2009年11月30日月曜日

タンザニア旅行記 キリマンジャロ登山①


 ただいまです。任国外旅行タンザニアから帰ってきました。今回もたくさんの経験や思い出ができた旅になりました。今日から11月17日から始まった8泊9日のタンザニア旅行を報告したいと思います。  まず私が挑戦したのはキリマンジャロ登山。アフリカ最高峰であり、だれもがその名前を聞いたことがあるでしょう。標高5895メートル、富士山より2000メートル以上も高い山である。

 17日・初日、登山前日であったこの日はキリマンジャロ空港からモシの町入り。同期隊員Bwana 金藤の紹介で登山レンタルグッズ屋へと行く。登山初心者の私は店員さんのすすめで、ほぼすべての道具をレンタルする。見たこともないぐらいのごつい登山靴や寝袋、スキーウェアよりもごつい防寒具、スティックやヘッドライト、またサングラスまで。すべて合わせて75ドルほどしたが、その装備に自然と登れそうな気になる。

 その後、喫茶店に入り、本場のキリマンジャロコーヒーを飲み、キリマンジャロビールで久々の同期との再会に乾杯。登山前日にもかかわらず、飲みまくりました。ホテルでは暑さと蚊の声であまり眠れず、そのまま朝を迎えることに。

 18日・二日目、この日から仲間4人との4泊5日の長いキリマンジャロ登山がはじまった。また私たちのメンバー5人に加え、ガイド・サブガイド・コック・ウェイター・ポーター(荷物や食事を持って行く人)17人、合計22人のかなり大きいパーティ。この多さに少しびっくりしながら、はやる気持ちを抑えていた。まず登山口で名前を登録し、準備体操をしていよいよスタート。まず木や草が生い茂るジャングル地帯を歩く。自然がたくさんあって、空気も多いのはわかっているはいるのだが、びびりな私は初日からゆっくりとした深呼吸をしながら、ゆっくりゆっくり登って行った。

 この日の昼ごはんは油たっぷりのハンバーガーとフライドチキン、そしてマフィンケーキなど・・・。まったく登山のことを考えていないメニューに仲間4人とぶつぶつ文句を言いながら食べた。肉好きなマングースやカラスのお客さんを横目に昼ごはんを終わらせ、再出発。「ハイキングコースだ」と言う、チーム最年長・新井の親父のセリフに、同い年トモちゃんと反論しながら、登っていく。そして一日目の宿泊場所・標高2700のマンダラハットに到着。まだまだ元気なチーム最年少・カツーンと同じ岡山県出身サブ。俺以外のメンバーはまだまだ余裕があるみたいだ。俺は早くも弱音をはいていたなあ、このとき。

 19日・三日目、朝早くからスタート。今度の目指す場所は標高3700のホロンボハット。日本の富士山と同じくらいの高さかな。ジャングル地帯から少しずつ草や木が小さくなり、遠くの景色が見えるようになる。また雲も自分たちのいる場所より低く、雲海を眺めながら歩いて行った。うさぎさんチームの3人はカメさんチームのトモちゃんと私を置いて、どんどん先に進む。マイペースなカメさんはゆっくりと歩いて行く。まあ高山病も怖かったし、少しずつ高地順応したかったからね。カメレオンも出てきて、歓迎をしてくれる。

 そして突然降りだした雨に打たれながら、ホロンボハットに到着。この時点で頭は少しボーとして、吐き気が少しずつ出てくる。少し高山病にかかってしまうが、まだ食欲があったこの日。しかしあまりの寒さになかなかメンバー5人寝ることができず、山の洗礼を受ける。

 そして怒涛のキリマンジャロ登山後半を迎える。

2009年11月28日土曜日

11月25日 誕生日おめでとう

 明日、今日よりも好きになれる あふれる想いが止まらない
 今もこんなに好きでいるのに 言葉にできない

 君のくれた日々が積み重なり 過ぎ去った日々二人歩いた『軌跡』
 僕らの出逢いがもし偶然ならば? 運命ならば?
 君に巡り合えた それって『奇跡』

 二人寄り添って歩いて 永久の愛の形にして
 いつまでも君の横で 笑っていたくて 
 アリガトウや Ah 愛してるじゃまだ足りないけど
 せめて言わせて 「幸せです」と

 (GReeeeN 「キセキ」より)

2009年11月15日日曜日

11月15日 これからの目標

 目標を持って生きるってことを今までしてきたように思う。
 大学時代は、中学校の先生になるために4年間を地元から遠く離れた場所で過ごした。
 念願の教員になってからは、仕事に夢中になる一方、協力隊の存在が気になっていた。
 そして何カ国か途上国をまわって決断した協力隊。

 その一つの目標だった協力隊も残り4か月で終わろうとしている。今まで目標だったものがあって、自分なりにまっすぐに生きてきた。その目標がなくなる・・・という不安が最近自分を襲う。

 目標って?これからの自分の生きる目標って?

 そう考えて、ぼけーっと考える時間が増えているけど、そう簡単には答えは出てこない。
目標があって、そこになんとか到達したいと思って、がんばってきた20代。2月中旬で30代になる。自分の大好きな職につき、大好きな家族もできた。次の目標って?

 それをゆっくり考える時期になったのかな。次の明確な目標を考える30代に。自分の目標、それは自分の夢と言っても言い過ぎではない。自分が中学校のときの夢をはっきりと覚えている。それは

 「教師になること」
 「途上国で活動すること」

 その二つをかなえることができた私はすごく幸せ者なんだろうなあ。次の目標はまだまだ決まらないが、自分がしたいことから、自分ができることを考えていきたい。

 「教師として自分にできること」
 「途上国で活動したことで、自分にできること」

 自分にしかできないことがきっとある。それを今後の目標として自分の胸に持って生きていきたい。

 18日水曜日から、アフリカ最高峰キリマンジャロ山への登山挑戦が始まる。自分のペースでいろいろなことを考えながら登りたい。そしてタンザニアを少し見学してからケニアに帰ってくる予定。ケニア帰国予定日は25日水曜日。それまでちょっとブログはお休みです。次回は11月下旬に・・・。

 ところでJICA国際ボランティアの情報誌「クロスロード」11月号の「日本の生徒たちへの手紙」というコーナーに、うちの更生院の記事が取り上げられているので、もしよかったらご覧ください。インターネットでも見ることができるのかな。【JICA クロスロード】で調べてみてください。ちょっと宣伝でした。それでは。

2009年11月14日土曜日

11月11日 瀬戸内市立行幸小学校からの贈り物




今月届いた手紙交流の最後の小学校の手紙、それが瀬戸内市立行幸(みゆき)小学校のお友達が書いてくれたお手紙だ。行幸小学校のみなさんも日本語でなく、英語で自分たちの自己紹介を中心に手紙を書いてくれていた。

“I live in Okayama.” 「私は岡山に住んでいます。」
“ I am twelve years old.” 「私は12歳です。」
“ I like Sushi and noodles.” 「僕はお寿司とラーメンが好きです。」
“ I play softball.” 「私はソフトボールをします。」

 などなど。何時間もかけて書いてくれたんだろう。本当に手紙として、長い文章を書いてくれていた。また絵を描いてれている友達もいて、その日本の絵にも興味深く見ていた。うちの更生院のスタンダード7、8(中学校1、2年生クラス)の子たちに手紙を読ませ、返事を書かせた。まずは自分が返事を書く子の手紙を真剣に読む。何度も読み返しては、うれしそうに笑顔になる。

 そして一人ひとりが返事を書く作業開始。自分の自己紹介はもちろん、その質問の答えやケニアのことなど必死に書いていた。手紙を書いたら、お約束の模様描き。手紙としてきれいに模様を描いていく。自分の似顔絵や動物の絵を描く子もいて、きれいな手紙が完成した。

 自分たちの手紙が遠い日本に届くなんて、想像がつかないんだろうなあ。中には日本がアフリカにあるって思っている子どももいるし、ケニアから日本へトラックで手紙が届くと思っている子どももいる。そんなケニアの子たちの手紙を日本へ送ります。そしてまた日本でもたくさんの笑顔になってくれたら、これほどうれしいことはない。

2009年11月13日金曜日

11月9日 ケニア人のこと好き?嫌い?

 と聞かれたら、こう言うだろう。

 「どちらでもない。」

 これが私の本音だ。今まで何度となく裏切られたり、嘘をつかれたりして、正直うんざりしている。もちろん尊敬する人もいるのだが、多くの割合が好きとは言えないような人。そんなおりmixiを開いていて、面白い記事を見つけた。

 『友達をやめたいと思う友達の特徴ランキング』

 すごく興味深く、その記事をひらくと1位から5位まで人の特徴が書かれていた。

① 嘘をつく
② 貸したものを返さない
③ 人の悪口をいう
④ 言うことがころころ変わる
⑤ 人の話を聞かない

 なるほどねえ・・・と思っているとき、ふと気がついた。これってすべてケニア人にあてはまるのでは・・・!?

① 大人も子供も本当に嘘をつく。
  →時間に遅れたときのいいわけ、自分のまちがいを認めず嘘をつきとおす など
② 同僚に貸した1000シル、もう半年待ってるのに返す気がない。
   他の協力隊の同期も同じような目にあってる人もいる。
③ 自分の部屋に入っては、上司の悪口。
   仕事もせずに、自分の部屋でおしゃべりばっかり。
④ 同僚は私の前と上司の前では言うことがちがう。
   子どもも私の前とケニア人の先生の前では言うことがちがう。
⑤ 自分のことは話すけど、私の話はあまり聞かない。

 ということで、すべて当てはまるケニア人。もちろん全員が全員そうではないが、私の周りのケニア人はそのタイプに当てはまる人がたくさんいる。これではケニア人のことを好きにはなれんわな・・・。と思ってるうちに自分にも当てはめてみた。

① 仕事を休むとき、時々嘘をつく。×
② 基本借りないので、これは大丈夫。○
③ ケニア人の悪口を最近よく言う。×
④ 基本、自分の考えを曲げないので大丈夫。○
⑤ これは当てはまる。×

 というわけで、5つの項目のうち3つに当てはまった私。友達をなくさないように、少し反省しようと思う。

2009年11月12日木曜日

11月5日 岡山市立小串小学校からの贈り物


 手紙交流シリーズ第2弾。ここゲタスル更生院に岡山市立小串小学校からの色とりどりのお手紙が届いた。一人ひとりのお友達が色画用紙に自分の写真、自己紹介やケニアへの質問、そして自分たちの絵などを描いていた。その写真には笑顔の子どもたちが写っていて、更生院の子どもたちも思わず、笑顔がこぼれていた。

 「ケニアでは、どんな家があるんですか?」
 「何の食べ物が好きですか?」
 「日本語を知っていますか?」
 「好きな教科は何ですか?」
 「台所や洗濯機はありますか?」
 「将来の夢は何ですか?」


 などなど。素直で真っすぐな質問がたくさんあり、子どもたちと一緒にその答えを考えてると楽しくて、あっという間に時間が流れていた。

 「俺、日本語知ってるよ。『こんにちは』」
 「ぼくはウガリが好きかなあ。」
 「先生、英語書くの苦手だから手伝って。」


 と、いつにもまして、やる気を持って手紙を書こうとする。こういうときだけでなく、いつもそれぐらいのやる気で授業を受けてほしいもんだと思いながら、そんな反応もうれしい。中には女の子の写真に見とれてる子がいて、まったく返事を書こうとしないので笑顔でげんこつ。

 自分の自己紹介や質問の答えを書いたあとも、一生けん命絵を描いて、少しでもきれいな手紙にしようと必死だった。こういう姿はかわいいものです。手紙一枚書くのに1日の授業3時間半を使ってしまうけど、遠く離れた日本の友達に思いを込めて書いた、真っすぐで温かい手紙。そこにはお金には変えられない大切なものがたくさん含まれている。

2009年11月11日水曜日

11月4日 ウォーキング

 最近の日課。それはウォーキング。これは今月18日から挑戦するキリマンジャロ登山のため、またダイエットのため毎日約2時間運動場を歩いている。自分の健康と脱プチメタボ、そして登山のために歩くことに慣れようという目的で始めたものだ。

 今、日本では数限りないダイエット商品が店頭に並ぶ。俺には縁のないものだと思っていたが、社会人になってから飲み会の数が多くになるにつれて、横腹にはかわいく、柔らかい脂肪がついていった。夏は汗をかいてスリムになるが、冬は冬眠中の熊のように丸くなって冬の寒さを乗り切る。そんなことを繰り返し、26歳の若さでプチメタボ状態と化した・・・。そんな自分を見るたび、ダイエット商品の前で立ち止まる機会が増えていった。

 結婚式前の28歳のときには妻と一緒にダイエット。式で少しでもかっこいい自分でいようと、妻と夜中のジョギング、毎晩の野菜スープを続け、見事結婚式にはスリムな姿で臨むことができた。が、1週間後、激しいリバウンド。あっという間にプチメタボに逆戻りだった。それは妻にも言えるが・・・。結婚式のときはきれいだったなあ・・・。いやいや今でもきれいですけど・・・(フォロー)。

 現在は中高生でも自分の体型を気にして、食事制限をする子が増えてきているのだが、実に悲しいことだ。中高生のときって一番体の成長が大きい時期。そんな大切な時期に食事制限するのは間違っていると思う。

 そこでみんなにお勧めしたいのがウォーキング。そんなに疲れないし、自分のペースでゆっくり満足するまで歩く。時間を決めてもいい。最低でも30分は歩いてほしい。自分の健康にもいいし、無理な我慢がないから継続してできる。俺はもう1か月半このウォーキングを続けている。食べたい物を我慢せず、しっかり食べて、毎日ゆっくり歩く。実に健康的なダイエットである。毎日2か月も続ければ、効果は表れるはずだ。

 また歩いていると、車に乗っている時や自転車では気付かない風景や物に気づくときがある。そんな新たな発見もなんだかうれしい。毎日畑仕事をしているおばちゃん、近くのモスクから聞こえてくるイスラム教のコーランの教え、木のざわめき、虫や鳥の声など。ふと耳を澄ませ、ゆっくり歩いていると、そこにはたくさんの発見があるかもしれない。だからぜひ歩いてみてください、自分の地元を。

 将来家族で、いろんなところを歩いてみたいなあ。歩くことを日課にして、プチメタボ対策はもちろん、妻とともにいつまでも素敵なお父さん、お母さんでいれるよう努力したいわ。

2009年11月10日火曜日

11月3日 岡山市立石井小学校からの贈り物



久々にJICAオフィスに行くと、郵便物の中にたくさんの手紙が。同期からはもちろん、地元の岡山県の小学校からたくさんの手紙が来ていた。今週はその手紙の紹介。

 この日は岡山市立石井小学校からのお友達からいただいた手紙を子どもたちに見せる。手紙をうけとるなり、笑顔がこぼれる。そして全員が必死にその手紙を読む。この石井小学校の子どもたちは、手紙を簡単な英語で書いてくれていて、更生院の子どもたちでも理解できるから、ありがたい。

 そんな英語の文章だけでなく、たくさんの絵も描いてくれている。中には自分と更生院の子どもが手をつないでいるような心温まる絵を描いてくれている子もいて、すごく微笑ましかった。思わぬ日本の友達からのお手紙に、子どもたちは興奮を隠せないようだ。

 「私の名前は〇〇です。」
 「私は〇歳です。」
 「ぼくはサッカーが好きです。」


 などなど。日本のお友達ががんばって書いてくれた英語の自己紹介。それを見て早速、更生院の子どもたちも反応する。
 
 “ Mwalimu, mimi pia nataka kuandika barua.”
「先生、俺も手紙書きたい。」


 そう言ってくる子が何人もいた。そして下手くそなりに必死に英語で自己紹介を書く。また自分の顔やケニアで見ることのできる動物の絵を描いていく。中には、手紙ということで、きれいなふちまで描く子までいた。

 この手紙交流は昨年から行っているが、双方の子どもたちにとって大きな役割があると思って交流をしている。遠く離れた国に友達がいるということ、手紙を通してお互いのことを知れるということ、そして子どもたちの笑顔を生み出せるということ、こういう橋渡しができることにすごく喜びを感じている。

 このブログを見ている日本の皆さん、今からでも遅くないので、ぜひゲタスルの子どもたちと交流したいという方は連絡ください。子どもたちも楽しみにしているので。お待ちしています。

2009年11月9日月曜日

11月2日 青空教室


「子どもと先生がいれば、授業はできる。」

 昔、小さい時に見たテレビ番組でアフリカの子どもたちが教室でなく外で地べたに座り、必死に先生の話を聞いている場面を見た。あまりもの衝撃的で、小さいながらもその映像ははっきり覚えている。思えばあのときから、アフリカの子どもたちに接してみたいと思ってたのかも。と感じながら、今日の授業は外で行った。

 というのも、キッチンの先生が教室を貸してほしいとお願いしてきたからだ。更生院の食糧倉庫に大量の虫が発生。子どもたちの主食となるマヒンディ(とうもろこし)にわいた虫を駆除するため、教室に一度とうもろこしを入れて、そこに農薬をかける。ケニアらしい実にとんでもないやり方だ。そのため農薬が充満する教室を使うことはできない。というわけで、この日は急きょ机を外に出して授業をしました。

 UNICEFからいただいた小黒板、ノートや鉛筆を用意して、全く問題なく授業開始。子どもたちは慣れているせいか、それほど興奮することなくいつもと同じように授業を受ける。他の先生たちは「またケンが、何かおもしろいことしてるな」というような顔で、笑顔でその場を横ぎる。いやいや子どもたちは週1回しか授業がないから当然だろ、と私は思いながら授業を続ける。

 そこに生徒と先生がいれば、授業は成り立つ。まったくそのとおり。逆をいえば、「生徒だけでは授業は成り立たないんですよ、マネージャー(所属長)!」と言いたいが・・・。こんな授業でも、子どもたちの目は真剣そのもの。そんな子どもたちと過ごせるのも、残り4か月半・・・。

2009年11月6日金曜日

10月28日 Sushi紹介

 恐ろしいテレビ番組を見た。てか、ケニア国営のテレビ局KBCがそんなとんでもない嘘をついていいのですか・・・。呆れて、むしろ笑ってしまった番組、それはある料理番組。本日の料理は日本の伝統料理「Sushi」。日本の料理を紹介するだけあって、俺も興奮してテレビにくぎ付けになるのだが・・・。

 インド人系のアナウンサーとケニア人男性の料理人が調理を始めるのだが、準備している食材から、まず度肝を抜かれた。

 Rice(お米)     ・・・基本ですな。
 Mango(マンゴー)  ・・・基本??
 Strawberry(いちご) ・・・付け合わせ?
 Kiwi(キウイ)    ・・・なんで果物がこんなに多く!?
 Chocolate(チョコレート) ・・・何を作るの?
 Coconut Cream(ココナッツクリーム)・・・ デザートを作るの?
 Syrup(シロップ)  ・・・はあ!?

 という食材。明らかに寿司の食材ではない。けど、ここはケニア。日本の「寿司」紹介でなく、ケニアの「Sushi」紹介。ここからまた唖然とする調理が展開する。

① ごはんを炊いて、その中にココナッツクリームとシロップを入れて混ぜる。
② チョコレートを溶かして、シロップと混ぜる。冷蔵庫で冷やして柔らかい状態にする。
③ マンゴー、いちご、キウイを切ってミックスする。
④ 巻きずしを作るときに使う簾(すだれ)の小さい番が登場 →名前がわからない
⑤ そこに初めにチョコレートを引く。その上にごはん、そしてごはんの上に果物をのせる。
⑥ そしてすべてをのせたところで、巻きずしのように巻いていく。そしてSushi完成。

  み、見ためは確かに巻きずしだが、すごく抵抗がある。ようするに勘違いが甚だしい。
 
酢飯 → ごはん with ココナッツクリーム、シロップ
海苔 → チョコレート、シロップ
玉子 → マンゴー
きゅうり → キウイ (ダジャレだとしても、おもしろくない)
ピンクのやつ(名前がわからない) → いちご

 もう一度言うが、これは日本の「寿司」紹介でなく、ケニアの「Sushi」紹介。怒らないで、読んでほしい。しかし最後にダメ押しとなるテロップが。

 “ Sushi is Japanese dish.” 「Sushi は日本の料理である。」

 やっぱりケニア人の単なる勘違いだったようだ。

2009年11月5日木曜日

10月27日 「誰のペン?」

 集団カウンセリングの時間、一本のペンで自分の足に落書きをしている子どもを見つけた。どこからどう見ても、更生院で授業中に渡すボールペン。そして彼に質問する。

 “ Hii ni ya nani?” 「これは誰の?」
 “ Ya Dennis.” 「デニスのだよ。」

 そう言って、カウンセリングの後、彼とデニスを呼ぶ。

 “ Hii ni ya nani?” 「これは誰の?」
 “ Yangu.” 「僕の。」
 “ Umekuja nayo?” 「持ってきたの?」
 “ Niliokota huko Dining.” 「ダイニングで拾った。」

 唖然とするわ、この感覚。学校で拾ったものすべてが自分のもの。拾ったって言って先生に持ってくる子は本当に少ない。日本の学校でも、同じことが言える。廊下でシャーペンを拾ったら先生に預ける、当たり前のことだが・・・。そんな日本での当たり前のことは、通用しない。特にここは更生院。

 そう言えば、運動場でも同じ状況がある。ある生徒がサッカーするためにコートの隅にサンダルを置く。それを他の生徒がとっていく。その子の言い分は、

 「運動場に落ちてあったから、もらった。」

 これでけっこう殴り合いのケンカになるんだよな。日本では考えられないこと、ここゲタスル更生院では普通に起きます。
 その後、彼とデニスに言った。

 “Vitu ambavyo uliokota katika shule ni za shule. Sio yako.”
 「学校で拾ったものは学校ので、あなたのじゃないよ。」


 そういうことから始めなくちゃいけない。10歳から18歳が生活するゲタスル更生院だが、日本でいう保育園や幼稚園でする指導もしています。

 「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの。」

 そんな悪意のないジャイアンが多いけど、すぐに考えを改めてくれる道具をドラえもんが出してくれたらなあ・・・なんて現実逃避も考えてしまう弱気な私です。

2009年11月3日火曜日

10月26日 マサイ族のトゥカイ

 本日・金曜日はスタンダード1、2(小学校1,2年生)のクラスの授業。このクラスはほとんど学校に行ってなかったり、授業をまともに受けていない子が多い。英語のアルファベットも書けないし、読めない。算数だって、数字を数えることができても書くことはできない。そんなクラスである。

 この2つのクラスで、一番時間をかけて指導をしている一人の生徒がいる。それはマサイ族のTukai(トゥカイ)くん。彼はほとんど学校に行くことなく、家の手伝いをしていたそうだ。ほとんど毎日、放牧している牛の世話や畑仕事などをしていたらしい。両親が学校に行かずに仕事をするようにと彼に言っていたらしい。

 彼はアルファベットはもちろん、数字さえ書くことができない。いつも彼の右手の上に手を乗せ、一緒にアルファベットや数字を書いてやる。何度何度も。10回や20回どころではない。鉛筆さえほとんど持ったことのない子である。そうやってつきっきりで指導する。

 が、少し考えてもらいたい。教育は絶対必要なのだろうか。

 あるマサイ族の人とマサイ族の第2夫人のとして有名な永松真紀さんとお話をした際、すごく興味あることを話してくれた。それは子どもの学校のこと。マサイ族のある村では子どもは大事な働き手である。放牧している牛や山羊(やぎ)の世話はもちろん、狩りの方法まで学ぶ。しかし学校に行くことで、伝統的に受け継がれてきたことが子どもに伝わらないというのだ。もちろん、その村で暮らしさえすれば、英語はもちろんスワヒリ語さえ必要ない。部族語のマサイ語でコミュニケーションできるからだ。

 第三者の私が、伝統よりも学校で学ぶ教育のほうが大事だなんて言うことはできない。そこには私の知らない事情や決まりなどがあるからだ。地方の村に住む少数民族や部族の人たちに「教育は大事だ。子どもを学校に行かせるべきだ。」なんて言えない。

 実際にこのような途上国に住み、いろいろな人に出会うと日本で学んできた国際理解や開発教育にいささかの疑問がある。世界が求めるほど、現地の人は求めているのだろうか・・・。学校教育、識字教育など。もちろん大事なことはわかるし、子どもたちに教育を提供するのは大人や国の役目だとも思っている。それでもいろいろ考えさせられる。けど、そうやって考えることで、少なからず俺も国際理解のことを考え、レベルアップしていけると思っている。

 それでも、アルファベットの「O」や数字の「1」がTukaiが自分一人で書けて頭をなでてやったときの、あの嬉しそうな笑顔を見ると、教育も大事であるって自信を持って言える。伝統も教育も同じように大切であるってTukaiがお父さんになったときに、自分の子どもに伝えてくれたら、これほどうれしいことはない。