終わりが近づいてきた。11日には任地カベテの隊員メンバーが集まっての送別会。そして12日にはゲタスル更生院での送別会。自分のために送別会を開いてくれるのは、なんだか不思議な気分だ。まさか自分が送り出させれるほうになるなんて。いつも送り出すほうだったのに。
カベテの送別会では我が家に、シンヤ・キョウコさん・片山君が集合して、いろんな話をしました。病気のときも活動に悩んだ時も、いつも励ましてくれたメンバーだ。生意気な弟のような存在のシンヤは、いつのまにか大事な親友になっていた。キョウコさんはいつも笑顔で話しかけてくれ、こちらのたくさんの話を優しく受け止めてくれた。片山君もいつも温かく話を聞いてくれた。そんな大事な仲間との別れが近づいていた。
そしてゲタスル更生院での送別会。たくさんの先生が集まり、私のために送別会が開かれた。たくさんの料理とソーダを飲みながら語る。今までの笑い話や思い出など。2時間という時間があっという間に流れた。そしてケニア人の先生たちが一貫して最後のコメントとして言ってくれたこと。
“ Upunguze hasira.” 「怒りを少なくすること」
“ Tuko Pamoja.” 「私たちはずっと一緒です。」
この2年間の私は、ことあるごとに生徒や同僚と衝突した。そのたびにいつもケニア人の先生たちに教えてもらったこと。それは人間はみんなまちがいがあるということ。そしてそれをゆっくり見ていこうとすること、私がケニア人に何か教えたのでなく、ケニア人から教えてもらったことのほうが多い。
そしてみんなが言ってくれたTuko Pamoja。ケンがどこにいっても私たちはつながっているということだ。その言葉がすごく嬉しかった。自分を赴任当初から同僚として温かく迎えてくれた、痩せてくるとごはんをいつも大盛りにしてくれた、悩んだ時はいつも温かく話を聞いてくれた、そんな同僚が大好きだ。
「衝突したこともケンカしたことも、怒ったこともその負の感情のすべてをケニアに置いて帰ってね」
と、あるマダムが言ってくれた。話を聞いているうちいろんなことを思い出して、自然と涙が流れていた。同僚の前では泣かないと思っていたのに、涙がこぼれた。このゲタスルでの思い出は、これから一生忘れることはないだろう。この2年間で800人以上の更生院の子どもに授業をはじめ、将来の夢を持つこと、Asanteの大切さなど伝えてきた。その小さな芽たちが、いつか将来大輪の花を咲かせますように。そう日本から祈る。
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