2009年9月21日月曜日

9月11日 文化祭に向けて(メタルアート)

 ふと考えた工作。以前ここゲタスルの子どもたちが針金一つで飛行機や車を作っていたのを思い出した。そのすばらしい出来に感動したことがある。そこでこの日、子どもたちを集めて針金を使っていろいろな物を作る「メタルアート」をした。

 前日、最寄りの大きな町であるワンギゲという町に行き、針金を大量に購入。約7キロ分を910シル(約1200円)で買い、3メートルずつ切って子どもたちに渡す。一人ずつ「Asante」と言わせ、言わない子には渡した針金を離さず言うまで渡さない。そうやって子どもたちから「Asante」と言わせる。少し強引だが、ここから少しずつ「ありがとう」が言えるようになる。

 そして子どもたちは、いろいろなものを作り始める。鉄砲、車、眼鏡、帽子、自転車、なかには実用的なハンガーを作る子さえいた。必死に、また楽しそうに、そんな子どもたちの姿を見たり、写真を撮ることがすごく好きだ。きっとお父さんの心境ってこんなかんじなんだろうなあと思いながら、あまり口出しせず、静かに見守る。

 できた作品を持ってきては、胸を張って得意そうに私に見せる。どんな下手くそでも、それがまったく車に見えなくても、子どもたちをほめる。そのときの笑顔は、すごくかわいいものだ。イマジネーションあふれる作品はどれを見ても、感心する。そして文化祭を飾るメタルアートが少しずつ出来上がる。

 子どもたちの作品を見ながら、文化祭が来ることが楽しみでしょうがなく思うようになる。いやあ本当に楽しみ。と同時に疲れが少しずつ体を蝕みはじめたことも感じていた。

2009年9月11日金曜日

9月10日 文化祭に向けて(絵画制作)

 来たる9月12日にゲタスル更生院で、ある一大イベントが行われる。それは「ゲタスル文化祭」。これは人と接することに慣れていない子どもたちが人と接することの大切さを知ること、そして何か人からしてもらったときや何かもらったときに「Asante(ありがとう)」と言えること、これを目的に考えたイベントだ。

 今回は日本の文化を知ろうということで、ケニア大使館やJICA婦人会、そしてチキンラーメンで知られる日清食品さんの協賛でさまざまな活動をする。こうやってたくさんの方に協力してもらえるってすごく心強い。

 そこで更生院の子どもたちが何をするかというと、展示の部の作品作りだ。今回は一人ひとりの子どもに「ケンの似顔絵」「自分たちの生活」というタイトルで絵を描かせている。詳しい内容はまた文化祭後に。このブログを見ているケニア在住の人がいたら、楽しみが半減するからな・・・。

 そして巨大な絵の制作も行っている。これもタイトルだけをちょこっと教える。ブログを見ている人だけの特典です。「Karibu KENYA」「Getathuru Rehabilitation School」(2作品)の合計3作品である。もちろん、これも詳しい内容は文化祭後に・・・。

 しかしさすが更生院の子どもたち。この制作にも、多くの困難がある。個人の作品製作は問題なくできるのだが、問題は巨大絵画制作・・・。

 “ Nani anataka kuchora?” 「だれが絵を描きたい?」
 “ Nani anajua kuchora vizuri?” 「だれが絵を描くの上手?」

 とあらかじめ聞いておき、選抜して子どもたちを選ぶ。基本みんなやる気がある。初日なんてすごい勢いで描き始める。ところが3日たつと徐々に飽きてくる。1週間たつ頃には、「手が痛い」などといい訳をしてくる。そして絵を描くことを忘れ、とうもろこしを焼くほうに一生懸命になる・・・。集中力はないほうだけど、このモチベーションをあげるのが、また一苦労。褒めたり叱ったり、押したり引いたり。まあどっちかっていうと叱って押すほうが多いけど。この巨大絵画制作は2週間前から取りかかっている。なので2週間描き続けるって、確かに飽きるけど。それでも12日に向けて、完成が近づいてきて子どもたちも一段とやる気が出てきた模様。

 初めてとなる大きなイベントに、期待よりは不安のほうが正直大きいけど、子どもたちが楽しんでくれればそれで一番。あまりかたく考えず、気楽にできたらなあと思っている。当日は俺も浴衣で参加しようかな。文化祭が成功しますように。

2009年9月9日水曜日

一からの再出発

 一からの再出発。残りの活動期間が半年と少しというのもわかってる。半年間で何が残せるのか・・・。と考えるのは俺の勝手な都合。子どもたちにとっても、同僚にとっても半年で更生院生活や仕事が終わるわけではない。なので、もう一度一からスタート。それが今自分にできることだと思う。

 もちろん何かしら結果を残したいと思っていた。何か結果を残して日本に帰る、それをずっと思い描いていた。ウルルンのような感動的なお別れ、そして何か結果を残す。それを俺はずっと心に持っていたのだろう。けど、理想と現実はちがう。ウルルンのような、あんな感動的な話には正直ならない。

 更生院で出会う子どもは、そんな甘くはない。アフリカの中でも治安が悪いと言われるケニアで育ってきた更生院の子どもたち。私の想像をはるかに超える。日々叱って、子どもたちを叱咤激励する毎日。それでも時折見せる笑顔が、元気をくれる。

 だから毎日の生活を大事に過ごしたいと思う。大きなことでなく小さいことを継続的に。今の俺が唯一できることは、毎日子どもたちと過ごすこと。「ウルルン滞在記」のように何も結果は残せないし感動的な別れはないけれど、「プロジェクトX」のように最後に何かを成し遂げるようなことはないけれど、それでも今、私がここゲタスル更生院で子どもたちに何か小さなことが残せればなあって考えてる。

 約1か月近く悩んだが、なにか吹っ切れた。やってもやらなくても、どうせ半年はたつんだから、どうせならやるだけやってみようと思う。やらなくて後悔するより、やって後悔したほうが何倍も私らしい。それが私の出した結論。たくさんの人から応援のメールなどをもらった。そんな日本や世界中にいる人たちからの応援が、また背中を押してくれる。明日も生意気でわんぱくでヤンチャな男の子に囲まれて、元気に活動するわ。

2009年9月8日火曜日

9月4日 深刻な水不足

 日本では水道から水が出ないことってあるだろうか。自分の家の水道からまったく水が出ないこと、私はあまり日本で経験したことがない。しかしここケニアでは、むしろ水道から水が出ないことのほうが当たり前のように思う。

 私の住んでいる家では、運が良いことに水道がついている。台所の水道はもちろん、水洗トイレでトイレに水を流せるようになっている。ところが最近のケニアは乾季で雨がほとんど降らない。雨が降らないとどうなるか、それは水不足になるということだ。

 現在、私の家では一日のうち4時間しか水が出ない。朝7:00~9:00までの2時間と夕方18:30~20:30までの2時間である。更生院の近くにある貯水タンクにはほとんど水が残っていない。なので、水を上手に使うことが大事になってくる。そこで私がしている水の利用法は以下のとおりである。

 ○お風呂(お湯浴び)は週1、2回。あとはタオルを濡らして体をふく。
 ○水洗トイレを流すのは1日に1回(夜寝る前だけ)。朝は外の共同トイレに行く。
 ○料理を盛り付けるときは基本一つの大きなお皿。余分なお皿や鍋を使わない。
 ○よく調理するスパゲッティの残り湯を使ってソーセージを茹でたり、ゆで卵を作ったりする。そして余った汁を洗いものに使う。
 ○顔を洗うときはコップの半分。残り半分で歯磨きをする。


 といった工夫をしている。もちろん一日断水の日もあるから常に5Lのペットボトル数本に水をためている。長い時で3日間の断水などがある。そのため貯めた水をトイレや洗いものに使う。もちろん無駄使いはできないので、その水を大事に使う。ケニアの首都ナイロビ郊外といっても水不足は深刻だ。

 日本にいたとき、少し国際理解関係のことを勉強して国際理解の授業をしたことがあった。そのとき水不足に関しての話をしたこともある。しかし今思えば表面的なことをただ子どもに伝えていただけだったと思う。こうやって実際に自分が水不足の問題にぶつかってみると、今まで見えなかった苦労が本当にわかる。水って改めて大切なんだなあって思う。

 日本の皆さんは、どのように水を使っていますか。トイレに行けば水を流す、毎日のようにシャワーを浴びる、食器を洗うときは水道の水を使う、当たり前のことですよね。けど、当たり前のことを当たり前にできない国もあるっていうことを知るだけでも、大切なことだと思います。水の大切さ、一度考えてみてくださいね。

2009年9月3日木曜日

9月1日 2人3脚

“ Kitu muhimu ni friendship na teamwork.”
「大事なのは友情とチームワークだぞ」

 そう言って、体育の時間に子どもたちとした活動は2人3脚。ありがたいことに、ここゲタスル更生院では体育の授業で使うような道具がけっこう揃っている。三角すいに長縄、はちまき、サッカーボールなど。こういった道具を買いにいかなくてもいいのが助かる。他の更生院の隊員は、このような道具をわざわざ買いに行ったりしているのだが。

 いつものようにランニングをして、準備体操。活動前は必ず集まって話をきちんと聞かせる。飛行機が飛べば飛行機を見るし、女の子が通れば女の子を見る、そんな子どもたちの目をきちんと向かせて話を聞かせることは大事なことだ。

そして今回、気をつけたことが集合時のダッシュ。いつも歩いて来て、のらくくらりと来る子どもたちの意識を変えようとした。そこで取り出したのが、G-shockの腕時計。これはありがたいことにストップウォッチが付いている。これを利用して、集合時間をはかった。だいたい5秒・・・。

 “Ukuje kwa sekunde tatu.” 「3秒で来い。」

 そういうと子どもたちは見たこともないダッシュでやってくる。いやいややればできるじゃん。まあそれまでに5回ほどやりなおしをしたけど。この手は使えるな。

 さて2人3脚はというと、はじめに二人仲良く散歩から始めました。競争というよりもまずは慣れから。そして掛け声の練習。

 “ One Two, One Two・・・“ 「1 2、1 2・・・」

 と足の出すタイミングを掛け声で合わせるように声をかける。この時点でけっこう子どもたちは上手にできる。いやあさすが陸上王国ケニアの子どもたち。けど、根性のない子どもたちはマラソン嫌いだけど・・・。それでも楽しそうにやっていたのはよかった。そのあとの4人5脚はボロボロで、あきらめの早い彼らは、すぐに座り込んで休憩。本当にわかりやすい性格してるわ、こいつら。30人31脚の出場は目指せないな・・・。

2009年9月2日水曜日

8月31日 荒れ始める教室

 久々に教室に入ると、ある異変に気がついた。散乱するゴミ、破られた教室ルールの紙。子どもたちが荒れ始めたとわかるのは一目瞭然だった。それだけではない。本棚にめちゃくちゃに置かれた本たち、机も全く整っていない。1年かけて、少しずつ身に着いた習慣はあっという間に壊れていた。

「良くするのは時間がかかるけど、悪くなるのはあっという間。」


 よく先輩の先生たちに教えてもらった言葉。だから毎日の積み重ねが大事だということはわかっている。しかし教室に入れない今、子どもたちにその声かけすらすることができない。悪くなるのは当たり前だ。もちろんケニア人の職員からすると、教室の机がそろっていない、ゴミをどこでも捨てるというのには抵抗がない。自分が子どもの頃そうしてきたし、今でもそうしてるからだ。破られた手作りの教室ルールの紙を見つめながら、自分にできることを考えた。

 子どもの次の更生院への移動も近くなってきた。子どもがいなくなるからいいなんて、楽観的なことは考えない。次の更生院で、この荒れた生活が当たり前になっては困るからだ。この日一人で机を直し、ゴミを拾った。ほんまにどうしようもない状況だけど、絶対あきらめんで。ここであきらめたら、この2年間がほんとにもったいないことになる。怒らず、焦らず、また一から。明日からまた笑顔で声をかけていこう。あきらめない。

2009年9月1日火曜日

8月28日 出てきた不満

 衝撃の事件から3週間ほどたっただろうか。私の授業がなくなり、図書館運営もなくなった。私が現在している活動は体育だけ。私的には体の疲労も少なく、自分の時間が多く持てるようになったのだが、思っていたように子どもたちから不満が出てきた。

 “ Mwalimu, kwa nini hufundishi?” 「先生、どうして教えてくれないの?」
 “ Mwalimu, siku hizi library haifungui” 「先生、最近図書館が開かないよ。」

 そういって多くの子どもたちがやってくる。ここの更生院でもう一度、一からやり直そうとするマサイ族のウィリアムはほぼ毎日のように不満をもらす。私が授業をしなくていいと言われた日以来、毎日図書館の本を読んでいたウィリアムはそれができなくなった。図書館運営を頼んだ寮父の職員は、昼前には更生院から姿を消している。そのため子どもたちはテレビを見るか運動場で寝るか、どちらかになる。もちろん図書館が開かないということはウィリアムが楽しみにしていたコンピュータの時間もなくなるということだ。私が図書館に行かなくなってからコンピュータ教室は行われていない。すべてが悪循環にまわっているのがわかる。

 ある先生に昔言われた言葉がある。

 「更生院の子どもたちだから、そんなにがんばらなくていいさ。
  どうせ勉強なんてわからないんだから。」


 私はその言葉に真っ向から反対したのを覚えている。更生院の子どもたちだからこそ教育を受けたいということに飢えている。今まで家庭の事情などで学校に行きたくても行けなかった子たちがたくさんいる。だからこそ、ここゲタスル更生院にいる子どもたちに教育を提供することは大切なことだと強く思う。そんな子どもたちに、ここゲタスル更生院で授業を教える、私はそれに誇りをもっていた。その大事な中心となる教育が、ゲタスル更生院では崩壊しかけている・・・。

 以前までは英語、スワヒリ語、算数、理科(社会)の4教科は必ず授業をしていたし、図書館も毎日開放していた。その日授業のない子も図書館の本を借りて自習する姿があった。現在は英語、スワヒリ語の2教科と、体育。体育といっても全体100人を見るのでなく、その日授業のある約25人が受ける。そのため、他の75人はやることがない。

 ここケニアに来て1年2か月。一番の正念場を迎えた。