2009年11月3日火曜日

10月26日 マサイ族のトゥカイ

 本日・金曜日はスタンダード1、2(小学校1,2年生)のクラスの授業。このクラスはほとんど学校に行ってなかったり、授業をまともに受けていない子が多い。英語のアルファベットも書けないし、読めない。算数だって、数字を数えることができても書くことはできない。そんなクラスである。

 この2つのクラスで、一番時間をかけて指導をしている一人の生徒がいる。それはマサイ族のTukai(トゥカイ)くん。彼はほとんど学校に行くことなく、家の手伝いをしていたそうだ。ほとんど毎日、放牧している牛の世話や畑仕事などをしていたらしい。両親が学校に行かずに仕事をするようにと彼に言っていたらしい。

 彼はアルファベットはもちろん、数字さえ書くことができない。いつも彼の右手の上に手を乗せ、一緒にアルファベットや数字を書いてやる。何度何度も。10回や20回どころではない。鉛筆さえほとんど持ったことのない子である。そうやってつきっきりで指導する。

 が、少し考えてもらいたい。教育は絶対必要なのだろうか。

 あるマサイ族の人とマサイ族の第2夫人のとして有名な永松真紀さんとお話をした際、すごく興味あることを話してくれた。それは子どもの学校のこと。マサイ族のある村では子どもは大事な働き手である。放牧している牛や山羊(やぎ)の世話はもちろん、狩りの方法まで学ぶ。しかし学校に行くことで、伝統的に受け継がれてきたことが子どもに伝わらないというのだ。もちろん、その村で暮らしさえすれば、英語はもちろんスワヒリ語さえ必要ない。部族語のマサイ語でコミュニケーションできるからだ。

 第三者の私が、伝統よりも学校で学ぶ教育のほうが大事だなんて言うことはできない。そこには私の知らない事情や決まりなどがあるからだ。地方の村に住む少数民族や部族の人たちに「教育は大事だ。子どもを学校に行かせるべきだ。」なんて言えない。

 実際にこのような途上国に住み、いろいろな人に出会うと日本で学んできた国際理解や開発教育にいささかの疑問がある。世界が求めるほど、現地の人は求めているのだろうか・・・。学校教育、識字教育など。もちろん大事なことはわかるし、子どもたちに教育を提供するのは大人や国の役目だとも思っている。それでもいろいろ考えさせられる。けど、そうやって考えることで、少なからず俺も国際理解のことを考え、レベルアップしていけると思っている。

 それでも、アルファベットの「O」や数字の「1」がTukaiが自分一人で書けて頭をなでてやったときの、あの嬉しそうな笑顔を見ると、教育も大事であるって自信を持って言える。伝統も教育も同じように大切であるってTukaiがお父さんになったときに、自分の子どもに伝えてくれたら、これほどうれしいことはない。

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