2009年9月30日水曜日

9月25日 光あるところに闇もある。

 ここゲタスル更生院にはたくさんの来客が来る。日本人をはじめ欧米人またケニア人まで。ナイロビ郊外ということでタウンから容易に来ることができること、ストリートボーイや孤児などが生活しているということから見学希望が多い。

 ケニアはアフリカの国の中でもかなり発展していると感じる。観光業もサファリなどの国立公園をはじめ、コースト(海岸)沿いのリゾート地などが存在し、海も山も動物も見ることができる。町もかなり発展しており、ナイロビやモンバサでは手に入らないものがないくらい。もちろん日本食レストランもあり、私たちは何の苦労もない。

 しかし光あるところに闇はあるもの。急速に発展したケニアでは、その発展の波に乗ったケニア人もいれば、そうでないケニア人もいる。急速な発展は貧富の差をかなり大きくしたといっても過言ではない。ナイロビのタウンのはずれにあるキベラ地区をはじめとする数か所のスラム地区(貧困地区)。その代表的なキベラ地区でも現在約100万人が住んでいるといわれている。

 また貧富の差が大きいと治安が悪くなるのも必然だろう。発展しているケニアは現在アフリカの中でも治安が悪くて有名だ。主な原因はやはり、多くの失業者だろう。ケニアは発展しているといっても失業率はかなり高い。30歳までの若者で就職している人は2人に1人、就職率約50%とも言われている。なんだかんだ言っても、やはりお金は大事。ご飯を食べるにしても、より良い生活をするにしても、服を着るにしても、友達と遊ぶにしても、何をしてもお金は必要だ。そのお金がなければ、そのお金を得る仕事がなければ、ストレスもたまるだろう・・・。そして手段を選ばす、お金を得ようとする若者が増える。だまし、嘘、スリ、強盗などなど。

 そんなケニアのさまざまな面を日本の人に知ってもらいたいし、日本に帰ってからそのことを日本の人に伝えたい。そんなケニアのさまざまな背景のもと、ここゲタスル更生院にやってきている子どもたち。その子たちを見て、ただかわいそうと思ってほしくない。一人ひとりと接してもらって、そこから何かを感じてもらいたい。スワヒリ語が分からなくても、英語がわからなくても、感じることが何かあるはず。何気ない一言で最高の笑顔を見せたり、その一方で近くの果物を盗んでいたり。そんな子どもたちが住む更生院を多くの人に見てもらい、そしてそこからまた日本にいる人たちにケニアの子どもたちについて伝えてもらいたい。 決して子どもが悪いわけではない。「罪を憎んで、人を憎まず」ではないが、今はケニアという国の状況を憎んで、子どもだけは憎みたくない・・・そう感じる。

 もしケニアのお越しの際は、ぜひここゲタスル更生院にお越しください。

2009年9月28日月曜日

9月17、18日 同期とのアンボセリサファリ


 4回目のアンボセリとなると、けっこう慣れてくるもので・・・。途中のお土産屋で会う店員さんも覚えてくれている。チャイを飲んで、お金を払おうとすると、

 “ Wewe si mgeni. Leo usilipe.” 「あなたはお客じゃないから。払わなくていいよ。」

 と言われ無料に。何回も来ると、いいこともあるものです。そして一行はアンボセリ国立公園のゲートに到着。車に近づいてくるマサイ族のママたちとも顔見知り。少々高くても、このママたちからいつもお土産を買っています。この前は妊婦のママから、妻と俺のお揃いの小物を買って、お腹まで触らせてもらいました。

 そして私たちは高級ロッジ「アンボセリセレナ」に到着。このロッジの食事はいつ来ても最高です。肉に魚、サラダやデザート。いつも満腹になるまで食べ続けます。このロッジでの3食で約1週間分の栄養をきちんとお腹にためて帰るようにしています。この日も前菜として山盛りに盛ったサラダから始まり、スープ、牛肉・鶏肉・魚などメインとなるものを何種類も食べました。こんなときにダイエットなんて言ってられんわな。

 その後大好きな昼寝の後、ゲームサファリ(サファリドライブ)へ。正直、そのまま昼寝をしたかったのだけれど・・・。この夕方と次の日の朝、運のいいことにキリマンジャロが見える。4回来て2回は全く見えなかったキリマンジャロです。そんなアフリカ最高峰のキリマンジャロをはっきり見ることができ、みんな大興奮。中には動物をそっちのけで、キリマンジャロに心奪われている人もいました、そうだよねトモちゃん?

 そして夜もごちそうを食べながら、みんなと楽しく雑談。この時間が最高なんだよな。活動の話、愚痴、恋の話、結婚の話、妻ののろけ話などなど。お酒に弱いのに、なんでこういうときは、たくさん飲めるんだろう?と思うぐらいケニア名産tuskar ビールが旨かったです。
 あっというまに1泊2日のアンボセリのサファリツアーは終わり、2日目の夜、ザンビア隊のトモちゃんとサブを見送りに空港へ。二人の満足した笑顔を見て、こちらも大満足。同期との旅行って本当に楽しいし、思い出に残るんです。次の日にはボツワナ隊のナコを送って、そしてケニアでの任国外旅行が終了。他の国からのたくさんの刺激と元気をもらって、また活動に励もうと心に誓いました。

2009年9月27日日曜日

9月16日 同期たちとのナイロビ観光

 文化祭が終わって3日間寝込んでました。この間、他の国から来た同期とサファリに行く予定でしたが、すべてキャンセル。本当に申し訳ないことをしました。この場を借りてお詫び申し上げます。

 さて前日の夕方に同期たちと合流し、この日はナイロビ隊員任地見学とナイロビ観光をした。午前中は向かいのカベテ更生院で働くシンヤの任地見学、その後私のゲタスル更生院見学をする。他の国の同期隊員に見られると、なんだか気が引き締まる。昨年4月に出会って、2ヵ月間の訓練を福島県二本松市で一緒にがんばってきたメンバー。そんな同期の目にはわたしの配属先、また俺の活動はどのように映ったのだろう?

 と、ふとキッチンを見ると、今まで見たことのない野菜がある。なんと人参とじゃがいもの2種類の野菜があった。今まではそんな野菜を買ってくれたことがない。半年ほど前から、食料担当の同僚にずっとお願いしていた野菜の人参とじゃがいも。ようやく買ってくれた。そんな野菜たっぷりのギゼリを同期もおいしそうに食べてくれた。

 さてその後はタウンに行ってお土産を買ったり、昼ごはんを食べたり。またケニア料理を食べてもらおうとタウンにある少し高級なお店へ。ウガリやチャパティ、ウィンビー(茶色のウガリ)、ティラピアのフライ、スクマウィキ、そしてカチュンバリなど。ケニアの代表的な食べ物は食べてもらいました。

 そしてその後Animal Orphanage(動物孤児院)へ行き、動物たちを見学。チーターに触れたり迫力のライオンを身近に見たり。とにかく日本ではなかなか見れない動物との距離が近いんです。それがここAnimal Orphanageの魅力なんです。そしてあっという間に予定していた1時間半を過ぎ、同期が楽しみにしていた日本食のレストラン「御園(みその)」へと行った。

 アフリカではなかなか日本食を食べることはできないが、ここケニアではけっこう日本食レストランがあるんです。そしてなんと刺身やお寿司まで食べることができるんです。本当にアフリカにいる感じがしない、ここナイロビ。そしてここでも、今までケニアで食べたことのない料理の数々が出てきました。お寿司盛り合わせ、カリフォルニアロール、サーモンとアボガドのサラダ、天ぷら、鉄板焼き、焼うどんなど。最後はみんなおなかいっぱいになりすぎて、お寿司を食べる手も止まっていたけど・・・。そんなこんなでおなかも心もいっぱいになった一日が終わった。そして次の日のサファリ旅行に向けて、早めに就寝しました。

2009年9月25日金曜日

9月13日 病気になって考えたこと

 完全燃焼して、燃え尽きてしまいました。この日の夜中から全く起き上がることができず、熱は約40度に。あまりの暑さにバスタオルを濡らして、顔中にタオルを押しつけてました。いやあ正直こんなに苦しいとは思いませんでした。

 しかし病気の時って、かなり心細い。ポカリスエットの粉をペットボトルの水に入れるのも自分、ポッカのコーンスープを作るのも自分、すべて自分でするのってなかなかつらい。ここでふと考えた。

 もし日本に帰って教職に戻って、家族が病気になったら・・・。妻や子供が病気になったらどうするか・・・、って考えたら年休をとろうと思う。年休とは年次休暇のこと。1年に休むことができる日のことである。もちろん今までほとんどとったことがない。病気のときも、家族の体調が悪いときもとったことがない。けど、それってどうなんだろう?

自分の体調が悪い時はともかく、自分の家族が病気になったとき、年休をとって家族のために病院に連れて行ったり、家族のためにうどんや雑炊を作ってやるって自然なことじゃないかな。自分の家族を大切にできないで、学校の生徒を大切にできるんだろうか。と考えてしまった。 もし自分が病気のとき、妻ならどうするだろう。きっとパートを休んで、看病してくれるだろう・・・、ですよね(不安)?そんな家庭を作りたいと思うこのごろ。ところで、隣の更生院では新型インフルエンザが大流行。うちの更生院にも来そうな勢い。また体調が悪くならないよう、手洗い・うがいを欠かさずします。

2009年9月24日木曜日

9月12日 ゲタスル文化祭(後半)


 映画が終わり、いよいよ昼食の時間。あの日清食品のチキンラーメンだ。日清食品はここケニアで社会貢献活動として、ケニアの子どもたちに無償でチキンラーメンを配布している。今回は、ここゲタスル更生院でチキンラーメンを配布してくれる。チキンラーメンがデザインされた大きな調理用トラックと大型車。この二つがあるだけですごい迫力だ。子どもたちも何が起きるんだろうと興味津々。

 12時前になり、いよいよ子どもたちにチキンラーメンを配った。日清食品のスタッフさんとJICA婦人のサイディアーナの会の皆さんから一杯ずつ子どもたちにチキンラーメンとゆでたまごが配られる。

 “ Asante” 「ありがとう」


 そう言って嬉しそうにチキンラーメンと卵を受け取る子どもたち。満面の笑顔でダイニングに入り、早速チキンラーメンを食べる。おいしそうにほおばる子どもたち。少し時間をおいて、麺がスープを完全にすってから食べる。そんなのびのびの麺を食べるのがケニア流。日本のインスタントラーメンを始めて食べる子どもたちはどんなことを考えていたのかな。

 さて午後の活動がスタート。ダイニングでは盆踊り、教室1では折り紙教室、そして教室2では日本の歌教室が開催された。すべてサイディアーナの会の皆さんが中心となってゲタスルの子どもたちに教えてくれた。初めて踊る日本のおどりの盆踊りに見よう見まねで必死に踊ろうとする子、折ったことのない折り紙を日本の皆さんに優しく教えてもらう子、そして大きな口を開けて楽しそうに日本の歌を歌おうとする子、そんな日ごろ見せない子どもたちの姿を見ることがすごく楽しかった。

 ゲタスルの子どもたちの背景はさまざまで人と接することに慣れていない子が多い。人を信じることができるこがいったいどれくらいいるんだろうか。今回たくさんの日本人や外部のケニアの人に触れて、少しは話ができたかなあ・・・。けど、一つ嬉しいことが。“Asante”「ありがとう」が自然に言える子が増えてきたってこと。小さいことのように思うかもしれないが、ゲタスルの子どもたちにとっては大きな大きな進歩。今まではどんなことがあっても “Asante”も言えなかったのに。そんな成長が見えるのって、この仕事の醍醐味だね。

 そして文化祭は終了。この文化祭のために子どもたちはかなり前から作品製作などをして準備してきた。当日も前向きに活動に参加いていたし。今回は、珍しくいっぱいほめてやりました。本当によくがんばりました。またこの文化祭に関してたくさんの協力をいただいた。在ケニア日本大使館、日清食品、JICA婦人のサイディアーナの会など。また他の日本人の方にもたくさんの協力をいただいた。改めてお礼を言いたい。

 そしてそんな私は、燃え尽きてそのまま家でダウン。約40度の熱と戦ってましたが、文化祭の成功に感動しながら、床につきました。いやあ、いい文化祭だったわ。

2009年9月22日火曜日

9月12日 ゲタスル文化祭(前半)

 朝早く6:00頃、目が覚める。慣れない男性浴衣を出して着始める。ケニアで初めて着る浴衣。しかし帯の男性結びができず、約30分ほどがんばるが、最終的には諦めて、紐だけ結んで、準備物をもって更生院へ。前日から泊まっていた後輩隊員の山ちゃんに写真係を頼んでいたので、山ちゃんは家を出てから早速カメラのシャッターをきる。

 子どもたちと一緒に教室やダイニングの掃除、メタルアートや巨大製作の貼り付け、夜中こっそり作った小さな文化祭の看板などなど、少しずつ準備を進めていく。また受付のための机の準備、ダイニングを映画鑑賞できるよう、すべての窓に毛布をかけたりする作業なども進める。この時点でただならぬ雰囲気にソワソワする子どもが増えてくる。

 さて少しずつ日本のお客さんたちがやってくる。日本大使館のスタッフの方、日清食品さん、JICA婦人の会サイディアーナの皆様などなど。それぞれの役割とスケジュールは以下の通り。

○文化交流
 午前(ダイニング)      :日本の映画「ウォーターボーイズ」 →大使館
 午後 第1ルーム(ダイニング):日本のおどり(盆踊り)→サイディアーナの会
    第2ルーム(教室1)  :折り紙 →サイディアーナの会
    第3ルーム(教室2) :日本の歌 →サイディアーナの会
○食交流
昼食:ケニアの料理「ギゼリ」
     日本の料理「チキンラーメン」、「ゆでたまご」→日清食品
○展示
 ゲタスル更生院全生徒  絵画「自分たちの生活」(Maisha yangu ya kwetu)
                 絵画「ケン先生の顔」(Ken’s face)
                 工作「メタルアート」(Metal Art)
 ゲタスル更生院生徒有志 巨大製作「ゲタスル更生院」(Getathuru Rehabilitation School)
                 巨大製作「ようこそケニアへ」(Karibu Kenya!)
                 巨大看板「ゲタスル文化祭」(Getathuru Cultural Festival)

 など盛りだくさんである。とくに展示の部の作品は2週間前から取り組んできて、やっと完成した作品ばかりだ。子どもだけでなく私にとってもずいぶんと誇らしい。また今回は子どもたち主動で文化祭運営させた。受付係、更生学校案内係、開会式・閉会式司会、開会式挨拶、閉会式挨拶などなど。すべて教員がしていたところを、生徒を中心になって運営させた。これは私が中学校の教員を5年経験して、イベントごとに行っていた実行員会のようなやり方だ。こうすることで、子どもたちの自主性とやる気を引き出す。教員はあくまで黒子に徹する。こうやってできることも5年間の経験があったからかなあ。

 そして子どもたちの運営のもと、お客さんたちは受付をし、学校案内を子どもたちから聞く。開会式では司会をはじめお祈り、そしてあいさつなども子どもたちがする。人前で話すこともできなかった子どもたちが堂々と話している姿に感動。この日のために何日も前から練習してきたもんな。その目に見える成果一つひとつにうれしくなる。

 だんだんと増えてくる日本のお客さんは、子どもたちの作った作品を見てまわる。日本の子どもたちとはちがう色の使い方、その絵からわかる自由奔放さなどすごく興味を持って見てくれた。またメタルアートを手にとっては、じっくり見てもらった。

 「色使いが本当におもしろいねえ。」
 「針金一本で上手に作るんだねえ。」

 など、たくさんの言葉をいただいて、大満足。とくに巨大製作に足を止める方がたくさんいてくれて、写真をとる人もたくさんいた。
 その後、午前中の活動である映画「ウォーターボーイズ」鑑賞のため、一同ダイニングへ。この日は停電にもかかわらず、大使館のスタッフがジェネレイターまで持ってきてくれて、問題なく映画が始まる。子どもたちは初めて見る日本の映画に食い入るように集中する。話している言語は日本語で、下に英語の字幕といったもので、なかなか理解できなかった子どもがいるかもしれないが、それでも最後まで集中してみることができたようだ。

 そして文化祭は怒涛の後半戦を迎える。

2009年9月21日月曜日

9月11日 文化祭に向けて(メタルアート)

 ふと考えた工作。以前ここゲタスルの子どもたちが針金一つで飛行機や車を作っていたのを思い出した。そのすばらしい出来に感動したことがある。そこでこの日、子どもたちを集めて針金を使っていろいろな物を作る「メタルアート」をした。

 前日、最寄りの大きな町であるワンギゲという町に行き、針金を大量に購入。約7キロ分を910シル(約1200円)で買い、3メートルずつ切って子どもたちに渡す。一人ずつ「Asante」と言わせ、言わない子には渡した針金を離さず言うまで渡さない。そうやって子どもたちから「Asante」と言わせる。少し強引だが、ここから少しずつ「ありがとう」が言えるようになる。

 そして子どもたちは、いろいろなものを作り始める。鉄砲、車、眼鏡、帽子、自転車、なかには実用的なハンガーを作る子さえいた。必死に、また楽しそうに、そんな子どもたちの姿を見たり、写真を撮ることがすごく好きだ。きっとお父さんの心境ってこんなかんじなんだろうなあと思いながら、あまり口出しせず、静かに見守る。

 できた作品を持ってきては、胸を張って得意そうに私に見せる。どんな下手くそでも、それがまったく車に見えなくても、子どもたちをほめる。そのときの笑顔は、すごくかわいいものだ。イマジネーションあふれる作品はどれを見ても、感心する。そして文化祭を飾るメタルアートが少しずつ出来上がる。

 子どもたちの作品を見ながら、文化祭が来ることが楽しみでしょうがなく思うようになる。いやあ本当に楽しみ。と同時に疲れが少しずつ体を蝕みはじめたことも感じていた。

2009年9月11日金曜日

9月10日 文化祭に向けて(絵画制作)

 来たる9月12日にゲタスル更生院で、ある一大イベントが行われる。それは「ゲタスル文化祭」。これは人と接することに慣れていない子どもたちが人と接することの大切さを知ること、そして何か人からしてもらったときや何かもらったときに「Asante(ありがとう)」と言えること、これを目的に考えたイベントだ。

 今回は日本の文化を知ろうということで、ケニア大使館やJICA婦人会、そしてチキンラーメンで知られる日清食品さんの協賛でさまざまな活動をする。こうやってたくさんの方に協力してもらえるってすごく心強い。

 そこで更生院の子どもたちが何をするかというと、展示の部の作品作りだ。今回は一人ひとりの子どもに「ケンの似顔絵」「自分たちの生活」というタイトルで絵を描かせている。詳しい内容はまた文化祭後に。このブログを見ているケニア在住の人がいたら、楽しみが半減するからな・・・。

 そして巨大な絵の制作も行っている。これもタイトルだけをちょこっと教える。ブログを見ている人だけの特典です。「Karibu KENYA」「Getathuru Rehabilitation School」(2作品)の合計3作品である。もちろん、これも詳しい内容は文化祭後に・・・。

 しかしさすが更生院の子どもたち。この制作にも、多くの困難がある。個人の作品製作は問題なくできるのだが、問題は巨大絵画制作・・・。

 “ Nani anataka kuchora?” 「だれが絵を描きたい?」
 “ Nani anajua kuchora vizuri?” 「だれが絵を描くの上手?」

 とあらかじめ聞いておき、選抜して子どもたちを選ぶ。基本みんなやる気がある。初日なんてすごい勢いで描き始める。ところが3日たつと徐々に飽きてくる。1週間たつ頃には、「手が痛い」などといい訳をしてくる。そして絵を描くことを忘れ、とうもろこしを焼くほうに一生懸命になる・・・。集中力はないほうだけど、このモチベーションをあげるのが、また一苦労。褒めたり叱ったり、押したり引いたり。まあどっちかっていうと叱って押すほうが多いけど。この巨大絵画制作は2週間前から取りかかっている。なので2週間描き続けるって、確かに飽きるけど。それでも12日に向けて、完成が近づいてきて子どもたちも一段とやる気が出てきた模様。

 初めてとなる大きなイベントに、期待よりは不安のほうが正直大きいけど、子どもたちが楽しんでくれればそれで一番。あまりかたく考えず、気楽にできたらなあと思っている。当日は俺も浴衣で参加しようかな。文化祭が成功しますように。

2009年9月9日水曜日

一からの再出発

 一からの再出発。残りの活動期間が半年と少しというのもわかってる。半年間で何が残せるのか・・・。と考えるのは俺の勝手な都合。子どもたちにとっても、同僚にとっても半年で更生院生活や仕事が終わるわけではない。なので、もう一度一からスタート。それが今自分にできることだと思う。

 もちろん何かしら結果を残したいと思っていた。何か結果を残して日本に帰る、それをずっと思い描いていた。ウルルンのような感動的なお別れ、そして何か結果を残す。それを俺はずっと心に持っていたのだろう。けど、理想と現実はちがう。ウルルンのような、あんな感動的な話には正直ならない。

 更生院で出会う子どもは、そんな甘くはない。アフリカの中でも治安が悪いと言われるケニアで育ってきた更生院の子どもたち。私の想像をはるかに超える。日々叱って、子どもたちを叱咤激励する毎日。それでも時折見せる笑顔が、元気をくれる。

 だから毎日の生活を大事に過ごしたいと思う。大きなことでなく小さいことを継続的に。今の俺が唯一できることは、毎日子どもたちと過ごすこと。「ウルルン滞在記」のように何も結果は残せないし感動的な別れはないけれど、「プロジェクトX」のように最後に何かを成し遂げるようなことはないけれど、それでも今、私がここゲタスル更生院で子どもたちに何か小さなことが残せればなあって考えてる。

 約1か月近く悩んだが、なにか吹っ切れた。やってもやらなくても、どうせ半年はたつんだから、どうせならやるだけやってみようと思う。やらなくて後悔するより、やって後悔したほうが何倍も私らしい。それが私の出した結論。たくさんの人から応援のメールなどをもらった。そんな日本や世界中にいる人たちからの応援が、また背中を押してくれる。明日も生意気でわんぱくでヤンチャな男の子に囲まれて、元気に活動するわ。

2009年9月8日火曜日

9月4日 深刻な水不足

 日本では水道から水が出ないことってあるだろうか。自分の家の水道からまったく水が出ないこと、私はあまり日本で経験したことがない。しかしここケニアでは、むしろ水道から水が出ないことのほうが当たり前のように思う。

 私の住んでいる家では、運が良いことに水道がついている。台所の水道はもちろん、水洗トイレでトイレに水を流せるようになっている。ところが最近のケニアは乾季で雨がほとんど降らない。雨が降らないとどうなるか、それは水不足になるということだ。

 現在、私の家では一日のうち4時間しか水が出ない。朝7:00~9:00までの2時間と夕方18:30~20:30までの2時間である。更生院の近くにある貯水タンクにはほとんど水が残っていない。なので、水を上手に使うことが大事になってくる。そこで私がしている水の利用法は以下のとおりである。

 ○お風呂(お湯浴び)は週1、2回。あとはタオルを濡らして体をふく。
 ○水洗トイレを流すのは1日に1回(夜寝る前だけ)。朝は外の共同トイレに行く。
 ○料理を盛り付けるときは基本一つの大きなお皿。余分なお皿や鍋を使わない。
 ○よく調理するスパゲッティの残り湯を使ってソーセージを茹でたり、ゆで卵を作ったりする。そして余った汁を洗いものに使う。
 ○顔を洗うときはコップの半分。残り半分で歯磨きをする。


 といった工夫をしている。もちろん一日断水の日もあるから常に5Lのペットボトル数本に水をためている。長い時で3日間の断水などがある。そのため貯めた水をトイレや洗いものに使う。もちろん無駄使いはできないので、その水を大事に使う。ケニアの首都ナイロビ郊外といっても水不足は深刻だ。

 日本にいたとき、少し国際理解関係のことを勉強して国際理解の授業をしたことがあった。そのとき水不足に関しての話をしたこともある。しかし今思えば表面的なことをただ子どもに伝えていただけだったと思う。こうやって実際に自分が水不足の問題にぶつかってみると、今まで見えなかった苦労が本当にわかる。水って改めて大切なんだなあって思う。

 日本の皆さんは、どのように水を使っていますか。トイレに行けば水を流す、毎日のようにシャワーを浴びる、食器を洗うときは水道の水を使う、当たり前のことですよね。けど、当たり前のことを当たり前にできない国もあるっていうことを知るだけでも、大切なことだと思います。水の大切さ、一度考えてみてくださいね。

2009年9月3日木曜日

9月1日 2人3脚

“ Kitu muhimu ni friendship na teamwork.”
「大事なのは友情とチームワークだぞ」

 そう言って、体育の時間に子どもたちとした活動は2人3脚。ありがたいことに、ここゲタスル更生院では体育の授業で使うような道具がけっこう揃っている。三角すいに長縄、はちまき、サッカーボールなど。こういった道具を買いにいかなくてもいいのが助かる。他の更生院の隊員は、このような道具をわざわざ買いに行ったりしているのだが。

 いつものようにランニングをして、準備体操。活動前は必ず集まって話をきちんと聞かせる。飛行機が飛べば飛行機を見るし、女の子が通れば女の子を見る、そんな子どもたちの目をきちんと向かせて話を聞かせることは大事なことだ。

そして今回、気をつけたことが集合時のダッシュ。いつも歩いて来て、のらくくらりと来る子どもたちの意識を変えようとした。そこで取り出したのが、G-shockの腕時計。これはありがたいことにストップウォッチが付いている。これを利用して、集合時間をはかった。だいたい5秒・・・。

 “Ukuje kwa sekunde tatu.” 「3秒で来い。」

 そういうと子どもたちは見たこともないダッシュでやってくる。いやいややればできるじゃん。まあそれまでに5回ほどやりなおしをしたけど。この手は使えるな。

 さて2人3脚はというと、はじめに二人仲良く散歩から始めました。競争というよりもまずは慣れから。そして掛け声の練習。

 “ One Two, One Two・・・“ 「1 2、1 2・・・」

 と足の出すタイミングを掛け声で合わせるように声をかける。この時点でけっこう子どもたちは上手にできる。いやあさすが陸上王国ケニアの子どもたち。けど、根性のない子どもたちはマラソン嫌いだけど・・・。それでも楽しそうにやっていたのはよかった。そのあとの4人5脚はボロボロで、あきらめの早い彼らは、すぐに座り込んで休憩。本当にわかりやすい性格してるわ、こいつら。30人31脚の出場は目指せないな・・・。

2009年9月2日水曜日

8月31日 荒れ始める教室

 久々に教室に入ると、ある異変に気がついた。散乱するゴミ、破られた教室ルールの紙。子どもたちが荒れ始めたとわかるのは一目瞭然だった。それだけではない。本棚にめちゃくちゃに置かれた本たち、机も全く整っていない。1年かけて、少しずつ身に着いた習慣はあっという間に壊れていた。

「良くするのは時間がかかるけど、悪くなるのはあっという間。」


 よく先輩の先生たちに教えてもらった言葉。だから毎日の積み重ねが大事だということはわかっている。しかし教室に入れない今、子どもたちにその声かけすらすることができない。悪くなるのは当たり前だ。もちろんケニア人の職員からすると、教室の机がそろっていない、ゴミをどこでも捨てるというのには抵抗がない。自分が子どもの頃そうしてきたし、今でもそうしてるからだ。破られた手作りの教室ルールの紙を見つめながら、自分にできることを考えた。

 子どもの次の更生院への移動も近くなってきた。子どもがいなくなるからいいなんて、楽観的なことは考えない。次の更生院で、この荒れた生活が当たり前になっては困るからだ。この日一人で机を直し、ゴミを拾った。ほんまにどうしようもない状況だけど、絶対あきらめんで。ここであきらめたら、この2年間がほんとにもったいないことになる。怒らず、焦らず、また一から。明日からまた笑顔で声をかけていこう。あきらめない。

2009年9月1日火曜日

8月28日 出てきた不満

 衝撃の事件から3週間ほどたっただろうか。私の授業がなくなり、図書館運営もなくなった。私が現在している活動は体育だけ。私的には体の疲労も少なく、自分の時間が多く持てるようになったのだが、思っていたように子どもたちから不満が出てきた。

 “ Mwalimu, kwa nini hufundishi?” 「先生、どうして教えてくれないの?」
 “ Mwalimu, siku hizi library haifungui” 「先生、最近図書館が開かないよ。」

 そういって多くの子どもたちがやってくる。ここの更生院でもう一度、一からやり直そうとするマサイ族のウィリアムはほぼ毎日のように不満をもらす。私が授業をしなくていいと言われた日以来、毎日図書館の本を読んでいたウィリアムはそれができなくなった。図書館運営を頼んだ寮父の職員は、昼前には更生院から姿を消している。そのため子どもたちはテレビを見るか運動場で寝るか、どちらかになる。もちろん図書館が開かないということはウィリアムが楽しみにしていたコンピュータの時間もなくなるということだ。私が図書館に行かなくなってからコンピュータ教室は行われていない。すべてが悪循環にまわっているのがわかる。

 ある先生に昔言われた言葉がある。

 「更生院の子どもたちだから、そんなにがんばらなくていいさ。
  どうせ勉強なんてわからないんだから。」


 私はその言葉に真っ向から反対したのを覚えている。更生院の子どもたちだからこそ教育を受けたいということに飢えている。今まで家庭の事情などで学校に行きたくても行けなかった子たちがたくさんいる。だからこそ、ここゲタスル更生院にいる子どもたちに教育を提供することは大切なことだと強く思う。そんな子どもたちに、ここゲタスル更生院で授業を教える、私はそれに誇りをもっていた。その大事な中心となる教育が、ゲタスル更生院では崩壊しかけている・・・。

 以前までは英語、スワヒリ語、算数、理科(社会)の4教科は必ず授業をしていたし、図書館も毎日開放していた。その日授業のない子も図書館の本を借りて自習する姿があった。現在は英語、スワヒリ語の2教科と、体育。体育といっても全体100人を見るのでなく、その日授業のある約25人が受ける。そのため、他の75人はやることがない。

 ここケニアに来て1年2か月。一番の正念場を迎えた。