2010年3月7日日曜日

3月2日 表れはじめた変化

 いつもの風景。いつもの子どもたちとのやりとり。そのいつも通りのことが愛しく感じる。久しぶりにゲタスルに来て、そう感じたこの日。同僚との何気ない会話、更生院の子どもたちとの他愛無いやりとり。マンネリ化して毎日が、少し外に出ることで新鮮に思え、またその時間を大切にできる。この新鮮な感じが好きだ。

 次の日から、最後の大仕事、子どもたちの他の更生院への移動前のテストが始まる。今いる子どもたちが私がここの更生院で受け持つ最後の子どもたちになる。今思えば、本当にこの2年間苦労した。愛情を持って子どもたちに接することなんて、正直できなかったのではないか・・・。ほぼ毎日、子どものまちがいに対し叱り殴っていた。愛情よりも憎しみのほうが多かったのでは・・・。そんな苦しい2年間だった。

 コミュニケーション能力の不足、子どもたちの予想を超える悪さ、ケニアの文化や習慣のちがい、すべてが今思うと私に重くのしかかった。しかしだからこそ、今の自分がいるのではないかと感じる時もある。

 さてゲタスルに帰ってきて、ある変化に気付いた。それは子どもたちの自主性

 “Mwalimu, nataka kusoma kitabu.” 「先生、本を読みたい。」

 そう言って、子どもたちが近寄ってくる。図書館のカギを開けてやると、そこからはもう自分たちですべてができる。何も言われなくても、ある子どもはカウンターに座り、自主的に図書館の仕事をする。他の子どもたちは自分の読みたい本を見つけては、自主的に本を読み始める。あるものはノートと鉛筆を借りに来て、そこから自主的に自習を始める。すべて私から言われたことでなく、自分たちで自主的にしていることだ。今では私に言われなくても、自然と図書館に集まるようになり、自習をしたり本を読んだりするようになった。

 2年前から何度もまいてきた自主性という種。育ってきたと思ったら、何度も何度も裏切られ枯れていったこともあった。しかし、ようやく少しずつ真っ直ぐに芽が出てきたのだ。まだまだ安定してない成長過程の芽だけど、いつかしっかり地面に根をおろし、素敵な花が咲くよう願いたい。子どもたちの未来が、自分たちの手で輝くものになるように。

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