを買えって言えるだろうか?
今を生きるために木を燃やす人たちに、未来のために木を燃やすなって言えるだろうか? 
地球の環境のために木を使うなって言えるだろうか?

 いろんな想いがあるが、今のこのケニア人の生活を見ていたら決して言うことのできないことである。「地球の自然環境を守る」、言葉だけならもっともらしいが、これがみんなが納得できる形で模索していくこと、私たちが今後考えていかなければならないことなんじゃないかな。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

何が正しいのか。
それって一つの見方しか持ってないうちは結局わからないし、言及しようがないんだよね。
そういう意味でも、
やっぱり私たちが任国の人から学ぶことって本当に多いなぁ、って思うよね~。

匿名 さんのコメント...

 しぶやん
 本当に何が正しいのかわからなくなるんだよね。どれも、まちがいじゃないのかも・・・。
 まだまだ学ぶことはたくさんあるわ。