2010年1月31日日曜日

1月30日 ケニア人のペース

 どの国にもそれぞれの文化、ライフスタイル、考えというものがある。「郷に入れば郷に従え」という言葉があるが、それぞれ独自のものを持っている中で、私日本人の文化・ライフスタイル・考えを押し付けることはおこがましいことである。

 たとえば仕事でも同じことが言える。

 ○時間を守れない。
 ○約束を守れない。
 ○一つのことをするのに時間がかかる。

 などなど。決して悪気はないのだが、ケニア人のこのような仕事に対する姿勢に抵抗を感じる時がある。自分が日本で仕事をしているときに比べて、イライラする場面がたくさんある。子どもへの接し方はもちろん、仕事に対する姿勢まで理解できない場面が多い。

 3年前、私がまだ中学校で仕事をしていたとき、外国人英語助手の先生としてオーストラリア人の先生が中学校へやってきた。日本の子どもたちに英語を教えてやるんだという希望を持って。しかし、中学生の英語への動機の低さ、授業に対する態度などで、彼はすごく悩んだ。そしていろんな場面で怒りを表にすることもあった。日本の中学校の現状、英語教育に関する現状、すべてが彼の理想とは異なっていた。

 今になって、そのオーストラリア人の先生の気持ちがよくわかる。自分が外国に行って働いて、初めてわかるこの気持ち。自分が培ったもの、信じてきたものが通用しない外国という場所。これを理解するのには多くの時間がかかった。

 ケニア人のペースを大切にしよう。

 最近ようやく導き出された自分の中の答え。すべてにおいてケニア人のペースがある。日本人にはない彼らのペースが。もちろん文化もライフスタイルも考えも彼ら独自のものがある。それをようやく心の中から大切にしていこうと、今頃になって思い始めた。もちろん今まで意識してきたことだが、なかなか理解できないことである。しかし、それをケニア人と諦めるのでなく、がっかりするのでなく、ケニア人のペースを大切にする。

 そう思い始めたら、今まで好きでなかったケニア人が好きになり始めた。イライラすることが少なくなったように思う。きっと他の隊員に比べて、理解するのがかなりおそかったのだろう・・・自分は頑固者だから。気付いた時にはもう1カ月半少ししかケニアでの生活が残ってないが、だからこそケニア人と一緒にいれるこの時間を大事に大事にしていきたいと思う。

 残り50日。

2010年1月29日金曜日

1月27日 アユコ


 決して治安がいいとは言えない我が任地カベテ。朝も昼もおだやかなのに、夜になると本当に嫌な雰囲気になる。

 そこに安心感を与えてくれる助っ人、いや助っ犬がやってきた。最近よくうちの家にやってきては、餌をせがむ。そんなかわいい顔で見られると弱くなってしまう私は、いつも家にあるごはんの残り物をやる。

 おっぱいが大きく、メスであるこの助っ犬。この子に「アユコ」とつけた。昼休みに家に帰ってくると、私の姿を見つけては家にやってくる。そして甘えたり、ごはんをせがんだり。本当に甘え上手なアユコ。妻にも見習ってもらいたいわ・・・。

 ごはんを食べるとなでなでタイム、そしてお昼寝タイム。野良犬であるアユコは寂しがり屋。そんなアユコの頭をなでてやると、すごく喜ぶ。そしてお昼寝。うちの玄関前で堂々と寝ころぶ。いつも昼寝の邪魔をしてくる近所の子どもたちも、アユコがいるとうちに侵入してこない。しかし狂犬病には気をつけるようによくJICAから言われているのだが、気にしない。アユコに限って、私を噛むことはないだろう。

 今日もなでてやって、寝ころぶ。・・・あれっ!?あの股間にあるものはチンチン!?
オス!? と、この日新事実が発覚したが、「アユコ」の名前を変えるつもりはない。

残り53日。

2010年1月28日木曜日

1月24日 KESTESチャリティコンサート

 タイトルにいきなり「KESTES」という文字・・・。
 これが何を表しているか、それは “Kenya Students’ Educational Scholarship” の頭文字をとったものである。日本語の正式名称は「青年海外協力隊在ケニア隊員有志による奨学金制度」というものだ。

 これは人格・成績ともに優秀であるにもかかわらず、貧困や経済的理由のために進学できないケニア人生徒に学費の援助をしている組織である。1983年から始まったこの組織は現在に至るまで400名以上のケニア人学生に援助をしてきた。それほど歴史の深い組織である。














 私はこのKESTESの一員として、今まで日本人ふれあい祭りでの募金活動や隊員総会時の広報活動など行ってきた。そして今回はKESTES設立後初のチャリティコンサートを行うことになった。日本からミュージシャン、小説家、画家と幅広く活躍されるAKIRAさんを迎えて。

 朝早くから隊員ドミトリー近くのJACII(日本スワヒリ語学院)に行き、会場設営などを始める。野外ステージの設営も順調にすすみ、AKIRAさんやシンヤ(同期隊員)もリハーサルを始める。私自身も初めてとなるコンサートの運営にいささか緊張するが、楽しみも多くあった。

 現在、奨学生としてケニア人学生2人を援助しているのだが、その2人の奨学生も遠い自分の町(村)からわざわざナイロビまで来てくれた。この二人にお金を集めることのむずかしさ、大変さ、また自分たちの奨学金がどれほど多くの人の力にとって成り立っているのか、それを感じてほしかった。


 さてお客さんも集まり、いよいよスタート。AKIRAさんのありのままの想いがつづられている歌にみんなが一瞬にして引き込まれる。お客さんの真剣な表情や涙する姿も見られ、コンサートは大成功となった。その様子をずっと見ていたケニアの奨学生2人。奨学生の一人はコンサートの後、担当の隊員に涙を浮かべながらこういうことを伝えたそうだ。

 「今日は本当に感動しました。本当にありがとう。」

 いつかこういう子たちが立派に社会へと巣立っていく。それを目標にKESTESの活動も続けていきたい。そしてこれからケニアにやってくる後輩隊員にこの想いも受け継いでほしいなあと思う。

 残り56日。

2010年1月22日金曜日

1月21日 けいどろ


 みなさんは「けいどろ」っていうゲームを知っているだろうか。

 この「けいどろ」とは「警察と泥棒」の略。スワヒリ語でいうと "Polisi na Mwizi"。私が小学校時代、学校から帰ってきてよく友達と遊んだゲームが「けいどろ」だ。ほかにも「ポコペン」というものもあったが。 私の地元、岡山県倉敷市児島の同年代の人たちはみんな知っているだろう。この二つのゲーム。関東でいう「缶けり」に似てるところがあるのかな。

 ルールはいたってシンプル。泥棒役の子どもが隠れたり逃げたりしているのを、警察役の子どもが捕まえるというもの。地元ルールでは「刑務所」という場所を作り、そこに捕まえた泥棒を入れるのだが、仲間の泥棒が助けに来てタッチすると、また逃げられるという、度胸・知能・体力を必要とする単純かつ奥の深いゲームだ。

 “ Nyinyi ni wezi.” 「お前ら、泥棒な。」

 と子どもたちに伝える。更生院の子どもたちで本当に泥棒だった子たちもいるなかで、適切な発言じゃないかもしれないし、教育上配慮のないゲームかもしれないけど、まったく気にしない。

 綱引き用の綱で円を作り「刑務所」を作る。30人クラスで警察役は10人、泥棒役は20人だ。私たちのころは圧倒的に警察役にあこがれたものだ。警察は正義のヒーローのような存在だから。 しかしゲタスルの子どもたちはちがう。ほとんどが泥棒役になりたがっている。

 “ Kwa nini unataka kuwa mwizi?” 「どうして、泥棒になりたいの?」
 “ Napenda kutoroka.” 「逃げるの好きだから。」


 またまた配慮のない発言だが、一切気にしない。しかしその答えにも納得してしまう。今まで警察を見たら逃げてきたような子どもだし、警察に敵対心を持っている子もいるから、警察にはなりたくないよな・・・、と妙に納得。

 それでもこの「けいどろ」、かなり盛り上がるんです。1時間ずっと走りっぱなしでも笑顔が絶えず、楽しめるんです。

 “ Hii ni tamu sana.” 「これ、むちゃくちゃおもしろいよ。」

 と声を合わせて子どもたちが言う。単なる競争より、友達と触れ合って楽しめるゲームのほうがやっぱり好きなようだ。最近は毎日「けいどろ」。けど、頼むから将来は警察官になってくれよ。泥棒にはなるなよ・・・。

2010年1月20日水曜日

1月18日 ケニャイチロー休日の過ごし方

 日本にいたときとは、まったくちがう休日の過ごし方をしてる。
休日ってこんなにのんびり過ごせるもんなんだと改めて感じる最近。
日本にいたころは、土日の2日間とも部活動。部活動の後は疲れて帰って、何をしていたかもはっきりしない。本当に仕事の延長線上で土日も過ごしていた。

 ここケニアでは初めのうちは、せっかくケニアに来たからと土日を使って他の隊員宅や旅行などをしていた。今は任地カベテでのんびり過ごすのが好きだ。そこで今回は休日の過ごし方を紹介します。
 
① 家事(洗濯、掃除、草取り、自炊)
 1週間分のまとまった衣類の洗濯をする。もちろん洗濯機はないので手洗い。手洗いにもかなり慣れてきたのだが、昔のお母さん方の苦労が身にしみる。布団干しも2週間に1回は欠かさず行う。
 次に、1週間たてば砂ぼこり・クモの巣だらけになる家を掃除。ほこりも砂も驚くほど多い。また最近は雨がけっこう降るので、庭には次々と雑草がはえる。それをケニアの草刈り機「スラッシャー」(ゴルフのアイアンみたいな形で、振り回して草を刈る)で草を刈る。これがかなりの重労働。1分刈っては1分休んでの繰り返し。
 最後に自炊。土日におもに作るのはカレーかクリームシチュー。日本から送ってもらったルーがあるので、土日に作る。これは2、3日食べることができるし、野菜もたっぷり入っておいしいので定番メニューである。

② 更生院の子たちと読書
 家事が終わると、ようやく自分の時間が持てる。しかし家で一人はさびしいので、更生院の図書館を開けて、そこで読書をする。それに気づいた子どもたちがやってきて一緒に読書。あまり会話はないが、こうやって一緒に読書をする時間が好きだ。

③ 任地カベテ名物の豚肉料理と喫茶店でひととき
 土曜日の昼に必ず食べに行く場所がある。カベテ名物豚肉料理が食べれる近くのボロ家。店員さんとはすっかり仲良しだ。豚肉とトマトと玉ねぎを炒めたものをウガリと一緒に食べる。これがかなりうまい。それもお腹いっぱいに食べても85シル(約110円)。お勧めのお店だ。
 その豚肉料理を食べて終わったら、そこから徒歩20秒でいける喫茶店へ。この喫茶店は毎日行っている行きつけのお店だ。きれいなお姉さんと学校には行かず働いている子どもたちが経営している。そこでいつも頼むのがチャイ(ミルクティー)とマンダージ(アゲパン)2つ。全部で20シル(約26円)。ここでのんびり過ごすのが大好きである。店員の子供たちも私の名前を覚えていて、私が来るといつも嬉しそうに挨拶をしてくれる。 

 “Ken, Habari?” 「ケン、やあ。」

 というぐあいだ。リラックスして子どもたちやお姉さんとの会話を楽しんでいる。

④ 近所の子供たちと遊ぶ、隣人とおしゃべりをする

土日は基本的にフェンスの門、家のドアを開けている。それを見た近所の子供たちは、必ず遊びに来る。

 “ Uncle Ken!!” 「ケンおじさん!!」

 そう言って許可もなく家に入ってきてはイスに座り、話しはじめる。機嫌のいいときは、子どもたちの大合唱が始まる。と同時に走り始める。うちはね、コンサートホールでもなければ運動場でもないんだよと思うが、子どもたちは止まらない。
 隣人ともよく話をする。平日は忙しくなかなか話ができないが土日はゆっくり話ができるので、こちらもうれしい。

 というように、土日の休日を過ごしている。あと何回ケニアで土日を迎えるんだろうか。と数えるぐらいしか残ってないが、それでものんびり任地で過ごしたい。そんな休日が大好きだ。

2010年1月17日日曜日

ケニャイチロー回想記 初心

 理想と現実はちがう。
 ケニアに来て思ったことだし、教師になった初めての年もそう思った。きっとどこかで光り輝く素敵な活動を夢見ていたんだろう。来る前に考えることは苦労することより、楽しいことばかり。アフリカの子供と笑って、みんなに温かくされて。

 そんな甘い考えがあったから、小さな苦労でも私にとって大きくなっていったんだろう。 ちょうど教師1年目、初任者の頃を思い出す。

 大学時代に思い描いていた教師像とはちがい、苦労の連続だった。授業のあるたびにその前の休み時間にトイレにこもって、不安な気持ちを整理していた。生徒のことが怖いと思ったこともあった。授業のポイント、学級経営のポイント、押したり引いたりのバランス、まったく何もわからない私はどんどん自信を失った。

 「正直テクニックもない、授業技術もない、経験もない、そんなくろちゃんにしかできないことがある。」

 当時の学年主任の先生に連れて行ってもらった居酒屋で言われた言葉。苦労して落ち込むたびにいつも励ましてくれた。

 私にしかできないこと。それは「生徒のそばにいる」ことだった。

 嫌われても嫌われても生徒のそばにいること。毎日の部活の朝練習、休み時間、昼休み、授業以外でも生徒のそばにいるようにした。てか、それしかできなかったからだ。

 それが今の私の原点だ。もちろん逃げ出したいときも、苦しくて胃が痛むときもあった。けど、その「生徒のそばにいる」ことを投げ出したら、私には何も残らないことはわかっていた。初心=「生徒のそばにいる」というのが私の中にある。

  このケニアでも初任者の頃と同じように思う。ケニアの更生院における経験もない、言語能力もない、ケニアの子どもたちを指導する技術もない・・・。だからこそ、大切なのは「子どものそばにいること」。残り2カ月間でできること、きっと大きいことはできないけど、だからこそ初心に戻って自分のできることをしていきたい。

2010年1月15日金曜日

1月14日 「先生、勉強したい。」


“ Mwalimu, nataka kusoma.” 「先生、勉強したい。」

 いつもそう言って私のところに来る子がいる。スタンダード4(小学4年生)のBilly Kamandeだ。ほかの男の子たちが楽しくテレビを見たり、遊んでいるときにいつも図書館で本を読んでいる。寡黙な男の子だが、芯があって努力をする男の子だ。

 “ Mwalimu, unifungulie library.” 「先生、図書館を開けて。」
 “ Mwalimu, nataka kalamu na kitabu cha kuandika.”
 「先生、鉛筆とノートをください。」


 ほぼ毎日のようにやってきて、自分で自習をしてはノートをチェックしてもらいにやってくる。どんなに忙しくても、そのビリーのノートチェックは最優先に行う。スワヒリ語の問題を解いてきたときはこっちも悩む。小学4年生の内容は、さすがに難しい。けど、悩むだけ悩んで答えを私も探す。どうしてもダメだったら、かっこつけず、ほかの先生に私も質問する。ビリーの真っ直ぐな想いに中途半端に答えたくないから。

 そうすると、ビリーに刺激されてか、ほかの何人かの生徒たちもやってきた。空いている時間に図書館にやってきては本を借りる。そして教室に戻り、こつこつと自習をし始める。

 “ Billy, unapenda kusoma?” 「ビリー、勉強は好きかい?」
 “ Ndiyo!” 「うん!」


 そう言って嬉しそうに勉強を続ける。生活に何の心配なく自分の好きな勉強ができる、これだけでビリーは幸せなんだろうなあ。食事もある、制服もある、ノートや鉛筆、消しゴムもある。ほかの学校にはない図書館があって、教科書もたくさんある。もちろん安心して寝る場所もある。一緒に笑える友達がいる。ここゲタスルに来れる子って、すごく幸せなのでは・・・。赴任当初から、いつもそう思っていた。

 今日もビリーは大好きな勉強を思いっきりする。そんな姿を見て、自然と笑顔が出てくる。明日の朝礼でビリーのことを話して、ビリーのことをしっかり誉めてやろうかな。そんな温かな出来事もたくさんあるここゲタスル更生院です。そして明日もビリーは私のところにやってくるだろう。

 “ Mwalimu, nataka kusoma.” 「先生、勉強したい。」

2010年1月13日水曜日

1月12日 倉敷市立玉島北中学校からの贈り物


 ゲタスルの子供たちだけでなく、私の心も温かくしてくれるプレゼントが届いた。
 それは、私の現在の所属先(休職中であるが)倉敷市立玉島北中学校からの手紙である。子どもたちには、日本の文化や食事、学校に関する色とりどりの手紙が入ってあった。そして私には、玉島北中学校からの先生方からの手紙が同封してあった。

 やはり、どこにいっても何年たっても、以前いた勤務先は気になる。2年前に受け持っていた生徒たちのこと、仲の良かった同僚の先生のことなど。思わぬ贈り物に私までうれしく感じた。

 さて子どもたちへの贈り物として、色とりどりの手紙があった。日本の食事(お寿司、おでん、給食など)をはじめ、日本の四季、学校のこと、岡山の昔話「桃太郎」の話まで英語で紹介してくれていた。
 そこで子どもたちと一緒に相談して手紙に書くことを決める。ケニアの子供たちも

 “ Tunaandika kuhusu culture ya Kenya.”
 「私たちもケニアの文化を書きます。」


 と言って、さまざまなケニアのことを考えていた。ケニアの生活、食事、動物などなど。普通の手紙でなく、文化紹介ということで子どもたちはなかなか苦労していたようだ。それでもひたむきに絵を描いたり、まちがいながらも英語の文を書いていった。

 学校にほとんど行くことのなかった子どももいる。

 “Sijui kusoma Kingereza.” 「英語の読み方がわからないよ。」

 と、困った顔をしていた子もいた。そんな子は単語の箇条書きでもいいから、絵だけでもいいからとアドバイス。自分のできることを諦めずにさせて、そして

 “ Umejaribu vizuri!” 「よくがんばったなあ。」

 とほめてやることで、子どもはいい意味で調子にのる。そうやって今回もなんとか全員手紙を書くことができました。近々、この手紙も玉島北中学校に送ります。

 あっ、玉北3年生のみなさん、そろそろ受験ですね。風邪には気をつけて受験に臨んでくださいね。大丈夫、一笑懸命にね。

2010年1月11日月曜日

1月8日 倉敷からの贈り物


 私の活動の一環として行っていること、それは国際交流。ケニアと日本を結ぶための橋渡し役として、ここゲタスル更生院と日本の学校の交流を行ってきた。この2年間で小学校6校、中学校1校、高校1校、またスワヒリ語教室の講座を行っている大人の方と交流することができた。

 今回は地元倉敷市の国際交流協会から倉敷市の4・5歳の子供たちが描いてくれた絵が届いた。テーマは「自分の好きなもの」。果物や友達など、思い思いの絵が描かれている。
今回は倉敷市在住の加藤ジェーンさん(ケニア出身)の協力でこの交流を実現させることができた。一生懸命描いてくれた絵、また描いている様子がわかる写真などを更生院の子供たちに見せた。

 日本というまったく知らない土地のお友達から送ってくれた絵に、なんだか不思議そうに見つめる彼ら。手紙や絵の贈り物なんて、ほとんどもらったことのない彼ら。きっとクリスマスカードやバースデーカードももらったことのない子が多い更生院に、そんな手作りの作品は何よりも温かいものである。

 日本の子供たちにとっても、ケニアとの交流は貴重な経験となっていてほしいと願ってやまない。交流を通して少しでも世界を身近に感じてもらえれば、小学生や中学生が、手紙として生きた英語を一生けん命に表現してもらえれば、そんなことを考えると胸が高鳴って、わくわくするし、うれしくなる。

 そんな二つの国の間に私がいることが、なんだか照れくさく誇りにさえ感じる。地元倉敷の地に戻るまで残り2カ月半。大きな達成感と自信を胸に帰りたいから、残りの期間も突っ走りたい。

 さて今回の記事の様子が新聞やインターネットで書かれているので、ごらんください。


山陽新聞
倉敷ケーブルテレビ
倉敷児童館ブログ

2010年1月6日水曜日

1月5日 我が家の紹介③



 水道から水が出る。
 電気がある。

 というのは当たり前のことのように思う。しかし私の住んでいるナイロビ郊外に関しても水や電気で不自由する時がある。一日のうち水が出る時間帯が決まっているのだ。私の家ではトイレ用の水、お湯浴び用の水、食事のときの水を必ずためなければならない。

 トイレの横には5リットル用のペットボトルに水を入れて置いてある。これはトイレ流し用とお風呂用の水である。トイレは水洗トイレではあるが、その中に水がたまることはない。なので、トイレを済ませたら、必ず水をトイレの中に入れて流さないといけない。これって水洗トイレっていうのだろうか・・・。お風呂に関してもシャワーのようなものはあるが、水はほとんど出ない。もちろんお湯も出ない。日本では考えられないことである。

 さてお風呂に関してであるが、私は大きな桶に水をため、それを電気コイルで温める。お風呂というよりお湯浴びだ。毎回お湯浴びで使う量は15リットル。ペットボトル3杯分だ。これでも十分体や髪を洗うことができる。
またキッチンの流しの下にもペットボトルが置いてある。これは食事用、食器洗い用などである。これが本当に不便である。水を流しながら、自分は食器をゆすいで。これが意外と難しい。これも慣れてきたせいか、かなり上手に食器を洗うことができるようになった。

 飲み水は水道からの水を直接飲まない。流しの横に置いてある二層に分かれた濾過機の上の部分に水をためる。そして濾過されてほぼ透明になった水が下にたまる。それをまた沸騰させて、ようやく飲むことができる。飲み水を確保するだけでも、かなりの手間と時間がかかる。

 キッチンには日本でいうところのガスコンロや電気コンロはない。私が調理で使うのはガスボンベとコンロが一緒になっているものだ。このガスボンベの上で調理をする。日本からのお客さんはこのガスボンベでの調理にかなりびっくりされる。これが意外と使い勝手がいいし、ほぼ毎日調理をしても3ヶ月間はもってくれる優れものだ。大変重宝している。

 というようにケニアならではの問題がある・・・が、それも今は慣れたし、それ自体が楽しく思う時もあるので、今はまったく不便がない。いわゆる「住めば都」である。というわけで3回にわたってお送りした我が家紹介を終わります。興味のある人は、ケニア・ナイロビ郊外にあるカベテまで。お待ちしています。

2010年1月5日火曜日

1月4日 我が家の紹介②


 私以外の先生方が家賃として月3000シル(約4000円)を払う私たちの教員住宅。1DKの部屋に私は一人で住んでいる。寝室とダイニングはそれぞれ6畳くらいかな。それに小さなキッチン、トイレと水浴び場のユニットバスがある。トイレも水は流れないが一応水洗トイレだし、特に不自由はない。

 さて普段生活しているスペースが玄関を入ってすぐにあるダイニングルームである。この場所には、予備用ベッドとプラスチック製の丸いテーブルとイスがある。このテーブルとイスを使って毎日のごはんを食べたり、パソコンをしたり。家の生活の大半はここのダイニングルームで生活している。

 また時間があるときは映画を見たり、読書をしたり、昼寝ができる癒しの空間である。年末年始の夜は一人さびしく映画と読書にふけっていました。ここのダイニングに時々ケニア人や日本人のお客さんを呼んでホームパーティをしています。

 さて次に寝室。ここの寝室には中国産のござをひいており、日本で言う畳の部屋のようにしています。ここではおもに毎朝・毎晩のストレッチと筋トレをしており、プチメタボ対策として日々努力している部屋です。また任地カベテの家具屋さん手作りのベッドとちゃぶ台があり、この手作り感がなんとも言えず好きです。二つで6000シル(約7500円)ほどしましたが、ここもぼけーっとできる癒しスペースです。ここにも予備のベッドがあり、いつでもお客さんが泊まれるようにしています。

 次回はケニアならではのキッチンの風景とトイレの風景をお見せする予定です。こんな日常のことも日本とは違うので、少し新鮮です。それでは次回。

2010年1月4日月曜日

1月3日 我が家の紹介①


 今年のテーマは「初心にかえる」。

 最近は活動に慣れて何気なく活動しているので、一日一日を大切にしようとを心がけることにした。まずは初心にかえり、子どもたちのそばにいて、なるべく多くの時間を子どもたちと接しようと考えている。
 さて、それはさておき活動が終わり、ケニャイチロー先生からケニャイチローに戻れる瞬間はやっぱり家に入ってから。ということで、今日から家について紹介しようと思います。

 さて更生院から徒歩3分のところにある家。ゲタスル更生院をはじめとする先生方が住むTeacher’s Quarter(教員住宅)に私の家がある。2家族が住むことができる長屋の半分に私は住んでいる。私の家にはセキュリティとしてフェンスがある。ケニアっぽく、木と枝と植物でできた自然のフェンス。もちろん金網も付けているのだが簡単に侵入できそうなフェンスである。

 もちろん窓も日本の窓とはまったくちがう。セキュリティ対策としてある細い鉄格子がある。また玄関のカギをかけるのは当たり前なのだが、私の家では合計4重のカギをするようにしている。日本の一般家庭で玄関に4重のカギをする家があるだろうか。

 最近では、空き巣や住居侵入という犯罪も多くなってきている。用心に越したことはない。もちろん寝室のドアにもロックがかかるようになっている。泥棒が侵入したとき、私のもとにたどり着くのに合計5重のカギを壊さないといけない。万が一泥棒が入るなら、私がいるときより私がいないときに空き巣としてはいってもらったほうが、まだマシだ・・・。

 初めはどんなにカギをしても、すごく怖くてなかなか寝付けなかったが、最近は慣れてきてゆっくりと寝ることができる。街灯もなく真っ暗である家の外、たまに聞こえてくる銃声、本当に慣れって怖いです。そんな状況も最近では慣れてしまいました。

 次回は、家の中を紹介します。一人で住むには十分な広さで、大好きな我が家。お楽しみに。

2010年1月2日土曜日

1月1日 謹賀新年

 あけましておめでとうございます。
 みなさんはどのような年末年始を過ごされましたか。
 私は年末年始ずっとゲタスル更生院の子どもたちと過ごしていました。
 昨年はこのブログを見ていただきありがとうございました。
 本年も残り約2ヶ月半の活動となりましたが、また応援してくださいね。
 今年1年が皆様にとって、素敵な1年になるよう、ここケニアからお祈りしています。
 それでは本年もどうぞよろしくお願いします。